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Photo byvoice_watanabe

ウガンダで「峠の釜めし」が役に立った日

    「あ、鍋が空いてない……」

    計量カップで米をすくおうとして、
    思わず手を止めた。


    私の朝は、木炭ストーブに火を起こし、
    1日分のハーブ茶を作り、前日の残りの
    おかずを温め直すところから始まる。

    電気がないこの家では、
    普段から鍋でごはんを炊いている。

    その日は副菜をいくつか作っていて、
    いつもごはんを炊くのに使っている鍋には、
    茹でたキャッサバが入っていた。

    どうしよう?

    キャッサバを、
    一旦鍋から取り出して
    お皿に移せば、鍋は空く。

    でも、ごはんを炊くために
    わざわざ鍋を洗うのは面倒だし、
    後でキャッサバを戻すのも、二度手間に感じた。


    しばらく考えた。

    ――そう言えば、あの土釜がある。


    私は、食器棚の方へ向かった。


    食器棚のガラス戸越しに、それは見えた。

    荻野屋「峠の釜めし」の土釜である。


    「あった、あった」

    と思ってから
    ガラス戸に手をかけるまで、
    少し間があった。

    それでもガラス戸を開き、
    土釜を取り出した。


    持ち上げると、
    思ったよりも重かった。


    「ああ、こんなだったな」

    と、手に感じた重さで思い出した。

    蓋のざらつき。
    土釜本体はツルッとした感触。
    思ったより深さのある形。

    見た目以上に、
    ずっしりとした重み。

    そこに、20年以上も前、
    両親と一緒に軽井沢と松本を旅したとき、
    お土産に買ってもらった思い出が重なった。

    私にとって、
    それはただの器というより、触れた瞬間、
    いくつもの記憶がよみがえる物だった。


    「まあ、いいか」
    「これしかないんだから、仕方ない」

    私は、半ば諦めた気持ちでその土釜を
    キッチンテーブルへ持っていった。


    ほんの少しだけ、

    「今日は、これを使ってみようかな」

    という気持ちもあった。


    ――あれがない、これがない

    という時ほど、思いがけないことが起きる。

    それは面白かったり、
    生活の知恵や経験が増えたり。

    後からふり返ってみると、
    いつも私にとって良いことばかり。

    そんなことを、
    ウガンダで10年暮らす中で、
    いつの間にか知っていた。

    だから、その流れに
    乗ってみようと思った。


    その瞬間、今日の昼ごはんは、
    ごはんが主役になる気がした。

    ただ、日本の米に比べると、
    ウガンダのお米は甘さや香りが豊かではなく、
    ごはんそのものを味わうようなお米ではないと
    感じている。

    決してまずくはないが、普段の食事では、
    ごはんの味をそのまま感じ過ぎないよう、
    塩気のあるおかずと一緒に食べている。

    たまに無性におにぎりが食べたくなって、
    塩おにぎりを作ることがあるが、
    塩なしで食べる気にはちょっとなれない。

    だから、そんなウガンダ米が
    食事の主役になるなんて、
    それまで想像したことがなかった。


    土釜で炊くからといって、
    このお米がものすごく美味しいごはんに
    変わるわけがないことも分かっていた。


    それでも、

    「もしかして、土釜で炊いたら、
    いつもとは違うごはんになるかも?」

    という、ささやかな期待もあって。

    この土釜で炊いてみることにしたのだ。


    そう決めてはみたものの、
    肝心のごはんの炊き方が分からない。


    そこで、荻野屋の公式サイトを調べてみた。

    上手く炊き上げるためには、弱火から
    とろ火への火加減が大切だと書いてある。

    土釜が割れることもある、
    と注意書きまであった。

    「えっ?割れる……?」

    火にかけている最中に、突然土釜が
    割れる様子が頭に浮かび、一瞬ひるんだ。


    いつもの木炭ストーブで、
    ずっと弱火〜とろ火を維持したまま、
    最後まで炊き切れるだろうか?

    これはいつも以上に、火加減には
    慎重にならなければいけないと思った。


    水加減にも迷った。

    私は普段、家事の手間をかけないよう、一度に
    2カップの米を炊き、温め直して食べている。

    だから、この時もできれば、
    一度に炊ける分だけ炊いておきたかった。


    荻野屋の炊き方では、
    米の量が「合」で書かれていた。

    普段使っている計量カップの表記を合に
    換算してみると、ニ合は炊けそうだった。

    しかし、日本のお米に比べると、
    ウガンダのお米は水分が少ない。

    柔らかいごはんにするために、
    いつも水を少し多めにして炊いているが、
    必要な水分量を計算してみてハッとした。

    「この水の量だと、きっと
    途中で吹きこぼれてしまう」。

    ニ合は無理そうだ。

    「ということは、夕飯に、
    もう一度炊かないといけないな」

    と思ったが、
    今はお昼に食べるごはんを
    安全に無事に炊くことが最優先だ。  


    効率は悪いけれど、ニ合は諦め、
    一合だけ炊くことにした。


    米を研ぎ、水に浸した。


    火を起こす前に、
    頭の中でシミュレーションをする。


    木炭は、できるだけ無駄にしたくなかった。

    火力が一番強いうちに、お湯を沸かし、
    残りのおかずも温めてしまおう。

    ごはんを炊くのは、そのあとだ。

    この段取りを決めてから
    木炭ストーブで火を起こした。

    先に温めるものを順々に温めていく。


    そして、木炭の火が
    いつもの弱火くらいになったところで、
    ようやく土釜を火にかけた。

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    心配で、その場を離れられない。

    日本では、電気で炊飯器。

    ウガンダに移住してからは、
    木炭ストーブでビタクラフトの鍋。

    初めこそ緊張していた。

    でも慣れてくると、
    タイマーをセットすれば
    ずっと付き添っていなくても
    失敗なく炊けるようになっていた。

    しかし今回は、久しぶりに、
    火加減を見張るような炊き方だった。

    吹きこぼれそうになる、
    その直前はいつだろう。

    木炭ストーブの傍にかがみ込んだ。

    じっと土釜を見つめ、耳を澄ます。


    しばらくして、土釜の中が
    グツグツと音を立て始めた。

    今だ!(これがそのサインだな)。

    すぐに蓋を1cm程ずらす。

    第一関門は、何とか突破したようだ。

    ここで、いつもの相棒である
    たこ焼き器プレートを、
    木炭ストーブと土釜の間に挟んだ。

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    火力はゆっくりと、
    さらに弱くなっていく。


    ずらした蓋を少し戻し、
    タイマーを15分にセットした。

    あとは、待つだけ。


    でも、やっぱり心配で、
    ときどき土釜のそばに戻る。

    木炭ストーブとたこ焼き器プレートの隙間から
    木炭の様子をのぞき、手をかざして熱を確かめる。

    「釜底は焦げないだろうか?」

    心配は続くけれど、
    蓋を開けるわけにはいかない。

    ただ、待つしかなかった。


    15分後。

    本当はダメなんだろうけど、
    ちゃんと炊けているか心配で、
    恐る恐る蓋をゆっくりと持ち上げた。


    湯気がふわりと立ちのぼる。

    白いごはんが見えた。

    ちゃんと炊けているのが分かった。

    いつもは感じないはずの、
    米の甘い香りもしたような……。

    そっと蓋を戻し、蒸らしに入る。


    「さて、盛り付けはどうしようか?」

    と思ったとき、ふと、
    前夜に偶然YouTubeで観ていた
    『美味しんぼ』を思い出した。

    それは「丼 VS のり巻き」の話で、私は

    「丼って、日本文化なんだな」

    と、今さらながら面白く学んでいた。


    「せっかくなら、土釜との
    “日本つながり”で丼にしてみよう」


    気楽に持てて、気も遣わない、
    そんな普段使いのお椀ではなく、
    あえて丼を選ぶことにする。


    今日の昼ごはんは、ごはんが主役になる。

    そう予感していたから、
    そのごはんに相応しい器を合わせたかった。


    普段ほとんど使っていない丼は、全部で5つ。

    移住するときに持って来た美濃焼(みのやき)で、
    食器棚の奥に重ねてしまってある。


    これも正直、取り出すのは少し面倒だった。

    手っ取り早く、
    一番上の丼で済ませることもできた。

    それでも気づけば、
    キッチンテーブルの上に全部出して、
    一つずつ手に取っていた。


    「どれがいいかな?」

    どれも美しい模様だった。

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    でも、この日の主役はごはん。

    目立ちすぎない、
    控えめな美しさを感じた器を選んだ。


    蒸らし始めてから15分後。

    土釜の蓋を外し、
    しゃもじで底の方から混ぜた。

    ごはん全体が、ふっくらしている。
    釜底は、全く焦げていなかった。

    「ちょっとだけ、お焦げがあっても良かったな」

    と思いながらごはんをよそって、
    その上にトマトと豆の煮込みをかけた。

    なんてことない、
    ウガンダの家庭のおかずである。

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    リビングのテーブルに運び、
    ソファに腰をおろした。


    「いただきます」

    いつも通り、一人で手を合わせ
    豆とごはんを一緒に口に運んだ。

    不思議と、いつもより美味しく感じられた。

    30分ほどで、食べ終わった。

    キッチンで土釜と丼を洗いながら、
    その重みが手に残っていた。

    「あ〜あ、あんなに時間をかけたのに、
    食べてしまえばあっという間だな」。


    美味しさや感激を、誰かと
    分かち合ったわけでもない。

    完全に、私のためだけの時間だった。

    それでも、なぜか私は満ちていた。


    普段の私は、毎日の食事では、
    効率を優先している。

    この日はたまたま、いつも炊飯に使っている
    ビタクラフトの鍋が空いていなかった。

    他に鍋もなく、この土釜しかなかった。

    だから、仕方なく選んだ。

    その場その場で考えながら、
    一つずつ決めていっただけに過ぎない。

    気づいたときには、
    食べればたった30分で終わる昼ごはんに、
    あれだけの時間をかけていた。


    30分のお昼ごはんを大切にできたこと。

    それよりも、30分のお昼ごはんを
    大切にできる自分でいられたことが、
    ちょっと誇らしく、うれしかった。


    土釜は再び、食器棚の奥へ戻った。

    今日も私は、ビタクラフトの鍋で
    一度に2カップのごはんを炊き、
    朝晩温め直して食べている。

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    何者でもなくなった無価値感の中から「新たな命の使い方」へと導かれたウガンダで、地域の価値が収入に繋がる仕事を育てながら、人々が自分の生き方と地域に誇りと希望をもてる未来づくりプロジェクト「ShineOn」に挑戦中。自身の経験と挑戦から「命をどう使って生きるか」の本質と実践を発信。

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