本能寺の変 最大の謎!信澄は光秀の共犯者?【豊臣兄弟26話】
歴史的には、完全に濡れ衣と決着がついている、「織田(津田)七兵衛信澄共犯説」
この決着に正面から異を唱え、一次史料を再考することで事件の真相に迫ります。
「信澄が絡まないと事件が起こらなかった」という確信の下、情報を重ね、独自のロジックを構成しました。
「今週の蘊蓄のコーナー」で熱く語りたいと思います。
御一緒にこの謎について、推理を巡らしましょう!
今週のトピック・薄口速報版
・信澄、ブラック路線でいくんだ 被るかな?
・秀吉が信澄救済に動く動機が不明瞭だな
・いきなり秀勝登場か、扱い難しいよ
・唄と踊り、執拗だな 稽古大変だった?
・信長、どんな世にしたいか分からん?
そんなこと言わないでよ 散々他国を侵略して犠牲者が出てるんだから、理想無き天下一統
かっかりさせないでほしいな
今週の蘊蓄・推論
1 信澄謀反の理由
信長に謀反を起こし殺害された同腹弟・信勝の子息
明智光秀の娘婿
信長に才を認められ、琵琶湖畔要衝の大溝城を任され、子息同様の待遇を受けていたが、出自から常に疑われる立場でもあった
2 濡れ衣説の根拠を斬る
説の根拠となる一次資料「家忠日記」

事件当時の記載を時系列で並べる
・ 本能寺の変翌日、6月3日
明智日向守、織田七兵衛(信澄)謀反にて、信長自決
・翌4日
七兵衛殿謀反は誤報だった
これが「信澄謀反は濡れ衣」説の根拠とされる
名前も賊としての呼捨てから、敬称付になり如何にも無実っぽい記載
しかし、信澄が謀反の疑いで殺害されたのは、さらに翌日の5日、大阪(当時は大坂)に於いてなのだ
つまり家忠の記載は、
「信澄は光秀と一緒に本能寺の信長を襲ったメンバーではない」
という情報に過ぎない
大坂決起で謀反に加担した可能性までは否定できないのだ
本能寺を襲ってないからシロ、というとんでも無く飛躍した論理は筆者には到底、受け入れ難い
後日纏めて書いたから、という尤もらしい説も見たことがあるが、それならなぜ、
3日に謀反、七兵衛と呼捨て、
4日に誤報、七兵衛殿と敬称付け
と書き分けたかを説明できない
当日の記述で間違いないと思われる
3 大坂の四国軍の謎
「光秀は武将が各地に転戦した畿内の戦力不在を狙って謀反を起こした」
これも定説である
しかし多くの研究者は京と目と鼻の先の大坂に、四国の長宗我部元親討伐の為、信長三男・信孝を総大将とする1万4000もの兵力が集結済みであった事を過小視している
畿内には戦力不在どころか、1万3000の光秀軍を上回る兵力が存在したのだ
すぐに京に攻め上り互角の戦いに突入、その間に各地の方面軍も帰京、光秀が包囲される
しかも総大将は信長の三男・信孝
敵討ちの大義に諸将が従うのは必定で光秀に全く勝機がない
では、何故そんな状況下で光秀は謀反に踏み切れたのか?
この四国軍を無力化する仕掛が存在したからだ
4 大坂の保険〜光秀の娘婿・信澄
信孝を総大将とする四国軍には副将三人が与力として付いていた
・宿老の一人、丹羽長秀
・元黒母衣衆、岸和田城主、蜂谷頼隆
・そして信孝の従兄弟、信澄
本能寺の変の時、信孝と長秀は頼隆に招かれ岸和田城で渡航前の会食を開き滞在中(宇野主水日記など一次資料多数)
四国渡航の前進基地である、石山本願寺跡の大坂城に大将格は、信澄一人の状況

ここで信澄は、光秀派である正体を現したに違いない
だから四国軍の兵はパニックとなり、逃亡四散し、1万を超える兵が半分以下に減少した
信長の死に加え、城内の信澄が光秀方であるとの一報で、手品のように四国軍は半減し、活動を停止した
光秀の掛けた保険は有効に作動したように見えた
5 信澄の誤算と失敗
① 信澄は織田家連枝の格付と、大溝城を持つが所領は数万石の小大名に過ぎず、家臣団も信長が付けた与力中心で謀反には使えない
② そこで変に備えて大量の浪人兵士を雇った
当時は石山本願寺の退去、荒木村重謀反の鎮圧で、摂津は浪人で溢れ、雇用は容易だったと思われる
③ 出典の多くは江戸期の軍紀だが、複数の史料に浪人雇用の記録があり、
信澄の子孫が残した系図にも記載がある
そして二次史料だが、関係者へのインタビューを基に書かれ、歴史的評価がある(特に本能寺の変と秀次事件に関して史料として使われる)、川角太閤記に「信澄が三千人の兵を集めた」
と記載あり、信澄が変に備えた事が分かる
信澄の役割は信孝の補佐で、戦働きではない
確実に信澄はクロ、確信犯だ

④ 人数に多少の誇張があっても兵の大量雇用があり、軍勢で溢れ返った大坂城内には入れず、城下に屯する事で人目を引く結果となった
⑤ 四国渡航と傭兵は相性が悪い
忠誠無く金目当てで、退路が無い四国渡航?そして長期化が予想される戦である
信澄の数万石の身上で、千人以上の傭兵を長期維持するのは経済的に困難
光秀から資金援助の可能性は高い
⑥ こうして悪目立ちする軍勢を急拵えした信澄に、猜疑の目が向けられたであろう
「信澄さまは、大坂で人数を集めて何をする御つもりだろう?」
元々、警戒される謀反人の子だ
⑦ そこに本能寺の変の知らせ〜舅の光秀に呼応するつもりだ!
パニック状態となり、多くの兵が逃亡したが、信孝らは冷静に対処した
信孝が混乱に陥ったと表現されることが多いが、単に大坂不在で、和泉の岸和田から戻ったことを考慮すると迅速な動きだ
⑧ 大坂城守備兵も門を閉して、城外の傭兵部隊を遮断
大坂城に駆けつけた信孝らの登場に、雇主と遮断された傭兵達の多くは逃亡、掃討されたであろう
城内に入れない程の人数を集めた事は完全に裏目に
⑨ 僅かな近臣と城内で孤立した信澄は、千貫櫓に立て籠り2日間粘るも自刃を余儀なくされ、近臣2名と共に首は堺に晒された

弁明の余地なく殺害された悲劇、との歴史記事をよく目にするが、2日間に渡る櫓籠城と、降伏弁解の時間はあったのだ、本当にシロならば…
謀反故に妥協の道はなかった、と考えるしかない
まして思慮深さに定評のある長秀が、根拠もなく主筋の一門衆を成敗出来ない
信澄の傭兵を駆逐した際に、明確に謀反を確認出来たのであろう
信孝と長秀に躊躇いが見られない
6 信澄決起の評価・影響
失敗に終わった信澄の決起だが、その後の展開に様々な影響を与えた
① 最大のミスは、後に山崎の戦いに総大将となる信孝が温存されたことである
秀吉だけでは、諸将の糾合は無理だった
信長の首級が手に入らなかったことと並び、
信孝に「父の敵討ち」の大義名分を許したのは光秀にとって致命傷となった
リスクを犯しても、信孝暗殺から決起を始めたら、結果は違っていた
② 四国軍を半壊させ、大坂に1週間余り釘付けしたという点では成功である
光秀はその間に、
・京の市政復活
・朝廷工作
・京の背後、近江に勢力拡大、安土城の金銀を奪取
等の手を打ち、政権基盤を作った
但し同盟工作は頓挫し、京防衛を後回しにした事で、予想外の速さで登場した秀吉への対応が後手に
その陰で信孝も求心力を取戻し数千まで軍団を復活させた
それらは信澄決起の評価を損なうものではない
③ 筆者は、「本能寺の変により長宗我部を守った」という議論には与しない
渡航中止はあくまで、結果論だ
信長襲撃の日程上、渡航直前の謀反となったが、本当は一旦渡航させた方が、更にパニックに追い込めただろう
敵地で信長の死を知り、兵站に目処は立たず、敵に寝返りが続出、渡航船を返した後なら完全に詰んでいた
四国防衛のための本能寺の変ではなく、四国軍の無能化が本件の肝要である
7 おわりに
従来語られた、若い無実の貴公子が疑心暗鬼の犠牲となり散っていった…という物語は美しく、悲劇のヒーロー感があります
しかし非情な戦国期において、謀反人の子に生まれながらも生き延び、頭角を現した信澄が、ただただ時代に翻弄されるだけの存在だったとは思えません
本記事の事件再考によって、歴史の闇に消えた貴公子の戦略、それを感じていただければ、筆者の喜びです
光秀の謀反にとって分岐点となった大坂の悲劇、今後の研究進捗を願うものです
また大河ドラマの信澄に対する解釈と、信澄役の緒方敦さんの熱演を見守りたいと思います
次週もご覧いただきますよう、お願い申し上げます
