ぼくのよわさを、思い出した日。
忘れていた、ぼくはこんなにも弱いんだった。
トイレの床の上でうずくまり、
涙が頬をつたわって、
便器の中で波紋をつくる。
それを遠いことのように眺めながら、自分のことをゆっくりと思い出した。
ぼくは中学生ぐらいのころから、とにかく弱かった。
理由もなく、とめどなく涙が出て、
首から肩、腰のあたりまで、巨人にずっと握られているような筋肉痛になり、
ぼうっと熱と判断されないくらいの熱が体をまとって、
寒気がムカデのようになって体中を這った。
一日中そうな日もあるし、1時間もしたらケロッと立ち直るときもある。
そして立ち直るときは、その反動かのように希望に満ち溢れている。
生理によるPMSの影響か、双極性障害(躁状態という陽気な状態と鬱状態を繰り返す)なのか。
だいぶ昔から考えてはいるが、結局判断はついていない。
病院に通って明らかにすればいいのに、通う手間やお金がネックで、2回の通院でやめてしまった。
長年この症状と生きてきたからだろうか、これが「治る」というイメージがつかない。
ぼくは、この弱さと共に生きていくしかない。
何度それを確かめても、また忘れて、また悲しみの波に埋もれてしまう。
壁のタイルをなぞるように手を伸ばし、吊るしておいたリュックからスマホを取り出す。
もう時間だ。
ぼくは涙の跡がわからないように顔をふき取り、トイレットペーパーを少しちぎってリュックにしまった。
手洗い場の鏡を見ると、目に赤みは全くない。
日焼け止めだけきれいに落ちて、すっきりとした顔立ちの自分がいた。
人目をはばからず泣きじゃくり、鼻水を垂らしていたから、もっとひどい表情をしていると思っていたのに。
これなら、誰にも泣いたことがわからないな…。
小雨の中、大げさに傘を傾けて顔を隠して泣いていたことが馬鹿馬鹿しく感じられた。
リュックを背負って、なにくわぬ顔で職場へ行く。
「お疲れ様です」というと、
相手はパソコンを見たまま「お疲れ様で~す」と返す。
案の定、あんな状態だったことはバレなかった。
パソコンの前に座ると、嘘みたいに涙は引っ込んで、コツコツと業務を進める。
不思議と腸の痛みも治まって、普段よりずっと意欲的に仕事に取り組める。
そうやって1時間、2時間、3時間…。
4時間たったころだろうか、体が悲鳴を上げてきた。
ふと腰に鉛が乗っているような気がしたら、
背骨のひとつひとつが歯ぎしりをしているような痛みを発し始めた。
そして背骨の痛みが胸へと伝わり、
吐く息のひとつひとつが鈍い痛みに変わる。
そこから1時間耐えたが、いよいよ無理だと思い休憩を取った。
横になったてみたり、ご飯を食べてみたり、漫画を読んでみたり、
それでも、治らない。
漫画の興奮は一瞬の鎮痛薬となるが、依然として鈍い痛みが体中にこびりついている。
休みたい、けど、休めない。
まだ有給がないため給料が下がるだけで、物理的に休むことはできるとわかっている。
でも、休めない。
人は追い詰められているとき視界が狭くなるというが、その通りだ。
そして、どんな理性的に状況を判断しても、その狭い世界がぼくの世界のすべてである。
だから、ぼくが休めないと思っていれば休めないし、ぼくが吐きそうだと思っていれば吐きはしない。
こんな思考回路間違っている!と思いながら、ぼくは喜んで間違える。
それが一番楽な方法だからだ。
急に休んで人に迷惑をかけるより、仕事を突然やめるより、ただ耐えることが楽なのだ。
みじめだ…。
冷静に自分の考えを整理しながら、つい言葉がこぼれた。
みじめである。
そして、このみじめさはきっと凡庸なもので、新社会人のあるあるな症状だと考えると、もっとみじめである。
なんとか仕事を終えたころ、外はもう真っ暗だった。
横断歩道を渡りながら、仰々しく車のライトに照らされる。
これの前に飛び出すとき、ここは一瞬で人生のハイライトになるんだろう。
そんなバカげた妄想をしながら、ぼくは家についた。
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