
経験で思う「備えあれば」の教え
「耳ビジ📝note部」25日め9月1日のお題は…
☆ 防災 ☆
今日は「防災の日」。
これだけ一気に自然災害が増えてきて、身近でも突然いつ起きても不思議ではないような昨今。それでも「防災意識」は薄れたままかも・・・。この機会にぜひもう一度意識を、という思いで書いてみる。
一番意識したのは、やはり「東日本大震災」だった。
発生時は平塚の新聞販売店時代。停電で信号が消えたしている場所もあり、それでも新聞配達は休めない。たまたま弊社の周りは停電しなかったからよかったが、深夜の作業は大変である。
ガソリンを入れるのも一時大変だった。ガソリン携行缶もいくつも購入。当番で買い出し、給油するという形で対応した。
計画停電も経験したが、停電でも業務は待ったなし。新聞へはさむチラシを調合する折込機や、雨用のラッピング機も動かせる、ガソリンによる大型の発電機を購入した。その後は、毎月の車両点検整備の日程に合わせて、発電機の試運転をしていたが、振り返ると徐々にやらなくなったりだった…。
その新聞店時代を振り返ると、他にも自然災害で二度、大変だった思い出がよみがえる。
一つは2014年の大雪。
雪の度にバイクにチェーンを付けるか付けないか(付けて使うと消耗、装着も手間がかかる&何度も使えない高価なもの)とか常に葛藤があった。バイクでもチェーンを装着して数㎝くらいまでの積雪ならまだ何とかいけるが、20㎝を超えるほどの積雪となると、さすがに無理。
スタッドレスタイヤでも軽自動車が動けなくなり、自分の四駆で牽引に行った。バイクをあきらめ、可能な範囲でみな広域を徒歩で配達もした。思い起こせば、すごいことだ。その配達スタッフを車で迎えに廻った。
思い出すのは、入職後最初バイクの練習に2週間もかかった主婦のパートさん。すっかりバイク配達にも慣れていた頃のあの大雪の日、なんと中学生の二人の息子さんが都合5時間近くの歩き配達の手伝いに!
あの日の感動は今だに忘れられない。もちろん、殊勲賞的なギフトを送った。
もう一つ、それが
2019年10月前半の台風豪雨。
会社が、海に近い雄大な相模川の堤防の近くの立地。決壊の危険で会社エリアは避難指示が出されていた。深夜、一人で会社に残り、命の危険すら感じながら対応したあの夜のこと・・・。
その時のことを当時のミニコミで語っていた。以下に ↓↓
台風19号の直撃が確実視された10月11日朝、相模川の向こう側のいつも参拝している寒川神社と当社の氏神様に当たる八坂神社を参拝。通常、お朔日(ついたち)参りを含めて、「祓い(はらい)のことば」と「感謝」のみをお伝えしているが、今回は「台風からお守りいただき、ありがとうございます」と心を込めて祈念した。
翌12日、終日続く猛烈な雨で相模川が一気に増水。上流の城山ダムの緊急放流予告で緊張が走る。会社一階の重要な物を二階に上げたり、仮の土嚢(どのう)を準備。神奈川県の発表する、近くの神川橋観測所での10分ごとの水位変化をずっと注視し続ける。
台風通過後、一旦横ばいだった水位がダム放流後再度上昇、氾濫危険水位近くに!店舗脇の用水路の水位が過去最高でエントランスのすぐそこまで来て、命の危険を感じる。
日付けが変わった時間帯で上昇が停止して水位が引いていった。もちろん、ずっと避難指示のエリアであるが、避難・待機を解除して、配達出発を指示した!
雨も落ち着いて出社スタッフ全員の出発が一段落した2時台、各避難所へ予備の分の新聞を届けて廻り、スタッフ全員の帰りを待つ。無事終えることができたが、中止する判断などとの葛藤、複雑な思いで疲労困憊、今後への重要な課題となった。
あの日の葛藤は今も心深くにずっと残っている。
台風一過後、すぐに水で膨らむ簡易土嚢など、仕入れに行ったことは言うまでもない。
とにかく、絶対に自然には逆らえない。自然が備えろと教えているのだ。
これだけ、その教えが頻繁に来ている以上、「可能な限り備える」しかないのだ。
何不自由ない時がいかに有難いか…。
今回もあらためての振り返り、今出来ること、やるべきこと、備えの教えをいただいた「耳ビジ📝note部」ご縁に大感謝である🙏
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もわくわく笑顔で最幸の一日に🤗