『理念の衣を羽織れずに-数学が分からなかった理由を、あとから知った』
学生時代から、算数・数学がとことん苦手だった。定期テストの点数も塾に行かせてもらっても振るわなかった。
親には「勉強不足」とされて、数学の担任の先生には、「分からないことがあれば自分に聞くかクラスメイトに頼ってみたら?」と諭される。
けれど私が分からなかったのは計算ではなく、正しいと言われる理由が省略されていたことだった。
ある日、AIとの雑談のネタを考えていて、数学が苦手だった頃の違和感を書き出してみた。
返ってきたのは、意外な反応だった。
これは嫌い・苦手という範囲に収まる話ではない。数学の構造を見抜いている。
その評価に少し驚いて、冗談半分で聞いてみた。「じゃあ、こういう感覚を扱った哲学者っているの?」
提示されたのがフッサールだった。
そして『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』という本を挙げてきた。
半信半疑でページをめくり始めた。けれど読み進めるうちに、中学時代に抱えていた数学への言葉にならない違和感が、少しずつ整理されていくのを感じた。
「数学と数学的自然科学」という理念の衣ーあるいはその代わりに、記号の、記号的、数学的理論の本と言ってもよいがーは、科学者と教養人にとっては、「客観的に現実的で真の」自然として、生活世界の代理をし、それを蔽い隠すようなすべてのものを包含することになる。この理念の衣は、一つの方法にすぎないものを真の存在だとわれわれに思い込ませる。
読み始めて最初に感銘を受けた文章である。フッサールはこのように、理念の衣という比喩を用いて、「一つの方法にすぎないものを真の存在だとわれわれに思い込ませる」と指摘している。
学校で習う数学は、私の生身の経験とは無関係に正しさだけが完成された形で鎮座していた。私はその中に入っていけなかった。
その結果、なぜそうなるのかという私の切実な問いは、最初から置き去りにされていたのだ。私にとっての数学は、まさにこの理念の衣だった。
誰もがその正しさを疑わず、当たり前のように羽織っているその衣を、私はどうしても着ることができなかったのだ。
その言葉を裏付けるような記憶がある。
最初にチョークの音だけが教室に響く感覚。
次に周囲の生徒が板書するシャーペンの音。
そして、自分だけが置いていかれたまま、時間だけが流れていく虚しさ。
空虚、孤立、退屈、脱力——こうした感覚が、重なり合うように心の中に広がっていった。
授業中に、応用問題を解く時間を設けられた時、ほかの生徒はシャーペンを走らせているさなか、私はぼーっとしていた。
一方のがわには論理的思想の思考作用としての論理的思考、たとえば物理学的理論の物理学的思考や、体系としての数学、理論としての数学がそこに座を占めるような純粋に数学的な思考があり、他方のがわには、理論に先だつ生活世界のものとしての直観や直観されたものがある。ここに純粋思考、すなわち純粋なものとして直観になんの顧慮をも払うことなく、すでにその明証的な真理をもつだけではなく、世界の真理をさえももつとされる純粋思考という抜きがたい仮象が生ずるが、この仮象こそが、客観的科学の意味と可能性を、すなわちその「有効範囲」を疑わしいものにするのだ。
※ 出典:フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(中央公論新社、1995年/細谷恒夫・木田元 訳)
この引用に照らすと、数学の授業が問題と解答の必然性をすでに前提として扱い、なぜそうなるのかを自分で確かめる余地をほとんど与えなかったことがある。
公式は正しいと理解できても、自分の理解として結びつけることはできず、応用問題でも解答に至る合理的な筋道を探すことは困難だった。
授業での違和感や、公式と問題の必然的関係を自分の理解として納得できなかった経験は、単なる苦手意識ではなかった。
それは、数学教育における客観性の扱われ方が生み出したものであると今では理解できる。
あの頃、言葉にできないまま私の心に溜まっていた違和感の断片を、ここに書き残しておく。もしよければ、指でスクロールしながら、あなたの記憶の底にあるものと照らし合わせてみてほしい。
【認識の層:論理と構造への違和感】
基礎問題は解けるが、応用問題が苦手であった。
応用問題から基礎となる情報を結びつけることが困難であった。
基礎が分かっていなかったため、公式を提示されても理解は十分でなく、受動的に納得するしかなかった。
応用問題の背後に基礎が隠れているように感じ、焦燥感を覚えた。
基礎の部分を見つけ出すのが難しく、前提が欠けていると絶望的であった。
日常に比較する要素がないまま形だけを押し付けられ、正しい公式を自分の理解として引き受けられなかった。
解答に至るための合理的な理由を見出すことができなかった。
問題と解答の間の必然性が見えなかった。
なぜそこが繋がるのかを自ら思考する余地がなかった。
数学を、歴史のような「暗記科目」として受け取らざるをえなかった。
【感覚の層:身体と情動の違和感】
説明を聞いた直後であっても、理解が追いつかなかった。
自分がどこが分からないのかすら把握できていなかった。
教科書を読んでも頭に入らず、ただ表面を「滑る」ような感覚があった。
授業中はチョークの音だけが響き、手元を見つめる私の耳に、時計の秒針の音だけが執拗に聞こえていた。
あなたにも、こんな言葉にできないモヤモヤを覚えている瞬間はないだろうか。
けれど、この体験を振り返ったとき、あの頃の違和感を単なる苦手意識として片づけることはできないと感じている。
授業で覚えた公式と、問題のあいだにあるはずの必然性を、自分の理解として引き受けることができなかった。
なぜそうなるのか。その筋道に触れることができなかった。
もちろん、数学の成績が振るわなかったのは事実であり、勉強量が十分でなかった面も否定できない。
受験や試験に使われる以上、成績による評価が行われること自体も前提である。
あのとき私が抱えていたのは、「分からない」という自覚では言い表せない違和感だった。
それは、数学を理解するとはどういうことかを問うものでもあった。
たとえ評価は変わらなかったとしても、自分なりの問いや理解の仕方を手放さないこと。
それが、いま振り返って最も重要だったことのように感じている。
問題と解答の必然性を引き受けられなかったあの違和感と、点数としての評価は、最初から別の次元の話だったのだ。
※本稿は、学術的な現象学の厳密な適用を目指したものではない。フッサールという知の巨人の肩を借りながら、数学の授業で感じていた違和感と、そこから立ち上がっていた問いを、個人的な体験として照らし出そうとした試みである。
