「ファンへの配慮ゼロ」だった紫式部卒業|行政VTuberの運用が抱える致命的な問題
先日、私は衝撃的なニュースを受け、感情のままにnote記事を書き殴った。
今読み返すと、文章が途中で途切れ、感情が乱れきっているのが自分でも分かる。普段の私なら、ただ嘆くだけで終わらず、「VTuberにとって理想的な卒業とは何か」という概念的な問いへと自然に思考を広げていたはずだ。それすらできなかったほど、今回の件は私にとって大きな衝撃だった。
冷静さを取り戻した今、あらためて本来書きたかったことを整理しておきたい。
■ なぜここまでショックだったのか
VTuber界隈で卒業や引退は珍しくない。私自身、これまで多くの卒業を見送ってきた。しかし今回の紫式部さんのケースは、その中でも最悪に近い部類だと感じている。
事前告知がほぼなく、突然の発表だったこと
発表時点で既に活動が終了しており、本人コメントが一切なかったこと
これが中の人交代として2回目で、短期間で繰り返されていること
キャラクター(ガワ)は市が保持したまま、今後の活動が曖昧なまま引き継がれること
これらが重なり、ファンには喪失感と「置き去りにされた」という印象だけが残った。要するに、ファンへの配慮が極端に欠けていたと言わざるを得ない。
■ 理想的な卒業とは何か
今回の件を受けて、自然と「では理想的な卒業とは何か」という問いが浮かんだ。調べてみると、ファンから「綺麗に終われた」「納得感があった」と語られる事例はいくつか存在する。
金剛いろはさん
最後の配信で活動を丁寧に振り返り、自然な区切りをつけたと評価されている。黛灰さん
卒業発表から約1ヶ月の準備期間を設け、コラボや振り返り配信を行い、ファンが心の準備をしやすい環境を整えた。湊あくあさん
卒業ライブでは約74万〜76万人の同時視聴者を集め、圧巻のステージで感謝を伝えた。背景には複雑な事情もあったが、それでも「伝説的な卒業」として記憶されている。
これらから見えてくる理想的な卒業の条件は、おおむね以下に集約される。
十分な事前告知期間がある
本人から直接、感謝と想いが語られる
最後の活動でファンと丁寧に思い出を共有する
アーカイブなどの遺産が適切に残される
運営と本人の意志が整合している
今回の紫式部さんの卒業は、残念ながらこれらのほぼ全てと真逆の位置にある。
■ 行政系VTuberの運用実態
さらに気になったのは、「行政系VTuberでは中の人交代が頻発するのか」という点だ。調べてみると、むしろ逆で、多くの自治体はキャラクターと演者の一体性を重視し、長期的な運用を行っている。
茨城県の茨ひよりさんは県職員として安定した活動を続け、PR効果も高い
他地域でも年度替わりの休息はあっても、1年単位で中の人を入れ替える運用はほぼ存在しない
つまり、越前市の紫式部さんのケースは異例中の異例である。
初代が1年で交代し、二代目がそのハンデを跳ね返して人気を得たのも異例。そこからさらに短期間で再び交代というのも異例。ここまで異例が重なると、もはや「なぜこうなるのか」という疑問しか残らない。
■ 越前市に問いたいこと
私は、越前市がVTuber事業に取り組む姿勢そのものを否定するつもりはない。地域の魅力を新しい形で発信しようとする試みは本来歓迎すべきものだ。
しかし今回の卒業の仕方、中の人交代の繰り返しを見ると、どうしても
「VTuberを単なるマスコットや消耗品の広報ツールとして扱っているのではないか」
という疑念が拭えない。
VTuberはただのキャラクターではない。日常的にリスナーと交流し、信頼関係を築きながら地域の魅力を伝える存在だ。その本質を理解していないのであれば、そもそもこの事業に手を出すべきではなかったのではないか。
今回の対応は、越前市に対する印象を大きく損なう結果になっている。だからこそ、ファンに対してもっと丁寧な説明と配慮が必要だったはずだ。リスナーを軽視しているように見える今回のやり方は、率直に言って非常に残念だ。
■ 最後に
書いているうちに再び感情が強くなってしまったが、これが今の私の正直な気持ちだ。完全に冷静に書けなかった点は申し訳なく思う。
それでも、紫式部さん(二代目)のこれまでの活動には心から感謝している。そして越前市には、VTuberという表現の特性をもう一度、真剣に考えてほしいと強く願っている。
