
最終章 誰も知らない名曲を歌いましょう。
それから時は経ち、あゆみは50代に入っていた。
CHANCEの仕事が休みの日、あゆみは講演会の準備の合間を縫って執筆活動に励んでいた。数年前からやっている小さなコラム記事は意外にも好評なようで、これなら本を出してみてもいいかもしれないと出版社から正式なオファーがあったのだ。
休憩中、スマホの音楽再生リストから以前好きだった懐かしい曲が流れてきた。サビまでが長いあの曲だった。
「懐かしいなぁ」とあゆみは聞き入る。ふと、もしかしたら自分の人生はこの曲みたいな構成なのかもな、と思った。
1曲聴き終わった後、あゆみはスマホの画面の停止ボタンを押して、再び原稿へと目を通し始めた。
CHANCE社内では、1年ほど前からあゆみの講演会チームが設立されていた。あゆみはその中で「登壇者」としての仕事をするようになっていた。
そのチームの中に三宅も入っていた。相変わらずあゆみに厳しい三宅だが、時を経てフルタイム正社員も経験し、個人事業主のような契約に切り替わっていたあゆみを三宅は心なしか信頼してくれているようにも見えた。
政喜は大学生になり、上京して独り立ちしていった。連絡は時々メッセージがある程度だ。元気にやっているらしい。ちゃんと生活してるのかと心配にもなるが、そのくらいがちょうどいいと思うようにもしている。
祐介の会社も繁栄した。一時期は事業がうまく行かず悩むこともあったようだが、今は4人ほどの社員を抱える社長になった。
祐介は、20代の頃からずっと人生に悩み続けていた妻の輝く姿をとても嬉しく思っているようで、時折「本当に良かった」と言ってくれる。
あゆみの父親は数年前に旅立った。政喜の大学合格発表の結果を聞かせてあげられなかったのが残念だったが、きっと見守ってくれていると思う。いつの間にか随分と歳をとった母親の洋子も、遠くの街から応援してくれている。
ビデオ通話越しに母親が言う。
「お母さんはあなたが元気に暮らしてたらなんでもいいから、ちゃんと食べなさい。」
親からの気持ちは、そのまま政喜への気持ちと一緒だった。
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講演会当日。参加者への開場が行われている時、別室に設置された控え室から出て登壇準備をするあゆみに三宅が声をかけてきた。
「高野さん。」
「はい、どうしました?なにかありました?」
「ううん。ただ、あなた変わったなと思って。」
「え、そう思いますか?」
急に自分の話をされて、思わず高くなった声を抑えながら三宅に聞き返す。
「うん、思う。来たばかりの頃はもっとふにゃふにゃしてて、私正直イライラしてた。」
「そうなんですね...」
確かにそうだったかもな、と苦笑いするあゆみ。三宅は表情を変えずに続ける。
「そう、『自分じゃなにも決められません』って顔がね。私から見たら選択肢はいっぱい転がってるように見えてたから尚更。」
廊下の方をまっすぐと見ている三宅は、少しだけ間を置いてから続ける。
「でも今は違う。自分で考えて行動してる。だから...」
三宅がこちらに向き直る。真剣な目をしている。あゆみもそんな三宅をまっすぐに見た。
「もっと図々しく生きなさい。仕事も人生も。周りのことを考えるのも大事だけど、自分の人生は自分しか経験できないから。あなたにはその力がある。少なくともわたしはそう思う。」
三宅は厳しくも、あゆみを期待してるからこそ出てくる言葉を残した。
「はい、精進します。」
あゆみは背筋をピシッと伸ばして返事をする。
「ま、頑張りなさい。じゃあね。」
他のスタッフに呼ばれた三宅は、ひらひらと右手を振りながら廊下を歩いていった。あの頃から変わらない自信に満ちた後姿に、あゆみは思わず口を緩ませた。
「高野さん、そろそろお願いします!」
裏進行役の後輩があゆみに声をかける。司会が前置きを言っている。拍手が起こる。その中に、あゆみは「よし」と入っていった。
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講演会は進み、最後の挨拶。あゆみはマイク越しに目の前の参加者に語りかける。
「人生は歌のようだと思います。
いきなりサビが流れる歌のように、早くにやりたいことや才能を見つけて開花していく人がいます。
一方で、路上で歌って終わる人生があります。もしかしたら家族や友達にだけ歌う人もいるかもしれません。
でも、それは悪いことでしょうか?ヒットしていない歌は良くない歌でしょうか?わたしは違うと思います。
全員が知っている国民的ヒットソングではなくても、ステキな名曲はたくさんあるはずです。路上で歌っていても応援してくれる人がいることもあるでしょう。
なにより、自分が決めて進んだ道ならば、ひとりだって怖くない。むしろ歌うことが楽しいはずです。
私の人生は、例えるならばサビまでが長い歌です。Aメロ、Bメロ、もしかしたらCメロもあった。今、やっとサビを歌い始めている段階かもしれません。それでも国民全員が知るような歌にはならないと思います。
でも、それでいいです。全員が知っている人生にはならないけれど、みなさんのような温かくて素敵な人たちに知ってもらい、聞いてもらえるような歌。むしろ、それがいいです。
皆さんも自分の歌を歌いましょう。誰か他の人ではなく、等身大の自分の歌を。誰も知らない名曲を歌い始めましょう。少なくとも、私はそんなみなさんのファン第1号でありたいと思います。応援しています。」
とあるビルの一室、中ホール会議室で、「高野あゆみ」という名曲がまさにサビを迎えていた。
おわり