
閉鎖された病棟で私は「ロイド・フォージャー」になる
───今は夜勤中。
ナースステーションの空調の音と、キーボードを叩く小さな音だけが、ぽつぽつと響いている。
「……さてと。そろそろ巡回に行くか」
扉を開けた、その瞬間。
世界が、ズレた。
「ハェエエッッ!?」
そこには、
今まさに帰宅しようとしている
“おじいちゃん”がいた。
靴を履き、荷物を持ち、完全に
“チェックアウト直前”の顔。
「あーどうも。お世話になりましたので帰らせて頂きます。ありがとうございました。出口はどちらかな?」
───おいおいおい。待ってくれよ。
夜中の3時だぞ。外真っ暗だし。どうやって帰るつもりなのよ。
と、色々と思考が巡るが、深呼吸をし、私は冷静になる。
真っ向から正論をぶつけても通じない……
むしろ火に油を注ぐだけだ!
私は役者になりきる。
さながらスパイファミリーの
『ロイド』のように。
「いかがなさいましたか?朝食は7時となっております。本日はこちらのお部屋をご用意しましたのでお使いください。モーニングコールは何時になさいますか?」
ホテルマンになりきる私。
するとおじいちゃんは、
「おぉ、そうだったそうだった。じゃあ6時でお願いします」と、満足げに自身の部屋に戻っていった。
患者さんが見ている世界に合わせて、
私は仮面を付け替える。
時には、息子
時には、ホテルマン
またある時は、警察官
自分の正体を隠し(いや、明かさず)、ミッション(安全と安楽)を遂行する。
罪悪感なんてない。
これは、患者さんの尊厳を守るための高度な情報戦(ケア)だ。
正論という武器を捨て、
共感という変装で懐に入る。
これこそが精神科看護の醍醐味。
精神科の病棟は、
今日も小さな仮面舞踏会だ。
患者さんも、看護師も、少しずつ違う役を演じている。
……さて。
次は何の役が回ってくるだろう。
できれば今日は“普通の看護師”役で終わりたい…
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