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あの曲を、まだ再生できない

家族の納骨に向かう飛行機の中で、私は機内の音楽一覧を見ていた。

イヤホンはしていた。
音も流れていた。
でも、何も入ってこなかった。

数曲あとに、宇多田ヒカルの名前があった。
その先に、「誰かの願いが叶うころ」があった。

その曲は、当時好きだった。
歌詞も知っていた。
亡くなる当日、最後に聴いていた曲。

だからこそ、流せなかった。

他の曲は流れている。
でも、その順番が近づいてくるのだけがわかった。

耳は少し詰まっていた。
窓の外は、ゆっくり夜に変わっていった。

私は普通の顔をして座っていたと思う。
涙はもう止まっていた。
泣けなかった、というより、怒っていた、の方が近い。

なんで、と思っていた。

なんで私の家族だけが。
なんで私たちだけが。
なんで、こんなことを繰り返さないといけないんだと。

治るとか、救われるとか、そういう言葉じゃなくてよかった。
ただ、何も起きない普通の時間がほしかった。
通院も、入院も、1人で家にいる時間も、もういらなかった。

それだけでよかったのに、と思っていた。

順番が近づいてきたとき、私はイヤホンを外した。

聴けない、ではなく、聴きたくなかった。
その方が正直だった。

そのときの私には、救いはなかった。


その曲を思い出すとき、いつも先に浮かぶのは別の時間だ。

夏の終わりの夕方。
クーラーの効いた部屋に、オレンジの光が入っていた。

カーテンも、床も、部屋全体が同じ色に染まっていた。

ラジオは二段ベッドの上に置いてあった。

家族は車椅子にいて、私は椅子に座っていた。
同じ空間にいながら、それぞれ別のことをしていた。

ラジオから、子どもの頃に一緒に見ていたアニメの曲が流れた。

毎週、夢中で見ていた。

懐かしい、と思って、ふと家族の方を見た。

そのとき、先に目の色が変わった。

はっきりとわかるくらい、色が変わった。
そのあとで、口元がゆっくり緩んでいった。

にこっと、笑った。

一瞬ではなかった。
少し長く感じた。

私は固まっていた。
嬉しいよりも、先に驚きが来ていた。

笑えるんだ、と思った。
それまで、その顔をもう見られないかもしれないと思っていた。

「覚えてる?」
「わかるの?」

そう聞いたけれど、答えはなかった。

それでも、その表情は、子どもの頃に見ていた顔にとても近かった。

オレンジの光の中で、そのまま少しだけ時間が続いた。

すぐに戻ったわけではなかった。
余韻みたいなものが、部屋に残っていた。


その数年後、母の日が近づく5月に、家族は亡くなった。

葬式を終えて、納骨に向かう飛行機の中で、私は宇多田ヒカルの順番が近づいてくるのを、ただ見ていた。

見ていた、という方が近い。

音楽は、慰めにも、救いにもならなかった。

好きだった曲ほど、触れられなかった。
流れてしまえば、何かが決まってしまう気がした。

だから聴かなかった。


今でも、その曲は聴けない。

曲名は思い出せる。
「誰かの願いが叶うころ」。

でも、まだ再生はできない。


今、私は音楽療法士として働いている。

でも、この仕事の始まりをたどると、私はあの夕方に戻る。

オレンジの光の中で、ラジオから流れた音に、家族の目の色が変わって、ゆっくり口元が緩んでいった、あの時間に。

何かが解決したわけではなかった。
そのあとが楽になったわけでもなかった。

それでも、あの夕方の光だけは、今も消えない。


飛行機の窓の外は、完全に夜に変わっていた。

あの曲を聴けなかった自分が、
まだ、あの飛行機のあたりにいる。

だから私は、あの曲を、まだ再生できない。

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