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何者でもないまま30歳になった僕が、激動のリゾートバイト生活を経ても失わなかった『習慣』の話


まえがき

この記事は、主に『体験記』としての色が強いものになります。

そのため、記事のメイン部分である『3つのリゾートバイト勤務先での経験』を無料部分、そこから得た『習慣』に関する知見を有料部分としています。

無料9割、有料1割、といった比率で。

飲みで例えるなら、最後のシメが有料というふうな。

土鍋ごはんとか、いいですよね。

次の日も頑張れる気がします。

さて、この記事で伝えたいことは2つ。

・続けることの素晴らしさ。
・そのために必要な『習慣』のこと。

僕は小説家です。

無論、本を出版していたり、雑誌の連載を持っていたり、SNSのフォロワーが何万といるインフルエンサーなわけでもないですが。

しかし僕が一年のリゾバの派遣生活を終えて得たものは、自信をもってこう言える圧倒的な自己肯定感です。

「僕はどんな環境でも、自分の信じた道を貫けるんだ」

心の底から、そう思えることの喜び。

他者の評価ではなく、自己の認識として。

またこれは、書くことだけではなく、筋トレや家事など、あらゆる自己実現に通じるものだと信じています。

これほど素晴らしいことは、そうそうあるものではありません。

また一方で、他者に評価されないことなんて自己満足でしかないのではないか、という意見も理解できます。

しかし。

僕は他人や世間の評価よりもまずは、自分の理想の在り方を体現することのほうが重要であると考えています。

でなくては、どれだけの人に褒めそやされたところで、どこかでわだかまりや違和感が生じる。

「自分は今、自ら描いた理想を生きている」

この記事はそう思える人に、あるいは、そう思いたい人だけに向けたものです。

僕の体験が、言葉が、土鍋ごはんのように皆さまの明日からの活力となることを願って。




『何者でもない』時代

2年前、2024年という年は僕にとって、人生の休暇とでも呼ぶべきものだった。

僕はこの年のはじめ、7年ほど勤めていた高円寺の書店を辞め、故郷である石川県に身を寄せる。

能登半島地震と、2年つきあった当時の恋人との別れ。

これらをきっかけに、祖父母の家のある七尾市と親弟妹のいる金沢市での生活をはじめた。

そんなある日、叔父の使っていた部屋で机に向かっていたら、ふと気づいたこと。

僕はいま、何者でもない……。

書店員でもなければ、東京で夢を追う若者でもなければ、安定を求めて故郷で仕事を探しているわけでもない。

やっていることといえば、家族と食事を用意するか、雪かきをするか、毎日淡々となにかを書いているくらい。

気づけば年を越し、2月の誕生日が迫り、29歳になろうとしていた。

リゾートバイトを考え始めたのはその頃である。

きっかけは両親のすすめだった。

彼らはすこし前、二人そろって沖縄でリゾバをしていた。

「すっごい楽しかったよ」

そしてその体験を、目を輝かせて話すのだった。

自分の親ながら、面白い人たちだなと思う。

僕がもしも彼らと同じ歳になったとき、遠く離れた地で、働くことはおろか暮らすこともできるだろうか。

何か経験するならば、今、このタイミングなのではないか。

そう強く思うようになった。



『コミットする』湯河原


はじめての勤務地は湯河原という町だった。

神奈川と静岡の県境。

小田原と熱海に挟まれた、山から海へ吹き下ろす風の強い町。

この土地での業務は、とても穏やかなものだった。

業務内容は以下の通り。

・夕朝食ビュッフェの支度、サービス。
・アメニティの補充。
・共有エリア清掃。
・チェックイン案内、フロント補佐。
・会議セッティング。
・各所定期点検。

このほか、日によっては季節限定のイベントやアクティビティの用意などの雑務が入ってくる。

インカムをつけ、広い館内を駆け回り。

休憩が5時間というような中抜け勤務もあった。

早朝6時半からの勤務に慣れたと思えば、次は昼から夜にかけてのシフトに入ってほしいと言われ……。

ただ、流れる時間はゆるやかなものだった。

スケジュール的には余裕があり、ひとつひとつの仕事を丁寧にこなすことができる環境。

食事にしても、勤務中にビュッフェの残りを自分でお弁当にすることができ、手間もお金も不要。

なにより、せかせかした人がいない。

今にして思えば、ここが最初の派遣先で僕は恵まれていた。



このホテルで働き始めるとき、僕にはあるテーマがあった。

『コミットすること』。

リゾバ生活を始める以前、僕は祖父母の家で、書くことだけに集中できる環境にいた。

日々は、静かで、規則的。

しかし、何かが足りなかった。

「このままじゃ、だめだ」

外部的なもの。

僕は働くことを通じて、それを探すつもりだったのだ。

例えるなら、お腹いっぱい食べたあとに甘いものが欲しくなるように、仕事にコミットすればするほど、創作世界は豊かになるのではないか、と。

だから何事も理解するよう努め、どんな単純な作業にも手を抜かず、自分のものにしてやろうという能動的姿勢を貫いた。

それは、気づけばまわりからの評価に繋がっていた。

「ずっと居ればいいのに」

支配人から掃除のおばちゃんまで、みんなから惜しまれた。

衣食住。

すべてが異なる三か月。

結果として僕は、最初の派遣生活を文武両道に終えることができたのだった。


『息つく暇もない』浅間温泉


湯河原のホテルで働くことの自信を得た僕は、しばらくして次の派遣先を探し始めた。

見つけたのは長野県、松本は浅間温泉。

ここでの仕事は湯河原とはかなり異なった体験になった。

・モーニング、ディナーコースサービス。
・客室清掃。
・荷物の部屋入れ、送迎。

業務の幅、という意味で言えば、湯河原のホテルよりもシンプル。

しかし、この施設は少数精鋭だった。

求められていたレベルは、五つ星と比べても遜色はないように思う。

とっさの判断力、英語対応、動きの最適化。

常に頭を働かせていなくてはならず、タイムロスやミス、やり残しはすぐに見咎められる。

「Ayatoさん、今日の水回りの目標はひとり20分です」

職場のグループチャットで、そう名指しされたことは忘れられない。

職場に向かうまでの5分間。

自分の気持ちを奮い立たせなくてはいけないことも増えていた。

一緒に働くスタッフも全員残らず忙しいため、コミュニケーションはおろか、あいさつすら無視されることもある。

おまけに僕がいた時期は、夏から年越しまでの半年間。

この年の秋は、マネージャーいわく「お盆がそのまま続いている」ような忙しさだったという。

息つく暇もない、挑戦の日々。

僕は自分を自分たらしめるものの存在に向き合わされることになった。



この厳しい半年間、僕は書く手を止めることはなかった。

朝8時には起き、昼過ぎの出勤の準備をしながら、書く。

日付の変わるギリギリまで続くレストランの締め作業。

帰宅し、シャワーを浴び、倒れるように就寝。

日々の繰り返しのなかで、実感する。

そうか。

忙しいことは、書けない理由にはならないんだ。

むしろこのときの僕は、精神的な負荷がかかればかかるほどに、筆を持つ手に熱を感じていたかもしれない。

表現できる場所がある。

この拠り所を守ることができたのは、noteという発信の場があるから、ということも大きい。

そしてそれ以上に一人でも毎朝書くという習慣があったからだ。

『習慣』。

そうだ。

これこそが、僕が生き延びるための道だったのだ。



『時間がかかる』新宿


松本で否応なく向き合ったものが、確信に変わったのは次なる職場でのことだった。

東京、新宿。

契約期間は5月いっぱい。

次の仕事は高層階ホテルラウンジのサービス業務だった。

広々とした大理石のフロア、卓とゲストをかき分け行く。

トレンチに載せた、ティーセットの重み。

一日の終わりにスマホで万歩計を見ると、平均値は20,000歩を超えていた。

そして今回の職場は、とにかく拘束時間が長かった。

9:00  目黒区の自室を出発
10:00  職場ビルに到着、着替え、準備
11:00~  出勤
21:00  退勤、着替え
22:30~  帰宅

出勤日のおおまかな流れ

通勤にかかる時間は、施設付近に寮が用意されていた前述のふたつの勤務地と比べ、大幅に増える。

およそ1日14時間の拘束。

加えて7時間の睡眠を含めると、残るのは3時間。

毎日のお弁当づくりや洗濯、掃除、靴磨きなどを踏まえると自由にできる時間はさらに限られてくる。

とにかく、時間がかかった。

もちろん、この生活サイクルのなかで、いちいちこんな計算をしていたわけではない。

電車が遅延していたり、近くにレンタルサイクルが見つからなかったり、退勤後、パートナーやスタッフの誰かと飲みに行くことだって少なくなかった。



「アヤトくんも、休まない人だね」

あるときふと、彼女がかけてくれた言葉。

よく考えてみると、そうだ。

朝起きて、1時間は書く。

それ以外の時間は英語学習や、インプットにあてた。

昔のようにだらだらと過ごす時間は、なかった。

疲れていれば、歯磨きとかシャワーを浴びるのを面倒に思える日はある。

しかし書くことが面倒と思うことは、ついぞなくなったのだ。

こうなればもう、売れる売れないとか、読まれる読まれないとか、面白い面白くないとか、そういう問題ではないのではないか。

僕は、僕の理想を生きている。

そして、今なら分かる。

10年前、小説というものをはじめたとき。

この自己肯定こそ、最も必要としていたものだったのだ、と。


『失われなかった』習慣


以上までが、僕が一年間、3つの施設での派遣生活を経て感じたこと。

そしてここから先は、有料部分として、この体験から得た具体的な習慣についての知見の共有に移ります。

以下は、この4年ほど続けられている習慣です。

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