1人じゃ生きられないと思った#1
1人では生きられない、いろんな人に支えられていると痛感した話。
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1歳のわが子が今朝、喉にかぼちゃを詰まらせた。
いつもより大きめ(1㎝弱)に切られたかぼちゃを、朝ごはんの一口目に私が子の口に運んだ。その0.5秒後にわが子はむせ始め、嗚咽も始まった。
頭がクリアな時なら、かぼちゃをもう少し小さめに切っていた。
頭がクリアな時なら、一口目にはまずやわらかいおかゆからあげていた。
頭がクリアな時なら、子どもに自分の手で食べさせていた。自分の手なら、何を掴んでいるのか、感触や大きさをちゃんと確かめられただろうに。かぼちゃを2回に分けて食べていただろうに。
今朝はなにも考えていなかった。頭が働いていなかった。
やばい、
と思ってハイチェアに座って顔を真っ赤にしている子どもを引き上げ頭を下げて背中を叩いた。
必死だった。
やばい、やばい、やばい。
おそらく、20秒も経っていなかったかもしれない。しかし、その20秒がその時の私には数字に表せないくらい長く感じた。自分の視界から色が失われたようだった。
喉に詰まったかぼちゃは吐き出され、子どもの表情と顔色は戻り、
「ダッ、ダッ」といつものように喋り始めた。
食卓を指さし、ごはんが食べたいと訴えている。
無事で良かった…と思いつつ、私の鼓動はまだまだ速い。
子どもはいつもの様子に戻ったが、1分おきくらいに咳が出ているし、口の周りもなんとなく青白い、唇もなんとなく紫っぽい…リビングの照明の色じゃわかりにくくて照明にイラっとする…しゃらくせぇとバスルームに移動して確認してみる…うん、まだ少し紫だけど、顔全体の色はほんのりピンク色でいつも通りだ、あと少し待てば唇ももとに戻るかも、とりあえず様子見…。指は?ピンク、オッケー…。機嫌は?めちゃ良い、オッケー…呼吸もいつも通り、変な音も聞こえない、大丈夫、オッケー…。声も出ている、オッケー…。
とにかく、安心材料をひとつひとつ集めて、大丈夫、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせて鼓動のスピードを緩めていった。
この間、上の子がなにかいろいろ話しかけてきていた。
「マミー?%$#&!*%$」
「マミー?#$%@!&*%」
「マミー?@#$%&*!&」
私に何かを話しているのは分かっていたが、内容がまったく入ってこなかった。上の子に申し訳なかったが、返事できる余裕が1㎜もなかった。
1歳わが子の唇の色は10分もしないうちに濃いピンクに戻ってきた。
ただ、まだ時々咳をしている。咳の感覚は1分刻みから5分間隔、10分間隔と回数を減らしているが、続いている。
”今日、保育園の日なんだけど、どうしよう…
まだ小さな塊が気管にあるかもしれないな…
保育園に行ってからもし何かあったら…
超元気なんだけど、休ませようかな、どうしようかな…”
私はずーーっと自問自答していた。
実は、1歳わが子は生後8週間でRSウイルスにかかり約1週間入院したことがあるのだ。
呼吸状態が急激に悪化したわが子を救急に連れて行ってそのまま入院となったのだが、その時の映像が今でも色濃くとても鮮明に私の脳裏に残っている。だから、子が風邪を引いたりすると私は非常に慎重になるし、今朝もそうだった。普段の様子に戻ったからと言って楽観的にはいられなかった!
目の前のわが子はいつも通り元気でいるけど、心配だ、保育園いけそうだけど、心配だ。どうしよう…?
とりあえず夫に相談し、休ませることにした。
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なんとか落ち着きを取り戻し、上の子を送りに保育園へと向かった。4歳わが子をドロップオフし、1歳わが子と車に戻ったときに先生が1人私たちのもとにやってきた。
「今日は〇〇は来ないの?」と1歳わが子について聞いてきた。
私は先生に今朝の出来事と、今日は家で様子を見ることを伝えた。
「あらー、それは大変だったねぇ。そうだよね、心配だね。〇〇はごはんいっぱい食べたかったんだね。」
と言いながらわが子とじゃれ合ったあと、
「そしたら、今日の分金曜日に振り替えようか?」と。
下の子の保育園の日は水曜と木曜だ。今日は水曜日。先生は、今日休むなら代わりに金曜日に来る?と聞いてくれたのだ。
※オーストラリアの保育園では、1日ごとの保育料が年齢によって違い、週に何日行くかで1日の保育料×日数で週払いあるいは2週間払いするというところが多い。そして、休もうが行こうが祝日だろうが予約の入っている日の保育料は払わなければならない。
今朝、先生が私にオファーしてくれたのは、水曜日分の保育料の支払いで金曜日来ていいよ、ということだった。
オーストラリアの保育園は営利目的の経営が一般的で、ビジネス色が強いところが多い印象だ。こういった柔軟な対応をしてくれるところは少ないと思う。しかも先生からオファーしてくれることって他にあまり聞いたことがない。少なくとも、以前上の子が言っていた保育園ではこんなことは一切なかったし、友人たちからもこういう話は一切聞いたことがない。
先生がこういった対応をしてくれたのは、ここの保育園がnot-for-profit organisationで営利目的のビジネスではないために経済的に良心的だということ、そして各家庭に対してすごく支援的な園であることに加えて、現在下の子のクラスの定員に余裕があるということもあったのだと思う。
そうする!と返事をしたかったのだが、今週は子どもたちのインフルエンザワクチンの予約をしていたことを思い出し、
「今回はアポがあるから大丈夫、でも本当にありがとう」
と伝えた。
先生は、オッケーまた明日ねーと笑顔で保育園に戻っていった。
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家に帰る車の中、私は終始先生の一連の対応を脳内でリピートし、気づいたら目を真っ赤にして泣いていた。自分でも感じていなかったが、今朝は恐怖と不安と緊張で心身ともに力が入りまくっていた。ものすごく心細さも感じていた。
それを、先生の心遣いでほぐしてもらい、やっと安心できたのだ。
すごく励まされた。
あー、私は1人じゃない、と感じた。
いろんな人に支えてもらって子育てができている、と痛感した。
いろんな人に支えてもらって私は生きられている、とさえ思った。
時々、孤独を感じたり、傲慢にも1人で生きていると勘違いしたりする自分が顔を出すが、日常をすみずみまで目を凝らして見てみると、実はいろんなところでいろんな人の何気ない言葉と行動に支えられ励まされている。
だから私は生きることを続けることができているのかもしれない。
今日は、保育園の先生からエールをもらった。
明日は、スーパーの店員さんからもらうかもしれないし、子どもが観ているテレビの中の人からもらうかもしれない。
そういう小さなエールを、これからも拾い集めていこう。
