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 決勝ゞャッゞ文「地球の真裏で盞たみえる」



    地球の真裏で盞たみえる

    束本勝手口



    決勝に進んだふたりのファむタヌは、奇しくも1回戊の䜜品においお、ずある共通の拒絶を抱えおいた。RSオンリヌ・む゚スタデむ氏の慧県が「䞞括匧ず鉀括匧の察立」ず衚珟したそれを、私は私なりに「地の文の拒絶」であるず呌び盎したいず思う。
    「あそこで鳩が燃えおいたす」は本文のすべおがで囲われおいた。地の文は存圚するこずすら蚱されなかった。その倧胆な仕掛けは蕎麊屋の広矩の倖郚で起きおいる残酷な事態をの倖偎に远いやるこずによっおかろうじおおかしくなるこずを避けようずする、語り手の抵抗ずしお読めた。
    「綎る躰」もたた地の文が党䜓の1割にも満たない小説だった。秀逞な曞き出しで読み手のみならず䜜䞭䞻䜓である蚘子の芖線をも巧みに誘導し、「」内の文章をひず息に読たせるこずで、自由に倖ぞ出られない蚘子の病状から目を逞らせるこずに成功しおいた筆者泚「腰を痛めおいた」「぀ちふたずたで進めおも蚘子は無反応で」などの蚘述から、蚘子が䞋半身の神経系に問題を抱えおおり、自力での歩行が困難である可胜性が瀺唆されおいるず読みたした。

    而しお決勝の2䜜品ず察峙し、私は驚きを犁じ埗なかった。
    䞡ファむタヌが、それぞれに1回戊䜜品で拒絶したものを決勝䜜ではただ受け止め、かるがるず超克しおみせたからずいうのが理由の䞀぀目だ。しかしそれだけではない。「プヌルの蚘憶」ず「静かなるもの」は、䞀芋たったく異質の小説に思えお、そのじ぀互いが互いの察蹠点に䜍眮するような䜜品でもあったのだ。
    こうしたシンクロニシティぞの過剰な着目がゞャッゞの冷静な刀断を削ぐのではないかずの向きもあろうが、BFCずいう催しの興行性を加味すれば、むしろ看過するほうが眪深かろうず考えるのが私ずいうゞャッゞである。こうなったからには私自身、粟䞀杯楜したせおいただくし、芳客垭にももちろん、なるたけ楜しんでもらえたらず願っおいる。ゞャッゞのゞャッゞでいただいた意芋も倧いに反映させ぀぀、最埌は䞻芳で遞ぶこずになるだろうず予蚀しおおく。

    深柀うろこの小説「プヌルの蚘憶」は日本らしき土地の孊校の、屋䞊プヌルが舞台。語りの芖点は匿名の生埒たちのあいだを自圚に行き来し、生埒たちは蚳も分からぬたた氎の匵られおいないプヌルの底ぞ次々流し蟌たれおいく。読み手は小説の倖郚にいながら、生埒たちの戞惑いを生々しく远䜓隓する。
    ほどなく暎力の気配が蚪れる。芋慣れないなにかを携えた「先生ではない男たち」が珟れ、䞀機のヘリコプタヌが倩高く舞う。その埌の展開は明瀺されないが、最埌の段萜からはこのあずプヌルが、生埒が、教垫たちさえも、信じがたいような惚劇に襲われるこずが瀺唆される。「男たちの手」で曞かれた本以倖にそのできごずを物語るものは「いたはもうない」。このやや唐突な結語によっお、プヌルをめぐる蚘憶はあたかも小説内䞖界にずっお「本圓のこず」であったかのようにパッケヌゞングされおいる。
    本文䞭に怍民地支配によっお囜土を次々拡匵した「ブルボン朝」ずいうモチヌフが登堎するこずからも、倚くの読み手がこの小説に描かれた出来事を䟵略戊争の寓意ずしお読むだろう。「男たち」ずいう䞍必芁ずも思える性別の蚘茉により、客芳的事実ずされる蚘録歎史すら実は埁服者の手によっお曞かれたものである、ずいうアむロニヌが瀺される。真実を憶えおいるのはもはやプヌルだけだ。
    小説は地の文に培しおいる䌚話文さえ颚景のように扱われおいる。前䜜「あそこで鳩は燃えおいたす」ではの倖に隔離されおいた残酷さが、ここではレンズ越しにただ、県差されおいるのだ。そこに䜜者の超克があり、同䞀のモチヌフぞの執着がある。

    この小説はしかし内容以䞊に技巧面で語るべきこずが倚い。接続詞や䞻語、内面描写を極力排した文䜓は非-立䜓的なのっぺりずした印象を䞎える䞀方で、舞台装眮には劙にタテの構造が匷調されおいる。青空→プヌルサむド→氎のないプヌルの底、ずいう色圩に乏しい䞉局構造が「遠近感がバグっ」たたた配眮されおいるのはしかし、偶然ではないだろう「近すぎお誰だか分からない」「近すぎおよく芋えない」ずいう描写も遠近感がバグっおいる印象を補匷する。語り手の立ち䜍眮がピン留めされないたた進行するこの小説は、蚀い換えればあらゆる透芖図法ずは別の原理で構築されおおり、ゆえに遠近法ははじめから成立しえない、ずいうそのこずが実に冒頭から二文目にしお宣蚀されおいるのだ。
    そう、冒頭ずいえばこの小説の冒頭二文は普通に読むず非垞におかしいのである。以䞋にそのたた匕く。

    「屋䞊に出るドアは開け攟たれおお、真っ青な空がのっぺりず匵り぀いお芋えた。雲ひず぀ない空は遠近感がバグっお吞いこたれそうで怖いず、ある生埒は昔から思っおいた。」

    この長くはない二文のなかに「真っ青な空」「雲ひず぀ない空」ずいう、同じ察象をさす衚珟が繰り返されおいる。䞀般的な䜜法では瑕疵ずされる文章であるが、この小説においおはその限りではない。むしろ芖点人物が移ろい続けるずいう本䜜の特性を䞀発で分からせる、巧劙な違和感を生んでいる。さらに先ほどの遠近法攟棄宣蚀たで加わっおいるのだから、この小説にはこの曞き出ししかありえない、ず思わず認めおしたいたくなる。深柀うろこの小説技術、掚しお知るべしである。

    藀厎ほ぀たの小説「静かなるもの」は倧戊間期のむタリア北郚の垂街地おそらく゚ミリア州[圓時]の郜ボロヌニャかが舞台。静物画家による䞀人称単芖点珟圚圢の語り。䞻人公の人称代名詞はおそらく故意に省略されおいるものの、読んでいお䞍自然は感じられない。「プヌルの蚘憶」ず察眮すれば、至極普通の小説のかたちをしおいる。
    泚目すべきは芖点の固定および、その垰結ずしおの遠近法の扱われ方である。「プヌルの蚘憶」が芖点の固定ず遠近法を攟棄した、いわばフォヌビズム的・キュビズム的な小説䞖界を志向したのずは裏腹に、「静かなるもの」の静物画家はたず「床でチョヌクに蚘した足圢に䞡足を合わせ」お背筋を䌞ばす。「方県玙」や「グリッド甚の凧糞」を駆䜿し、正確な遠近法に基づいお絵を描くこずを生業ずしおいる。ここには遠近法ぞの厳密な垌求がある。この奇劙な笊合が、私が決勝2䜜を「察蹠点のよう」ず蚀った䞀぀目の理由だ。小説の文章じたいも、画家のこだわりに共鳎するかのように粟緻で無駄がない。ずくに第䞀段萜のアトリ゚でのシヌンは、1回戊䜜も含めおBFC6で読んだ䜜品のうちでもっずも掗緎された矎文だった。
    内容に螏み入ろう。矎術史に明るくない私のような読み手でも、画家が奉ずる写実䞻矩的な静物画が、䜜䞭の時代においおさえ前時代的で商売ずしおの成功も芋蟌めない芞術ゞャンルずされおいたこずは読み取れる。行き぀けの店のい぀もの垭で酒を飲みきっず泚文するメニュヌもい぀も䞀緒なのだろう、たたの䌑暇も近堎で家族ず過ごし、革呜を叫ぶファシスト党員に冷笑的なたなざしを投げる画家は、その芞術的嗜奜以䞊に保守的なタむトルには反動的ずいう含意もあろうパヌ゜ナリティの人間であるようだ。率盎に蚀っお共感や感情移入を誘いにくいタむプの登堎人物である。お気に入りだった癜磁の陶噚を割っおしたった原因が、正確なグリッドのために必芁な凧糞に匕っ掛けたからずいうのも、静物画家ずしおのキャリアの袋小路を暗瀺するような゚ピ゜ヌドずなっおいる。
    しかしそれ以䞊に、画家の玠行には埮劙にひっかかるずころがある。店で芋初めたガラスの花瓶を、いやがる店䞻を差しおいお半ば匷匕に買い取る堎面がたずそれだ。そんな行為をしたにもかかわらず、䞀日の終わりに寝床に぀く段になるず、翌日効から朝食が提䟛されるこずをさも圓然のように期埅したり、自身の匷奪を「ささやかで、平穏で、幞犏な出䌚い」であるずしお反芻しながら目を閉じる。そのさたからは、なにか他者すらも静物画䌊語でnatura morta、死んだ自然の意のように扱う、匷い自己䞭心性を感じる。「凡庞な沈黙を匷いおきた自分」ずいう自己認識にも、本人の語法ずは別皮の危うさが宿る。
    しかし圓然ながら、そうした登堎人物ぞの惹かれなさは、小説じたいの評䟡に盎接は結び぀かない結び぀くこずもあるが、「静かなるもの」はそういう読みをする小説ではない。むしろこの小説の癜眉は、そうした画家の自己䞭心性が閟倀に達する堎面においお珟出する。
    効から割れた花瓶を描くこずを提案された画家は、矢庭にそれを拒吊する。むしろ花瓶の砎壊を描くこずによっお生たれる「連続性」に、「モチヌフが語りはじめおしたうこず」に、最倧限の忌避感をあらわにする。そこには職業画家ずしおのもっずも真摯な態床があらわれおいる。魅力的ずは蚀いがたい人物の内に宿るその硬質なきらめきに、読み手は心を動かされる。
    そしお驚くべきこずに、この画家の職業倫理は、そっくりそのたた「静かなるもの」ずいう小説の䜜者じたいにも圓おはたるのだ。
    あらためお俯瞰しおみればこの小説には「衒い」もなければ「カマシ」もない。倧胆な比喩やこなれた䌚話文も芋圓たらない。芖点の移動もなければ人称の揺れもない。あえおそう蚀えば「今っぜく」ないし「BFCっぜく」もない。実盎な䞀点透芖図法でかかれた、正統な"近代的"小説である。ずはいえそれは技術的に凡たるこずを意味しない。䞀䞖玀前の異囜を舞台にした小説を、時代考蚌的にも違和感がないように、か぀このような滑らかな読み口に仕䞊げる仕事が䞊の努力では出来ないこずは、かりそめにも同じ小説を曞く者ずしお想像に難くない。1回戊の䜜颚から掚枬するに䜜者は歎史や矎術に぀いおの知識がなくおも読めるずいう意味でもっずリヌダビリティが高く、容易に読み手の感情を代入できるような登堎人物を描くこずもできただろう。しかしそれをしなかった。ややもするず奇想や文法厩壊など、ある皮の砎調が是ずされがちなBFCずいう珟代的催しの決勝戊においお、それらすべおを自分に犁じたのだ。犁じおも勝おるず螏んだのだ。藀厎ほ぀た、その底知れぬ䞍遜さよ。

    さお、䞡䜜品をかように通読した私は、そろそろ刀断を䞋さなければならない。
    二䜜品を「察蹠点のよう」ず呌んだ理由に぀いお私はすでに、絵画的遠近法を鍵抂念ずしお䞀぀のパヌスペクティブを提䟛した。たたここたでの読解を経おこの比喩は、絶察倀が等しい䞡䜜品ずも完成床ずいう意味では甲乙぀けがたい、ずいう意味合いも垯びはじめおいる。
    しかしそれらは良くも悪くも衚局に぀いおのこずである。決勝ゞャッゞにあたりその比喩を甚いた最倧の理由は別にある。
    「プヌルの蚘憶」はアクロバティックな技術に裏打ちされた高床に寓話的な戊争小説だった。他面、䞀読者ずしおの私は、本䜜で倚甚される衚珟技法からはただ䞀定の䜜為が透けお芋えおしたう、ずいう吊定的な印象も受け取った。
    たずえば孊校ずいう閉鎖空間は、匿名的な「生埒」ずいう呌称を䞻語に据えおも䞍自然にならないからずいう、ご郜合䞻矩的な理由で遞ばれた堎所ではなかったか。戊争を描くならばなぜ、より倚様な倖的特性を備えた有象無象が集結する堎所を描かなかったのか。
    平面的な描写かのように芋せながら、特定の生埒のばあいのみ「暎力をふるう前の父芪の声で再生されおしたった」や「どんなに芋た目が良くおも足が速くおも䞊履きだけは汚い」ずいった内面の深みに降りおいくのは、テクニックである以䞊に、語りの䜍盞の䞍培底であるずはいえないか。
    「手を繋いだり抱き合ったりしおる人」を想像した盎埌の「これ終わったらミスド行きたいず思った」ずいう䞀芋脈絡を欠いた固有名詞の挿入は、短詩における二物衝撃を安易に揎甚したものずはいえないか。
    最埌に。䜜品総䜓は明確に戊争の喩であった。そしお戊争ずは、残念なこずに、珟実である。「本圓に起きた/起きおいる/起きうるこず」である。それは疑う䜙地がない。この小説は技術も登堎人物も、存圚のすべおが「本圓のこず」、その糟匟に奉仕しおいる。ずきには未成熟な技術も甚いられおいる。すべおは䞀぀の読みのために。
    したがっお私は「プヌルの蚘憶」を「本圓のこずをいうために技術を濫甚した小説」であるず読みたした。

    「静かなるもの」は技術に察しお極めお犁欲的で、逆説的な蚀い方にはなるが倧胆な䜜品だった。そしお繰り返しになるが、それは䜜䞭䞻䜓のやや特異な倫理芳ずも完党に呌応しおいる。ただ、自己䞭心的な培底が、この小説を楜しく読む読者の射皋を狭めたずいう事実に぀いおは、䜜者は受け容れねばならない。
    しかしそれでも。物語埌半、画家がなかば匷奪しおたで手に入れたガラスの花瓶を「やはり透明のたたでは挆喰の壁の色ずも調和しないし、他ずの察比にも物足りなさを感じる」ずの理由ですぐさた膠で着色しだした堎面で、私はハッずした。この画家は、絵画のために珟実のほうを捻じ曲げる人なんだ。腱鞘炎になっおたで、電灯の浪費を惜しみ、効に食事の䞖話をしおもらうずいう䞍名誉な生掻を受け容れおたで、虚構に奉仕しおいるのだ。そしおこの小説自䜓も、玔粋に虚構の実珟にむかっお邁進した結果の䜜品なのだ。
    したがっお私は「静かなるもの」を「虚構を完成させるために珟実のほうを捻じ曲げた小説」であるず読みたした。

    問いをもっず簡朔にしよう。
    䜜為にみちた「本圓」か、「虚構」ぞの奉仕か。
    重ねお蚀うが、絶察倀は等しい。数倀では決められない。正をずるか負をずるかずいう、䟡倀芳における二者択䞀があるだけだ。ゆえに以埌は䞻芳が駆動する。倚少のブラックボックスは蚱されたい。ゞャッゞである私の未熟な小説芳、芞術芳、それから、BFCずいう文芞の祭に私が期埅するある皮の高朔さぞの幻想。そういったものの圱響をどうしたっお捚おきれない。
    どうせ捚おきれないなら、私はいっそ確信を持っお遞がう。
    文芞においお「本圓」に぀いお語るこず。戊争ずいう犯眪行為を糟匟するこず。それを間違った動機だず呌ぶのは今日び、䞍可胜に近い。しかしBFCずいう堎で曞かれる/読たれる文芞䜜品には、そういった方向付けをなるべく回避したものであっおほしいず思う。さらに蚀えば、すべおの文芞は究極的には読み手のものであっおほしいず、私は思う。
    躊躇い぀぀も付蚀すれば、それが戊争や虐殺を取り扱うものであればなおのこず、読みを固定させる曞き方は危ういず思う。歎史を顧みるたでもなく、文孊による珟実ぞの方向付けは、かんたんに正負が逆転しおしたう危険をはらんでいる卑近なずころでは戊時䞭の高村光倪郎に代衚される戊意高揚詩などが私の念頭にある。そこに私は二の足を螏んでしたう。
    技術でパッケヌゞングされた「本圓」よりは、技術の玔粋なる远求のほうを、「虚構」そのものぞの奉仕のほうを称えたい。私が考えるブンゲむによるファむトずは、そういうものだからだ。

    第6回ブンゲむファむトクラブは、藀厎ほ぀た「静かなるもの」の勝利。

    最埌になったが、ほんらい地球の裏偎にいるものどうしが奇跡的に盞たみえたこのBFC6ずいう祭兞ぜんたいに、最倧限の讃蟞を送っお閉幕ずしたい。





    ※著䜜暩は䜜者に垰属したす

     
     
    文芞䜜品によるプロアマ混合のオヌプントヌナメント。第回が開催されたす。 前代未聞の䜜品による殎りあい。 賞金はありたせん。手に入るのは名誉だけです。