
十四年と六年
今度七月が来ると六年。僕の肉体が消えてからそれだけの時間が経った。僕は今、かあさんの寝室にある棚の上にちんまり収まっている。寂しがり屋だから、先輩のDDさんとくっ付けてもらった。毎日、朝晩、かあさんも撫でてくれる。僕は甘えん坊でもある。僕の姿が消えた最初の頃、かあさんは「一緒に居た時間より、一緒に居られない時間だけがどんどん増えていく。それが悲しい」ってずっと泣いていた。
僕は生後二ヶ月でかあさんのところに来た。それ以来ずっと一緒。僕が居なくなってかあさんはひとりぼっちになった。僕の先輩DDさんを含めると二十五年以上僕たちと一緒だったから、そりゃ寂しかったと思う。でもね、正直、僕も恐ろしかった。コロナ禍が始まった頃、リンパ腫っていう病気になってね、大好きだったごはんがだんだん食べられなくなった。お姉ちゃんが獣医さんだったこともあってね、他のみんなより沢山の検査や注射、お薬もいっぱい試したんじゃないかな。治らない病気だったから、なんとか長く命を繋ごうとしてくれたんだと思う。元々細かったのが、更に、更に、がりがりになっていったからね。
僕はビビりでもあってね、注射、点滴、抗がん剤…どれもみんな辛かった。電車に乗って病院に行くのも怖かった。元気な時も踏切には絶対に近づかなかったくらいだよ。毎日、薬を飲むのも嫌だった。だって、吐き出しても、吐き出しても、無理やり口に押しこんでくるんだから。でも僕は諦めが早かったからね、なんとか耐えた。だから、もう通院も服薬も止めていいと言われた時、正直ホッとした。これからは怖い思いをせずに、家でゆっくり過ごせるからね。
食いしん坊だった僕は、もう何も食べられなくなった。大好きだったちゅーるも焼き芋も。水も飲めなくなった。昼間は、かあさん特製の覆い付きベッドで過ごし、夜は、いつものようにかあさんと一緒のベッドで寝た。最後の晩、僕の目からだんだん力が消えてゆくのに気づいたんだろうね、僕が寝やすいベッドの横でかあさんも横になっていた。手を伸ばして僕の身体に触れていた。かあさんがうとうとし始めたその時、僕は逝くことにした。
はっと目を覚ましたかあさん。僕が全ての活動を止めていたことに気付いた。僕の身体に触れ、瞼を閉じさせ、静かに泣いた。「手の中で逝かせたい」というかあさんの最期の願いは叶わなかった。最初、「一人で行かせてしまった」と自分をひどく責めていたけど、やっと気付いてくれたよ。トイレでうんちするのも見られたくなかった僕がだよ、こんな深刻な場面を見せるわけないでしょ。
そのあと、かあさんは目まぐるしく動いた。お姉ちゃんやお兄ちゃんに連絡と今までのお礼を伝えた。ペットの葬儀社に電話して昼に火葬する段取りをした。僕が眠っているベッド以外の品をバタバタと片付けた。駆けつけてくれたお兄ちゃんたち家族と一緒に僕を見送った。僕は灰になった。
それから、かあさん、何を思ったか孫ちゃんとバースデーケーキを買いに出かけた。なんでも今日は僕の第二の誕生日になるらしい。今日から僕の新しい生活が始まったんだって。先に宙に還ったDDさんが僕の面倒を見てくれるそうだ。寂しがり屋、甘えん坊、そしてビビりの僕には心強い先輩。そして、こうも言ってた。「虹の橋とかで待ってなくていいから。DDと一緒にどこでも好きなところに行って、いっぱい遊んで、美味しいものをいっぱい食べるんだよ。私がそっちに行った時、必ず、自分で見つけ出す。」
僕が地球で生きて十四年、宙に還ってもうすぐ六年。かあさんはちょこちょこ楽しみを見つけたようだ。それでも、僕たちのことを思い出すといまだに涙が止まらない。毎日、朝晩、写真を見て僕たちに話しかける。It’s automatic—そう開き直って、この生活を変えようなんてこれっぽっちも思っていないみたいだ。