
隠れている記憶、隠れない記憶の中で
最近は常識になった「毒親」「親ガチャ」という言葉。
私には関係ないと思っていた。
この家族は穏やかじゃなかったのだと、30歳を過ぎてようやく理解した。
私は昔から記憶力が乏しく、家族旅行や行事の思い出をすぐに忘れてしまう子供だった。
周りから「本当に忘れん坊だね」「全然覚えてないじゃん」と言われてきた。
今、子供の頃を思い出そうとしても、少ない引き出しをそっとかき回して、ようやく一つ見つかる感覚。
そして、すぐに見つかるのは決まって嫌な思い出。
家の中の険悪なムード
ヒステリックになる母
黙る父
生活音の大きさで機嫌を伺う
いつ始まるか分からない夫婦喧嘩
それがなぜかすぐ出てくる。
他にも言語化できない出来事もあったけれど、客観的に見ればうちの家庭は「居心地の悪い家」だったと思う。
当時の私は兄弟と、どう目の前の修羅場をくぐり抜け、
時には擦り付けるかに注力し、成功すればミッション達成と喜んでいた。
今振り返れば私の家族は「緊張と楽しさが混ざった家」だったのだと思う。
でも、今は決して親のことを恨んだり、親の責任とは思わない。
なぜなのか。自分なりの途中駅が見えたので綴ってみる。
生育家族は「かけがえのない存在」ではない
小さいときは、誰にも教えられていないけれど
「家族はかけがえのない存在」と初期設定されていた気がする。
小学生の頃までは、家族といるとき私だけ笑顔だったり、笑い過ぎることが多かった。
子供ながらに家族の雰囲気を軽くしたい、責められたくない、怒らないでという意思表示だったのだと思う。
緊張感のある家庭に訪れる一時的な楽しい瞬間。
笑顔で過ごすけれど、心の中では「幸せの先にまたネガティブなことがあるなら、受け取らない方が楽」と思っていた。
この環境で得た、生き延びるための知恵。
こんな気持ちになるなら、かけがえのない存在なんて嘘だ。
大人が作ったテンプレにすぎない。
居心地が悪く、安心できない環境は大切にしなくていい。
ただの箱だ。出ていきたいなら、出ていける年になったら出ればいい。
くじ引きの運が悪かっただけで、それで人生の道が一つだけになったわけじゃない。
後は自分が自分の生きる道をどう正解にするか、なのだ。
付き纏う負の感情はゴミ箱に入れてみる
普段は圧縮されている嫌な記憶も、ふと落ち込んだ時やシャワーを浴びている時にぷくぷくと湧き上がる。
その湧き上がった思い出に向き合う必要はいつか来る。
けれど毎回じゃない。向き合う時まで、捨てればいい。
私は創設家族側を大切にし、生育家族はいないものと考えた時期があった。
向き合わず、ゴミ箱に入れた。
でもゴミ箱には入っている。燃やしてはいない。
そして、このごみを分別している今、私は長いお休みの中で、静かに向き合っている。
次は私が子供の生育家族となる
これからは私が子供にとっての生育家族で、人生の土台となる。
親のようにはならないという負の感情はなるべく出さず、一から組み立てて子供を理解していきたいと思う。
どうしても親のようにしか育てられない場面もあり、
反省会が始まるけれど、
結果、子供から見える視点や感情を無視せず接していくことが私のケジメだ。
この子の未来がどうか明るく、豊かで、余裕があり、人を傷つける道を選ばぬ子になれるのか。そんなことを考える今日この頃。
一つの道しか見せないのではなく、なるべくたくさんの道を見せてあげたい。
そして私は、隠れている記憶も、隠れない記憶も抱えたまま、
過去に泥を塗らず、娘の未来にも泥を落とさぬよう、
草をむしり、石をよけながら、自分の道を慎ましく広げていきたい。