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【エッセイ】きつねの帰る森

輪郭の曖昧なものほど、あとになって、ひどく鮮やかに思い出されることがある。
わたしにとっての「きつね」は、そういう記憶だ。

幼いころから、よく家族で温泉旅行に出かけていた。夜の山あいにひらけた露天風呂はちいさな私の特別だった。

湯船は空と森のあわいに静かに浮かび、またたく星と、真白のベールのような湯の表面だけが、ほのかに白く息をしている。
その中で、母はときどき「きつね」になった。

母は指先で耳をつくり、口をもごもごと動かすだけの簡単でささやかな変身をした。それでもわたしにはそれが完全な別の存在に見えていた。母ではない、けれど母と二人きりの露天風呂にしか現れない、わたしだけの友人だった。

きつねはよくしゃべった。
今日の楽しかったことを尋ねてきたり、どうでもいい冗談を言ったり、ときには森の話をしたりした。声は母と同じなのに、言葉の調子が少し違う。それだけで世界はくるりと裏返る。お湯は温かくて、夜の風は冷たくて、それでもきつねの声は暖かかった。わたしはそこに小さな秘密の国を見ていたのだと思う。

けれど静かな国も、いつかは滅びてしまう。
理由ははっきりと思い出せないけれど、胸の奥にざらりとした違和感が生まれるようになった。「ままごと」が次第に鬱陶しくなり、ついにわたしは言ってしまった。

「もう、それやめて」

わたしはきつねではなく、母を見ていた。きつねはほんの一瞬だけ黙ったあと、少しだけ困ったような、でもどこか諦めたような顔をした。そして、やさしく、しかしはっきりと告げた。

「きつねとさよならしたい?」

わたしは強く頷いた。 

「じゃあ、きつねとお別れしよう。きつねはあそこに帰るから」

そう言って、露天風呂の向こうの森を指さした。黒くて、深くて、輪郭のない森を見て、途端に泣き出しそうになってしまった。

それからきつねは現れなくなった。 
母は変わらず母のままで、温泉にも何度か行ったはずなのに、あの仕草が戻ることはなかった。まるで最初から存在しなかったかのように、きつねは静かに姿を消した。

それは単なる遊びの終わりだったのかもしれない。子ども向けの、ほんのひとときの「ままごと」。子どもであることの終わり。
あるいは、世界に対して無条件に信じる力を、少しずつ手放していく過程のひとつ。

母はきっと、それを理解していたのだろう。だからこそ、無理に続けることも、軽く流すこともせず、「帰る」という物語を与えてくれた。きつねは消えたのではなく、帰ったのだと、そう思えるように。

時々、湯気の向こうで、きつねがこちらを見ているような気配を感じる。
あの夜の湯気の中で、わたしはたしかに、ひとりの友人と向き合っていたのだ。

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