シーリングライトカバー鎮座事件―何かが、いた夜
その夜、家の中に、気配があった。
音でも、視線でもない。
ただ、何かが「そこにいる」と感じる、説明しにくい感覚。
リビングのテーブルに、丸い白いものが現れた。直径60センチはある。
何が起きたのか理解できなかった。
シーリングライトのカバーだと気づくまで、わずかな間があった。
それは、書類の山の上に、何事もなかったかのような顔で鎮座していた。
割れても転がってもいない。
事態を飲み込めずに見つめていると、「何か?」とでも言いそうな落ち着きぶりだ。
不思議さのあまり、取付け直すことすら思いつかず、その場を立ち去った。
そして深夜、トイレに起きた私は、掃除機の中継ぎホースに躓きかけた。
硬くて曲がらないそれが、まるで抗議の座り込みをしているかのようだった。
罠ではない。抗議だ。
就寝前には、絶対にそこにはなかった。
偶然だ、気のせいだ、と説明しようと思えばできた。
でも―。
思い当たることはあった。それに違いないと思った。
家に入れなかった理由
その頃、私は、継母の位牌を家に入れず、玄関の外に置いていた。
数日前、四十九日の法要で、それを受け取ってしまったからだ。
それまで寺で預かってくれていた位牌入れを、ご住職が淡々と差し出してきた。
断る理由が頭に浮かぶ前に、手を伸ばしてしまった。
帰り道、怒りがじわじわと湧いてきた。
どうして、あの人の位牌を、私の家に置かなければならないのか。
返す、捨てる、壊す、燃やす。
考えは過激な方へ転がっていった。
けれど、どれも選べなかった。
玄関の外という、ひとつの居場所
家の近くまで来たとき、ひとつ思いついた。
「中に入れなければいい」
私は位牌入れから、継母の位牌だけを取り出し、玄関外のパイプスペースに置いた。家の中ではない、けれど屋内ではある。
衝動的な想像に比べれば、ずいぶん理性的な選択だったと思う。
いい気味だ、という気持ちは少なからずあった。
同時に、小さなとげのような罪悪感もあった。
そして現れたのが、シーリングライトカバーと掃除機ホースである。
出てくるなら、準備はできている。
不思議なことに、怖さは感じなかった。
出てくるなら、出てくればいい。
座らせて、言うつもりだった。
長いあいだ飲み込んできた言葉を、全部。
数日後、さすがにこのままではいけないと思い、その処分について調べた。
継母の位牌はお寺に預かってもらい、先祖代々と実の両親の位牌はお焚き上げしてもらう。
現実的な結論だった。
取り違えのわけは…
決めた翌日、玄関外の位牌を取りに行った。
袋から出しかけて手が止まった。
……え?
そこにあったのは、父の位牌だった。
瞬間、戒名の漢字が踊った。そんなはずはない。
確かに継母の名前の一字があったのに。
玄関の鍵を開けるとき、時折漂う禍々しい気配に、その人を感じていたのに。
ちゃんと選んだはずだ。
手が震えているのか、何度見直しても、読めた気がしない。
どうして?という言葉が、頭の中で反響した。
数秒後なのか、数分後なのかわからない。
マンションの廊下を、誰かが歩いていった。
ともかく家の中に入ろうとドアに手をかけたとき、
別の思いが浮かび上がった。
母が亡くなってから、ほどなくして始まった継母との交際。
3年も経たぬうちの再婚。
私は主婦から居候になった。
もちろん、実子との扱いが違うだろうことは、ある程度覚悟していた。
だが、それだけではなかった。
「あなたの長い髪が落ちている」
何ヶ月も前からショートカットだった私に、継母はそう言った。
驚きと怒りを覚えながらも、何を言ってもこの人には伝わらないとやり過ごした日々。
父はそれを見ていたはずなのだ。
なぜ、黙っていたのだろう?
父も苦労したのだから再婚は仕方がない、と理解したつもりだった。
けれど、せめて文句くらい言ってもよかったのではないか。
初めてそう思った。
座れない相手への説教プラン
法要の日、ご住職と少し話をした。
それなりに事情を知っている人だった。
”大人のフリ” は辞めようと思った。
「化けて出てくるのを待ってたんです。
そこに座れって言って、全部言ってやろうと思って」
ご住職は、一瞬の戸惑いのあとで言った。
「ああ、座るのは無理ですね。幽霊には足がないので。」
「あ、確かに。盲点でしたね。
じゃあ脚立を用意して、上から説教します」
二人で笑った。
出なかったものと、片付いたもの
幽霊は、結局、出なかった。
待ち構えていたけれど、出なかった。
思えば、シーリングライトのカバーと、掃除機の中継ぎホースは、
あの父ならやりそうなことだ。
取り違えられた位牌の方は、誰の采配だったのかわからない。
実の母のささやかな、私のための意趣返しだったら愉快なのに。
これは怪談でも不思議な話でもなかった。
その裏側で起きた、ちょっとした片づけの話だ。
片づいたのは位牌ではなく、長いあいだ心の押し入れに紛れ込んでいた――
誰の助けも期待できなかった痛みと、父に対する失望だった。
干からびたそのわだかまりを捨てると、少し風通しが良くなった。
