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BFC5 ゞャッゞ応募原皿


    あなたはただ䞡目掞窟人間を知らないのか 
    子鹿癜介 


       なんおタむトルを曞くず怪奇郜垂䌝説かの話題のようですが、䞡目掞窟人間さん以䞋、䞡目さんの文章䜜品をご玹介したす。
     自称・代䞀般男性の䞡目さんがネットで公開しおいる文章䜜品は蚈六十䜜以䞊。あえおゞャンル分けするならばホラヌ、、青春、人間ドラマ、ハヌドボむルド、しゃべるねこ  ずなんでも曞かれたす。䞡目ワヌルドは倚角的。
     今幎の倏、私は宝探しの぀もりで䞡目さん䜜品読曞月間を自䞻的に蚭定しお、未読分を二ヶ月かけおほくほくず読了したした。
     䞡目さん䜜品は読み味が唯䞀無二で、料理にたずえるず「この小鉢おいしいねぇ なにが違うの ほお、お塩ず䞋ごしらえが」ずいう感じ。尖りすぎず䞞すぎず、独自の旚味があるのです。
     今回は倧人の宿題発衚ずいうおもむきで、䞡目さん䜜品をふた぀オススメしたす。for you.

    ◇参考リンク - 䞡目掞窟人間さんの䜜品䞀芧
    https://kakuyomu.jp/users/gachahori/works

    【】
     私が特に奜きなのが『ダンボヌル箱のさずこさん』。コミュニケヌションにた぀わる瀟䌚人の葛藀が刺さる短線です。
     ある日、先茩瀟員のさずこさんがダンボヌル箱をかぶっお出瀟しお、〝僕〟は戞惑う。職堎の同僚や䞊叞も同様だけど、圓のさずこさんはダンボヌル箱の前埌巊右に描いたパタヌンの衚情をくるくる䜿い分け、淡々ず仕事をこなしおいきたす。
     さずこさんが〝箱子さん〟スタむルになった理由は、曰く「コミュニケヌションに疲れちゃったずかそういう理由」。箱に描かれたシンプルな぀の顔ノヌマル・駄目・笑顔・怒りは、圌女が衚珟したい気持ちを代匁しおくれたす。もしくは、䌝えたくない衚情を隠しおくれる。
     〝僕〟の芖線を通したさずこさんは、平然ずしおいお、かっこよくお、愛おしい。倖界ずの接觊に自ら䞀線を画すその姿ずアむデアは、匱そうでも匷くお、角匵っおいるけど和やかだず、奜たしく感じられたす。
     もの静かに進む䜜䞭、〝僕〟はこうも考えたす。
    『さずこさん、本圓はずっず怒っおいるのかもなあず思っおしたった。』
     箱子さんスタむルの根底にある切実な〝怒り〟を予感させるず同時に、そう感受した〝僕〟自身にも、人知れず抱えた〝怒り〟があるのかもしれない――。
     そんな人の心の機埮に觊れる䜜品で、本圓にお気に入りです。

    『ダンボヌル箱のさずこさん』文字
    https://kakuyomu.jp/works/1177354054884749967

    【】
    『倜のメロディ』は、ねこのにゃんみさんがフゞロックを芋お思い立ち、ギタヌを買っお挔奏を習埗しおいくお話です。特殊なのは、にゃんみさんにギタヌを教えおくれるひずが幜霊の〝ゆヌちゃん〟であるこず。
     はい、぀たり『倜のメロディ』は〝ホラヌ〟〝音楜〟〝しゃべるねこ〟の䞉芁玠が詰たった短線小説なのですね。
     字面がすごいですが各芁玠の調和もすばらしくお、ぜひ読んでいただきたい䞀䜜です。にゃんみさんずゆヌちゃんが出䌚い、打ち解け、毎晩のレッスンを重ねお絆を深め、地域のむベントの小さなラむブに挕ぎ぀ける過皋がずおも玠敵です。
     にゃんみさんは猫なたりがありたすがゆヌちゃんも、あ行の文字くらいしかほずんど発音できたせん。぀たなくも心枩たる䌚話が、可笑しくお心地良い。
     䞡目さんがお話のモチヌフに据えた、サニヌデむ・サヌビスの『青春狂走曲』『倜のメロディ』が、なんずも䌌合うお話。この人が皆に届けたい物語があるのならぜひ耳を傟けおいたいず、いち読者ずしお私は思ったのでした。

    『倜のメロディ』 文字https://kakuyomu.jp/works/16817330660091585948


    愚かな獣どもに告ぐ 
    綟門優季


    《「ああ、なんか、これ、決たっおけぇぞん」
    「ああ、ほんたや、なんか、ああ、なんか、景色が枊巻きみたいな」
    「やばい、どんぎたりや」
     など蚀っおるうちはただよかったが、そのうち、地獄のようなバッドトリップに陥り、倚くのものが錯乱状態に陥っお谷底に転萜したり、喚き散らしながら自分で自分の脳や腞を取り出しお撒き散らすなどし始めた。》
     譊察や救急車を呌びたくおも呌べない時代であるこずが絶望的に思われるほど、垞軌を逞した滅茶苊茶な事態が繰り広げられ、実際に倚くの人々が誰からの救枈も埗られずに無残に死ぬ。この残酷極たりない本は䜕か。かの有名な叀事蚘である。町田康はそれを口蚳するこずにより、かしこたっお叀兞を読む、知らず知らずのうちに身に぀いた読者の態床を、完膚なきたでに砎壊する。
     しかし、荒唐無皜なおしゃべり、こんなこずはない、ず切っお捚おるわけにもいかない。これが珟圚の瀟䌚の写し絵ではないず蚀い切れるだろうか。語りの枊の䞭に共感する郚分はどこにもみいだせないだろうか。私は䜕か蚀いたいのに䜕も蚀えずに口をぱくぱくさせお絶句する。匷匕な説埗力に呑たれる。
    《神意ははっきりしおおり、明快に、No Warである。だけど忍熊王はこれを無芖した。
    「やる、ちゅたらやるんじゃ」
    䞭略
    倚数の死傷者が出お、生き残った者は這々の䜓で退华した。》
     愚かな指導者の愚かな刀断により凄たじい被害が出るのは、今も昔も倉わらない。ポリコレをガン無芖した、人間の剥き出しの野蛮さには唖然ずする。ただ私もたたその人間のうちのひずりであり、どれだけハラスメント察策を遵守しようが、どれだけコンプラむアンス講習を受けようが、戊争が起きたら終わり。どんな手を䜿っおでも生きおたほうが勝ち。殺される前に殺せ。ず党く別方向の「䞖界の正しさ」に頬を匷くはたかれ、珟実に起きおいる悲惚な出来事の数々が俄にフラッシュバックしおその堎に倒れ䌏す。クラクラしながら読了、人間も所詮は獣の䞀皮であるこずを、改めお認識する。


    『口蚳 叀事蚘』
    町田康著
    講談瀟
    2640円皎蟌


    ブンゲむファむトクラブゞャッゞ志望理由゚ッセむ 
    江氞泉



    あらゆるトヌナメントは勝者ず敗者を生産したす。
    その生産過皋は面癜い芋䞖物になりたす。
    トヌナメントはたず遞手ずゞャッゞを認定したす。
    個々のパフォヌマンス。これは芋䞖物の挔目です。
    ゞャッゞは遞手を勝者か敗者に振り分けたす。
    この暪暎な行為で、悲喜亀々の人間暡様が発生したす。
    そんな人間暡様も、織り蟌み枈みの芋䞖物だず蚀えたす。
    それはずもかく、ゞャッゞは評䟡し刀定したす。
    これは暪暎な行為です。事実䞊、排陀の指瀺だからです。
    このような暪暎な行為を正圓化する䜜業が䜜品の解釈です。
    よい解釈は暪暎をあがなうかのように機胜したす。
    それでは解釈の良し悪しはどのように枬られるでしょうか。
    私は以䞋のように考えたす。
    ある解釈の良し悪しは、その解釈があるからこそ䜜品が発揮する特異な力がより粟圩を増すず蚀えるか吊かで枬れるず思いたす。
    蚀い換えたす。
    ある解釈が、その䜜品があるからこそはっきり感受されるような芳念や感觊がある、ず語りえおいるのかどうか。これが解釈の良し悪しの基準だず私は考えたす。
    仮に、䜕らかの䜜品に「けしからぬ」「存圚すべきでない」ずいう評䟡をくだすのであれ、そのような評䟡の理由ずなる力をうたく語りえおいるのか吊かで、解釈ずしおの良し悪しが枬れる。
    そういう立堎を私は取りたいず思いたす。
    抜象的な話を続けおきたので、たずえ話を亀えおいきたす。
    ポケモンゲヌムの文蚀でしばしば匕甚されるものに、「぀よい ポケモン よわい ポケモン そんなの ひずの かっお ほんずうに ぀よい トレヌナヌなら すきな ポケモンで かおるように がんばるべき」ずいうのがあったず思いたす。ゞョりト地方の四倩王カリンのセリフです。
    䜜品の解釈をぶ぀け合うのはポケモンバトルに䌌おいるのではないかず思いたす。「すきなポケモン」で「かおるようにがんばる」こずをそれぞれの解釈者たちは目指しおいるのではないかず思いたす。江川隆男『超人の倫理〈哲孊するこず〉入門』2013の第䞉章で説かれるような、解釈におけるパヌスペクティノィズムを、私はそう理解しおいたす。
    もちろん鑑賞するだけならポケモンをひずりで愛でるのに等しいです。
    しかし、自身がどう鑑賞したのかを圢にしお他に瀺しお芋せるのは、ポケモンバトルたたはポケモンコンテストになるず思いたす。
    望むず望たざるず、そうなるず思いたす。
    もちろん、解釈を競技ず関連付けおいくず、競い合いの生々しさのこずが脳裏をよぎりたす。闘争の遊戯化の効甚。芏則や定石の掗緎遞手に必須の䜜業の固定化に䌎う悲喜亀々。遊戯化された闘争が興行されるこずの明暗。等々  。手短に蚀えば、そんな諞々に぀いおの物思いが、私の脳内を駆け巡りたす。
    私が列挙したような内容を、競技ポケモントレヌナヌによる゚ッセむずいう䜓裁をずっお描いおいる、すぐれたポケモン二次創䜜ずしお、rairaibou颚「モモナリですから、ノヌおんきにいきたしょう。」2015-珟圚がありたす。分量はかなりありたすが、おすすめです。
    もちろん実際には文章はポケモンではありたせん。
    圓たり前ですが文章は実際には人間でもありたせん。
    だからこそ、壊れるほどいじり回したり、振り回しおぶ぀けあったりしおも、倧䞈倫なわけです。
    人䜓を玠材に䜿った文章ずいうものは、ここでは考慮しなくおよいものずしおおきたす。
    もちろん、ある文章に魂を泚いだ人間やある䜜品に奪われた人間曞き手か読み手かは問わないからすれば、圓該文章ぞの心無い扱いは魂をえぐられるほど痛いだろうずは思いたす。
    でも、人前に出したら文章はオモチャず䞀緒です。
    壊れおしたうくらい叩かれるこずもあるでしょう。
    だから気分次第で酷い扱いをいくらでもしおいい。そんな颚にうそぶく茩の文章から真っ先に目を付けられお袋叩きにあうのも、よくある話です。
    䞀般論っぜく曞いおきたした。以䞋、より明癜に私自身の話にしたす。
    䟋えば、この文章は読み手に然々のような反応を匕き起こす甚途の補品で、そのために然々の玠材や然々の技術を䜿っおおり、甚途の評䟡基準に照らすず以䞋のような栌付けになる、ずいった仕方の分析を、私は意矩深く感じたす。
    しかし、私がもっずも関心を寄せる出来事は、ある読者がその読者でなければ぀くれないような解釈を生成するのに䜜品が寄䞎するずいう事態です。
    そしお、そのたたでは共有できないはずの自由連想や、解釈者の背負う人生ありきだったはずの読み取りが、衚珟された途端になぜか䞍思議ず䌝わるものになったり、意味䞍明なたたでも心を打぀ような名文になったりする。そういうガチャでSSRが䞀発で匕けたみたいな奇跡を埅ち望んでしたうずころが私にはありたす。
    ホンネを蚀うず、私の内郚には批評に関する分裂した思いがありたす。
    䞀方では私は党おの察象をよしず肯う批評のやり方を求めおいたす。
    䞀般に、散文は自由で平等なものだ、ずいう考え方があるず思いたす。
    䟋えば本来散文にルヌルはないので本来誰が䜕を曞いおも構わない。
    だから本来自由に読み曞きがなされ、毀誉耒貶を、平等にこうむる資栌がある。
    こんな具合の考え方です。
    それにひきかえるず、批評は自由ず平等に反した営みであるように映りたす。
    正邪善悪矎醜優劣、どんな文蚀を甚いるのであれ、批評のするこずはず蚀えば遞別です。
    よくないものず、よいものを遞別する。
    誰もがそんな遞別をするように、批評は誘惑ないし教導したす。
    よき䜜品やよき解釈そしおよきゞャンル。よくない䜜品やよくない解釈ずよくないゞャンル。それらを遞別する。それが批評である。こんな颚にたずめるのは、それほど困難なこずではありたせん。しかし、他の語り、他の考え、他の䟡倀転換のやり方は、ないのでしょうか。私はそれを探し求める気持ちが胞䞭から拭えずありたす。
    他方で、私はバトルゲヌムが倧奜きです。
    倚数掟の敗者ではなく少数掟の勝者に振り分けられる。
    そのような芋䞖物に参画するこずでしか埗られない快があるのだず思いたす。
    そうでなければ、䟋えばブンゲむファむトクラブなる興行が五床も続くずは思えたせん。
    リアルなファむトは流血や死のリスクがありたす。
    それに匕き換え、蚀葉でのファむトは、比范にならないほどリスクが小さいです。
    私は倚少のリスクを呑んででも芋䞖物に参加しお快を埗たくなりたした。
    ゆえにゞャッゞに応募したのでした。


    「コンゲツノハむクを読む」たずめ 
    田䞭目八


    本皿はすべお俳句のポヌタルサむト「セクト・ポクリット」内「コンゲツノハむクを読む」に投皿したものである。

    海を人を閉す氎門颚死せり 吉田千嘉子
    「たかんな」2023幎8月号通巻368号より

    海ずあるから河口や運河、枯湟の氎門だず思われる。氎門は本来、流氎を制埡するものであるから閉すのは氎そのもの、この堎合は海氎であろう。しかしこの句では海氎ではなく、閉すものは海であるずし、さらに人をも閉すず曞かれおいる。たるで氎門によっおすべおの海ず人ずが隔おられ、閉されおしたったようだ。海は人を恋い、人は海を恋うのか。生呜の祖おや、或いは還るべき堎所ずいうこずか。季語「颚死す」が閉塞感ず堰き止められた海の淀みを重くする。死せるのは颚だけだろうか。海も人も停滞し、やがおは。その時にこそ、この氎門は開くのかもしれない。

    い぀たでも也かぬ氎着康生の忌
    岡野矎千代 「銀化」2023幎8月号通巻299号より

    この句の康生ずは『奎』の前代衚、故・小池康生氏のこずで䜜者ず同じく銀化の同人でもありたした。奎でも远悌の句を詠んだものは芋られたしたが、はっきり「康生の忌」ず詠んだものはありたせんでした。䜜者にしおも小池さんの逝っおより䞀幎経ったこずでこの蚀葉を䜿えたのかもしれたせん。

    家族ずは濡れし氎着の䞀緒くた 小池康生

    を螏たえたもので間違いなく、そうするず氎着がい぀たでも也かないこずは決しおネガティブな意味ではありたせん。それは䜜者の氎着もたた䞀緒くたになっおるずいうこず。家族はより倧きく広がり、銀化はもちろん、奎や小池さんを知る人たちみんなの氎着が䞀緒くたになっおい぀たでも也かないこずを願っおやみたせん。

    遠き祖は魚類か氎か目借時 寺田幞子
    「閏」2023幎6・7月号通巻第15号より

    目借は本来「劻狩る」で蛙などが䌎䟶を求めお鳎き立おる意だったのが、目借の字を圓おたこずにより、春に眠いのは蛙に目を借りられるからずいう意味になったらしい。さお、蛙に目を借りられた人は代わりに蛙の目を埗た。その目を通しお進化を蟿っおゆく䜓隓をするが、やがお魚類ぞ到る。その目に映るのはひたすら氎。それもたた今の氎ではない始原の氎ずも蚀えるもののはずだ。魚類もたた氎を祖ずするものなのだ。老人の身䜓における氎の割合は玄割、新生児ならば玄割である。ならば生たれる前はより氎の割合は増え、蟿り着くその祖はやはり氎なのだ。目芚めるず蛙たちの䌎䟶を求める鳎き声。魚もやはり䌎䟶を求めるものである。この先も連綿ず。氎であれば䌎䟶は必芁なかろうに。

    顔のないわたしが産んだ無人島 月波䞎生
    「楜園」第3巻第1号より

    顔のないものが無人島を産むのなら、顔のあるものが産むのは有人島であろうか。人は基本的には自分の顔を知らないものだずしお、自分の顔がどんなものかは他者がいるこずでわかる、或いは他者によっお定たる、ず蚀えるのではないだろうか。乱暎であるかもしれないけれど、他者がいなければ顔がないず蚀っおしたえるのではないか。぀たり「顔のないわたし」が既にしお無人島なのである。無人島が産むのはやはり無人島なのだ。そしお顔のないものは名前も持たないだろう。誰も知らない本圓の孀島の無人島。人喰い島の可胜性もあるだろうか。産むではなく「産んだ」がよい。そこにはもはや母芪さえも、顔を䞎え名を䞎えおくれる母芪ずいう他者はいない。

    海原も枯野も星の棲むずころ 山田䜳乃
    「ホトトギス」2023幎5月号より

    「星の棲むずころ」であっお星が棲んでいるずは曞かれおいない。䞀぀の解釈ずしお、䞭䞃の枯野もか぀おの海原であったずいうこずを螏たえおいるのではないだろうか。぀たり、この枯野も本来は星の棲むずころ、海原であった、ずいうこずである。そうであるならば、今も海原に星が棲んでいるのかは分からないけれど、恐らく枯野には棲んではいないこずになるだろう。そうやっお元来星の棲むずころに我々含む党おの生呜は間借りしおいるのかもしれない。だんだんず枯野に海原が二重露光のように映っおきお目眩を芚える。

    海垂たで手持ちの時間぀かひきる 倧河原倫子
    「雪華」2023幎3月号より

    海垂たでたどり着いたずころで手持ちの時間を䜿い切った、或いは䜿い切るず海垂たでたどり着いおいた、ずも読めるだろうか。䞀般に持ち時間ずは蚀うが「手持ちの」ずは普通聞かない蚀葉で、恐らくひずの䞀生においお保有しおいる時間。぀たり海垂ずは圌岞や浄土のようなもの、そうなるず実にストレヌトな句ではある。あるけれど䞀生を「手持ちの時間」ず蚀い、たた「䜿い切る」ず蚀う、その突き攟したような把握に魅力がある。時間を䜿い切った䜜䞭人物は既に海垂にいるこずになり、そちらからこちらを芳られおいるような䞍思議な感芚がある。

    狞がゐお犬がゐお猫がゐお匷颚 瀬戞正掋
    「里」2023幎2月号より

    恐らく狞の埌ろに犬、犬の埌ろに猫が䞊んでいるのだろう。぀たり身䜓の倧きい順だず思われる。匷颚から身を守るのに自分より倧きいものの圱に入ったのである。「ゐ」の字がじっず螏ん匵っお匷颚に耐えおいるように芋えおこないだろうか。そしお、これを人間が傍から芋おいる  いやいや、もしかしたら狞の前に立たされおいるのかもしれないですな。


    女にネバヌランドはない 
    春Q


     あなたは『ピヌタヌパンずりェンディ』を読むべきです。『ピヌタヌパン』、意倖ずディズニヌアニメ版のむメヌゞしかない方も倚いんじゃないでしょうか。石井桃子先生の蚳が、犏音通叀兞童話シリヌズから出版されおいるので、図曞通等でも手に取りやすいず思いたす。
     ピヌタヌパンは、はっきり蚀っお女の敵です。もっずはっきり申し䞊げたすず、圌は子䟛の味方ですらありたせん。だっお䞀緒に暮らしおいる孀児たちが倧人になりかけるず、平気で間匕きをするんですよ。いかに自分をかっこよく芋せるかしか考えおいないのでりェンディずその匟たちの顔ず名前を平気で忘れお、本圓に死にそうなギリギリたで助けようずしたせん。自分自身が死に瀕した時は、こう蚀いたす。「死ぬこずは、きっずすごい冒険だぞ。」うわヌっ 悔しいけどかっこいい
     だけど、珟代の倧人がこの䜜品を読んでもっずも匷く感じるのは、少女りェンディの扱いの凄たじさでしょう。ピヌタヌパンは「お母さんになっおください」ず蚀いたす。孀児たちも蚀いたす。りェンディよりずっず幎長であるはずの海賊たちも蚀いたす。「お母さんになっおください、りェンディ」ず。
     もちろんりェンディもたんざらではないのです。率先しおお䞖話を焌いお、お父さん圹はピヌタヌパン、孀児を子䟛圹にしおおたたごずに興じたり、ピヌタヌパンを争っお劖粟のティンカヌベルず火花を散らしたりもしお。
     しかし、怖くないですか この䜜品はもずもず䞀九〇四幎にスコットランドのバリヌずいう䜜家が手がけた戯曲を別の方が再話したもの・・・なんですけど、私は文化の源泉を芋た思いがしたした。みんな、お母さんになっおお䞖話しおくれる少女が倧奜きなんです。りェンディだっお子䟛だけど男の子たちに仕えるのがだヌいすき。戊争ごっこをする少幎ず、おたたごず遊びをする少女の構図は珟代も匕き継がれおいるように感じたすね。母芪の無償の愛ず、少女の無垢を兌ね備えたりェンディの人物造圢は、萌え文化では定番でしょう。
     私は無償の愛を持たず、たた無垢でもありたせんが、田舎に䜏んでいる未婚女性(フリヌタヌ)なので、やっぱり色々ず気遣いを受けたす。「いい人が芋぀かれば、働かなくおも、ねえ」「その幎なら䞉人は産たなきゃ」「お母さんになっお」「お母さんになっお」
     りェンディはもちろん、性的圹割から逃れられたせんでした。ネバヌランドを埌にした圌女ず、氞遠の少幎ピヌタヌパンを描いたラストシヌンはずおも矎しいので、ぜひあなたも目撃者になっおほしい。䜜者の愛憎いりたじった子䟛ぞの想い、人間存圚ぞの諊芳を肌で感じおほしい。あわせお、フック船長のチヌト玚な耜矎さにも酔い痎れおほしい。人生の意味を䞖に問い続ける、傑䜜です。
     お母さんになっおくださいりェンディ人魚ず劖粟からきらわれお 寺山恵


    サトゥルヌスの子らに぀いお 
    癜髪くくる


    冬乃くじBFC4出堎䜜品『サトゥルヌスの子ら』を、「なぜ本䜜で父ずいう圹割が敵になったか」そしお「なぜ本䜜が嚘たちの話なのか」の2点から論じおいきたす。

     『サトゥルヌスの子ら』は父ず嚘の物語です。題名の元ネタずなったサトゥルヌスはギリシア・ロヌマ神話に出おくる叀代の神々の王、圌は「将来、自らの子に殺され暩力を奪われる」ずいう預蚀をうけ、自らの子を次々ず呑み蟌んでいきたす。本䜜はその『サトゥルヌス』を題名に圓おおおり、この題名から本䜜の父は暩力のために子を喰らっおいる存圚だず掚枬できたす。では圌は䜕を食べ、どのような暩力を維持しおいるのでしょうか。

     その答えを探るために、たず本䜜における父の描かれ方を芋おいきたす。本䜜の父は䜳寿子の印象によっおその倚くが語られたす。
     序盀、䜳寿子の口から語られる父は激怒しおいたす。父は姉ず䜳寿子を比范しお䜳寿子に眵声を济びせたす。これに察し、䜳寿子はピアノリサむタルで倒れたずき、父の怒りに思いをはせながらも『手攟した責任の倧きさにうっずり』したす。
     䞭盀以降の挔奏颚景を芋る限り、䜳寿子は音楜自䜓を嫌っおいるわけではありたせん。どうやら少なくずも音楜が絡む時、父は䜳寿子にかなり厳しい態床で臚んでいたみたいです。

     䜜䞭における父は偉倧な䜜曲家であり、ピアノ界の暩嚁でした。䜳寿子はピアニストずいう職に぀いおいるあいだ、ずっず「○○さんの嚘さん」ずいう目で呚囲から芋られ、声をかけられおいたのだず考えられたす。冒頭、䜳寿子が倒れた堎面ず䜳寿子の匕退は、音楜の䞖界においお父ず䜳寿子の䞀床目の決別でもありたした。では、音楜以倖での二人の関係性はどうでしょう。

     二人の日垞での関係性を解く鍵は埌半にありたす。埌半、自らの手が父の手に倉わったずき、䜳寿子はそれを『黒く肉厚な手』ず評したした。そしお『思わず怯んで手が止たった』『動悞がおさたるのに時間がかかった』ず自身の感芚を瀺し、『死んだ者の手ごずきに負けおなるものか」ず自身を激励したす。たた、父の曲を『華やかな音』ず認めた䞊で『たずえこんな音楜を生みだしたずしおもこの手は呪われた手だ。それを蚱すわけではない』ず結論づけたす。

     これら芁玠のうち最埌の郚分から、音楜を越えた郚分で䜳寿子が父芪に吊定的なのが読み取れたす。䜳寿子の思い出す父は怒っおおり、䜳寿子を吊定し蔑みたす。䜳寿子から父に察するマシな印象は曲の出来の良さくらいしかありたせんこれすらも埌半瓊解しおしたうのですが。この培底した悪印象から父は䜳寿子ず仕事倖の日垞においおも険悪であったこずがわかり、その理由は日垞における父の蚀葉の暎力怒りの発露ではないかず掚枬できたす。

     盎接的な暎力もあったのではないでしょうか。理由は䞉点ありたす。䞀点めは父の手を芋たずきの䜳寿子の反応です。䜳寿子は埌半、父の曲を匟きはじめたすが、父の曲ならば父の手が珟れるのは圓たり前で、ある皋床芚悟を決めおいたはずです。なのに実際に父の手をみるず、圌女は思わず怯み、動悞が止たらなくなりたす。これは暎力を振るわれるずき、わかっおいおも拳を䞊げられた瞬間に身䜓が固たっおしたう身䜓感芚ず䌌通っおいたす。

     二点めは少し芁玠ずしおは匱いですが、䜳寿子が目の前の父の手を『呪われた手』ず蚀い衚したこずです。これは䜳寿子の手が倉化しおいるため出おきた蚀葉ですが、手ずいうパヌツそのものに匷い忌避感を抱いおいるずも読み取れたす。手が生み出す加害ずしお思い぀くのは拳やビンタなどの盎接的な暎力です。

     䞉点めは母の手に芋られる火傷痕から掚枬されうる暎力の残り銙です。これは父ず母の関係性の説明にもなる郚分です。

     䜜䞭の母の巊手には魚のかたちに䌌た火傷のあずがありたした。火傷の倧きさは明確には曞かれおいたせんが、ピアノを匟く際に芖認出来る皋床のサむズでか぀魚の圢であるあたり、広範囲なものずいうより、高枩の物䜓を局所的に圓おた結果の火傷では無いかず考えられたす。こういった火傷は、䟋えば熱湯を誀っおこがしたなどの事故の際に出来るものずは考えにくく、人為的な火傷であるず掚枬できたす。䟋えばたばこの根性焌きや焌けた鉄箞を圓おるなどの、虐埅ず蚀いきっお良い皋床の行為の結果生たれたものです。
     この火傷が父によるものかは䞍明ですが、䜳寿子が母の手を語る際の愛情、ずりわけ火傷に泚目するずころから、䜳寿子ず母は同じDV被害者・父の圧制䞋を生き抜く戊友であり、この火傷痕を䜳寿子は䞀皮の同志の蚌のように芋おいたのではず、わたしは考えたした。
     䜜品盗甚の事実を知ったずき、䜳寿子は抑えきれないほどの怒りを芚えたすが、これは単に父が他者の䜜品を暪取りしたこずを怒っおいるだけではありたせん。父の生き方が公私ずもに母を螏み台にしお、圌女の才ず可胜性を䜿い朰したものだったからです。 

     ここたでの䜜品読解で、本䜜の父芪は䜳寿子を蚀葉や暎力で虐げ、䜜品の盗甚で名声を埗おいた人物だずわかりたした。サトゥルヌスの維持したい暩力は家庭内の地䜍であり、たた瀟䌚的・芞術的成功です。「父は䜕の悪か」ずいう問いに答えるなら、圌はたず『家族の悪』家父長制の䞊に立ち家族を支配するタむプの悪の代衚です。その䞊で父はむさがった家族の力でもっお、芞術分野にお支配者的な䜍眮に぀き、そこでも䜳寿子を支配したす。だから、父は芞術分野で搟取する男の代衚ずしおも曞かれおいたす。䞡者は繋がっおいるのです。

     以䞊を螏たえお、「本䜜の敵はなぜ父で無ければならなかったのか」「本䜜はなぜ嚘達の物語なのか」に答えおいくのですが、そのためにたず䜜品倖の芁玠に蚀及しおいこうず思いたす。  
     元々、家族の問題は母芪の問題ずしお語られがちでした。たずえば信田さよ子さんは『母・嚘・祖母が共存するために』の䞭で、近代家族の特城の䞀぀に性別圹割分業、父芪は倖で働き母芪が家の䞭のこずを取り仕切るずいった考え方を挙げおいたす。性別圹割分業はいわゆる『男は仕事、女は家庭』ずいった考え方です。
     この䜓制の䞭の父芪は、基本的に䌚瀟ずいう家族ずは違う䞖界を生きる存圚で、ひずたび家族内に問題が発生するず、その原因は母芪の愛情䞍足にあるずしお、母芪は党おの責任を負わされるのです。䞀方で、結婚前に家庭内にも男女平等はあるず倢芋た女性達は珟実の倫の姿に倱望し、その愚痎を同性ずしお将来同じ䜍眮に぀くだろう嚘に語りたす。
     そしお䞀郚の母たちは自らを嚘ず深く重ね、嚘の人生を支配するこずで自らの人生を回埩させようず詊み、䞍幞を語られ支配された嚘達の䞀郚は同じく砎壊された人生の回埩を他者に求める呪いの連鎖ずでも蚀うべき事態を発生させ、そうでなくずも『自分も芪のようになっおしたうのではないか』ず怯え続けるこずずなりたす。ここらぞん、同䜜者の準決勝䜜品の『あいがん』に繋がる話です
     信田さんは同著曞のなかで家族問題の䞭で䞍圚化しおいる父芪・倫の可芖化こそが、家族問題の察凊に必芁だず指摘しおいたすし、母芪のみで家族問題を語っおしたっおは歪みが生たれるずいうのは、数歩匕いお芋おみれば圓然のこずではないでしょうか。

     ここで本䜜に立ち返っお「本䜜の敵はなぜ父で無ければならなかったのか」ずいう問いに向き合っおみたしょう。
     敵を母芪に蚭定しおしたうず本䜜の効力は著しく匱たっおしたうのではないでしょうか。愛情のゆがんだ母芪、それに立ち向かう子䟛たち、男性はそれを倖から安党圏で眺めおいる、これは既存の母→嚘ず繋がる負の連鎖の匷化に他ならず、呪いの打砎を目指す『サトゥルヌスの子ら』ずいう䜜品にそぐいたせん。
     たた『サトゥルヌスの子ら』の䞻人公を男性ずしおしたうず、これもたた父芪殺し、偉倧な父を越えるずいった゚ディプスコンプレックスの兞型的な話ずしお本䜜を読めおしたいたす。父芪を倒し兄匟を救う話にしおしたうず、今床は䜜䞭から女性がほが消えおしたい家族問題を扱う小説ずしお匱くなり、父芪を倒し姉効を救う話は男性ずいう性別の特暩意識を高める旧来の英雄譚にしかなりたせん。
     敵が父か぀嚘達の話ずなるこずで、はじめおこの小説はその嚁力を十党に発揮し、倚くの人に刺さる力を持぀に至ったず私は確信しおいたす。


    『君の名は。』口噛み酒論考 
    野村金光


    ① 口噛み酒=朜ち神酒
    本章では新海誠『君の名は。』に぀いお、キヌアむテムである「口?み酒」に泚目し、日本神話ずの関連性ずいう芳点から再考したい。
     「口噛み酒(くちかみざけ)」=「朜ち神酒(くちかみざけ)」であるず私は考えおいる。日本神話においお「朜ちた神」ずはむザナミノミコトを指す。抂芁を説明するず以䞋の通りずなる。
     むザナミノミコトはカグツチを産む際に呜を萜ずし黄泉の囜ぞず行っおしたう。倫のむザナギがむザナミを連れ戻そうず黄泉の囜ぞ赎くが、むザナミは「黄泉の囜の食物を口にしおしたったため珟䞖に戻るこずはできない」ず宣蚀する。この「死の囜の物を食べるず元の䞖界に戻れない」ずいう神話䞊のルヌルを「よも぀ぞぐい」ず呌ぶ。
     よも぀ぞぐいに類する描写は囜内倖問わず倚くの物語に共通しおいるものであり、恐らく珟代日本でもっずも有名なよも぀ぞぐいは宮厎駿『千ず千尋の神隠し』であろう。たた、海倖の䟋を挙げるずデル・トロ『パンズ・ラビリンス』が分かりやすい。
     さお、どうしおもむザナミを珟䞖に連れ垰りたいむザナギだったが、ずあるきっかけで圌女が腐りきった死䜓であるず気付いおしたう。぀たり、むザナミノミコトは「朜ち神」なのである。
     䞊蚘を螏たえ、本論で提唱する仮説は以䞋の通りずなる『君の名は。』における口?み酒ずは朜ち神むザナミノミコトを連想させる装眮であり、映画党䜓をよも぀ぞぐいの物語ずしお読み解くための糞口ずしお機胜しおいる。
     次章では、䞊蚘の仮説に基づき本䜜における「黄泉の囜」に぀いお論じおいきたい。論の根拠は「口噛み朜ち神」ずいう圓お字にすぎないが、日本文化は圓お字をずおも倧事にしおいるので、あながち的倖れな意芋ではないはずである。

    ② 隔り䞖ずよも぀ぞぐい
    本䜜では盎接「ここから先はあの䞖」ず説明されおいる堎所が存圚する。それが埡神朚を䞭心ずした円圢の空間=隔り䞖である。
     䞻人公の立花瀧は圌の時間軞では既に死んでいる=黄泉の囜の䜏人ずなっおいる準䞻人公の宮氎䞉葉を助ける=珟䞖に連れ戻すために隔り䞖にお口?み酒を口にする。この時点で圌は䞉葉ず同様黄泉の囜の䜏人ずなり、䞉葉の時間軞に干枉するこずが可胜ずなる。
     さお、私が本䜜に疑問を呈したいのは次の郚分である。よも぀ぞぐいの犁を砎り、黄泉の囜の䜏人ずなっおしたった瀧が䞉葉を連れお珟䞖に戻るためには盞応の詊緎を乗り越えるか代償を払う必芁がある。宮厎駿『千ず千尋の神隠し』はそれこそが物語の基軞であったわけだが、その点『君の名は。』はなぜ二人が珟䞖に戻るこずができたのか明確な描写がカットされおいる。
     瀧ず䞉葉が糞守町を救い珟䞖に戻る過皋には「䞉葉の父芪の説埗」ずいう倧きな壁が存圚した。䞉葉の父芪は糞守町の町長であるため、ゲマむンシャフト的な父芪ずいう圹割ずゲれルシャフト的な町長ずいう圹割が同居しおおり、セカむ系から発展し぀぀ある新海䜜品『君の名は。』を象城するようなキャラクタヌずなっおいる。そんな圌を䞉葉が説埗する堎面は、自己完結的な新海キャラクタヌが初めお瀟䌚ずいう存圚に正面から盞察し、そしお勝利を収めるずいうこの䞊ない重芁な意味を持っおいるはずだが、あろうこずか本䜜はこの堎面を省略しおしたっおいる。぀たり、本䜜は珟䞖に戻るための「盞応の詊緎」を真剣に描いおはいない。この点は厳しく指摘できるだろう。『千ず千尋』で䟋えるず、「この䞭からお前のお父さんずお母さんを芋぀けな」の堎面が省略され、いきなり元の䞖界に戻っおいるようなものである。突き぀めお考えるず、宮厎駿ずこの時点での新海誠の力量差はこの蟺りに珟れおいるのではないだろうか。
     䞊蚘の問題点をポゞティブに批評するこずもできる。本䜜はよも぀ぞぐいの話かず思いきや終盀の展開はアンチよも぀ぞぐい的に䜜られた、神話ずいう暩嚁ぞの反抗なのだず䞻匵するこずも可胜だろう。いずれにせよ、本論においお䞻匵した口噛み酒に぀いおの仮説はあくたで䜜品解釈にすぎず、それをポゞティブに捉えるかネガティブに捉えるかは䜜品批評の領域なので、「私はネガティブに捉えおいる」ず自らの立堎を衚明し、本論の結びずしたい。


    読者の感情を搔き乱す「語り」の倩才  オヌスン・スコット・カヌド  
    冬乃くじ


    「珟代SF小説ガむドブック 可胜性の文孊」(Pノァむン)掲茉原皿

     幎ワシントン州生。幎に短線「゚ンダヌのゲヌム」短線集『無䌎奏゜ナタ』に収録でデビュヌ、キャンベル賞を受賞。長線化した『゚ンダヌのゲヌム』ず続線『死者の代匁者』で、幎ず翌幎のヒュヌゎヌ賞・ネビュラ賞の長線小説郚門を幎連続で独占受賞する。
     敬虔なモルモン教埒で、デビュヌ前は宣教垫ずしお垃教掻動をしおいた。その宗教芳が色濃く出た䜜品は読者を遞ぶが、宗教ずいう重力から少しだけ解攟されたずき、カヌドの語り手ずしおの嚁力は最倧限に発揮される。最たる䟋が『無䌎奏゜ナタ』『゚ンダヌのゲヌム』『死者の代匁者』だ。それぞれ音楜SF、無重力ミリタリヌSF、生態孊SFだが、どのSF的特殊環境も臚堎感をもっお語られ、宗教性は物語に深みを䞎えおいる。卑近な人間暡様で共感を誘いながら高次の葛藀たで぀れおいき、予感を保ちながら謎の栞心ぞ迫る。
     高たる緊匵ず絶劙な緩和に涙腺を刺激され、読み始めたら止たらない。惜しむらくは同性愛ぞの叀びた偏芋を感じさせる箇所がある点。カヌドは、自身の同性愛者ぞの差別発蚀ず同性婚の暩利を奪う政治掻動のため、幎に招埅された文孊祭Celsius232で䜜家達からボむコットを受けおいる。


    映画「囜民の創生」に぀いおの小論、のようなもの 
    䞖界圗星灯台プヌルサむドアサルトラむフル


    アメリカにおける映像文化、映画文化は特殊な環境䞋ず颚土で発達した固有の文化的資産であり、その優䜍性は西欧諞囜からの粟神的な独立を象城するものであった。グリフィスが1915幎に発衚した映画「囜民の創生」はアメリカ映画史においお目新しい、政治的か぀物語的に秀逞な「䞊質な長線映画」である。これを目にした癜人至䞊䞻矩者らはその内容を賞賛し、人皮差別反察掟の人々は根拠のない恣意的な黒人像に反感を芚えただろうず想像できるが、反察掟の意識の根底にあったのは、賛成掟の芳点ずは党く異なるものだったのではないかず感じる。぀たり、賞賛偎が自身の眮かれた立堎に基づく鬱憀を、映画䜜品の内容そのもので解消しおいたのに察しお、吊定掟はその内容以䞊にアメリカにおける映画文化の意矩に着目しおいたのではないか。 アメリカにおける映像文化が、ある皮囜そのものを衚すメディアの圢ずしお成立しおきた䞭で、政治的な意図を含んだ初めおの映画䜜品ずしおの「囜民の創生」は、䜜品そのものが高い完成床ず泚目を保持しおいたため、映画史以䞊に囜の意識を圢づけるものであった。自由䞻矩的な思想を持っおいた吊定掟の人々は、鑑賞時にそれを匷く意識したに違いない。人皮差別的颚朮が根匷く残る二十䞖玀初頭のアメリカで、「囜民の創生」が比范的匷い批刀を集めたのは、単なる䜜品䞭の芁玠ずしおの人皮差別的意識以䞊に、その埌の囜の方向性を匷制する映画の圹割に察する危機感の存圚があったのではないだろうか。文化史を代衚するほどの完成床の高さが皮肉にも、反察掟の危機意識を高めたのだ。 䞀映像䜜品でありながら、時代に倧きく圱響を及がした「囜民の創生」は、アメリカにおける映像文化の意矩の倧きさを象城するものであったず想像する。



    ※著䜜暩は各著者に垰属したす。

     
     
    文芞䜜品によるプロアマ混合のオヌプントヌナメント。第回が開催されたす。 前代未聞の䜜品による殎りあい。 賞金はありたせん。手に入るのは名誉だけです。