
🇯🇵 嫌いな人を基準に国家を語るな― 国旗損壊罪と日本人の誇りについて ―
最近、カンニング竹山さんが「国旗損壊罪」に関して発言した。
内容を要約すると、
「国旗を大切に思う人もいれば、嫌いな人もいる。
嫌いな人も日本人だし、その考えも尊重すべき」
というものだった。
一見、「多様性を尊重する立派な意見」に聞こえるかもしれない。
でも、よく考えると──本当にそうだろうか?
■ 嫌いな人を基準に国家を語るのはおかしい
国旗というのは、国家の象徴であり、国民の誇りの印だ。
戦後の日本を支え、努力してきた先人たちの魂が込められている。
それを「嫌いな人もいる」と言い出した瞬間に、
“国家の象徴”が“個人の好み”に格下げされてしまう。
民主主義とは「少数派を尊重すること」ではなく、
少数派の意見を聞いたうえで、多数派の意思を優先すること。
少数派の感情を基準にして国家の方向を決めるのは、
民主主義の本質から外れている。
■ 多数派の声を無視してはいけない
世論調査では、国旗や国歌を誇りに思う人は7〜8割。
つまり、「日の丸を大切にしたい」という人が圧倒的多数派だ。
にもかかわらず、
「嫌いな人がいるから法律は慎重に」という論調が広がっている。
これはまさに、
“声の大きい少数派”に引きずられている社会の姿だ。
■ 外国では当たり前に「国旗損壊罪」がある
アメリカ、ドイツ、フランス、韓国、中国――
どの国も、自国や他国の国旗を侮辱すれば罰則がある。
なのに日本だけは、
自国の国旗を破っても、燃やしても、罪にならない。
これはつまり、
「日本は自分の国の象徴を守る意思がない」と
世界に示しているのと同じこと。
■ 「多様性」と「誇り」は両立できる
国旗を大切にすることは、
他人の考えを否定することではない。
「多様性を認めながら、国家の誇りを守る」
──その両立こそが成熟した民主主義だ。
国旗損壊罪を作るというのは、
単なる法律ではなく、日本人としての意思表示。
「私たちは、この国を大切に思っている」という証だ。
■ 結びに
「嫌いな人がいるからやめよう」
そんな空気で国を語る時代ではない。
日本という国に生まれ、
この国の恩恵を受けて生きている以上、
最低限の敬意と誇りを持つこと。
それが、日本人としての責任であり、プライドだと思う。