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23歳で両親に注文住宅をプレゼントしたら爆死しかけた話


#創作大賞2026 #エッセイ部門 #はじめてのnote #税金 #家族 #戸建 #新築 #お金について考える

郵便受けの中から、広告チラシの下敷きになった納税通知書を発掘すると、指でビリビリと開封した。
固定資産税や住民税やらを〇月30日までに払えという無機質な通告だ。私はリマインダーアプリに「〇月29日 コンビニで税金支払い」と入力し、封筒をカバンの奥底にしまった。

私は高校卒業後、すぐに就職して家を出た。
運良く入社できたのは寮付きの会社。寮は古かったが、ベランダから気持ちのいい海風が運ばれてくる場所で、一人暮らしするには充分な環境だった。

転機は23歳の時に起きた。久しぶりに両親の住む都心のアパートで夕食を済ませると、普段はおしゃべりな父が神妙な顔つきで切り出した。
「人生の最後を、地元で過ごさせてくれないか。」
「えっ?」私はスマホから顔を上げる。
「頼む、こんなーーーこんな、ところで…終わりたくない。最後は地元で終わりたい。」
言いながら父の顔がクシャクシャになっていくのを見て、私は動揺した。今すぐに笑顔にさせたくて、つい言ってしまったのだ……
「大丈夫。私が地元に家を建てるよ。」
視界の端に、震災の時からひび割れたままの天井が映っていた。前に帰って来た時よりもヒビは大きくなっていた。

それから、あれよあれよという間に家が完成した。「私が建てる」なんて大口を叩いたものの、社会に出て数年しか経っていない小娘に出来ることはあまりなく、住宅メーカーや工務店と連絡を取り、打ち合わせをして……銀行の審査を受けて何とかローンを組んで……小難しい手続きはだいたい父に任せた。
月々のローンは両親と折半し、固定資産税や光回線の料金などは私が支払うことにした。
今後は、高齢の両親ではなく、私がこの家の稼ぎ頭になるだろうと思ったので不満はなかった。難しいことは何も分かってはいなかったが、手続き中に様々な人から「若いのに凄い」「偉いのね」と声をかけられ、また、土地やら建物やらの所有権を示す書類に自分の名前が入っているのを見て、何か大きな事を成した気がして嬉しかった。

丁度良い時期に転勤が決まったので、新居で再び両親と同居を始めた。場所は、私が幼い頃に家族3人で住んでいた地元。都心からは距離があり、夏の夜にはカエルの大合唱が聞こえるようなところだったけど、高齢な両親がのんびりと暮らすには充分だった。私にしてみても、天気のいい休日に広い庭で寛げる生活は悪くなかった。ただ、この頃から父は目に見えて体調を崩しがちになっていた。


癌だった。

そもそも、あの日_父が地元に帰りたいと言った日には、既に癌の事がわかっていたそうだ。痛む体を引きずりながらも工務店や銀行と打ち合わせをしていたとは、流石気丈な父らしい。気丈なことは結構だが__…
私はその時初めて、家を建てることの重みを知った。ずっと浮かれ気分で、自分の身に降りかかる責任に実感を持てていなかった。
もしこのまま父が床に臥せったら、この家の家計は私ひとりで稼がなければならない。そんな事が出来るんだろうか?
背中にヒヤリとしたものを感じながらも、「お父さん、体痛いの大丈夫なの?」と聞くと、「気力があるから大丈夫だ。まあ、お前には少し苦労をかけるが・・・」と父は言った。
弱気な父を見て、私は「私がいっぱい稼げば良いから大丈夫!」と見栄を張った。


今後のやりくりについて悩んでいるうちにまた転勤が決まった。新居から通勤できる距離では無いので、二度目の一人暮らしになる。
一人分の生活費に、住宅ローン、固定資産税。更に父の医療費もかさみ、毎月カツカツになった。
少しでも節約するためにキッチンの無い安部屋に住んだけれど、それでもまだ財布は心許ない。食費を削り、朝食は朝にカロリーメイト(小さい方の箱)1つ、昼におにぎり1つ、夜にプロテイン1杯かゆで卵ひとつで過ごしていた。
生活に余裕が無いためか心にも余裕がなくなり、数少ない友人に無意味に当たり散らかして傷つけ、馬の合わない上司の機嫌をとることも億劫になった。
一度目の一人暮らしの時は、両親とよくビデオ通話をしていた。
夕飯時にその日あったことなんかを喋ったり、お互いが家事をする様子をただ垂れ流したりするだけのビデオ通話。それは当初、生活の息抜きになっていた。でもこの頃、ビデオ通話で話す内容は、あまり直視したくない現実的な話になっていた。
「医療費がまたかさんだからもう少し援助をしてほしい」という話をされる度に、ビデオ通話の背景に住み心地の良い新居が映る度に、苛立ちを感じるようになっていった。
私ばっかり頑張っているんじゃないか?給料日になれば、同僚は推しだのお洒落だの、好きなことに好きなだけお金を使えるのに、私の給料の殆どは税金とローン、医療費に消えていく。お腹が空くから、YouTubeで大食い動画を見て食べた気になってやり過ごす。こんなに頑張っているのに、この努力をお父さんお母さんは分かってるの?…

「家なんて建てなければよかった。」
ついこぼした独り言にゾッとした。
建てなければよかった?
自分から建てると言ったのに?
あろうことか、両親を逆恨みしている自分に気づいた。家を建てるという、人生をかけた重大な計画を、後悔しそうになった。
自分が愚かすぎて動悸がする。そもそも、父が地元に戻りたいなんて言わなくても、最初から私の意思で家をプレゼントするつもりだったのに……。

見ないふりをしていた後悔の気持ちに気付いた時、同時に、古い記憶を思い出した。
両親に家をプレゼントしたい。そう初めて思ったのは小学生のときだった。当時地元で一軒家に暮らしていたが、父の仕事の都合で、家を売らなければならなくなった。
幼かった私は、家が無くなる悲しみは一切なく、寧ろ新天地はどんな場所なんだろう、都会に行けたらいいなとワクワクしていた。
能天気に「お父さんお母さん、新しいところ楽しみだね!」というと、普段は笑顔ばかり見せてくれていた両親は目をそらすようにごめんねと呟き、そして抱きしめてくれた。いつもより腕の力が強かった。
お父さんお母さん、よく分からないけど、私が家を建ててプレゼントしたら喜んでくれるかな?

それから、心の隅に「いつか家を建てる」と目標を掲げて生きてきた。
子供なりに考えた家を建てる方法は3通りで、
①医者など、高収入の仕事に就く。
②美術系の作家になって、作品で大儲けする。
③ローン審査の通りやすそうな信用のある仕事に就いて、ローンを組む。
とはいえ①②は、あまりにも自分の能力からかけ離れており不可能だったため、③の作戦で家を建てることにした。

結果的に、目論見通りの仕事に就職しできたので、さあこれからしばらく貯金して余裕ができたら家を建てるぞーーー 、と思っていた。

けれど、細部まで計画通りに事が進むとは限らないものだ。計画よりも随分早く、随分少ない貯金額で私は家を建ててしまった。
せめて30代になるまで待てばよかった。
余裕のなさが、「こんなに頑張ってるのになんで助けてくれないの」という苛立ちに変わり、その矛先を両親に向けた。
ビデオ通話で金銭の相談を受ける度に、苛立ちを言葉にしそうになった。それでも、すんでのところで言葉を飲み込む事ができたのは、かつての別の思い出が邪魔をするからだった。

私の邪魔をするのは、家を売ったばかりの時期に、都心のアパートに引っ越してからの生活に不自由がないよう、両親が全力を尽くして私を守ってくれていた記憶。
エピソードはいくつもあるけれど、その中でも特に色濃く思い出す忘れられない昼食がある。
それはスーパーの冷蔵品コーナーにある、レンジで温めて食べるタイプの薄いピザで、両親と分けて食べたのだった。両親はまず私に「家事をしているから、先に食べてて」と言った。私がピザを3分の1くらい平らげた時、父と母はようやく1切れずつピザを取ってこう言ってくれた。「お腹がいっぱいだから、後は食べてくれる?」私はそれを言葉のまま受け取り、残りを全部平らげた。両親は優しく微笑んでくれた。



両親の前で飲みこんだ愚痴は、自虐的な笑い話として知人友人に何度も披露した。
誰かに愚痴を聞いてもらわないと不安が体を埋め尽くしてしまいそうだったから、親しくない相手でも構わず自虐を話した。
それでも晴れない最悪な気分を誤魔化そうと酒を飲みすぎて、肝炎になった。二日酔いの頭で、このままでは本当に破滅してしまうと感じた。


肝炎が落ち着いて普通の食事が取れるようになった頃、上司が食事に誘ってくれた。今度の異動で部署が分かれることになったので、最期におしゃれな中華屋さんで、創作麻婆豆腐をご馳走してくれたのだった。
この上司はいつも私の指導をしてくれるうえに、自虐を笑い飛ばしてくれるので大好きな人だった。
食事をしながらいつものように自虐混じりの雑談をすると、上司はころころと笑ってくれて「まあ、色々と苦労はあるようだけど。春からも頑張ってね。」と、軽く言ってくれた。
重すぎない温度感で応援してくれる言葉が、この時の私には何よりありがたかった。

親切な人に話を聞いてもらうことで、不安な気持ちを紛らわせつつ生活を続けた。金がないことに変わりは無いが、食事の量にも慣れたし、__両親と昔のように雑談の電話をかけられないこと以外は__普通に過ごしていた。

ある日の残業中、先輩にこう言われた。「君はさ、自己中だよね。」私はあまりにも突然罵倒されたので、「はあ?」「どこがですか」と言った。
先輩は私の苛立ちに気づいたのか場を和ませるように優しく、しかしはっきりと断言した。「君は、いつも自分勝手だ。他人の事とか、どうでもいいんでしょう。もっと相手の気持ちに寄り添ったらどうかな。」それじゃお先に、と言いたいことを言えてスッキリしたという顔で先輩は帰ってしまった。一体何なんだ。私は悔し紛れに先輩が出ていったドアを睨みつけ、業務を再開した。

とっぷりと暗くなった夜を歩きながら、先輩の言葉を反芻する。自分勝手と言われて、まず社内懇親会を欠席しがちなことが原因かと思い至った。それなら先輩の言い分も理解はできるが、しかし、それだけが原因でわざわざ本人に注意するだろうか?本当は、それ以外に反省すべき点があるということだろうか?
先輩にも私が家を建てた経緯などは話したことがあるから、普段私が如何に
努力して家族へ献身しているか知っているはずなのに、よりにもよって「自分勝手」だなんて、なんでそんな酷いことを言うんだろう。私のことを、ちっとも分かってくれていない。

家に着き、コンビニで調達したばかりのホットスナックを頬張る。温かい食事を飲み込むと、カサついた心が少しばかり癒されるような気がした。
ふと、自分勝手とは、誰にでも自虐を話しすぎていることを指しているのか?という考えが頭をよぎった。
そうかもしれない。
自虐を笑ってもらえれば、この悩みは大したことのないんだと感じられ、心が軽くなるからとはいえ…誰彼構わず話しすぎた。
自分は弱音を吐いてスッキリしていても、周りにしてみたらどうだったろう?大半の人は自虐を言えば笑ってくれたが、中には聞きたくもないことを聞かされて良い迷惑だという人もいたかもしれない。
そもそも、最近両親に苛立ちを感じてしまうことだって、自分勝手だった。家を建てるという、自分の計画が理想通りにいかないなか、現状から救ってくれない両親に怒っているんだから。


私は、子供みたいに自分勝手だった。精神的に親離れができておらず、_両親・知人友人含めて_いつも誰かに助けてもらいたがっていた。
これから30代になって収入が増えていっても、金銭的な不安は少なからず残るだろう。でも今、未熟な自分に気付くことができた。
だからこれから、助けを求めてばかりの子供から、真の意味で自立した大人になれるよう努力しようと強く思った。


スマホのリマインダーアプリには、いつかに設定した「〇月29日 コンビニで税金支払い」という文字が映っていた。
期限まではまだ日がある。
私はそれをスワイプして、カバンの奥底から少しよれた封筒を取り出すと、コンビニに向かった。


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