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黄色い他人と友達の境界線




黄色い他人を分けるもの

VRChatにおいて、フレンドなのにあまり会わなくなってしまった人や見ても誰だかわからない人を黄色い他人と揶揄することがある。実際に私にも黄色い他人に該当するフレンドはいる。
であれば、何が彼らを黄色い他人たらしめているのだろうか。逆に言えば、今仲良くしているフレンドは何故黄色い他人になっていないのか。今日はその線引きについて話していきたい。
そもそも、私が何故黄色い他人について考えたのかについて話そう。きっかけはいくつかある。一つ目は恐怖だ。今いるフレンドと疎遠になってしまい、黄色い他人になってしまうのではないかという不安に駆られていた。
二つ目は、イベントキャストないしは推しとの関係だ。推しと私はフレンドの関係にはあるが、joinしたりされたりするような仲ではない。推しと他のフレンドには何が違いがあるのだろうか。
それは私と推しは友達ではないということだ。また同様に黄色い他人に関しても友達ではないと言える。彼らとは苦楽を共有できるほど深い関係ではない訳だ。

友情は素面の共有で生まれる

では、何をもって友達だと認定しているのだろう。しかし、このことを話す前にペルソナについて語る必要がある。現代社会を生きていくうえで、ペルソナという仮面を被ることは必要不可欠なものになってしまった。
しかし、この仮面が重厚に、煌びやかになればなるほど、仮面の内側にある素面が醜いものに思えてきてしまう。そうすると、素面を見せることに不安を抱えることになる。
実際、表面的な付き合いしかできずに、深い親交を持てずにパブリックを彷徨っている亡霊が散見される。一期一会を楽しむのもまたVRChatの楽しみの一つであることは否定しない。
しかし、それだけというのは少々もったいないことだろう。話を戻そう。私たちは仮面と素面を持って、VRChatでも生きている。そして、最初は仮面を被り、人と接するはずだ。
会話の中で、自分の素面を覗かせる場面が出てくる。例えば、趣味の話をしたり、身の上話をしたり、恋バナをしたりする。共通の趣味だったり、似たような経験があると急激に仲良くなる。
この現象に友達を友達たらしめる秘密がある。その秘密は素面を共有することだ。これは決して全部でなくていい、一部分でも共通の素面があるときに友情が芽生えるのだろう。

自己開示という賭け

さて、もう既にわかっているだろう、私たちになぜ黄色い他人が生まれてしまったのかを。そして、今いる友人が黄色い他人になる危険性が無いということも。さらには、今いる友達とさらに仲を深める方法さえ君の目の前にある。
自己開示をすることだ。共通しそうな素面をフレンドに見せることで、より仲良くなることができる。しかし、一歩間違えれば地雷を踏みぬく危険性をあるかもしれない。
人には誰しも見せたくない一面が一つや二つあるものだ。だからこそ、間違えないように慎重にならなければならない。そうして、自己開示を進めることができたのならば、より深い関係となれるだろう。

素面のようで素面ではないもの

私は君にこのnoteを通じて、多くの素面のようなものを見せてきた。しかし、君と私は友達ではない。これには二つの要因がある。まず一つ目は、まだ君の素面を私が見ていないからだ。
素面を共有することで初めて私たちの間に友情が芽生えるのだ。もし、私の素面に共感を得たのなら、会いに来て欲しい。きっと友人になれるはずだ。
また、二つ目は私が見せている素面のようなものは素面ではないからだ。君に見せているものは素面に限りなく近い何かに過ぎない。文章に起こす際に、どうしても格好をつけてしまうきらいがある。
もっとどす黒い何かが隠れているはずだ。そうなると、君には耐えがたい何かが私の中に存在するかもしれない。逆に言えば、私には耐えがたい何かが君の中にあるのかもしれない。
それに相対してしまったとき、君と私は友人にはなれないのだろう。そんなスリリングも含めて、自己開示の面白さだろう。

素面に見える仮面

私が友情に考えるきっかけの二つ目について言及したい。イベントキャストないしは推しとの関係についてだ。ここまでの内容を理解している君たちならわかるだろう。
イベントキャストと仲良くなりたいなら自己開示をすればいいのだと。残念。これは悪手だ。VRChatにおけるイベントキャストと客の関係は想像よりもずっと歪だ。ましてや、異性であればなおさらである。
君がイベントに行き、推しができたとしよう。そうして、趣味の話をして、素面を覗かしてみる。彼女は君と同じように素面を見せ、会話が盛り上がったかのように錯覚する。
君は素面を共有できたと勘違いをして、まるで友達ができたかのように感じるだろう。しかし、それは全くの見当違いである。彼女はその場を成立させるための言葉を吐いたに過ぎない。
一見すれば、友人のように関わることができるだろう。しかし、それは友情とは似て非なるものだ。素面だと勘違いしたそれは決して素面ではない。素面らしく作られた仮面である。
君と推しは何一つとして素面を共有できていないのだ。

トラブルが前提の世界

では、イベントキャストと友達になることは不可能なのだろうか。所感としては、ほぼ不可能に近いだろう。その理由はいくつもある。まずは何よりトラブルが起きる可能性が高すぎる点にある。
VRChatにおける男女比はかなり男性寄りである。オタサーの姫が如く、彼女の周りには男性が近づいてくる。その結果、要らぬトラブルを引き受けることになってしまう。
そのようなトラウマから、彼女は目の前にいる人間がまともであるかどうか見極めなければならない。残念ながら、私たちはまともではない。結果として、友人関係を結ぶことは叶わないのである。
もし仮に、まともな人間だったとしよう。それでもなお、私たちの前には高い壁が立ちはだかる。それは私たちが選ばれなければならないのだ。こちらからのアプローチは基本的にはご法度である。
すなわち、数多のVRChatterの中で選ばれるくらいの魅力を持っていなければならない。気づいたら友達になっていたなどの夢物語は存在しない。彼女がjoinを押すほどの魅力を持っていなければならない。
だからこそ、イベントキャストと友達になることなど不可能なのだ。もし仮に、君が爆発的な魅力を持っているのなら、こんな些細なことに悩まなくていいくらい良いVRChat生活を送れているはずだ。

それでも特別だと

もしも、彼女と出会ったのがイベントではなくパブリックだったらと夢想したこともある。しかし、いくら夢物語を描いても現実は変わらない。恨むのなら、今までトラブルを犯したVRChatterくらいだろう。
彼らさえいなければ、我々が善き隣人であり続けることができていれば、彼女は性愛に怯えることなく、友愛を持って関係を築くことができたのだろう。だが、私たちはどこまでも人間でしかない。
そのような理想郷を手にする日は来ないのだろう。だからといって、私たちが夢を諦める日も来ないのだろう。まるで実感のない関係を本物だと信じることでしか私たちは生きていけないのだ。
自分には特別な何かがあるはずだ。彼女にとって私だけは特別なはずだ。そう信じることでしか己を保つ術がない。しかし、どこかで裏切りを目撃することになるだろう。
いや、裏切りですらない。勝手に自分の中で作った理想像が崩れていくだけに過ぎない。そうして、私たちはトラブルの一つとしてVRChat史に名を残すことになるだろう。

例外であるという幻想

これだけ言っても、自分は例外だと思っているだろう。彼女が自分の掲げた理想像と違うとわかっていても、諦めることができずにもう一度夢を見ようとするだろう。
私の論は所詮は見えている範囲の経験談でしかなく、まったく普遍的なものではないと下に見ることで、どうにか自分を保とうとしているはずだ。
彼女は私に好きだと言ってくれた。彼女は私を特別だと言ってくれた。彼女は私の存在が力になると言ってくれた。そう、彼女から送られた宝物を手に、反論しようとしているはずだ。
だが、残念ながらその宝物は君だけのものではない。彼女は皆に似たようなことを言っているはずだ。真実はいつも残酷だ。であれば、嘘は優しいのだろう。だから、優しさは嘘だ。
言葉はいつも優しさに溢れている。それと同時に嘘に塗れている。私たちが信じるべきは行動しかない。行動にも嘘が付随することがある。しかし、言葉よりは可能性が低い。
君の推しは行動で君に何かを伝えてくれたことがあるだろうか。君が特別である証左になるほどの行動を君は目にしたことがあるだろうか。もし、君にそのような体験があるとするのならば、今日から例外の仲間入りだ。
行動による信頼を手にしていない君たちは残念ながら例外ではない。君たちの中には逆に行動による裏切りを手にした者もいるだろう。それでも、信じようとする愚かさには感心さえする。
君たちが私の作った断定の檻から抜け出せることを切に願っている。もし抜け出すことができたなら、私にもこの檻から出る方法を教えて欲しい。

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