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ケルト神話についての前提知識:「ケルト人」という概念(5/1加筆)

    「ケルト人」という言葉を目にしたことはありますか?

    ないはずはありません。ただし、あなたがタイトルも見ずに記事を閲覧している奇人の場合を除きますが。

    冗談はさておき。

    私は「ケルト神話」について多少の知識がありますので、その話をしたいのですが、前提として「ケルト人」について知っておかなければなりません。当然、その神話が誰のものかということを抜きにしては、いかなることを語っても空理空論、地に足の着いた議論とはなりません。

    さて、それでは「ケルト民族」ないし「ケルト人」とは何か。目にしたことはあっても、他人に詳しく説明できるほどに知っている人となると、そう多くはないのではないでしょうか。多分、もしかしたら。もっとも、私もそれほど詳しいわけではないのですが、できる限りの範囲で説明いたしましょう。

    というわけで、この記事では、「ケルト神話」について考えるための前提知識として、「ケルト民族」ないし「ケルト人」なる概念について説明します。特に、いわゆる「そもそも論」ってところですね。

    「ケルト人」についてあまり詳しくない方は驚かれるかもしれませんが、この「ケルト人」あるいは「ケルト民族」なる概念は、近代の創作物です。「創作物」では言いすぎかもしれませんが、現在のような「ケルト人」という概念が生まれたのは、近代になってからのことです。これは重要な事実です。

    では昔は何と言っていたのかというと、古代ローマでは「ガリア人」という包括的な呼称もまた、存在していました。これは主にフランスにいた、大陸ヨーロッパの「ケルト人」の呼称と言っていいと思われます。

    「ケルト」(En. Celt, Gr. Kelt)、「セルト」(Fr. Celte)、といった語は、古代ギリシャの「ケルトイ」(Κελτοί) という語に由来すると考えられています。

    ここら辺の話は原清『ケルトの水脈』やサイモン・ジェームズ『図説ケルト』など、ケルト文化を扱った学術的な書籍の最初のところで解説されていますので、詳しくはそちらを。特に『ケルトの水脈』は「ケルト人」という呼称と「ガリア人」という呼称の、使用者ごとの包含関係をベン図で示しています。

    いずれにしろ、当時は今のような「ケルト人」という包括的な認識がなかった、ということだけは知っておいてください。

    原清『ケルトの水脈』には、次のようにあります。

    ケルト文化とは何か……前提となるのは、まず言語的共通性である。……ガリア人の言語は、ブリテン諸島、イベリア半島、中東欧から小アジアにかけての一部にも、共通する集団が古代には存在した。ただしこれは一九世紀以降の言語学の成果に基づくもので、当時の人びとがこうした広域の共通性を認識していたとはいえない。(p. 20)

    ここで言っている「ガリア人の言語」というのは、当然「ケルト語」のことです。原が述べているように、近代以降用いられている「ケルト人」という包括的な概念は、言語学によって言語的共通性が判明した結果、生まれたわけです。つまり、「ケルト語」を話す人たちが「ケルト人」です。

    なんだそんなものか、と思われるかもしれません。しかしまあ、そんなものです。この事実が示しているのは、「ケルト人」全体に通じる何らかの文化的・社会的共通性は恐らくない、ということです。

    例えば、統治形態。アイルランドでは、王である「リー」(Ir. rí) が支配するいくつもの小邦「トゥアス」(Ir. Túath (sg.)) が存在しており、それらの上に立つ王がおり、またそれらの上に……という階層構造を成していました。そしてそれらの最上位に立つのが高王ないし上王と和訳される「アルド・リー」(Ir. Ard-rí) です。直訳すると「高い王」。上に立つとはいえ、完全に支配していたわけではなく、その中での一番の有力者、という程度のことです。「王」とはいえど、ピンキリだったということです。

    一方、ガリア人の間では、早くに王制はなくなっていたことがわかっています(カエサル『ガリア戦記』など)。

    また、ケルト人は現在のトルコ、アナトリア半島の中央部に「ガラティア」という国を築いていました。というよりは、そこに居を構えていた程度のことで、国というほどしっかりした統治機構があったわけでもなかったようですが。『聖書』で「ガラテヤ人」とか出てくるアレです。サイモン・ジェームズ『図説ケルト』によると、ガラティアの統治形態は次のようなものだったそうです。まず全体が三つの部族に分かれ、各部族が四つの「氏族」から成り、それぞれの領地を守っていた。その氏族を「テトラルク」という首長が治めていた。その下に補佐官などがついていた。(p. 72)

    さて、こんな風に統治形態ひとつとっても大きく異なりますが、かといって、これらの諸族が互いに全く似ていない、という訳でもありません。例えば神話・宗教の面では、アイルランドにおいてはルグ・ラーウァーダ (Lug Lamfáda) 、ルグ・マク・エスニェン (Lug mac Eithnen) 、あるいは単にルグないしルー (Lug) といった名でよく知られる神がいます。次にアイリッシュ海を挟んだブリテン島の西側であるウェールズにはスェイ・スァウ・ガフェス (Llew Llaw Gyffes) という英雄がいます。そして大陸側、主に今のフランスに当たるガリアではルグス (Lugus) という神が広く信仰されていました。これらの三つは同一のものであると考えられています。このように、同じ神ないし英雄が存在するように、共通点も大いにあります。

    ただし、先述のように近現代の「ケルト人」という概念は、同じケルト語を話す諸族を一括りにしているものであるため、「ケルト人」であることを根拠として、言語的な面以外のことを断定することは、論理的に不可能なのです。「ケルト人」という括りは限定的な使い方しかできない、ということがおわかりになったでしょうか。

    長くなりましたので、今回はこの辺で。次回は、「ケルト人」という語の近現代での使われ方に触れましょうか。


    参照文献:

    サイモン・ジェームズ著、井村君江監訳『図説ケルト』、東京書籍、2000年

    原清、『ケルトの水脈』、講談社学術文庫、2016年

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