
「或る桜」 【朗読台本】
推しのラジオに投稿した朗読台本です。
ちょうど桜の季節なので公開してみます。
ああ、苛々する。
腰に差した刀を撫で回しながら、居丈高に喋り散らす田舎侍たちが気に食わない。商人の売り文句も癇に障るし、町娘がこちらを見やる視線も、道から舞い上がる砂埃も、何もかもが鬱陶しい。
けれど一番鬱陶しいのは、背を丸め脂まみれの禿頭を光らせ、いかにも不機嫌そうに歩いている——この、おれ自身かも知れない。
「ご苦労さん。今日の賃銀だよ」
「ああ……」
「なあ徳さん、現場の棟梁が褒めてたよ。木の削り方にしろ何にしろ、仕事が丁寧だって。やっぱり絵を描く人は、細けえ所に気が付くのかねえ」
「……そうかい」
「いっそ大工に鞍替えしたらどうだね? 何しろ火事が多い、大工の仕事は引っ切りなしさ。日雇い人足しながら絵描きなんぞしたって、食うに困るだろう」
「……それでも描きたいんだ、おれは。養わなきゃならん家族もないしな」
「まあ……気が変わったら、いつでも言っとくれ」
苛々しているのは、思うように絵が描けないから……もあるかも知れない。日銭を稼ぐために仕事をしていると、年のせいか、帰ってすぐ寝てしまう。借金取りが叩き起こすから、良い眠りでもなく、金を渡して帰らせてもそこから描けるわけでもなし……。
そもそも依頼があるわけでもない。この間は久しぶりにお屋敷へ絵を納めるってんで張り切ったが、あの野郎、難癖をつけて金を払わなかった。怒鳴り散らしやがって、今思い出しても腹が立つ。
けれどもやはり、一番腹が立つのは、評価してもらえるような才の無い自分自身だ。
何にも無いのに、いつまでも絵にしがみついている。
あいつの言う通りだ。大工のほうに才があるなら、大工になったほうがいい。
おれは何のために描くのだろうか?
ああ、眠い。今日も何も描けない。明日の人足は、花見の屋台だろうな……。
「ふわ〜あ……まあどいつもこいつも呑気に、よく花見なんぞできるな」
「徳三郎さんや、この天ぷら持ってッとくれ! ほらあすこ、芸者がいるとこだよ」
「はあ!? ああ、ったく……運び役がいねえのか。わかった、あの赤い敷物んとこだな」
天ぷらを持って、小走りに近づく。見たところ、大して金持ちの集まりって訳でもなさそうだが……
「ん? あいつは、もしや……」
「辰之丞! ほれ、もっと呑め呑め! おめえの稼ぎのおかげで、芸者まで呼べてるんだからよ!」
「ははは、俺はみんなが呑んでいる様を見るのが愉しいからいいよ。それに、帰ったらまた絵を描かなきゃいけねえからな」
「かーっ、売れっ子絵師は大変だなあ! みんな、辰を愉しませるために、どんどん呑まねえとなあ!」
……ああ、やっぱり。今一番人気の絵描き、辰之丞だ。雅号は何だったっけな? まあいい。さっさと天ぷら渡して屋台に戻っちまおう。
「おい、天ぷらだ。代金はもう払ってるな?」
「ああ、屋台の! ありがとな。おや……おめえ、徳三郎か?」
最悪だ。よりにもよって昔馴染みがこんな所にいやがった。
「……人違いだ」
「いやいや、おめえの仏頂面は酔っ払ってたって見間違えねえよ! おいみんな、こいつも絵描きの徳三郎だ! 知ってるか!?」
皆それぞれ顔を見合わせ、知らねえ、という顔をする。ああ、嫌だ、さっさと帰っちまおう。
「徳三郎!?」
そんな中で大声を上げたのは、まさかの辰之丞だった。目を見開きながら駆け寄ってくる。立ち上がると、ひょろっとしてやがるが大柄な男だ。半鐘泥棒ってやつだなあ。
「あんた、須原屋さんとこに飾ってある絵を描いた、徳三郎さんか!? あ、あ、あの、あれだよ、赤い着物の女性の絵! 黒猫を抱いてる!」
「ああ……そういやあ、ずいぶん前に頼まれて描いたな」
まだ飾ってくれてんのか、ありがてえ。新規の注文はとんと無いから、てっきりもう飽きて捨てっちまったもんかと……
などと感慨にふけっていると、辰之丞は突如おれの手を掴んで、目を輝かせた。
「うわ〜、すっげえ! 俺、あの絵が大好きなんだ! ずうーっと、描いた本人に会ってみてえなあと思ってたけど……まさか、こんな花見の席で会えるとはなあ!」
「はあ?」
嫌味……では、なさそうだ。にしても、ここいらで一番人気の絵描きが、おれの絵を……好きだと? 冗談だろ?
「なあ、徳三郎さんも一緒に呑んでってくれよ! 絵の話聞かせてくれ!」
「馬鹿、おれは仕事中なんだ! それに、売れっ子のおめえさんに話せるような絵の話は、これっぽっちもねえよ。じゃあな」
握られていた手を振りほどいて、逃げるように屋台へ走る。ふいに大風が吹き、桜吹雪が舞う。おれの逃亡を手助けするかのようだった。
「徳三郎さーーーーん! じゃあ今度見かけたら、引っ捕まえて話しかけるからなーーーーー!」
数日後、花見の席で叫んだ通り、辰之丞はおれを見つけて話しかけてきた。最悪だ。こいつは大柄な上によく見りゃ顔も二枚目で、やたらと目立つんだ。おれは静かに呑みたかったのに。
「良かった、ほんとにまた会えた! 一人か?」
「……見りゃわかるだろう」
「いや、誰かと待ち合わせでもしてんのかと思ってさ」
「おれと呑みたい奴なんていねえよ」
「俺は徳三郎さんと酒呑みてえよ!」
「……前も言っただろう、売れっ子のおめえさんに話せるような絵の話はこれっぽっちもねえって。さっさとあっち行け。連れがいるんだろ?」
「じゃあ俺が勝手に色々聞くから、それに答えてくれ! こっち座っていいか?」
「…………」
駄目だ、こういう手合いには何言っても無駄だ。こいつの連れも、見て見ぬふりしてやがる。こうなりゃ無愛想につまらない答えだけ返して、おれへの興味を無くしてもらおう……
「徳三郎さんは、絵を描いてて愉しいか?」
「何だ、やぶからぼうに。愉しくはねえ、特に今はな」
手前勝手に描いても売れやしない、売れ筋を描こうとすると苛々してくる、依頼があっても依頼主に怒鳴られる。愉しいわけがない。
「じゃあ、何故描ける?」
「何故って……」
なぜ? それはおれが自分に聞きたいぐらいだ。苦しいばかりなのに、何故描いている?
「……わからねえ」
「そうか」
辰之丞は笑顔を浮かべて、真っ直ぐにこちらを見つめていた。何だ、その笑顔は。おめえの目的は、一体何だ?
それからというもの、おれが居酒に出るたび、見計らったように辰之丞が現れるようになった。おれは別に、しょっちゅう居酒に出ているわけじゃない。あいつと約束もしていない。なのに、いる。もしかして、あいつがしょっちゅう居酒に出ているだけか?
しかし……不思議なことに、気分は悪くない。何を見ても誰といても、酒を呑んでいたってずっと苛々していたのに、辰之丞と話しているとそれがない。話しているっても、あいつが一方的に色々喋ってきて、おれはそれに返事しているだけだが。
「徳さん。俺、初めて一緒に酒を呑んだ時に聞いたろ。絵を描いてて愉しいかって」
「……ああ、そういやあ、そんなことを聞いてきたな」
「俺さ、愉しくねえと何でもすぐ厭になっちまうんだ。手習いも算盤も厭で、でも絵を描くことだけは愉しかった。ただ夢中になって描いていて、周りも俺の絵を見て喜んでくれて、いつの間にか大層持ち上げられて、まあでも愉しいからいいかって思ってた」
「いいことだ」
「ああ……けど、須原屋さんとこに出入りしていた時、徳さんの絵を見て、何だこれはって思ったんだ。全身の血が沸き立つようだった。うまく言えねえが、何ていうか……“生きている”って思ったんだ。ああ、どんな人がこの絵を描いたんだろう、って思って、居ても立っても居られなくて、すぐ旦那さんに雅号を聞いた。そうしたら、雅号はねえ、徳三郎さんだって」
「雅号を出すほどのものでもねえからな。で、どうだ。本人に会って幻滅したか?」
「してないよ。けど……何でこの人、こんなに愉しくなさそうなんだって思った。天ぷら屋の人足なんてしてるし、金に余裕があるとも思えねえ。俺はあんなに感動したのに、周りの誰もあんたを、あんたの絵を知らなかった。けど、絵描きは続けてる様子で……何でなんだ、って思ったんだ。俺だったら、ちょっとでも苦しいと思った時点ですぐ辞めちまう。何で苦しいばかりなのに絵なんか描くんだ、もしかしてそう見えないだけで、本当は何か愉しさを持ってるんじゃないかって……」
「最初に言った通りだ、おれにもわかんねえよ。ああ、けど、おめえさんと出会ってから、ちょっとした落書きをするようになったんだ。作品とも呼べねえ、薄い墨でつらつらと描くだけの落書きさ。これを描いてる時は、少し愉しいと思えるようになった」
「本当か!?」
「……おめえがそんなに喜ぶことか?」
「そりゃそうだよ! 俺、徳さんに愉しんで欲しいなって思って、なけなしの金で慣れない居酒してたんだから! 最初は偶然だったけど、その後は徳さん探して、大して酒が強いわけでもねえのにあちこち店巡って……」
「はあ? おめえ、居酒が好きでやってたんじゃねえのか? 何でそこまで……」
「俺を感動させてくれた絵を描いた人が、苦しいばかりの人生を送ってるなんて厭だ。恩返しがしたかった。俺の絵が良くなったんだとしたら、徳さんの絵に出会ったお陰なんだから」
「馬鹿、それはおめえに才があったからだろう。そんで皆に評価されて売れた。おれのお陰じゃねえよ」
「そう、それだよ! 徳さん、周りに評価されて金もらえることだけが、本当の才なのか?」
「……は?」
「さっきも言った通り、俺は愉しくなくなれば何でもすぐ辞めちまう。本当はあの花見が終わったら、絵なんか辞めちまおうと思ってた。愉しくなくなってきたからだ」
「……だからおめえ、周りに金出して、あんな豪勢に……」
「でも徳さんは違う。愉しくなかろうが、周りに評価されなかろうが、金が稼げなかろうが、ずーっと絵を描き続ける。執念だ。そして俺は、その執念もまた才じゃないかと思うんだ」
「執念が、才……?」
「そうだよ。何でかわからねえ、何の得もねえ、なのにただそれをやり続ける。こんなこと、そこいらの誰にでもできることじゃねえ。周りの誰も簡単にできないことをやれる、それが才だろ」
「はは、なるほど。おめえさん面白いこと言うな、確かにそうだ」
「あーっ、笑ったぁ!」
「何だうるせえな、笑うくらいおれだってするよ」
「違う、徳さん今まで、ずーっと笑ってなかったんだよ! ああ、良かったあ……」
「ちょっ……おめえ、泣くことはねえだろう。何だ、いつのまにかそんなに呑んでたのか?」
「へへ、そうだな、呑みすぎたかも知れねえや。くそ、涙が止まらねえ」
辰之丞は餓鬼みたいに、腕でごしごしと涙をぬぐった。しかしその顔は、笑っていた。
ああ、おめえもそうやって笑えるんじゃねえか。おれが今まで見てきた笑顔は、どっかから取ってきて張り付けたみてえな笑顔だった。何だ、良かったな。おれまで泣きそうになってくるよ。
「……徳さん、これから絵、どんどん愉しんで描いてくれよ」
「ああ?」
「愉しくもねえのにずっと描き続ける才がある徳さんが、愉しみを見出したら、鬼に金棒だ。俺なんか足元にも及ばない、すげえ絵師になるに違いねえよ」
「はは、人気絵師のお墨付きとはありがてえ」
「本当に!!」
「ああ……そうだな。そうなるよう、描いてみるよ」
格子窓にふと目をやると、桜の花びらが空を舞っていた。あの時——辰之丞と初めて会った時、うらめしく見ていた花びらと大して変わらないはずなのに、まるで違って見える。
そうだ、ここの近くに一本だけ、大きな桜の木があるんだ。大群から外れて、一本だけこんな所で頑固に咲き続ける桜。
まるで、おれみてえだと思った。
<終>
●別に読まなくてもいい作者あとがき
推しラジオの朗読コーナーで「自分の書いたものを送ってもいいですよ」と言われていたのを聞き、投稿したものです。
男性が一人で読むことを想定したので、登場人物がほぼ全員男という、私の中ではかなり珍しいタイプの作品になっています。時代物も初ですね。
採用はされなかったものの(そもそも昨年10月に送ったため、季節が合わなかったのかもしれません)、自分的にはとても好きな作品だったので、投稿したものを少し修正してnote創作大賞に出してみることにしました。
私は文章のほうが評価を受けやすいのに、絵を描くことが捨てられず、何歳になっても漫画を描き続けているような人間です。なので徳三郎は私です。でも、辰之丞も私だと思います。
あなたの中にもいるかもしれない、徳三郎か辰之丞に刺さったらうれしいです。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
では、ごきげんよう。