
影を縫うということ
その街の路地裏には、布を扱わない仕立て屋がいました。
仕立て屋の主人が扱うのは、人々の足元からこぼれ落ちた「はぐれた影」だけです。
「主さん、私の影が最近、どうも歩幅に合わないんだ」
ある朝、やってきたのは、足早に歩くのが自慢の郵便配達員でした。 主人は、男の足元を見ました。
なるほど、影は主人の速度に飽きて、勝手に石蹴りをするようなリズムで、勝手な方向へ伸びようとしています。
主人は、針も糸も使いません。 ただ、指先を男の足元に差し込みました。 影に触れる指先の感触は、得も言われぬものでした。それは湿った古いフェルトのような厚みがありながら、同時に、真冬の冷たい水に指を浸したときのような、骨に染みる芯の冷たさを帯びていたのです。
主人はその黒い粘り気を、熟練の技で一気に手繰り寄せました。
指先で空中に円を描き、男の影を「一回、二回」と丁寧に折り畳みます。折り畳むたびに、影は薄い氷が割れるような、乾いた静かな音を立てました。
「あんたが急ぎすぎるから、影が置いていかれるのを嫌がって、別の場所へ行こうとしているのさ」
主人は折り畳んだ影を、男の靴の裏に、トン、と強く踏み込ませました。 影は靴の裏で一瞬だけ脈打つような熱を放ち、やがてピッタリと吸い付くように落ち着きました。
男が郵便を配りに出かけると、いつもより地面が少しだけ柔らかく感じられました。踏みしめる一歩一歩が、自分の重さをちゃんと受け止めているような、確かな手応えです。
「お次は、あんたかい?」
次に現れたのは、自分の影を失くしたという、ひどく顔色の悪い女でした。
主人は女の足元を見て、棚から古い、使い古された「野良犬の影」を取り出しました。
「これは、かつて自由だったものの影だ。これをあんたの踵に、少しだけ緩く止めておこう。影がないと、夜の重さに耐えられないからね」
主人が女の足元に影を置くと、影は女の形を無視して、四つ足で歩くような形に伸びました。 女が歩き出すと、二本足で立っているはずの彼女の重心は、常に前へ、地面を這う獣の低い目線へと引きずり込まれるようでした。
彼女はよろめき、けれどその不気味な四つ足の影が地面をしっかりと掴んでいる感覚に、言いようのない安堵を覚えたのです。
仕立て屋は、毎日そうして影を直します。
影が直ったからといって、明日から宝くじが当たるわけでも、病気が治るわけでもありません。 ただ、人々は自分の影を少しだけ愛おしく思い、自分の重みを引き連れて、また明日も淡々と歩いていくだけです。
街に夕暮れが来ると、仕立て屋は店を閉じ、自分の影を丁寧に脱いで、椅子に掛けました。 影のない主人は、ひどく軽やかに、夜の闇へと溶けていきました。
明日、また誰かの重さを縫い合わせるために。