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75歳飲み友が語った、長嶋茂雄さんとの「永久に不滅」の一瞬

    ■ミスターが逝った朝、最初に思い出した人

    2025年6月3日朝9時過ぎ。テレビの速報テロップが画面を横切った瞬間、私は言葉を失った。

    「長嶋茂雄さん、死去」

    肺炎によるものだったという。享年89。
    その知らせを見た瞬間、真っ先に脳裏に浮かんだのは、飲み友だちのマサヒロさんの顔だった。

    マサヒロさんは75歳。

    高校卒業後、印刷会社に就職し、定年まで営業一筋で生きてきた。昭和の気骨をそのまま持ち歩くような人で、豪快だが優しく、人の情けに敏感だった。

    今は横浜のマンションで一人暮らしをしている。週に4日、医師や看護師、介護ヘルパーが訪問し、日々の健康と暮らしを支えている。

    そんな彼が、酒を酌み交わす席で、何度も語ってくれた話がある。

    ■「一度だけ、ミスターと目が合ったことがあるんだ」

    昭和の終わり頃、仕事で訪れた長野でのことだったという。昼飯時に立ち寄った駅前のそば屋で、偶然にも長嶋茂雄さんと鉢合わせした。

    店の奥の方に静かに座っていた一人の男。背筋がぴんと伸びていて、凛とした気配を漂わせるその人が、ふと顔を上げた。目が合った瞬間、マサヒロさんは固まったという。

    長嶋茂雄――言わずと知れた「ミスター・ジャイアンツ」。

    彼はマサヒロさんの永遠のヒーローだった。小学生の頃、父に手を引かれて初めて行った後楽園球場。あの日、長嶋さんが打った豪快なホームランの打球が、白球が夕陽に溶け込むようにスタンドへ消えていった光景は、彼の記憶の中でいまだ色褪せていない。

    「食い終わったミスターが立ち上がって、レジに向かったときな、気づいたら俺、立ち上がってた。『応援してます!』って口走ってた」

    長嶋さんは一瞬驚いたような顔をした後、微笑んで「ありがとうございます」と静かに言ったという。

    「声がな、あったけぇんだよ。品があって、でも近くに寄ってきてくれる感じ。あれはスターの声じゃなくて、『人間・長嶋茂雄』の声だったな」

    ■巨人ファンとしての人生、昭和の景色の中で

    マサヒロさんにとって、長嶋茂雄は「ただのスター」ではなかった。

    「俺の青春、全部あの人が持ってた。会社でつらいことがあっても、家でケンカしても、スポーツ新聞見てミスターが打ってりゃ、それで救われたんだ」

    昭和という激動の時代を、働きながら、家族を支えながら、巨人を追いかけ続けた日々。仕事から帰ってビール片手に見るプロ野球ニュースが唯一の癒しだった時代が、そこにあった。

    ■「我が巨人軍は永久に不滅です」を正座で聞いた夜

    1974年10月14日。
    長嶋茂雄が引退したその夜、マサヒロさんはテレビの前で正座をしていた。

    「我が巨人軍は永久に不滅です」

    あの名言に、多くのファンが涙したが、マサヒロさんもその一人だった。

    「言葉の意味なんて、当時は正直よくわかっちゃいなかった。でもな、あの【声】は、こっちに真っ直ぐ届いたんだよ」

    あの一言を聞いた日から、彼にとって「不滅」という言葉は、ただのスローガンではなくなった。

    ■ミスターは、人生に「希望」という記録を残した

    訃報を聞いた今日、私はマサヒロさんの話を反芻していた。
    不思議と涙は出なかった。それは、マサヒロさんの語りが、もう何度も「別れ」の予感を私に運んでいたからかもしれない。

    けれど今、マサヒロさんが小さな部屋で静かにテレビを見つめている姿を想像すると、胸が締めつけられる。

    長嶋茂雄という男は、記録や勝敗を超えたところで、多くの人の人生に「希望」を刻み続けてきた。

    ありがとう、長嶋さん。

    あなたのまなざしも、その一言も、私たちの記憶の中で、これからも「永久に不滅」です。

    マサヒロさん、元気になったらまた飲みましょう。

     
     
    まだ大丈夫…と言ってる時点で、ほぼ大丈夫じゃない中高年へ。老い、仕事、お金、居場所、発信の迷い。見ないフリしてきた人生後半戦の焦りを、noteでエッセイに。社会の評価を諦めた53歳が、誰にも言えない情けなさを、笑って読ませます。これ、未来のあなたの話だぞ!

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