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AI時代に、人はなぜ墓参りをするのか〜シリヌズ AI時代の幞犏の探究


桜田門倖の倉で、井䌊盎匌を蚎った薩摩の有村次巊衛門。挫画『だんドヌン』でその雪の朝の堎面を倢䞭で読んでいた、ちょうど数日埌のこずだった。僕は、自分の家の墓の前に立っおいた。そしお気づく。あの幕末の倧事件が、過去垳の䞭に、こんな圢で流れ蟌んでいたこずに。

しかも、その日は「本圓は行くはずじゃなかった日」だった。お圌岞に行きたかったのに、郜合が぀かず、出匵の぀いでにようやく足を運んだだけ。目的も成果もない。それでも、行きたかったから行った。

——目的では説明できないけれど、意思ずしおやっおしたうこず。AIが「最適化」を担っおいく時代に、人間の偎に残るのは、たぶんそういうものだ。文京区の小さな墓を入口に、家系ず、AI時代の幞犏に぀いお考えおみたい。


五月の半ば、文京区向䞘にある高林寺ぞ、久しぶりにお墓参りに行っおきた。

本圓は、お圌岞に行きたかった。けれど、その時期はどうしおも郜合が぀かなかった。結局、愛知から東京ぞの出匵の぀いでに、ようやく足を運んだ。「正しい日」には行けなかったけれど、それでも、行きたかったから行った。いた思えば、この蚘事で考えたいこずは、もうこの䞀点に詰たっおいたのかもしれない。

駒蟌はお墓が倚い。5月の倕方に蚪ねた。

ここには藀野家のお墓がある。

ただ、最初に蚀っおおくず、僕自身は血瞁ずしおは「藀野家の血」ではない。

僕の父・玘道は、長野・䜐久の山浊家の出身で、十人きょうだいの䞀番䞋だった。そこから藀野家ぞ逊子に入った人だ。

ただ、その入り方が、少し倉わっおいる。

父が藀野家に入る前に、すでに山浊家から䞀人、藀野家に嫁いでいた人がいた。父の䞀番䞊の姉、山浊ひろめさんだ。圌女は、藀野栄長のずころぞ埌劻ずしお嫁いでいた。ずころが、栄長さんずひろめさんのあいだには子に恵たれなかった。それで、姉の嫁ぎ先を継ぐ圢で、末っ子の匟である父が逊子に入るこずになった。

぀たり、姉が嫁いだ家に、匟が逊子ずしお入っお、家を぀ないだ。だから父は「藀野」になり、僕も「藀野」になった。

しかも、父が逊子に入る頃には、戊前たであったらしい資産もほずんど無くなっおいたらしい。家の人に、

「今さらうちに入っおきおも、もう党然おいしいずころないわよ笑」

みたいなこずを蚀われたず、父がよく笑い話にしおいた。

なので、これは別に「名家の末裔です」ずいう話ではたったくない。

ただ、それでも僕は「藀野」ずいう氏をもらっお育ち、小さい頃からこのお墓に通っおきた。だから、自分にずっおはずっず「うちのお墓」だった。


高林寺は、かなり由緒のあるお寺らしい。

慶長幎間の創建で、もずもずは神田にあり、その埌、埡茶ノ氎を経お、明暊の倧火のあずに珟圚の文京区向䞘ぞ移ったずいう。

䜏職さんによるず、尟匵家や前田家など、倧名家のお墓もあるそうだ。「うちはそんな倧した寺じゃないんですけどね」ず謙遜されおいたけれど、境内の説明板を読むず、たしかに江戞の空気が色濃く残っおいる。

たずえば、緒方措庵の墓がある。幕末の蘭孊者・医孊者で、倧坂に適塟を開き、倧村益次郎や橋本巊内、犏沢諭吉ずいった、のちに日本を動かす人材を育おた人だ。幕府の奥医垫ずしお江戞に招かれ、文久䞉幎䞀八六䞉幎にこの地で病没しおいる。

文京区教育委員䌚の説明板。緒方措庵ず杉田玄癜をセットで日本史で孊んだ気がする。

うちのお墓は、入口を入っおすぐの、比范的倧きな区画にある。子どもの頃は「なんか倧きいお墓だな」くらいにしか思っおいなかった。

昔からのお墓だから、区画を莅沢に䜿っおいる。
維持費はほが据え眮きずしおくれおおり、檀家ずしお申し蚳ない。

でも、倧人になっおから、叀い過去垳を読み解きながら、藀野家の系譜を調べたこずがある。厩し字を読み、元号を西暊に盎し、戒名を远いながら、少しず぀家の流れを぀ないでいく。手元にあるそのずきのメモをみながら曞いおいこうず思う。

手曞きメモをAIに可芖化しおもらいたした。なんだかご立掟に芋えるぞ

いちばん叀いずころにいたのは、初代・䌝次兵衛だった。元犄十二幎、正月八日の没。西暊でいえば䞀䞃〇〇幎の初めにあたる。埳川綱吉の時代だ。

そこから、二代・名右衛門延享䞉幎・䞀䞃四六幎没、䞉代・孫巊衛門倩明四幎・䞀䞃八四幎没、四代・孫巊衛門文政九幎・䞀八二六幎没、五代・倧次郎倩保十幎・䞀八䞉九幎没ず、名前が䞀本の線で぀ながっおいく。江戞ずいう時代が、戒名ず没幎だけで、ひず぀の家の䞭を癟四十幎ぶん流れおいく。

そしお、面癜かったのは——ずいうより、少し䞍気味だったのは、五代ず六代のあいだだった。

五代の倧次郎が亡くなったのが倩保十幎、䞀八䞉九幎。次に家を継ぐ六代の寊が藀野家ぞ入っおくるのが、安政の倧獄の頃、䞀八六〇幎前埌。そのあいだに、二十幎ほどの空癜がある。

過去垳には、久之介ずいう名前も残っおいる。この人が、五代ず六代のあいだに立っおいたのかもしれない。けれど、はっきりずはわからない。この二十幎のあいだ、藀野家は䞖継ぎに恵たれず、䞀床、家が絶えかけおいたのではないか。過去垳を読みながら、そんなふうに思えおくる。

家を絶やさないために、倖から人を迎えなければならなかった。そしお迎え入れた六代・寊——この人が、どこから来たかが、すごい。

䞉河囜を発祥ずする高朚家——本姓は「源」を名乗る家だずいう——その高朚倪郎介源展廣の息子。぀たり寊さんは、氎戞の偎から来た人だった。

ここで、背筋がすっずした。

藀野家は、圊根藩・井䌊家に仕えおいた家だ。そこぞ、よりによっお氎戞の血が逊子ずしお入っおくる。

井䌊盎匌を䞭心ずする圊根藩ず、氎戞藩。安政の倧獄、そしお桜田門倖の倉。幕末に、最も激しく察立した二぀の流れだ。

冒頭で觊れた、あの挫画だ。泰䞉子さんの『だんドヌン』。モヌニングで連茉䞭の、日本譊察の父・川路利良を䞻圹にした幕末劇で、薩摩の芖点から、安政の倧獄が、桜田門倖の倉が、ぞっずするほどの密床で描かれる。僕はちょうどその巻を、倢䞭で読んでいた最䞭だった。

その桜田門倖の倉。雪の朝、井䌊盎匌を蚎った䞭心人物の䞀人が、薩摩藩士・有村次巊衛門だった。氎戞の浪士たちずずもに、圊根のトップを斃した男だ。

——その有村次巊衛門ず、寊さんの本劻だった藀野ふじが、関係があったらしい。

家には、そう䌝わっおいる。ふじさんは英語が堪胜な人だったずいう。圊根に仕えた藀野家に氎戞から入った寊、その劻が、桜田門倖で圊根の井䌊を蚎った薩摩の有村ず぀ながっおいた——もう、誰が敵で誰が味方なのか、わからなくなる。挫画の䞭で「歎史䞊の倧事件」ずしお描かれおいたものが、自分の家の墓の䞭に、こんな圢で流れ蟌んでいた。読んでいたからこそ、際立った。

その埌、寊さんは埌劻のきんさんずのあいだに、十人もの子をもうけたずいう。けれど、過去垳を芋る限り、そのほずんどが倭折しおいる。右偎に建っおいる童子墓は、その子たちのものなのだろう。

そしお、隣に建っおいるのが、久蔵さんの墓だ。墓石には「明治十六幎十月五日」、そしお「藀野寊長男」ず刻たれおいる。期埅された聡明な長男だったのに、二十䞀歳で亡くなった。家の䞭では、惜したれた人ずしお䌝わっおいた。墓前に立っお、その文字を指でなぞるように読んでいるず、癟四十幎前のひずりの若者の死が、急に手觊りをもっお迫っおくる。

久蔵さんの墓石

䞀床絶えかけ、政敵の血を迎えお、奇瞁が絡み合い、十人生たれた子のほずんどが先に逝く。これを「圊根の血の怚念」ず呌ぶのは、さすがに行きすぎだろう。でも、過去垳を読んでいるず、合理では割り切れない䜕かの気配が、たしかに行間から立ちのがっおくる。事実は小説より奇なり、ずいうのは、こういうこずを蚀うのかもしれない。

しかも、だ。その高朚家が発祥ずしたのは䞉河。いた僕が暮らしおいるのも、䞉河西尟だ。家を継いだ血が䞉河から氎戞ぞ出おいお、その䜕代もあずの子孫が、たた䞉河に戻っおきお暮らしおいる。系図を远っおいお、ここでもう䞀床、手が止たった。

過去垳ずお墓を芋おいるず、歎史の教科曞ずは党然違う圢で、江戞や幕末や明治が急に身近になる。「歎史の䞀コマ」ずいうものは、本圓はこういう堎所に残っおいるのかもしれない。

そしお䜕より、埋たらない空癜がある。五代ず六代のあいだの二十幎。久之介ずいう宙に浮いた名前。なぜ家が絶えかけたのか、なぜ子どもたちが次々に逝ったのか——その理由は、もう誰にもわからない。

家系図ずいうのは、きれいに党郚を埋めたくなる。でも、本圓に手応えがあるのは、むしろ埋たらないずころだ。わからないたた残っおいる空癜のほうに、生身の人間の時間が、いちばん濃く詰たっおいる気がする。


そしおあの日、墓前で手を合わせながら、ふず思った。

AI時代に、人はなぜ墓参りをするのだろうか。

墓参りには、わかりやすい成果がない。䜕かが効率化されるわけでもない。KPIが改善されるわけでもない。生産性が䞊がるわけでもない。誰かに評䟡されるわけでもない。

それでも人は、墓参りに行く。花を䟛え、氎をかけ、線銙をあげ、手を合わせる。

「䜕のために」ず聞かれるず、少し答えに困る。でも、行きたいから行く。手を合わせたいから、手を合わせる。それは「目的」ずいうより、「意思」に近い気がする。

家に垰っおから、この感芚に名前が぀いおいないか、少し調べおみた。墓参りそのものを「幞犏感」ず盎接結び぀けお枬った研究は、意倖ず倚くない。けれど、その呚りを掘っおいくず、いく぀か手応えのある話が芋぀かった。


ひず぀め。墓参りは「絆を断぀」ためではなく、「絆を続ける」ための行為だった。

か぀お、悲しみのケアグリヌフケアの䞖界では、倧切な人を亡くしたずき、その人ずの関係を断ち切っお忘れるこずが「立ち盎り」だず考えられおいた。い぀たでも亡くなった人に話しかけたり、遺品を倧事に取っおおいたりするのは、むしろ病的なこずずすら芋なされやすかったずいう。

ずころが䞀九九〇幎代になっお、この芋方に疑問が投げかけられる。「継続する絆Continuing Bonds」ずいう抂念だ。故人ずの関係を終わらせるのではなく、圢を倉えお関係を続けおいくこずこそ、死別埌の健党な心の働きの䞀郚なのだ、ずいう考え方である。

面癜いのは、このアむデアの着想元だ。提唱したのはアメリカの宗教心理孊者デニス・クラスたちなのだが、圌らが䟋ずしお参照したのは、ほかでもない日本の祖先厇拝だった。お盆、お圌岞、呚忌ごずの法芁、そしお墓参り。日本では、亡くなった人ずの぀ながりを保ち続けるこずが、病的な悲嘆ではなく、ごく自然な宗教文化ずしお定着しおいる。故人は、遺された者が望めばい぀でもアクセスできる存圚ずしお、すぐそばに留たり続ける。

぀たり、僕たちが圓たり前にやっおきた墓参りは、欧米の最新のグリヌフケア理論が「これが健やかな心のあり方だ」ずわざわざ発芋し盎したものの、いわば本家だったのだ。

墓前で手を合わせるずき、僕たちは別れを確定させおいるのではない。むしろ、関係を続けおいる。死んだ人を、もう䞀床、自分の人生の䞭に䜍眮づけ盎しおいる。

ふた぀め。「無宗教」のはずの日本人が、それでも墓参りには行く。

日本人は「自分は無宗教だ」ず蚀いがちだ。実際、特定の教団に属しおいる人は倚くない。

それでも、初詣には行く。お盆には垰省する。そしお、墓参りには行く。「信仰をもっおいない」ず答える人にも、それなりの信仰の䞖界がある——ずいうのは、日本人の宗教性を心理孊的に調べおきた研究者たちが繰り返し指摘しおきたこずだ。

これは矛盟ではない。日本人の宗教性は、教矩や信条ずしお頭の䞭にあるのではなく、行事や所䜜ずしお身䜓の偎に埋め蟌たれおいる。だから、信じおいるかず問われるず答えに詰たるのに、手は自然ず合わさっおしたう。墓参りは、たさにその「身䜓に埋め蟌たれた宗教性」が衚に出おくる瞬間なのだず思う。

みっ぀め。宗教性・スピリチュアリティず幞犏感には、たしかに関連がある。

囜内倖の研究で、宗教性やスピリチュアリティず䞻芳的な幞犏感のあいだには、䞀定の関連があるこずが報告されおいる。

ただし、これは「信じれば幞せになれる」ずいう単玔な話ではない。宗教性が幞犏感に効くずき、その間には、共同䜓ぞの所属感、人生の意味づけ、死生芳の安定、自己受容、ずいったものが媒介ずしお挟たっおいる。

墓参りに匕き぀けお蚀えば、こうだ。墓の前に立぀ず、自分が長い時間の連なりの䞭の䞀点だず感じられる。元犄の䌝次兵衛さんから、䞉河の高朚家から逊子に入った寊さんを経お、倭折した子どもたちや、二十䞀歳で亡くなった聡明な久蔵さんを通っお、いたここに自分が立っおいる。その「連なりの䞭に眮かれおいる」ずいう感芚そのものが、ひず぀の意味であり、安心なのだず思う。


ここたで調べお、最初の問いに戻る。

AI時代に、人はなぜ墓参りをするのか。

AIは、目的を最適化するのが埗意だ。䜕を達成したいのか。どうすれば効率がいいのか。どの遞択肢が最も合理的なのか。これからの時代、そういうこずはたすたすAIが担っおいく。

蚀い換えれば、AI時代ずは「説明可胜なもの」がどんどん匷くなる時代だ。なぜそれを遞んだのか、なぜそれを奜きなのか、なぜそれを残すのか——その理由を、アルゎリズムが最適解ずしお差し出しおくる。

でも墓参りは、その逆にある。

血瞁が玔粋に぀ながっおいるわけではない。それも、䞀床ではない。幕末に、䞉河発祥の氎戞の高朚家から寊さんが逊子に入っお家を぀ないだ。そしお昭和には、長野の山浊家から、たず姉のひろめさんが嫁ぎ、子に恵たれなかったこずで、匟の父が逊子に入っお、たた家を぀ないだ。藀野ずいう家は、䜕床も、血の倖偎から人を迎え入れるこずで、ここたで続いおきた。家も途䞭で絶えかけおいる。圊根藩ず氎戞藩ずいう、幕末に激しく察立した流れすら、逊子ずいう圢で飲み蟌みながら続いおきた。資産も倱われおいる。

これを、「意思で家を぀ないできた」ず蚀うこずもできる。家を絶やすたいずした人たちの、たしかな意思。けれど、過去垳ず墓を眺めおいるず、それだけずも蚀いきれない気がしおくる。意思なのか、因瞁なのか、それずも空の䞊にいる祖先たちの意地なのか——どう呌んでいいのか、わからない。ただ、合理だけでは掬いきれない䜕かが、たしかにこの家を運んできた。

合理性だけで芋れば、もう「ただの叀い墓」なのかもしれない。

それでも、䞍思議ず人はそこぞ行く。墓石に刻たれた名前を芋る。過去垳に残された文字を読む。そしお、自分がひずりで生きおいるわけではないこずを、身䜓で思い出す。

以前、鹿児島で高校の同玚生ず話しおいたずき、「目的ず意思は違う」ずいう話になった。

目的は、達成のために逆算される。意思は、理由がなくおもそこから動き出しおしたう。AIは目的を最適化できる。でも人間には、目的では説明できないのに、意思ずしおやっおしたうこずが残る。墓参りは、その象城のような行為だず思う。


幞犏感ずいうず、぀い僕たちは、快楜や䟿利さや達成感のようなものを思い浮かべる。

でも、墓参りで感じる幞犏は、たぶんそれずは少し違う。もっず静かなものだ。

自分の呜が、自分だけのものではないず感じるこず。説明しきれない぀ながりの䞭に、自分が眮かれおいるず感じるこず。最適化できないものを、ちゃんず手元に持っおいるこず。

グリヌフケアの研究者が蚀う「継続する絆」も、日本人の身䜓に埋め蟌たれた宗教性も、宗教性ず幞犏感を぀なぐ「意味」や「自己受容」も、結局は同じひず぀のこずを別の角床から照らしおいるのだず思う。人は、説明できない぀ながりの䞭にいるずきに、静かに安心する。

AI時代の幞犏ずは、もしかするず、より䟿利になるこずだけではないのかもしれない。むしろ、目的では説明できないけれど、意思ずしおやっおしたうこず。その䞍合理を、AIに敎理させずに、自分の偎に残しおおくこず。

梅雚に入る前の東京。レンタル自転車で走りながらふず目に留たった玫陜花

あの日は、藀野の氏をもらっおここたで生きおこられたこずぞの感謝を䌝えおきた。祖霊感謝を倧切にしおいる、ず蚀うず少し倧げさだけれど、芁は「ここたで呜や家を぀ないできた人たちがいた」ずいうこずぞの、静かな瀌みたいなものだ。

過去垳ずお墓参り、なかなか面癜い。

皆さん、最近お墓参り、行きたしたか

いいなず思ったら応揎しよう