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「生きおいれば、」䞭2で脳腫瘍になった私の34行

「生きおいれば、」

この続きに、あなたなら䜕ず曞くだろうか。

楜しいこずもある。しんどいこずもある。人によっお、その日の気分によっお、続く蚀葉は倉わるず思う。

私は33歳の元蚺療攟射線技垫だ。䞭孊2幎のずきに脳腫瘍になった。瀟䌚人になっおからは、バヌンアりトで病院を退職した。そんな自分が「生きおいれば、」の続きを曞き出しおみたら、止たらなくなった。気づけば、34行になっおいた。

この゚ッセむは、その34行ず、それぞれの行の奥にある蚘憶の話だ。


生きおいれば、耐え忍ばなければならない堎面もある。
生きおいれば、悩み葛藀する堎面もある。
生きおいれば、苊しみ逃げ出したいずきもある
生きおいれば、道に迷うこずもある

耐え忍ぶずいえば、小孊生のころのそろばん教宀を思い出す。

テストの途䞭で、おなかが痛くなった。問題の解き方はわかっおいた。でも痛みで集䞭できず、うずくたっお耐えおいた。テストが終われば垰れる。そう思っおいたら、先生に居残り補習にされた。先生の目には「問題がわからなくお手が止たっおいる子」に映っおいたらしい。違う。わかっおいた。ただ、おなかが痛かっただけだ。地獄の時間だった。

人生で最初に芚えた理䞍尜は、たぶんああいう小さな出来事だったず思う。

悩み葛藀ずいえば、トむレ問題もあった。圓時の小孊生には、孊校のトむレで倧をするずいじられる、ずいう文化があった。よく食べ、よく出る自分は、垞にその危険にさらされおいた。行くべきか、耐えるべきか。考えすぎるず、逆におなかが痛くなった。今思えばくだらない。でも、圓時の自分には死掻問題だった。

もう少し倧きな葛藀も、子ども時代にはあった。小孊2幎の秋、兄たちに憧れお野球を始めた。最初は楜しかった。でも続けるうちに、い぀の間にか楜しさより苊しさのほうが倧きくなっおいた。「䌑みたい」ず思うようになっおいた。

ただ、それを誰にも蚀えなかった。

やめたいのではなかった。少し立ち止たっお、息抜きがしたかっただけだった。でも、その蚀葉がどうしおも口にできなかった。蚀えないたた、走り続けた。


生きおいれば、倱敗しおも笑えるずきもある
生きおいれば、孀独を感じ、誰かにやさしくされたいずきもある
生きおいれば、誰かず楜しさを共有できるずきもある
生きおいれば、思うようにいかないずきもある
生きおいれば、ふうヌっず息を吞い、ふうヌっず息を吐くこずで楜になるこずもある

笑える倱敗なら、いくらでもある。

小孊生のころ、ランドセルを背負ったたた遊具の棒に腰掛けおいたら、ふずした瞬間に埌ろぞ䜓重がかかっお、そのたた䞀回転した。お぀がうは苊手な郚類だった。でも、あの瞬間だけは、人生で䞀番アクロバティックだった。

笑えない日々は、ある日突然やっおきた。

äž­å­Š2幎の倏、物が二重に芋えるようになった。近くの病院でCTを撮ったが、異垞はなかった。症状は悪化し、別の病院でMRIを撮った。脳腫瘍が芋぀かった。頭の䞭に2か所。氎頭症も䜵発しおいた。

そこから、化孊療法ず攟射線治療の日々が始たった。吐き気ず嘔吐が続き、点滎も倧量に投䞎しおいるため、トむレで倜䞭に䜕床も起きる。深く眠れない。薬を飲たなければならない堎面が䜕床もあった。詊行錯誀の䞭で、吐いた盎埌に薬を飲むず比范的楜だずいうこずを発芋した。誰かに教わったわけではない。自分で芋぀けた、小さな知恵だった。

孀独だったかずいえば、そうでもなかった。家族が支えおくれた。院内孊校には同幎代の子もいお、笑い合える時間があった。病院ずいう堎所で、誰かず楜しさを共有できるずは思っおいなかった。

それでもしんどい倜は、ふうヌっず息を吞っお、ふうヌっず吐いた。それだけで少し楜になる倜も、確かにあった。


生きおいれば、なにくそず思うこずもある
生きおいれば、ドロドロに汚れるこずもある
生きおいれば、本気になりたいずきもある
生きおいれば、䜕かず戊いたいずきもある

治療が終わっお地元の䞭孊に戻ったずき、自分の身䜓が倉わっおいるこずを思い知らされた。

゚スカレヌタヌに乗れなかったのだ。治療前は、圓たり前に乗れおいた。なのに、筋肉が匱っお、あの最初の䞀歩が螏み出せない。友達を远いかけようずしおも、足が぀いおこない。頭の䞭にいる「治療前の自分」ず、目の前の「今の自分」の差が、あたりにも倧きかった。

なにくそ、ず思った。

取り返したかった。塟に通い、勉匷しお、高校に進孊した。高校では野球郚に入った。でも、䜓力は戻りきっおいなかった。吐き気があったり、疲れやすかったり。3幎間、みんなず同じメニュヌの緎習を䞀床もできなかった。

本気になりたかった。䜕かず戊いたかった。でも、戊う前に身䜓が音を䞊げる。ナニフォヌムはドロドロに汚れるこずもなく、残ったのは䞍完党燃焌の感芚だった。


生きおいれば、なんか違うなぁず感じるずきもある
生きおいれば、自分っおポンコツやなぁず思うずきもある
生きおいれば、なんかできるやんず思うずきもある
生きおいれば、䞊には䞊がいるこずも知る
生きおいれば、誰かに憧れるこずもある

「なんか違うなぁ」の最たるものは、埩孊した教宀だった。

友達の身䜓が倧きくなっおいた。声が倉わっおいる人もいた。人間関係の地図が、自分の知らないずころで曞き換えられおいた。同じ校舎の䞭にいるのに、みんなずは別の時間を生きおいるような感芚。自分だけが、取り残されおいた。

でも思い返せば、入院する前から、自分は「ポンコツやなぁ」ず「なんかできるやん」の間を、行ったり来たりしおいた。

100マス蚈算では、自分なりにうたくいったず思っおも、䞊には必ず速い人がいた。䞀番になったこずは、䞀床もない。

野球では、盞手投手が倧きいず、嚁圧感ず恐怖があった。速い硬匏球が圓たれば痛い。そんなこずを考えおいるず、打おない。でも時たた、無双するこずがあった。振れば打おる、ずいう感芚。䞍思議なこずに、そういうずき「圓たったら痛い」なんお考えおいなかった。

䞭孊のずきには、陞䞊の倧䌚にぶっ぀け本番で400m走に出たこずがある。芋よう芋たねでクラりチングスタヌトをしお、200mたでは先頭集団ず競っおいた。そこからガス欠しお、芋る芋る抜かされおいった。

ポンコツだず思う日ず、できるやんず思う日。䞊には䞊がいるず知る日ず、誰かに憧れる日。たぶん人生は、その行き来でできおいる。


生きおいれば、思い蟌みすぎ、他に䜕も芋えないずきもある
生きおいれば、䜕かに熱䞭し、時間が䞀瞬に過ぎ去るこずもある
生きおいれば、退屈な䜜業で、時間が止たっおいるように感じるこずもある
生きおいれば、同じようなこずもなんか違うず感じるこずもある
生きおいれば、科孊的根拠が自分を支えおくれるこずもある

医療に恩返しがしたくお、蚺療攟射線技垫になった。瞁があっお、自分が治療を受けた病院で働くこずになった。

毎日、患者さんの脳をMRIで撮った。CTも撮った。怜査の前に緊匵しおいる人がいた。結果を怖がっおいる人がいた。か぀お自分もそちら偎にいた、ず思いながら、撮圱宀に立ち続けた。

この仕事は、よくわからないこずだらけだった。䞁寧に接しおも、うたくいかないこずがある。かず思えば、態床の倧きい患者さんにそれなりの察応をしたら、なぜか感謝されたりする。自分の察応ず、盞手が受け取るものは、必ずしも䞀臎しない。同じような怜査でも、日によっお、人によっお、なんか違う。10幎経っおも、正解はわからないたただった。

技垫の仕事は、野球でいえばファヌストに䌌おいるず思う。䞭孊のころ、䞻にファヌストを守っおいた。野手からの送球が逞れおも、埮劙なバりンドでも、うたく捕ればアりト。花圢ではない。賞賛も少ない。でも、誰かが捕らなければ、詊合にならない。

熱䞭しお時間が䞀瞬で過ぎる日もあれば、同じ䜜業の繰り返しで、時間が止たったように感じる日もあった。そうやっお、「止たったら遅れる」ずいう思い蟌みだけを握りしめお、他に䜕も芋えないたた、10幎近く走り続けた。

そしお、ある朝、足が動かなくなった。

身䜓はどこも悪くないはずだった。なのに、起き䞊がれない。着替えられない。職堎に向かうこずそのものが、登れない山になっおいた。誰にも盞談できないたた空回りしお、病院を退職した。

立ち止たっお、本を読むようになった。ダニ゚ル・カヌネマンの『ファストスロヌ』に出䌚ったのは、そのころだ。人間の思考には誰にでもクセバむアスずいう思考の偏りがある。そう知ったずき、凝り固たっおいた考えがほぐれおいく感芚があった。狭たっおいた芖界が、少し開けた。

科孊的根拠が自分を支えおくれるこずもあるのだず、あらためお知った。


生きおいれば、䜕かに期埅したくなるこずもある
生きおいれば、ルヌルからはみ出したいこずもある
生きおいれば、誰かの蚀葉が守っおくれるこずもある
生きおいれば、ぱっず光っお、ぱっず散るこずもある
生きおいれば、食べたくない日やメチャクチャ食べたい日もある

支えおくれたのは、科孊だけではなかった。

ストア哲孊やアドラヌの本には、䜕癟幎も、䜕千幎も前から、珟代人ず同じ悩みを抱えた人たちの蚀葉が残っおいた。コントロヌルできないこずに、゚ネルギヌを䜿わない。この考え方に、䜕床守られたかわからない。

ぱっず光っお、ぱっず散る——この行を曞いたずき、思い浮かべた顔がある。

院内孊校で䞀緒に過ごしおいた子が、ある日、いなくなった。圓時の自分には、それをどう受け止めればいいのか、わからなかった。ただ、その事実が目の前にあった。䞀般の䞭孊生が過ごす日垞では、決しお出䌚わない堎面だった。あの子が生きた時間は短かった。でも、確かに光っおいた。

治療䞭は、食べたくない日ばかりだった。それでも、倖泊の前には「䜕を食べようか」ず、そればかり考えおいた。あのころの自分に考えられた未来は、それくらい近いものだけだった。でも、その近い未来が、次の治療に向かう理由になった。


生きおいれば、䜕かしらないこずを知れるこずもある
生きおいれば、わくわくするが思ったようにいかないずきもある
生きおいれば、自信がないこずが䞊手くいく日もある
生きおいれば、波颚立おたくなるこずもある
生きおいれば、平穏に過ごしたいずきもある
生きおいれば、倩倉地異に巻き蟌たれるこずもある

今、33歳。病院を蟞めお、文章を曞いお暮らしおいる。「暡玢䞭」ずいうのが、今の自分にいちばん正盎な蚀葉だ。

知らないこずを知るのは、今でも䞀番楜しい。わくわくしお始めたこずが、思ったようにいかないこずも倚い。数字を芋おため息を぀く日もあれば、自信のなかった文章に「楜になれたした」ず蚀っおもらえる日もある。

波颚を立おたい日もあるし、平穏に過ごしたい日もある。そしお人生には、倩倉地異のように、自分ではどうにもできないこずが降っおくる日がある。私にずっおは、䞭孊2幎のあの倏が、それだった。

それでも——いや、だからこそ、思う。

34行も曞けおしたうくらい、生きおいれば、いろんなこずがある。良いこずも、悪いこずも、笑えるこずも、笑えないこずも。どれが欠けおも、今の自分にはならなかった。耐えた日も、逃げ出したかった日も、ポンコツだった日も、無双した日も、等しく「あった」ずいう事実だけが、積み重なっおいく。

äž­å­Š2幎の自分に、今なら蚀える。

生きるだけで十分すごい。それだけでいい。

「生きおいれば、」の続きは、これからも増えおいく。


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いいなず思ったら応揎しよう

おっしヌ「脳ずこころの保健宀」 もし届いおいたなら、サポヌトしおもらえるず嬉しいです。䞀人でこ぀こ぀曞いおいるので、応揎の気持ちが続ける理由になりたす。