
もっと勉強すれば良かった
【あらすじ】
43歳の会社員・川元進一は、仕事が不調で貧しい生活を送る現状を嘆いていた。ある日、過去を変えられる「タイムトラベル研究所」を訪れ、子供時代の過去の自分に勉強するよう一喝する。
その結果、高3の自分を変えた世界では課長に出世するものの、膨大な仕事に対応できず失敗。今度は中2の自分に猛勉強を強いるため、大好きなバスケを辞めさせ友人と決別させる。成績はトップになるが、孤独と冷徹な家庭環境に苦悩し始めます。結局、どの選択でも満たされない進一は、普通の幸せの大切さに気付き、海外赴任を断り会社を辞めて家族との時間を選ぶ。
【登場人物】
川元 進一(13)(17)(33)(40)(43)会社員
川元 康太朗(45)進一の父
川元 加奈子(42)(46)(64)(74)進一の母
川元 由佳(39)(42)進一の妻
川元 愛梨(11)(14)進一の娘
宇佐美 和馬(39)進一の上司
広山 萌奈美(29)進一の同僚
小野寺 真樹夫(13)(33)(40)(43)進一の同級生
岩橋 勝道(62)進一が勤める会社の社長
副社長 進一が勤める会社の副社長
重森 雪雄(72)タイムトラベル研究所所長
濱 剛志(45)康太郎の友人
先生(40)進一の中学の先生
鈴村 瑛斗(13)真樹夫の友達
馬場 亮二(13)真樹夫の友達
田岡 茂(13)真樹夫の友達
長谷川 大吾(13)真樹夫の友達
日直、女子生徒(13)進一の同級生
【シナリオ】
〇星井物産・営業部
スマートフォンの画面に女子中学生の笑顔のアップが写っている。
川元進一(43)、三角形の再生マークを押す。画面内で、その女子中学生がK―POPダンスを踊り始める。
進一「見て、スゴイでしょ」
進一、左の席に座る同僚、広山萌奈美(29)の顔の前にスマートフォンを差し出す。
広山「前に見ましたよ」
進一「別のヤツだよ」
広山「邪魔です。仕事してください」
広山、パソコンのキーボードをたたき始める。
進一、にやけ顔のまま手を引っ込める。そのまま動画を見続ける。
進一の上司、宇佐美和馬(39)、近づいてくる。
宇佐美「ちょっと、川元さん」
宇佐美、進一に手招きをする。
進一、慌ててスマートフォンをポケットにしまう。
宇佐美、進一に背を向け出口に向かう。
進一、立ち上がり、慌てて後を追う。
〇星井物産・会議室
進一、会議室に入り後ろ手にドアを閉める。立ったままの宇佐美と向かい合う。
宇佐美「川元さん、頼むから仕事して下さい」
進一、表情を曇らせ視線を下げる。
宇佐美「仕事の邪魔はする、業績の足は引っ張る、皆に気を遣わせる。ほんとに迷惑なんですよね」
進一「……」
宇佐美「私も年上の方にこんなこと言いたくないですよ」
進一「……」
宇佐美「せめてスタートラインに立ちましょうよ、ね」
進一「……」
宇佐美「じゃあ、よろしく」
宇佐美、進一の横を抜けて出ていく。
進一「ちぇっ、お前らとはスタートラインが違うんだよ」
閉まったドアに向かって呟く。
進一、ドアを開ける。
進一の同期社員、廊下を通り過ぎようとして進一に気付く。
同期社員「ちょうどよかった、お前のとこにいく途中だったんだ」
と、進一を会議室に戻らせ、自分も中に入る。
同期社員「俺、会社、辞めるんだ」
進一「えーーっ。何で?」
同期社員「何でって、未来が無いだろう。三流大出は」
進一「学歴社会には勝てないってことか」
同期社員「そうだよ。でも、実力社会でも同じだよ」
進一「……」
同期社員「俺らは学歴だけじゃなく実力も無いからな。ハハハハハッ」
進一「……」
〇自宅・ダイニング(朝)
進一の妻、由佳(42)、ダイニングテーブルに片ひじをつき、ぼぉーっとしている。
スーツ姿の進一、鞄を片手にダイニングに現れる。
進一「どうした?」
由佳「やっぱり、同窓会、キャンセルする」
進一「なんで?」
由佳「会費も高いし、着ていく服も靴も無いし、美容院にも行かないといけないし」
進一「金ならあるだろう」
由佳「あるわけないでしょ。毎日、一円でも節約しようとしてるのに」
進一「パート代は?」
由佳「全額、ローンよ」
進一「でも、ちょっとくらいあるだろう」
由佳「もう決めたからいいです」
進一「楽しみにしてたじゃないか」
由佳「何も言わないで下さい」
進一「そんな――」
由佳「もう、いいの!」
進一「だって、楽しみに――」
由佳「もうっ! 行けるものなら行きたいわよ! でも、こんな格好じゃ行けないでしょ! 世間は景気がいいのに、なんであなただけ給料が上がらないの? ボーナスも無いの? アーアッ」
由佳、立ち上がってダイニングを出ていく。
〇住宅街・通勤途中(同、朝)
進一、下町の住宅街の中、徒歩で駅に向かっている。
娘の愛梨(14)、小走りで後を追ってくる。
愛梨「待って」
進一、振り返り、足を止める。
愛梨、追いつく。
愛梨「これ」
愛梨、鞄を開け、ポチ袋の束を進一に渡す。
愛梨「お年玉、余ってるから」
進一「……」
愛梨「使う予定ないからパパに預けとく。好きに使っていいよ。じゃあね」
進一「待てよ。こんなのいいよ。レッスンDVDとか買うだろう?」
愛梨「うううん」
愛梨「動画で見れるから大丈夫。だからレッスンにも行かない」
進一「……」
愛梨「それから修学旅行もキャンセルしたから積立金も返ってくる。それも使ってね。わたしばっかり、お金使っちゃ悪いから」
進一、口を開きかけるが、愛梨は背を向けて立ち去っていく。
進一、踵がすり減りぺちゃんこになっている愛梨の靴に視線を向ける。
進一、しばらく愛梨の姿を目で追う。
愛梨、角を曲がり、姿が見えなくなる。
進一「愛梨……」
進一、片膝をつき、うな垂れる。両の目から涙がこぼれ、地面に落ちる。
進一「どこだ、どこで間違ったんだ」
進一、呟きながら顔を上げる。
涙で歪む視界の中、『タイムトラベル研究所』の看板が見える。住宅街の真ん中にある木造二階建ての建物に掲げられている。
進一、立ち上がる。ポチ袋の束を鞄にしまい、手で涙を拭う。
ふらふらと、タイムトラベル研究所に近づく。
〇木造二階建て建物の前(同、朝)
進一、タイムトラベル研究所のガラス戸から中を窺う。
摺りガラス越しに事務机が並んでいるのが見える。中には誰もいない。
タイムトラベル研究所所長、重森雪雄(72)、進一の背後から声を掛ける。
所長「未来を確認したいのですか? それとも過去を変えたいのですか?」
進一「過去です!」
進一、いきなり声を掛けられたことに驚き、飛び上がりながらも答える。
慌てて振り向き、所長と一歩、距離をとる。
進一、所長の全身を眺める。所長は白衣姿で、白髪白眉の老人。
進一「って、びっくりした。いったい、ここは何ですか?」
所長「タイムトラベル研究所です」
進一「なるほど……。風俗資料館とかですかね?」
所長、首をふる。
進一「懐かしの映画のレンタルとか……。タイムカプセル振興協会かな。あっ、分かった。給食メニューが食べれるレストランだ」
所長「いいえ。文字通りのタイムトラベルです」
進一「……。なるほど」
進一、看板にチラッと視線を送った後、素早く腕時計を確認する。安物でメッキが所々、はがれている。
進一「ヤバい、遅れる。もう、行かなきゃ」
進一、背を向け、立ち去ろうとするが所長に肩を掴まれる。
所長「行きましょう! 過去へ」
進一、振り返る。
所長「変えたい過去が無い人間はいません」
× × ×
(フラッシュ)
高校生の進一、勉強机で漫画雑誌を広げている。読んでいるのはバスケットボール漫画。机の端には参考書が積まれている。
母、川元 加奈子(46)、開いたドアから勉強部屋の中を覗く。
加奈子「受験生が漫画なんか読んでていいの? 後悔しても知らないからね!」
進一、無反応。漫画に没頭している。
加奈子、ため息をついて去っていく。
× × ×
〇タイムトラベル研究所・応接室(同、朝)
進一と所長、小さなテーブルを挟んで向かい合ってソファーに座っている。
所長「思い浮かべた過去の時間と場所に行くことができます。身体ごとタイムトラベルします」
進一「戻るときはどうするんですか?」
所長「戻りたいと考えればいつでも戻れます。ただし心臓が16,384回、脈打つと自動的に現在に戻ります」
進一「えっ?」
所長「つまり、長くてもざっと、四時間半しか滞在できません。四時間半経つと何をしていてもここに戻ってきます。それからタイムパラドックスも起こせません」
進一「……」
所長「例えば自分が生まれる前の父親を殺そうとしても戻って来てしまいます。注意事項はこれで全てです」
と、テーブルの下からティッシュ箱サイズの箱を取り出す。上面にダイヤルと液晶パネル、いくつかのスイッチがあり、側面にクランクハンドルが付いている。
所長「では、やり直したいと思っている過去を思い浮かべて下さい」
所長、クランクハンドルを回し始める。
周りで、鐘の音が幾重にも重なって響き始める。
進一の視界が歪み、目の前の所長の姿が薄れていく。
進一「アワワワワワワ」
〇高三の時の実家
進一の歪んでいた視界が戻る。目の前には木の扉がある。
進一、自分のスーツ姿を確認する。辺りを見渡した後、そっとドアを開き、土足のまま中に入る。
高三の進一が、机に伏して眠っている。机の上には漫画やバスケットボール雑誌が積まれている。
進一、周りを見渡す。壁にバスケットボール選手のポスターが貼ってある。
進一、高三の自分に近づき顔を覗き込む。
一歩下がり、大きく深呼吸した後、手を伸ばし高三の進一の肩を揺さぶる。
進一「起きろ、進一。起きるんだ」
高三の進一、身じろぎする。
進一「お前は、今、夢を見ている。いいな、落ち着け。これは夢だ」
高三の進一、身体を起こして進一の方に顔を向ける。驚き、椅子から転げ落ちそうになるが慌てて態勢を整える。
高三の進一、椅子に座ったまま進一と向かい合う。
高三の進一「えっ、あっ、えっ、あっ」
進一「深呼吸しろ。落ち着いて聞け。俺は、川元進一。二十五年後のお前だ。今からお前に大切なことを伝える。お前の未来に関することだ」
高三の進一「分かった。落ち着いて聞く」
進一「……。ちょっと待て。信じたのか? 俺が未来から来たって」
進一M「俺って、こんなに単純だったっけ」
高三の進一「未来から来たなんて有り得ないっしょ」
進一M「そうだよなぁ」
高三の進一「でも夢なんでしょ? これ」
進一「……。じゃあ、そういうことにしておく」
と、頷き咳払いする。
進一「えっと、どこまで話したっけ。そうそう、俺はお前の未来なのだ。お前が勉強しなかったばかりに、お前の人生は真っ暗でどん底でみじめなものになる。年下の上司にいびられ、プライドが引き裂かれる。反論しようにも自分が無能だから歯を食いしばるしかない。薄給で奥さんも可哀そう。一人娘はまだ子供にも関わらず、大変な気の使いようだ。レッスンDVDとか買いたいのに我慢しているんだ。いや、お前が我慢させているんだ!」
進一、目に浮かんだ涙を乱暴に拭う。
進一「それだけじゃない! 娘は世界的なダンサーに成りたいなどと言い始め、毎日毎日、練習し始めるんだ!」
高三の進一、進一の感情の爆発に呆然とし固まっている。
進一「……」
高三の進一「……」
進一「……。それは別に良いのか……」
と、首を傾げる。そして、高三の進一の顔に人差し指を突き付ける。
進一「とにかく、お前が勉強しなかったせいでお前の将来は台無しだ。学歴社会だろうが実力社会だろうがお前は落ちこぼれになってしまう。いいか、進一。俺の言いたいことは分かるな?」
高三の進一、椅子に沈み込むように縮み込み、呆然と進一を見上げている。
進一「分かるな。この惨めな俺の姿を正夢にするなよ」
と、語気を強めて睨みつける。
高三の進一、激しく頷く。
どこからともなく震えるような鐘の音が聞こえてくる。
進一の姿が揺らめき薄れ、消えていく。
〇タイムトラベル研究所・応接室(朝)
進一、歪んだ視界が戻ると、目の前に所長がいて、ソファーに座っていることに気付く。
所長「お帰りなさい。気分はどうですか? 早速ですが、何をしたのか調査票に記入下さい」
進一「今のは何ですか? 本当に過去に……」
所長「言い忘れてましたが、過去にいた時間だけ、現在でも時間が経過しています。会社、大丈夫ですか?」
進一、慌てて腕時計を確認する。
進一「ヤバいっ」
立ち上がり応接室を出ていく。
所長「ちょっと、調査票っ!」
と、進一の背中に声を掛ける。
〇星井物産・営業部(朝)
進一、急ぎ足で営業部の自席に近づく。
自分の席に広山が座って作業をしている。
進一、周りをキョロキョロと見回す。
広山、進一の様子に気が付き、声を掛ける。
広山「どうしました?」
進一「俺の席は?」
広山、自分の席の右に直角に接している課長席に視線を送る。
進一、広山の視線をたどり、課長机に近づく。机の上にはNBA選手の小野寺真樹夫がプリントされたマグカップが置いてある。
マグカップの横には写真立てがあり、中学生の娘の愛梨と頬を寄せてほほ笑む進一が写っている。
進一、ゆっくりと椅子を引いて座る。ノートパソコンの画面を開け、ログインIDとパスワードを入力すると、認証され、自分のメールアプリが表示される。
進一、目をパチクリさせる。
進一M「これって、どういうことだろう」
進一「広山さん、ちょっと」
広山「なんですか? 川元課長」
進一M「そういうことか。やったぜ! 川元課長? くぅーーっ。イイねぇ、この響き」
進一、目じりの垂れた満面の笑みで広山を見つめる。
進一「組織図があったよね。個人の名前が入った詳細版」
広山「えぇ。共有フォルダ―にありますけど」
進一「申し訳ないが、メールで送ってくれないか」
広山「分かりました」
進一、メールソフトの受信ボタンを一秒おきにクリックする。メールソフトに新着メールが届くとメールを開き、添付されている組織図を表示する。
画面をスクロールし自分の名前を探す。『第一営業部第三課課長、川元進一』の記載を見つけて、マウスカーソルで課長の文字を何度もなぞって笑みを浮かべる。さらにそれを印刷する。
プリンタから組織図を取り上げ、見つめながら席に戻る。鞄にしまい。椅子に座る。
進一「そうだ、そう、そう」
と、再び鞄を開け名刺入れを取り出す。名刺の課長の肩書を確認して破顔し、ガッツポーズ。
進一M「高三の俺、有難う」
広山「川元課長」
進一「ん?」
広山「部課長会議ですけど」
進一「あぁ、十時からだよね」
広山「もう十時ですけど」
進一「あぁ、そうだね。……。って、そうか、俺も出るんだ」
と慌ててノートパソコンを閉じ、小脇に抱えて立ち上がる。
廊下に向かう途中、壁掛けのホワイトボードの行動予定表の前で足を止める。そこに第三課の列が有り、一番上に川元課長と書いているのを発見する。
進一、自分の名前の横の動静欄に『部課長会議』と書き込む。一歩下がり満足気に眺める。
〇星井物産・会議室(朝)
進一、慌てて会議室に入る。
十人ほどが既に着席している。
進一の登場に上座の第一営業部部長、宇佐美が発言を中断する。
進一、一つだけ空いている中ほどの席を見つけてすべりこむ。
その間、宇佐美は進一を不機嫌そうに見つめている。
宇佐美「川元課長は忙しいようだから、まず一の三から始めよう」
進一、にやけ顔で宇佐美の顔を見続けている。
宇佐美「先月の結果! 今月の見通し! アクションプラン!」
進一、慌ててノートパソコンを開く。ログアウトされているため、再度、ログインID、パスワードを打ち込むが、慌てているため入力ミスでなかなかログインできない。
進一「あっ、はい。ええっと、まず先月の結果でしたね。どれかな……」
宇佐美「そのくらい、見なくても分かるだろう。というより、何故、即答できないんだ!」
進一「あっ、はい、えぇっつと」
宇佐美「もういいよ。三課の先月の売り上げは1、302万円。目標に対して46%しか達成出来てない。今月の見込みも896万円で32%しか積み上がってない。目標未達はうちの部では三課だけだよ」
進一「あっ、はい」
宇佐美「川元さん」
進一「はい」
宇佐美「アンタの課の一番の問題は何か分かる?」
進一「ええっと、問題ですか?」
宇佐美「即答できないのかね。がっかりですよ。良いですか、問題意識が無いのが問題です。課長なんだからもう少ししっかりしてください」
進一「はい」
宇佐美「ほんとに、頼みますよ」
進一、頷いて下を向いたまま顔を上げない。
宇佐美「川元課長は、もういいですよ。戻って顧客回りでもしてください。はい次、一課」
一課課長「はい! 先月の売り上げは3、142万円、108%です。今月の見込みは既に2、980万円で目標達成は確実です」
〇星井物産・営業部(同、朝)
進一、椅子を引いて自席に座る。口を堅く結び、うつむく。
広山「あれっ、早かったですね」
進一「あっ、うん。えっと、今月の見込みの詳しい内容が知りたいんだけど」
広山「毎月、部課長会議の前日にメールしてますけど。昨日の分、届いてませんか?」
とため息をついて面倒くさげな表情。
進一、メールソフトの受信メールを確認する。広山から実績報告が届いている。
進一「あぁ、これか。ありがとう」
進一、添付ファイルをクリックする。
画面一面に数字が羅列された売り上げ実績表が表示される。
進一、膨大な数字に圧倒され、視線を上下左右に彷徨わせる。
広山「ひょっとして、見てなかったんですか? 私が苦労して作っているのに、無駄だったってことですか?」
進一「いや、その……」
広山「あーあー、信じらんない。ほんと、使えない」
と、ため息をつき、自分のパソコンに向き直り、大きな音を立てて机を叩く。
進一、天井を仰ぎ見る。
進一M「こんなの、俺の人生じゃなーい!」
〇タイムトラベル研究所(夕方)
進一、応接室で所長と向かい合って座っている。
進一「高三からでは遅かったんです。もっと前から勉強しなくては。中二時代に戻らせて下さい」
所長「いいですけど、調査票――」
進一「戻ってきたら書きますよ。急いでるんです。そうだ、これってお金かかるんですか?」
所長「とんでもない。研究に協力してくれれば充分です」
進一「それは良かった」
所長「ちょっと鞄、見せてもらえますか?」
進一「えっ?」
所長「現代の最新技術や競馬新聞なんかを持ち込むんじゃないかと思って」
進一「そんなもの、ありませんよ。ほら」
と鞄を広げて所長に見せる。鞄の中は弁当箱と一通の封筒が入っている。
進一「俺は皆から尊敬されるデキるエリートになりたいんです。大金持ってるだけの馬鹿とか、馬鹿な金持ちなんかになりたい訳じゃないんです」
所長「約束ですよ。ちゃんと調査票を書いてくださいね」
進一「ええ」
所長、機械を取り出し、ハンドルを回し始める。
重なり合う鐘の音が聞こえ始め、進一の視界が歪んでいく。
進一M「今度はちゃんとやる。もう惨めな思いはしたくない」
〇中二・通学路(夕方)
中二の進一、同級生の小野寺真樹夫(13)ともう一名の三人で下校している。
その前方を同様に三人の女子生徒が歩いている。
中二の進一、その内のぽっちゃり女子の後姿を眺めている。
中二の進一M「可愛いなぁ。あの肩の丸いラインが可愛すぎる」
進一、路上駐車の車の後ろにしゃがみ隠れている。両手でメガホンを作り、中二の進一に声を発する。
進一「可愛いなぁ。あの肩の丸いラインが可愛すぎる」
中三の進一、ビクッとして左右を見回す。
真樹夫「ん? どうかした?」
中二の進一「いや、今、何か言った?」
真樹夫「何にも」
T字路に到着する。
真樹夫「俺、こっち。バッシュ買いに行く」
同級生「またぁ? いいなぁ。俺もついていっていい?」
真樹夫「いいよ。進一は?」
中二の進一「俺はいい。腹減ったし」
真樹夫「じゃあな」
真樹夫と同級生、右に曲がり去っていく。
中二の進一、後姿を見送る。
中二の進一M「いいなぁ、金持ちは。貧乏は罪だよなぁ」
『不審者に注意!』の看板の陰に隠れた進一、声を出す。
進一「いいなぁ、金持ちは。貧乏は罪だよなぁ」
中二の進一、声の方を振り向き窺うが誰もいない。首を傾げ、左に曲がり歩き始める。
中二の進一、公園の横を通っている。
道路から公園内のバスケットゴールを目にする。
中二の進一M「自主練するか、朝練前に。才能が無い分、人一倍練習しないとな」
公園の茂みに隠れた進一、声を出す。
進一「自主練するか、朝練の前に。才能が無い分、人一倍練習しないとな」
中二の進一、進一が隠れている茂みを凝視する。枝葉の隙間に人影のようなものが見える。
中二の進一、回り込んで公園内に入る。茂みの陰にしゃがみ込む進一を発見する。
進一、視線を感じ立ち上がり、中二の進一に向き直る。
中二の進一、顔に怒りの表情を浮かべている。
中二の進一「誰だ、アンタ」
進一「誰だか分かるな」
中二の進一「エスパーだな。僕の心を読んだだろう。エスパーが僕に何の用だ!」
進一「エスパー? いや、そんなSFみたいな話じゃない。俺は三十年後のお前だ」
中二の進一「……」
〇公園のベンチ(同、夜)
中二の進一と進一、公園のベンチに並んで座っている。
中二の進一はうな垂れ、しゃくり上げて泣いている。
進一、その肩をさする。
進一「心配するな。過去が変われば未来が変わる。お前が努力すれば明るい未来が訪れる。もう、泣いている暇はないぞ。家族を幸せにするために頑張るんだ」
中二の進一、うな垂れたまま頷く。
進一「お前は、ラッキーなんだぞ。来るべき未来が分かっているんだからな。さぁ、もう帰れ」
中二の進一、顔を上げ、進一にハンカチを手渡す。
進一「そうだ、お前に渡すものがある」
と、鞄を開け封筒を取り出す。
進一「悩んだ時に開けるんだ。多分、お前の悩みを振り払ってくれるだろう」
と、『悩んだ時に開けろ』と書かれた封筒を渡す。
鐘の音が聞こえてくる。
(ここから中学パート)
〇自宅・ダイニング(朝)
加奈子、トーストにマーガリンを塗り、ダイニングテーブルの上の丸皿に置く。
中二の進一、げっそりした表情で台所に現れる。
進一「塾に行きたい。何処かいい塾、探して」
加奈子「急にどうしたの?」
進一「とにかく、勉強しなくちゃいけないんだ」
加奈子「義務教育だからね」
進一「そうじゃなくて、本当に勉強していい成績取らなきゃだめなんだ」
加奈子「でも、どうしたの? 今まで、宿題すらやらなかったのに」
進一「だからダメなんだよ。とにかく勉強しなくちゃ、僕の人生は台無しなんだよ」
加奈子「でもせっかく月謝払って塾に通い始めても、やっぱり、行かないなんて困るんだけど」
進一「絶対、途中で辞めたりしないよ。約束する」
加奈子、進一に向き合って満足気にほほ笑む。
進一の父、川元康太朗(45)、パジャマ姿のまま、ダイニングに現れる。
康太朗「どうした?」
進一「パパ、塾に行かせて」
康太朗「ほらね。いつか自分からやる気をだすって言っただろう」
加奈子、真顔になりコップと牛乳パックを音を立ててテーブルに置く。
康太朗「人は他人の言葉じゃ動かないんだ。自分自身の言葉じゃないとね。なぁ、進一」
進一、激しくうなずく。
〇中学校・教室
休み時間、生徒たちはそれぞれ数人のグループでしゃべりあったり、ふざけあったりしている。
進一、机に教科書を広げ計算問題を解いている。
小野寺真樹夫、足早に進一に近づき、机の真横に立つ。
真樹夫「本当か? 退部」
進一「本当だよ」
と、手を止めず顔も上げずに答える。
真樹夫、ノートを取り上げる。
真樹夫「なんでだよ」
進一「勉強に集中したいんだ」
真樹夫「選抜どうすんだよ。日本一になるんじゃなかったのか?」
進一、手のひらを真樹夫に向け、ノートの返却を促す。
真樹夫「両立できるだろう?」
進一「バスケをやる意味が無いんだ。何の役にも立たない」
真樹夫「何言ってんだ、NBAは?」
進一「このまま続けても、高校じゃレギュラーになれない。ただ時間を無駄にするだけさ」
真樹夫「そんなの分かんないだろう。お前、才能あるし、もったいないよ」
進一「いや、分かるんだ」
と、手の平を上げてノートの返却を迫る。
真樹夫「ちぇっ」
と、ノートを進一の手のひらに叩きつける。
始業のチャイムが鳴る。
〇自宅・ダイニング(夜)
学生服姿、鞄を持った塾帰りの進一、ダイニングに入ってくる。
進一の父、康太郎と友人の濱 剛志(45)がダイニングテーブルで酒を飲んでいる。テーブルの上には缶ビールの空き缶が数本と焼酎の紙パックが置かれている。
康太郎「お帰り」
進一「ただいま」
と流し台に向かいコップに水を注ぎ飲み干す。
濱「こんばんは。最近、勉強熱心なんだってね」。
進一「まぁ」
と軽く会釈する。
康太郎「一曲目は、こっちがいいよ」
と、テーブルの上の紙に書かれたリストを指さす。
濱「いや、最初にかまさないと」
康太郎「だから、こっちだって」
濱「いやいや、こっちが俺達らしいし」
康太郎「うーん」
康太郎、側でじっと立っている進一に気が付く。
康太郎「どうした?」
進一「プロを目指したりしたの?」
康太郎「どうかな」
濱「CD出したり、でっかい会場で演奏したいってのはバンドマン全員の夢だよ」
康太郎「まぁな。でも夢のまた夢だってことは分かってたよ」
進一「じゃあ、何でやってるの?」
康太郎「楽しいからさ」
進一「それって、マンガ読んでるのと同じだよね。意味ないじゃん」
康太郎「なぁ、進一。お前、バスケ、辞めたんだってな」
進一「うん、意味ないし。勉強する時間がいるし」
康太郎「Take it easyだぞ。勉強も大事だけど、仲間づくりも大事だぞ」
濱、頷く。
ダイニングのもう一方の戸口に、母の加奈子が現れる。
加奈子「進ちゃん、早く風呂に入りなさい」
濱「もう帰るわ。また話し合おう。まだ時間、あるし」
と慌てて立ち上がる。
濱「じゃあな。進一くん。どうもお邪魔しました」
康太郎「進一、見送りたのむ」
進一、濱の後を追って出ていく。
康太郎、空き缶を片付け始める。
加奈子「水を差すようなこと言わないでね。せっかくやる気を出してるんだから」
康太郎「水を差すようなことなんか言ってないだろ」
加奈子「言ってました」
康太郎「勉強するな、なんて言ってないよ。もっと大事なものがあるって言ってんの」
加奈子「大事なものって、何? 飲んだくれの友達とかいうつもり?」
康太郎「そうさ、友達は財産だろう」
加奈子「何が、財産よ。逆じゃない。金食い虫よ! 私が日々、節約してるの分かってんの?」
進一、濱を見送って戻ってくる。
加奈子、進一の足音に振り返る。
加奈子「まだいたの! さっさと風呂に行きなさい」
進一、慌てて立ち去る。
〇自宅・ダイニング
加奈子、ダイニングテーブルの上に家計簿を広げている。『食費』、『塾代』、『薬代』と書かれた封筒が置かれている。
はなれた所にあるテレビにワイドショーが映っている。司会者がボードの棒グラフを使って、学歴と生涯獲得賃金の関係を説明している。
加奈子、リモコンでテレビの音量を上げる。
〇中学校・教室
生徒が一人ずつ、教壇の教師の元に向かい、学力テストの結果を受取っている。生徒たちはガヤガヤと喋りあっている。
進一、自分のテスト結果表を自席で眺めている。
評価Aが並んでいる。
× × ×
(フラッシュ・現在の進一の自宅)
会社員の進一、財布を開いて眺めている。
由佳「お小遣い入れておいたわよ」
会社員の進一「多くない?」
由佳「今年、評価が良かったでしょ。給料も少し上がったし」
進一、財布の中を見ながらにんまりする。財布を閉じる。
× × ×
隣の生徒がテスト結果を覗き込もうとする。
進一、素早く成績表を閉じる。
隣の生徒「また一番か?」
進一「まぁね」
隣の生徒「すごいじゃん」
進一「そうでもないよ。五教科合計で一番だけど、英語と国語は思った以上に悪かった」
隣の生徒「悪いって言っても、俺よりはいいだろう」
先生「はい、皆、静かに」
授業終了のチャイムが鳴る。
先生「自分の弱点と対策をしっかり確認しておくように」
日直「起立、礼」
生徒一同、立ち上がり、礼を行う。
先生、教室を出ていく。
進一、カバンを机の上において、実力テスト結果表を仕舞う。代わりに教科書とノートを取り出す。
真樹夫、離れたところで他の生徒と集まって会話をしている。
真樹夫「日曜日、映画、行かない?」
瑛斗「何?」
真樹夫「なんでもいい」
亮二「アレは? テレビでCMしているやつ」
瑛斗「どんなやつ?」
亮二「邦画のホラーだよ」
真樹夫「いいよ、それにしよう」
亮二「時間、調べとくよ。昼一にしよう」
瑛斗「進一も誘う?」
と、真樹夫の顔を伺う。
真樹夫、ちらりと進一を眺める。
進一、ノートに鉛筆を走らせている。
真樹夫「おい、進一。お前も来るか? 息抜きに」
進一「ありがとう。でもイイや」
真樹夫「分かった」
亮二「もう、進一は誘わなくてもいいんじゃね?」
真樹夫「うん」
と目を伏せる。
真樹夫、顔を上げて笑顔を二人に向ける。
真樹夫「気づいてた?」
と片足を上げ、新品のバスケットシューズを見せる。
亮二「すげー、ニューモデルじゃん」
瑛斗「この前、新しいの買ったばかりじゃん。いいなー」
真樹夫「まあねー」
真樹夫たちの会話が聞こえていた他の生徒たちも寄ってくる。
茂「なんの話?」
亮二「バッシュだよ」
大吾「知ってる、それ。衝撃を吸収して反発力に変えるやつだ」
茂「さすがエース」
〇自宅・ダイニング(夜)
進一、学力テストの結果をテーブルの上に置く。
進一「学力テストの結果」
母、加奈子が夕飯の支度を止めて、テスト結果表を手に取る。
加奈子「すごい! すごいじゃない! 良かったわね。勉強の成果が出たじゃない」
進一「うん。でも、まだまだだよ」
加奈子「ほんとに、すごいわよ!」
とテスト結果表から目を離さずに弾んだ声を出す。
加奈子「この分だと安心かしら。そうそう、進ちゃん、知ってる? 生涯獲得賃金ってのがあってね、それが学歴によってすごい差がでるのよ」
進一「知ってるよ。だから勉強してんだよ。未来のために今、頑張ってんだ」
加奈子「偉いわ。将来の奥さんや子供に辛い思いさせちゃ可哀そうだもんね。そうだ! 一番になったお祝いしましょう」
進一「いいよ。まだ先は長いんだし」
加奈子「うううん。自分にご褒美をあげなくちゃ。欲しいものない?」
進一「別にないよ」
加奈子「遠慮しなくていいわよ。ご褒美があった方がやる気がでるでしょ」
進一「じゃあ、スニーカー、買って」
加奈子「スニーカー? まだ履けるでしょ」
進一「バスケ辞めたから、バッシュは嫌なんだ」
加奈子「いいじゃない。靴なんか一足で十分よ。もっと他のものにしない?」
進一「スニーカーがいいんだよ」
加奈子「分かったわ。パパにお願いしましょう。バッシュもスニーカーも同じだと思うけど」
と、夕飯の支度に戻っていく。
× × ×
康太郎、帰宅。ダイニングに現れる。
進一「お帰りなさい」
康太郎「ただいま。元気か?」
進一「うん」
康太郎「元気が一番だな」
康太郎、ダイニングの椅子に鞄と上着を置き、隣の椅子に座る。
康太郎「カナ、ちょっと」
と、キッチンにいる加奈子に声を掛ける。
加奈子、手を布巾で拭きながらキッチンから振り返る。
加奈子「進ちゃん、パパに成績表。良かったのよ。なんと進ちゃんがクラスで一番」
康太郎「あっ、あぁ、それは良かったね。捨てる神あれば拾う神ありってとこか」
加奈子「捨てる神って?」
康太郎「今度、出向になるんだ。子会社の子会社」
加奈子「えっ?」
康太郎「当然、給料も下がる」
加奈子「……。進ちゃん、塾に遅れるわよ」
進一「うん」
と、返事しながら成績表をテーブルの上に置き、ダイニングを後にする。
康太郎「どうした?」
加奈子「どうした、じゃないでしょ。なんで?」
康太郎「なんでって、まぁ、いらないと思われたんじゃない」
加奈子「よく、平気な顔していられるわね」
康太郎「仕方ないじゃないか。でも仕事は楽になるし、いいじゃないか。Take it easyだよ」
加奈子「自分はいいかもしれないけど、私たちはどうなるの? これからどんどん、学費も掛かるっていうのに」
康太郎「無理して塾に通わさなくてもいいだろう」
加奈子「なんでよ! 進一は頑張っているのよ。ちゃんと将来のことを考えて――」
康太郎「学校だけで十分だろう」
加奈子「十分なわけないでしょ! 他人よりいい成績を取らないと貧乏から抜け出せないのよ!」
康太郎「別に貧乏じゃないだろう。裕福でもないけど」
加奈子「貧乏よ。悲しくなるくらい」
康太郎「そんなことないだろう。仮に貧乏だとしても、それでいいじゃないか」
加奈子「本気でいっているの?」
康太郎「もちろん、本気だよ」
進一、リュックを背負って廊下に現れる。ダイニングを覗き込む。加奈子の目に涙が溜まっているのを見て立ち止まる。
進一、康太郎の横顔を睨みつける。
康太郎、進一に気付くが、進一は顔を背け立ち去る。
進一「行ってくる」
進一M「僕は家族を泣かせたりはしない」
〇中学校・教室
(進一の勉強の点描)授業中の真剣な眼差し。休み時間も独り机に向かう。教科書を片手に給食を食べる。図書館でも独り勉強。
化学の授業中。
先生「十分間、電流を流すと、2.68ワットになります」
と言いながら、黒板に2.68Wと書く。
進一「小数点の位置が違います」
教師、自分の書いた数字を眺める。
先生「そうだな。26.8Wだな。川元、ありがとう」
進一、頷く。
× × ×
(フラッシュ・会社会議室)
大型モニターに数表が表示されている。会社員の進一、表を指さす。
会社員の進一「あのぉ、2行目の端、小数点が違ってますよ」
若手社員「えっ、ほんとだ。ありがとうございます」
宇佐美「珍しいこともあるもんだな。川元さんが気付くなんて」
× × ×
〇中学校・教室~廊下
終業のチャイムが鳴る。
同時に、日直の号令で、生徒たちが立ち上がり礼をする。
先生「宿題、今日までだぞー」
と、手に読書感想文の束を持って声を張り上げる。
進一や数人の生徒、慌てて教室後方のロッカーに向かう。
進一、一人の生徒に押されてよろけ、机の脚に膝を強くぶつける。
進一、声が出せないほど痛がり、動けない。
ぶつかった生徒は気付かずに、ロッカーに向かい感想文を取り出す。
感想文を手にした生徒たち、次々に先生が持つ感想文の束の上に自分の分を置いていく。
先生「全員、出したか? 締め切るぞー」
たまたま近くにいた真樹夫が答える。
真樹夫「出しましたー」
進一、やっとロッカーから感想文を取り出す。ワイワイガヤガヤしている生徒たちの間を、足を庇いながら先生に向かう。
先生、気付かずに教室を出ていく。
進一、廊下に出て、必死に後を追い、声を掛ける。
進一「先生」
先生、振り返り、立ち止まる。
先生「チェッ、早くしろよ」
と舌打ちし、追いついてきた進一から乱暴に感想文を受取る。
先生、足早に去っていく。
進一、直立不動でその後姿を見ている。少しだけ悔しさが滲んだ表情が顔に張り付いている。突然、大粒の涙がボロボロとこぼれだす。
進一、涙を拭おうともせず、先生の背中を見続ける。
〇中学校・教室
進一、昼休みに一人、教科書を広げて座っている。教科書は見ていない。ぼーっとした表情で窓の外を見つめている。
目に涙が浮かんできて慌てて拭う。ため息をついて、また窓の外に視線を向ける。
進一、鞄を膝の上に上げ、中から封筒を取り出す。表に『悩んだら開けろ』と書いてある。
封を手で千切り、中を除くと、新聞記事の切れ端が入っている。『スーパースターの悲惨な末路。元NBAのエバン・ダン(48)、万引きで逮捕』
進一M「現役時代は輝かしい活躍でファンを魅了したスーパースターも近年はホームレス同然の生活を送っていた。引退後の長い人生をどう過ごすかはアスリート全員の課題である。アスリートのセカンドキャリアに関する……」
進一、新聞記事の切れ端を裏表にひっくり返して見る。
進一「何だ、これ。今日の日付だ」
真樹夫、瑛斗、亮二、談笑しながら教室に入ってくる。
進一、立ち上がりながら新聞記事を丸めてポケットに入れる。
進一M「ダメだ、やっぱり寂しい」
進一、真樹夫たちに向かって歩き出す。
真樹夫たち、近づいてくる進一に気付かず雑談している。
真樹夫「エバン・ダンのニュース、聞いた?」
亮二「聞いたよ、チョー、ショック。スーパースターも惨めだよな」
進一、真樹夫の言葉に驚き、立ち止まる。
瑛斗「誰、それ?」
亮二「殿堂入り選手」
瑛斗「ああ、ニュースで見た。奥さんがスーパーモデルだったんだよな」
亮二「俺、トレーディングカード持ってんだ。三万近くまで上がってたのに、今朝は四百円。二万越えた時点で売っときゃ良かった。くそーっ」
真樹夫「ハハハ、未来が分かってりゃ、苦労しないよ」
進一、呆然自失の態で自分の席に戻る。指を組んだ両手にじっと視線を落としている。
進一「勉強だ。やっぱり、勉強するしかない」
進一、教科書を勢いよく捲り始める。
進一M「学歴最高、孤独で結構」
進一、ノートに問題を解き始める。
× × ×
女子生徒が進一の席に近づいてくる。
女子生徒「川元くん」
進一、気付かずにペンを走らせている。
女子生徒「川元くん、てばぁ」
進一「なに?」
女子生徒「電力と発熱量を教えて欲しいんだけど」
進一「今?」
女子生徒「うううん、今度、優里と藤間くんと一緒に駅前のファミレスで勉強するんだ」
進一「いつ?」
女子生徒「いつならイイ?」
進一「日曜しか空いてない」
女子生徒「日曜でいいよ。うちら、昼頃からずっといるから」
進一「昼飯、食べてから行くよ」
女子生徒「ありがとう。あと化学変化と反応式も分かんないんだ」
進一「理科は大丈夫だよ」
女子生徒「さすが川元くん。じゃあね、約束だよ」
と、進一の肩を軽く叩いて、去っていく。
進一、首を回す振りしながら、女子生徒に触れられた自分の肩を見る。何の跡もついてない。
進一、鼻で浅い呼吸を繰り返す。片手を自分の頬に当てる。
〇自宅・玄関
進一、私服姿でリュックを担いでいる。姿見で自分の髪型を確認している。
母の加奈子、買い物袋を手に廊下に現れる。
加奈子「出かけるの?」
進一、髪を整えていた両手をサッと下げる。
進一「うん」
加奈子「どこ?」
進一「ファミレスでみんなと勉強」
加奈子「へぇー。ちょっと待って。途中まで一緒に行こう」
進一「えーっ、急ぐんだけど」
加奈子「ズボンを買ってあげるわよ。自分で選んで。あたしが買ったら文句いうでしょ」
進一「自分で買うからいいよ」
加奈子「全然、買いに行かないじゃん。ソレ、もう何年、履いてんの。完全に色落ちしてるし、ほつれてるし見っともないわよ」
進一「そうかな」
加奈子「そうよ、変よ」
〇ショッピングセンター内の衣料品店
加奈子、ハンガーラックの間を縫って出口に向かう。
進一、少し距離を置いて加奈子の後をついていく。買ったばかりのチノパンに履き替えている。途中、姿見で自分の姿を確認し、満足気な表情を浮かべる。
加奈子、ビニールバッグを持ち上げながら振り返る。
加奈子「この古いのはもう捨てるね」
進一「うん」
加奈子、急に立ち止まる。突然、横のマネキンの衣装を調べ始める。
進一、慌てて立ち止まる。加奈子の肩越しに、通路を見る。
視線の先に、真樹夫とその母親が歩いている。
真樹夫、進一に気付く。
真樹夫「よお」
と軽く手を挙げてそのまま通り過ぎようとする。
真樹夫の母、進一と加奈子に気付き、近寄ってくる。通り過ぎようとした真樹夫も後に従う。
真樹夫の母「あら、川元さん」
加奈子「こんにちは……」
真樹夫の母「ご主人は大丈夫? お仕事、順調かしら」
加奈子「えぇ、お陰様で」
真樹夫の母「うちの主人が心配してますのよ。川元さん、急に孫会社に出向になったでしょ。不慣れな仕事で困ってないかって」
加奈子「大丈夫ですよ。ご主人にも安心するように言ってください」
真樹夫の母「うちの主人も役員として責任を感じてますの。親同士が同じ会社の上司部下の関係なんですから、遠慮なく相談くださいね」
真樹夫「もう、行こう」
と、母親の腕を引っ張る。
真樹夫の母「あら。じゃあまた、ごきげんよう」
と真樹夫に腕を引っ張られながらも満面の笑みを浮かべて立ち去る。
加奈子、憮然として後姿を見つめる。
進一、後ろから加奈子に声を掛ける。
進一「もう、行くね」
加奈子「えぇ、しっかりね」
進一「うん、俺、頑張るよ」
進一、歩き出すが、しばらく歩いてから振り返る。
加奈子、下を向きトボトボと歩いている。
進一、前を向き強い足取りで出口に向かう。両手でリュックの肩紐を強く握る。
自動ドアが開き、進一、出ていく。
(ここから現在パート)
〇星井物産・入口ロビー(朝)
自動ドアが開き、進一、ロビーに入ってくる。
社員、次々に出社してくる。
進一、社員たちに混ざってロビーを横切り、エレベータの前に並ぶ。
宇佐美部長、進一がいる列の後尾に加わる。
宇佐美「おせーな」
若手社員、宇佐美の声に気付き、さりげなく脇に避ける。
宇佐美、当然のように若手数人の間を縫って前に割り込む。
進一、宇佐美に気付き、ため息をつき脇に寄る。
宇佐美、進一の横を抜けて前に出ようとするが、進一に気付いて慌てて立ち止まる。
宇佐美「アッ、専務、おはようございます」
進一「えっ?」
エレベータが到着しドアが開く。
宇佐美、扉を押さえながら乗り込み操作パネルの前に立つ。
進一、怪訝な表情を浮かべながら中に入る。
若手社員たち、続いて乗り込む。
〇星井物産・役員フロアー~専務室
進一、カバンを胸に抱え、左右を見回しながら静かに歩いている。左右には重厚なドアが並んでいる。
一番、奥のドアが開き、社長が現れる。
進一、ビクッと身体を震わせ立ち止まる。
社長「オッ、川元専務、おはよう」
と軽く手を挙げ近づいてくる。
社長、進一の前で止まる。
社長「例の件、よろしくお願いしますね」
と、歩き去る。
進一、社長の背中を呆然と見つめている。
進一M「びっくりした、社長じゃん。で、川元専務だって。お願いしますだって」
側でドアが開く音がする。
進一、慌ててドアに視線を向ける。
役員秘書が現れ、進一を見て安堵の表情を浮かべる。
役員秘書「専務、今日は遅いですね。頼まれてましたレポート、机の上に置いておきました」
と、扉を手で押さえたまま。
進一「あぁ、ありがとう」
進一、ゆっくりと近づく。
扉に『専務室』とプレートが貼ってある。
役員秘書「どうぞ」
進一「あぁ、ありがとう」
と中に入る。
役員秘書「失礼します」
と扉を閉める。
進一、入り口でドアを背に立ち尽くす。
進一「個室だ」
と奥の机に向かい、革張りの椅子に座り感触を確かめる。それから机の引き出しを開けたり、閉めたりする。さらに机の上のネームプレートを手にする。裏返すと『CFO 川元進一』と書いてある。マグカップと伏せられた写真立ても机上に置いてある。
進一「やった! でかしたぞ! 過去の俺!」
と、両方の拳を握りしめガッツポーズ。
進一、机の上の経済レポートに視線を止め、手にとりパラパラと捲る。経済レポートを机の上に置き、電話を取り、短縮ボタンを押す。
進一「さっき、届けてもらったレポートだけど、最新号だけしかないよ。過去二年分がないと分析出来ないんだけど」
進一、相手の返答に頷く。
進一「至急でお願いします。じゃあ、よろしく」
と、電話を切る。
進一、袖を捲り腕時計を見る。高級腕時計に驚き目を見開く。さらに手首を返して時計全体を確認する。
進一「カッコイーー」
と満足げな表情を浮かべ、皮椅子の背に大きくもたれ掛かる。
進一「いや、待てよ」
と立ち上がる。
〇星井物産・営業部
進一、営業部フロアに入ってくる。
営業部員たちは、進一の姿に気付くとハッとして背筋を伸ばす。
進一、満足気な表情を浮かべながら、宇佐美部長の席に向かう。
宇佐美、近づいてくる進一に気が付き慌てて立ち上がり、駆け寄る。
宇佐美「専務、何か、御用――」
進一「この部の問題が何か分かるかね」
宇佐美「えっ?」
進一「聞こえなかったのかね」
宇佐美「問題ですか……」
進一「即答して欲しかったね。キミにはがっかりだよ。いいかね。キミの部の問題は新規商品の販売率が低いことだよ。新規商品の取扱量はたったの8.5%しかない。安定収入が見込める既存商品に頼りっきりだ。いいかね、既存商品は利益率が11%しかないし、マーケット自体が年間3%ずつ縮小している。一見、好調に見えるが、実はじり貧状態なのだ。気付いているのかね?」
宇佐美「すっ、すみません」
進一「ぬるま湯に浸かっていては未来はないぞ。未来のための努力が必要だよ」
進一、宇佐美の肩に手を置く。
進一「ほんとに、頼みますよ」
進一、三課の机に視線を向ける。
憧れの表情を浮かべている広山に気付く。
進一、立ち尽くす宇佐美を後にして廊下にでる。
進一「(満面の笑顔で)気持ちいーーっ」
と軽くガッツポーズ。
進一M「この感じが欲しかったぜーー。でも、ちょっと意地悪だったかな。まぁいっか」
男性社員が現れ、進一に頭を下げながら通り過ぎる。
進一、背筋を伸ばし会釈する。
進一M「でも驚いた。肩書だけじゃなく本当に頭も良くなっている。数字にも強い」
〇星井物産・役員会議室
社長や専務たち二十名ほどの重役、着席している。
進一、真ん中付近の席に座っている。
執行役員「それでは化成品事業の素材事業本部への移管について異議のある方、ございますか? 無いようですので決定とさせて頂きます」
社長「待ちたまえ。川元専務の意見を聞こう」
出席者一同、進一に視線を向ける。
進一「元々、その移管は調達コストの削減が目的だったと記憶しています。1.8%ほどの削減で1,500万円の効果が試算されていたはずです。しかし、化成品の主たるマーケットは今後、情報機器向けから医療器向けに移るとみられています。もし素材事業本部へ移管してしまうと営業コストの増加およびワンストップサービスの提供が出来なくなり、顧客満足度が低下します。商品自体の差別化が困難な領域ではこれは致命的です。私の試算では年間2.4億円ほどの機会損失が発生します」
執行役員、慌てて手元の資料を捲る。
社長、満足気に頷く。
副社長「本件は再審議とする。川元専務、フォローしてあげなさい」
進一「はい、分かりました」
と、自信たっぷりの表情で応える。
〇星井物産・専務室
進一が座る机の前に、執行役員が立っている。
執行役員「さすが川元専務、本当に助かりました。またよろしくお願いします」
執行役員、深々と礼をして部屋を出ていく。
進一「最高じゃん。知らなかったな。尊敬されるのがこんなに気持イイなんて」
進一、大きく椅子にもたれる。目に涙が溢れている。
進一「あれっ、涙が……。思えば、誰からも尊敬されたことなんか無かったもんなぁ」
進一、ハンカチを取り出し涙を拭う。
進一「これもブランド品じゃね?」
と、ハンカチをまじまじと眺める。
進一、ポケットからスマートフォンを取り出す。スマホアプリを起ち上げる。
スマートフォン画面には銀行の口座残高が表示されている。
進一「一、十、百、千、万、十万、百万……。役員手当、最高! もう、何でも買えちゃうじゃん」
進一、真上の天井を見上げる。
進一「あぁ、最高の人生を手に入れたぜ」
× × ×
ノックの音がする。
進一「はい」
と、表情を引き締め笑顔を抑え込む。
ドアが開いて若手社員が二名、入ってくる。若手社員、進一の机の前に立つ。
若手「小野寺選手の件、如何でしょうか?」
進一「えっ、真樹夫がどうした?」
若手「CMの件です。使ってた俳優の不祥事に伴う交代です」
進一「ああ、思い出した。ストイックなスポーツ選手に変えようとかいうことで、相談されてたんだね」
若手「NBA選手にまで人脈があるなんてさすがです」
進一「中学の時、同じバスケ部だっただけだよ」
若手「よろしくお願いします」
進一「ちょっと待ってね」
とマウスに手を伸ばす。
パソコンのチャイムがなり、新着メール到着を知らせるアイコンが表示される。
進一「ちょうど、返信が来たよ」
進一、マウスをクリックしメールを読み始める。
進一「嘘だろう……」
進一、顔を画面に近づける。
進一「ごめん、後で連絡するよ」
と、画面から目を離さず、片手を軽くあげる。
若手「それでは、よろしくお願いします。失礼します」
と、礼をして出ていく。
進一「小野寺真樹夫、本人に確認しましたが、川元進一様と同窓であったという記憶はなく、今回の申し出はお断りさせて頂くこととなりました。誠に恐縮では……」
進一、こぶしで机を叩く。
進一「記憶が無いって、どういうことだよ」
と、またこぶしで机を叩く。
進一「お前は、俺のヒーローなのに」
進一、マグカップに手を伸ばす。真樹夫の写真からゴルファーの写真に変わっている。
進一「なぜだ……」
と、マグカップを置く。
伏せられた写真立てに手を伸ばすが、途中で引っ込める。
〇銀座のクラブ(夜)
進一、役員たちとラウンジでくつろいでいる。進一についているホステスは独りだけ和服を着ている。
進一、そのホステスから水割りを受取る。
ホステス「川元さん、どうされたの? さっきから、ずっとキョロキョロなさって」
進一「いやぁ、天国だな、ここは」
ホステス「まぁ、今日は、どうしたのかしら」
と笑いながら進一の腕に軽く手を置く。
進一、グラスを置き、ホステスの顔をまじまじと見つめる。
ホステス「嫌だわ、そんなに見つめないでください」
と、持っているハンカチで口元を隠す。
進一たちのソファーの前に、中年と初老の男性が現れる。
中年の男性「川元専務、お世話になります」
進一、顔を上げて二人を見る。
進一「あぁ、ええっと……」
ホステス、進一の耳に唇を寄せる。
ホステス「西森さん。『ダブルスーツ』主演の」
中年の男性「西森晃一です。お世話になっております」
進一「あぁ、はい、はい」
ホステス「川元さん、お知り合いですの?」
初老の男性「以前、西森をCMに採用頂きまして。さらに『ダブルスーツ』の際はアドバイスも頂きまして有難うございます」
進一「どうぞ、ご一緒しましょう」
初老の男性「いえ、お暇します。明日も撮影が早いもので。それから、また西森をCMに使ってやってください。若手の誰かと違ってご迷惑をお掛けすることはありませんので」
初老の男性、中年の男性の背中に手を当てる。二人揃って、深々と礼をして去っていく。
ホステス「川元さん、すごいですわね」
進一「いや、別に大したことないよ」
ホステス「ご謙遜、なさらないで」
進一「もう、俺、どこまでいっちゃうんだろう」
と、両腕をソファーの肩に乗せ、満面の笑みで天井を仰ぎ見る。
〇自宅・リビング(夜)
スーツ姿の進一、リビングに入る。
母、加奈子(74)、妻、由佳(42)、ソファーに座ってテレビを見ている。
加奈子の前に包装紙に包まれたギフトボックスが三段、重ねられている。
加奈子「お帰り」
進一「珍しいな。来るなら連絡くれよ」
加奈子「もう帰るところ。これ貰っていくわ」
進一「いいよ。どんどん溜まっていくから」
加奈子「由佳さんは幸せね。私なんか御中元も御歳暮も一度も貰ったことがないのよ。良い旦那様を貰って良かったわね」
由佳「おかげさまで」
クラクションの音が聞こえる。
由佳、立ち上がる。
加奈子「悪いけど、それ持ってきて」
と、進一に言い、玄関に向かう。
進一、御中元の箱を手に抱え、後に従う。
〇自宅前(同日、夜)
加奈子、タクシーに近づく。
タクシーの後部座席ドアが開く。
加奈子、振り返る。
加奈子「愛梨ちゃんに会えなくて残念だったわ。よろしくいっておいてね」
進一「えっ、愛梨はいるだろう」
加奈子「いつも通りよ」
加奈子、後部座席に乗り込む。
進一、御中元の箱を座席に置く。
加奈子「そうそう、食洗器が壊れたの。買って頂戴」
進一、タクシーの天井に片手を付いて中を覗き込む。
進一「この前、小遣い、渡したろ」
加奈子「とっくに無いわよ」
進一「何に使ったんだよ」
加奈子「あんなものパンプス一足で消えちゃうわよ」
進一「靴なんか、一足で十分だろ」
加奈子「何、言ってんの。とにかく食洗器、よろしくね」
進一「ああ」
と、車から離れる。
ドアが閉まる。
〇自宅・リビング(同日、夜)
進一、リビングに戻る。
由佳、ソファーに座ったまま上半身をひねって進一の方を見る。
由佳「ねぇ、三軒先、車を買い替えたのよ。わざわざうちのと同じ車種の新型よ。腹立つわ。こっちが見劣りするのよ」
進一「愛梨は?」
由佳「買い替えるわね」
進一「えっ、あぁ、今のでいいよ。だいたい車なんか乗らないだろう」
由佳「車は乗るもんじゃないでしょ。セールスマン、呼んじゃったわよ。明日、来ますからね」
進一「えーっ」
由佳「そうそう、日曜日に持っていくバッグもないのよ」
進一「バッグなんて、売るほど持ってるだろう」
由佳「同窓会用のバッグがいるのよ」
進一「そっか、同窓会か……。服もいるだろう? そうだ、エステもいけば?」
由佳「いいの?」
進一「いいよ、いいよ」
由佳「車も?」
進一「もちろん。買っちゃお、買っちゃお。何でも買っちゃおう」
由佳「そう来なくっちゃ」
進一「なぁ」
と、笑顔を引っ込め真顔になる。
由佳「何?」
進一「同窓会、キャンセルしないよな」
由佳「えっ。いいんでしょ。バッグもエステも」
進一「うん」
由佳「じゃあ、しませんよ」
進一「良かった」
と、ほほ笑む。
進一「愛梨は?」
由佳「愛梨がどうしたの?」
進一「いつも、出迎えてくれるだろう」
由佳「どうしちゃったの? 急に愛梨のことなんか言い出して」
進一「ここに有ったトロフィーは?」
と、テレビ横のガラス戸を指さす。
由佳「何のトロフィー?」
進一「ダンスコンテストの奴だよ。盾とトロフィーとメダル」
由佳「なんのこと? ダンスやってたのって小一の時だけでしょ。トロフィーなんかないわよ」
進一、廊下に出て、愛梨の部屋に向かう。
〇自宅・愛梨の部屋の前(同日、夜)
進一「愛梨」
と、ドアをノックする。
何の応答もない。
進一「ちょっと、出ておいで。おばあちゃんも会いたがってたぞ」
進一、ドアに耳をつける。ドアノブを回して引っ張るが開かない。
再びノックをしようとして手を止める。
進一「そうだ、お小遣いをあげよう。出ておいで。ダンスのDVDとか何枚でも買えるぞ」
と笑顔で呼びかける。
反応がなく、またドアに耳をつける。
進一「なぁ、顔ぐらい見せてくれよ」
と、強くドアを叩く。
突然、ドアがあく。
ボサボサ頭でヨレヨレのスウェットを着た愛梨が現れる。
愛梨「誰だ、お前。うるさいぞ」
と、ペットボトルの水を進一の頭から掛ける。
進一、ドアをノックする姿勢のまま呆然と立ち尽くす。
愛梨、進一の目の前でドアを閉める。
由佳、進一に近づく。
由佳「あなたの顔なんか覚えてないわよ」
進一「いつからだ?」
由佳「えっ?」
進一「いつから引きこもってるんだ?」
由佳「中二に上がってすぐ。もう四ヶ月」
進一「今まで、何してたんだ?」
由佳「何してたって、どういう意味? 愛梨の世話に決まってるじゃないですか。学校に相談したりとか。あなたこそ何してたの?」
進一「俺のせいなのか……」
由佳「タオル、取って来る」
進一M「愛梨……。愛梨……。どこだ、どこで間違ったんだ」
進一、フラフラと立ち上がる。
由佳、廊下に現れ、進一にタオルを渡す。
進一、タオルを手に玄関に向かう。
由佳「どこ、いくの?」
進一、靴を履き、そのまま外に出ていく。
由佳、一人、廊下に残される。閉まった扉を見つめて呟く。
由佳「……。私は大丈夫よ。あなたが忙しいこと分かっているから。私は大丈夫。幸せよ」
〇タイムトラベル研究所・応接室(同、夜)
進一、所長の向かいのソファーに座っている。
パジャマ姿の所長、調査票を指でなぞりながら読んでいる。
所長「変える前……。過去で変えたこと……。その結果、変わったこと……」
進一「それでいいでしょ。早く十年前に戻して下さい」
所長「身体に何か、異変とか無いですか?」
進一「えっ?」
所長「タイムトラベルによる副作用で心臓の位置が逆になるとか、右脳と左脳が入れ替わるとか」
進一「ちょっと待ってください。副作用とかあるんですか?」
所長「それは私が今、あなたに聞いてることです」
進一「いや、特に異変は感じません。ちょっと太ったくらいかな」
所長「それは良かった。タイムトラベルの目的は人を幸せにすることですからね」
進一「ちなみにタイムトラベルって、何回くらいやったんですか?」
所長「あなたが第一号です」
進一「えぇーーっ。うそっ」
所長「言いませんでしたか?」
進一「聞いてませんよ。いや、もう、そんなことはどうでもいいです。とにかく十年前に戻して下さい。あと少しなんです。あと少しで完璧な人生が手に入るんです」
〇星井物産・営業部(朝)
十年前の三十三歳の進一、課長席に座りパソコンを操作している。フロアには進一一人だけ。
十年前の進一の正面に進一が現れる。
進一「何やってんだ、こんなところで! 今日は運動会だろ」
十年前の進一「お前は……」
進一「十年後のお前だ。とにかく早く行け。仕事は俺が片付けておいてやる」
十年前の進一「ダメだ。この企画には心血を注いできたんだ」
進一「お前は愛梨を傷つけている」
十年前の進一「まだ四歳だぜ。運動会のことなんか忘れるよ」
進一「そういう問題じゃない。今日の愛梨が寂しい気持ちを味わうだろう!」
十年前の進一「だから、そんな気持ちはすぐに忘れてしまうさ」
進一「運動会のことは忘れるかもしれない。でも今日の寂しい想いは一生、残るぞ」
十年前の進一「愛梨はイイ娘だよ。分かってくれるさ」
進一「イイ娘過ぎるんだ。愛梨は家族のために自分を押し殺すようになる。そして引きこもりになってしまうんだ」
十年前の進一「いいや、そんなことにはならない。俺がいなくても由佳がいる。アイツは分かっている。由佳がなんでもやってくれるさ」
進一「……。由佳がなんでも?」
十年前の進一「そうさ。そうだろう?」
進一「たしかに、あいつは……。分かってくれている……」
十年前の進一「じゃあ、安心――」
進一「ダメだ! 由佳がどんなに頑張ってもお前自身になれる訳じゃない」
十年前の進一「未来のための我慢は必要だろう? なんの我慢も努力もしなかった末路を教えてくれたのはアンタだぞ」
進一「仕事と家庭を両立させろ。愛梨を救え。いや、救ってくれ、頼む」
十年前の進一「……。任せていいのか」
進一「あぁ。俺はお前だ。この企画書を完成させる。そしてエリート街道まっしぐらだ」
十年前の進一「分かった。本当は行きたかったんだ。頼んだぞ」
と、慌てて立ち上がり鞄を手にする。鞄や足を机にぶつけながら一直線に出ていく。
進一「こっちこそ、頼んだぞ!」
進一、課長席に座り、パソコンを操作しテキパキと画面に入力していく。『想定されるリスクおよびその対応。Ⅰ.安価な競合商品の登場……』
× × ×
進一、コピー機から製本された資料を取り出す。
進一「よし」
と、課長席に戻り、机の上に資料の束を置く。
進一「さてと」
と、腕時計を確認する。わき机の引き出しを開け、名刺を一枚取り出す。
進一、小走りで出口に向かう。
〇進一の両親の家・玄関(朝)
加奈子「仕事し過ぎなんじゃない。なんか、しばらく会わない間に老けたわね。まあ、上がって」
進一「いや、ここでいい。急ぐんだ。頼みがあるんだ。聞いてくれ」
加奈子「なに? 怖いわね」
進一「愛梨のことなんだ。ちょくちょく会いに来てくれないか。盆と正月だけじゃなく」
加奈子「何か、あったの?」
進一「いや、何か起きる前の予防だよ」
加奈子「嫌よ。由佳さんがイイ顔しないでしょ」
進一「しないよ」
加奈子「するわよ」
進一「……。するか……」
加奈子「そうよ」
進一「来てくれれば、その都度、お小遣いも渡すよ」
加奈子「そんなモノじゃ釣られませんよ」
進一「頼む」
加奈子「それほどいうなら、いいわよ。でも、愛梨ちゃんの為ですからね」
進一「分かってるって。とにかく頼んだからな。よろしく」
と、腕時計を見て踵を返すが立ち止まり、振り返る。
進一「父ちゃんは?」
〇病院・食堂
進一、病院の食堂に入っていく。時間外のため閑散としている。
父親の康太郎と、友人の濱が談笑している。
康太郎は背中をのけ反らせて笑っている。足にギプスをはめている。ギプスには色んなメッセージが書き込まれている。
濱は、派手なロックバンドロゴのTシャツを着ている。
テーブルにはフラワーバスケットとケーキの箱が置かれている。
濱、近づいてきた進一に気が付き、顔を上げる。
濱「久しぶり」
進一「わざわざ来ていただいてありがとうございます」
濱「暇だからね」
康太郎「座れよ」
進一「時間、ないんだ。元気そうだね」
濱「父ちゃんはステージから飛び降りるほど元気だけど、息子の方はやつれてるんじゃない?」
進一「まぁ、仕事が忙しくて」
進一、康太郎に顔を向ける。
進一「足が治ったら、うちに寄ってくれ。母ちゃんにも頼んだけど、愛梨に会いに来て欲しんだ」
康太郎「自分の娘の面倒は自分でみろよ」
進一「忙しんだよ」
康太郎「お前、何のために仕事してんだ」
進一、時計を確認する。
進一「家族のために決まってるじゃないか。もう行かなきゃ。とにかく頼んだよ」
〇体育館・ロビー
バスケット試合開始前にロビーでサイン会が行われている。
進一、国内一部リーグのシルバーノートリアスの小野寺真樹夫選手の列に並んでいる。
進一、腕時計を確認し、背伸びして列の前を見る。またすぐに腕時計を確認する。
× × ×
進一、自分の順番になり、サインペンを手にした真樹夫の前に進む。
進一「私のこと覚えてないですか? 中学の時、バスケ部で一緒だった川元進一。クラスも一緒。友達だったんですよ」
真樹夫「いや、ちょっと、分かんないです」
と、言いながらサインペンを振って見せる。
進一、名刺を真樹夫の目の前の机に置く。
進一「私が専務を務める星井物産がスポンサーになります」
真樹夫「スポンサーシップなら、フロントに連絡――」
進一「チームへのスポンサーに加えて、小野寺選手とも個人契約します」
真樹夫の横のスタッフ「サインじゃない方はこちらに――」
と、進一を真樹夫から遠ざけようとする。
進一「手厚い支援を約束します。小野寺選手を全面的にサポートします」
幾重にも重なる鐘の音が聞こえてくる。
進一、ハッとし腕時計を確認する。
進一「とにかく、私を訪ねて来てください。決して損はさせませんから。また旧交を温めたいと――」
進一の視界が歪み始める。
進一、真樹夫に顔を向けたまま列から離れていく。
進一「必ずNBAに挑戦して下さいね。絶対成功するから! 頼んだぞぉ!」
と言いながら駆け出す。
〇タイムトラベル研究所(深夜)
進一の視界が戻る。
所長、ソファーに沈んで座り、首をのけ反らせて大口を開けて寝ている。
進一、ソファーの背もたれにもたれ掛け、目を閉じる。
進一M「これで大丈夫だ。出世と家庭と友達が手に入った」
進一、目を開け腕時計を確認する。深夜二時。
進一「あっ、これ国産じゃん! ……。でも、三百万はする奴だ……。まぁヨシとしましょう!」
と立ち上がる。
〇星井物産・役員室
進一、個室に座っている。机上のネームプレートを確認する。
進一「げっ、常務になってんじゃん。部屋も狭いじゃん」
と一瞬、うな垂れる。
進一「まっ、いいか。役員だし、個室もあるし、椅子も革張りだし」
進一、スマートフォンを取り出し、アドレス帳を開く。
進一「あった」
と、小野寺真樹夫の名前を凝視する。
進一、大きく深呼吸する。
一瞬、躊躇ったのち、人差し指で通話ボタンを押す。
真樹夫の声「どうした進一」
進一「真樹夫か?」
真樹夫の声「ああ、どうした?」
進一「いや、俺が誰か分かるのか?」
真樹夫の声「ハハハ、何言ってんだ。また寄るよ。これから練習なんだ。話があるなら、その時な」
電話の音「ツー、ツー、ツー」
進一「これでCMも頼めるな」
と、大きく息を吐き胸を撫でおろす。
進一「待てよ。あいつアメリカじゃないのか……」
〇星井物産・営業部
進一、営業部の事務所に入っていく。
宇佐美部長が気付いて、平身低頭で近づいてくる。
宇佐美「常務、いつも御指導、ありがとうございます。新商品の取り扱いに注力したため利益率が大幅に改善しました」
進一「大幅? 大幅って何パーセントかね?」
宇佐美「えっと――」
進一「いや、大丈夫だ。多分、4%前後の改善だろう」
宇佐美「申し訳ございません。即答できずに」
進一「いやいや、謝る必要なんかないよ。その調子で頑張って下さい」
宇佐美「はい。有難うございます」
進一、軽く片手を挙げて出ていく。
進一M「時計、出世、友達、頭脳、権威はクリアだな。次は……」
〇銀座のクラブ(夜)
進一、クラブのドアを開ける。
和服姿のNo.1が前を通りかかる。進一、笑顔で片手を挙げて挨拶するが、No.1は軽い会釈だけで通り過ぎる。
垢抜けないホステスが近づいてくる。
ホステス「まあ、川元さん、いらっしゃい。今日は御一人?」
進一「えっ、あっ、うん。ちょっと一杯だけ」
と言いながら、垢抜けないホステスの全身を眺める。
進一、ホステスに案内されソファーに座る。
ボーイがキープボトルを持ってくる。
進一、ボトルを手に取る。
進一「国産か……。まぁ、ヨシだな」
ホステス「何が、ヨシですの?」
進一「俺の人生だよ。今のところ上々さ」
ホステス「まぁ、素敵」
進一「乾杯しよう!」
〇自宅・玄関前(夜)
進一、玄関に向かって拍手を打つ。
進一「どうか、引きこもりから脱出してますように」
〇自宅・リビング~ダイニング(夜)
進一、リビングに入ってくる。
進一「ただいま」
由佳の声「お帰りなさい」
進一、声をたどってダイニングに入る。
由佳、キッチンで料理をしている。由佳は、ふくよかな体型に変わっている。
進一「えっ」
と、周りをキョロキョロと見回した後、また由佳に視線を戻す。
進一「あのぉ」
由佳「なに?」
進一「あの、その」
由佳「ん? なに?」
進一「そのぉ……、少し太ったんじゃ……」
由佳「仕方ないでしょ。トレーニング、辞めたんだから」
進一「辞めたんだ……」
由佳「言ったじゃん。二カ月ごとに三十万なんて払えないわよ。文句あるの?」
進一「文句なんてとんでもない。全然、全然」
由佳、鼻を鳴らし、料理に戻る。
進一、由佳の後姿を見つめる。
進一M「可愛いなぁ。あの肩の丸いラインが可愛すぎる。そうか、常務に格下げした影響か。うれしい誤算だな」
進一「そうだ、愛梨は?」
と、リビングに戻る。
パタパタと軽やかな足音が近づいてくる。
愛梨「パパ、お帰りぃ」
と、進一に抱き着く。
愛梨は髪を青くてツインテールにしている。
愛梨「見て、見て」
と、下がってステップを踏み始める。
愛梨「スクーバ―からスクービードゥからのウォーターゲート。どう?」
愛梨、軽やかにポーズを決める。
進一「パパって呼んでくれるんだ……」
愛梨「ねぇ、どう?」
進一「……。うん、いいよ。それより、学校は行ってるのか?」
愛梨「当り前じゃん」
進一「その髪は大丈夫なの?」
愛梨「エクステだし、学校じゃ外しているよ」
進一M「……。何はともあれ、良かった……」
由佳の声「小野寺さんから連絡、あったわよ。今日、来るって」
〇自宅・ダイニング(夜)
ダイニングテーブルの上に、ホットプレートが置かれ、焼き肉が調理されている。
進一、由佳、愛梨、真樹夫、テーブルを囲んでいる。
進一、美味しそうに食べている由佳と愛梨、ビールをゴクゴクと飲む真樹夫を見つめる。
進一の目に涙が浮かんでくる。
進一、涙を拭う。
由佳「どうかした?」
進一「いや」
進一、真樹夫に顔を向ける。
進一「アメリカじゃないのか?」
真樹夫「アメリカって?」
進一「NBAだよ」
真樹夫「NBAがどうした? 諦めたって言っただろう」
進一「えっ、なんで?」
真樹夫「その話は済んだろう。今日は一部残留が決まったお祝いだ。本当に進一には感謝しているよ」
由佳「あなた、明日、早いんじゃないの?」
真樹夫「休みじゃないのか?」
進一「ゴルフだよ」
真樹夫「重役ともなると大変だね」
進一「あぁ、少し疲れたみたいだ。俺、先に寝るよ。真樹夫はゆっくりしていってくれ」
と立ち上がる。
進一「そうだ、愛梨、真樹夫にコンテストの動画を見せてやれよ」
愛梨「地区予選で準優勝したんだ」
真樹夫「すごいじゃん。またトロフィー?」
愛梨「メダルだけ」
〇自宅・書斎(同、夜)
進一、部屋の照明スイッチを入れ、足を踏み入れる。
進一、部屋の中央に立ち、うな垂れる。
進一M「スポンサー契約のせいか。真樹夫はぬるま湯を選んだ。子供の頃の夢もバスケ少年たちの憧れも消えてしまった……。いや、プロはプロだ、気にする必要なんかない」
進一、顔を上げる。
進一M「出世も家庭も友達も手に入れた。やっと理想の人生が手に入った」
進一、目をうるませながら両手でこぶしを握る。
進一、机の上の封筒に目を留める。近づいて封筒を手に取る。
進一「健康診断結果……。なんか悪い予感がするんだけど……」
進一、封を切ろうとする。進一の視界が傾く。進一、床に倒れる。
〇病院・個室(夕方)
進一、ベッドの上で目を覚ます。鼻に酸素チューブを付けられ、点滴を受けている。
医者、病室を出ていこうとして、進一が目覚めたことに気付き振り返る。
医者「気分はどうですか?」
進一「いったい……」
医者「軽い脳梗塞ですね。血圧も高いですし、LDLコレステロールの値とトリグリセライドの血中濃度が高いです。動脈硬化も顕著に見られます。生活習慣病に過労が重なったのだと思います」
進一、不安げな表情を浮かべる。
医者「しばらく安静にしてください。あとで問診に来ますが、生活習慣の見直しは必須ですよ」
医者、出ていく。
進一、上体を起こす。
× × ×
(フラッシュ 康太郎の入院先)
食堂のテーブルの上に、フラワーバスケットやケーキ箱が置かれている。
笑顔の濱。父親のギブスのメッセージ。
× × ×
進一、サイドテーブルの上や、冷蔵庫の中を確認する。何もない
進一、両手の拳でベッドを叩く。
進一「完璧だったはずなのに。どこで間違えたんだ!」
と、鼻のチューブを乱暴に外す。
〇タイムトラベル研究所・応接室(夕方)
進一、所長を前にしてソファーに座っている。ポロシャツ、スラックス姿。
ソファーの横に点滴スタンドがあり、点滴チューブが進一の腕に繋がっている。
進一「勉強しなきゃ家族が惨め。エリートになれば娘の信頼を失う。両立させると病気って、八方塞がりじゃないですか!」
所長「右に行ってダメだったからと、戻って左に行っても幸せになれるとは限らないということですね」
と、頷き、進一を見つめる。
所長「川元さん、もう過去を変える意味はないんじゃないですか。いや、そんなことより病院に戻った方が――」
進一「いったい、どうすればいいんだ」
所長「とりあえず、病院に戻りましょう」
進一「嫌だ、病院には戻らない! 過去に戻る! とにかく、病気は嫌だ」
〇進一の単身赴任先アパート(夕方)
アパートの呼び鈴が鳴る。
三年前の進一、スーツ姿にバッグを抱えて玄関に現れ、ドアを開ける。
目の前に、点滴スタンドを持った進一が立っている。
進一「誰か分かるな? 三年後のお前だよ。お前は、毎日、帰省しなくていいんだよ」
三年前の進一「仕事と家庭を両立させろって言ったのはアンタだろう。いや、それより大丈夫か? 相当、顔色悪いぞ」
進一「それはこっちのセリフ、アンド、お前のせいだ。自分の顔を見ろ、そうとう疲労が溜まってるぞ」
三年前の進一「新幹線の中で寝るから大丈夫だよ。もう、行かなきゃ――」
進一「今日はよせ。帰るな。休め」
三年前の進一「嫌だ。愛梨が待ってるんだ」
進一「愛梨も分かってくれるはずだ」
三年前の進一「分かってくれるという思い込みが間違いの元だったんじゃないのか? なにより俺が愛梨に会いたいんだよ」
進一「我慢しろ」
三年前の進一「出来ない。それに明日の本社会議に出なきゃいけないんだ」
進一「会議は、俺がなんとかする」
三年前の進一「でも……」
と、進一の顔じっとを見つめる。
三年前の進一「愛梨が楽しみにしてるんだ。ケーキを買って帰る約束したんだ」
進一「ケーキも任せろ」
三年前の進一「任せていいのか?」
進一「あぁ、信用しろ」
三年前の進一「東京駅限定のマンゴーケーキだぞ」
進一「任せろ」
三年前の進一「……。分かった。頼んだぞ」
進一「ああ。こんな風になりたくないだろ」
と点滴が付いた腕を前に出す。
三年前の進一「うん。これ」
と、胸ポケットから新幹線の切符を取り出す。
三年前の進一「それからこれも」
と、鞄から封筒を取り出し、進一に渡す。
三年前の進一「明日の会議資料、企画書」
進一「じゃあな。ゆっくり休め。それから外食は控えろ。塩分と脂質に注意するんだ。いいな、頼んだぞ」
三年前の進一、うなずく。
ドアが閉まる。
〇新幹線・グリーン車(同、夕方)
進一、点滴スタンドを抱いたまま座席に座り眠っている。
〇駅(夜)
進一、改札内のコンコースを点滴スタンドを転がしながら歩いている。『駅限定』と、のぼりが立っているケーキ売り場に近づく。
進一「マンゴーケーキを一つ」
店員「3,681円です」
進一、財布を覗き込む。千円札が二枚しか入っていない。
進一「カードで」
と手渡す。
店員、何度か操作を繰り返す。
店員「済みません、こちら使えないようです」
進一「えっ、そんなはずは……」
と、カードを受取り確認する。
進一「そっか。期限か」
進一M「まっ、いいか、ケーキくらい。また今度で」
進一「済みません。無しで」
と、ケーキ屋を後にして改札に向かう。
〇星井物産・ロビー(夜)
進一、点滴スタンドを持ち、ロビーに立っている。
スーツ姿の宇佐美、進一に駆け寄る。
宇佐美「川元本部長、どうされたんですか?」
進一「悪いな、呼び出して。入れないもんでな」
宇佐美「大丈夫ですか?」
進一「いや、ちょっと疲れが溜まってるんで明日は休むよ」
宇佐美「でも、明日は企画会議ですよ」
進一「そこで頼みがあるんだ」
と、書類の封筒を宇佐美に渡す。
進一「この件、お前に任せるよ。元々、お前の発案だったし」
宇佐美「いえいえ、私の夢想を具体的な計画にまで仕上げたのは本部長ですし」
進一「いや、お前がやってみろ。俺が後押しするから」
宇佐美「しかし、予算取りからステークホルダーとの調整まで全て本部長独りで――」
進一「逆に、お前たちに任せるべきだったと反省しているよ」
宇佐美「全く、そんなことは……」
進一「これからはチームとして力を合わせてやっていこう」
と、手を伸ばして宇佐美の片手を取り握手する。
宇佐美「こちらこそ、よろしくお願いします。本部長のために一生懸命頑張ります」
進一「悪いけど、急いでるんだ。よろしく頼んだぞ」
と、去っていく。
〇真樹夫自宅・玄関(夜)
進一、玄関の呼び鈴を連打している。
真樹夫、ドアを開け出てくる。
真樹夫「なんだ? それ」
進一「点滴だよ」
真樹夫「……」
進一「お前は、なぜ、こんなところにいるんだ」
真樹夫「どういう意味――」
進一「NBAに行くんじゃなかったのか? 子供の頃からの夢だろう」
真樹夫「いきなり、どうしたんだよ」
進一「夢に挑戦しないのか?」
真樹夫「NBAなんか無理に決まってるだろう。もう四十だぞ。とっくに引退してる年齢だ」
進一「悔いはないのか?」
真樹夫「いや、もう遅いって」
進一「……。済まん。俺のせいだ」
真樹夫「何が?」
進一「なぁ、真樹夫、頼む。結果はどうであれ挑戦してくれ。トライアウトを受けろ」
真樹夫「意味ないよ」
進一「意味はある。挑戦せずにダメなのと挑戦した結果、ダメだったのは天と地の開きがあるだろう」
真樹夫「ダメって決めつけるなよ。自慢じゃないが十四位指名を受けたこともあるんだぞ」
進一「そうだ。その意気だ」
進一、腕時計を確認する。
進一「頼んだぞ」
〇自宅・リビング(夜)
進一、リビングに入ってくる。
愛梨、駆け寄ってくる。
愛梨「お帰りぃ、遅かったね」
進一「うん、ゴメンな」
愛梨「それ、どうしたの?」
と、点滴を指さす。
進一「別に、なんでもない」
愛梨「ふ~ん。ねぇ、ケーキは?」
進一「ごめん、お金が無くて買えなかった」
愛梨「えっ。どういこと? 買ってないの?」
由佳、愛梨の後ろにやってくる。
由佳「買ってこなかったの?」
進一「忘れてたわけじゃないんだ」
愛梨「ひどい。ご飯も少なめにして楽しみにしてたのに」
進一「ごめんよ。また今度、買ってくるからさ」
愛梨「嘘つき」
と、走り去っていく。
進一「愛梨っ」
と、声を掛けるもののその場に立ち尽くす。
進一「たかがケーキじゃんか」
由佳「楽しみにしてたのよ」
進一「でも、たかがケーキだろ。こうして単身赴任先から帰って来たのに」
由佳「小学生にそんな理屈、通じないわよ」
進一「でも、たかがケーキじゃんか」
由佳「ケーキよりも約束を忘れられたのがショックなのよ。分かんない?」
進一「忘れてなんかないよ」
由佳「それに嘘までついて」
進一「嘘じゃないよ」
由佳「お金が無いわけないでしょ」
進一「どうしよう。進一に合わせる顔がない……」
由佳「後で取りなしておくわよ」
と、立ち去ろうとする。
進一「待って。現金を貸してくれ」
〇自宅前・車道(夜)
進一、タクシーの後部座席に、点滴スタンドごと乗り込もうとする。
〇駅・通路(夜)
進一、ケーキ販売コーナーでケーキを買う。腕時計を確認する。
〇自宅・玄関前(夜)
進一、片手にケーキ、片手に点滴スタンドを持ち、玄関に向かう。
進一M「やばいーっ。進一に怒られるー」
〇自宅・玄関(夜)
進一、ドアを開ける。
愛梨と由佳、現れる。
愛梨「パパ、ゴメンなさい」
進一「パパこそ、悪かったよ」
愛梨「わがまま、言ってごめんなさい」
進一「なぁ、愛梨、よく聞いてくれ。パパは仕事に戻らないといけない。でも、いつもお前のことを大切に思っているんだ」
愛梨、うなずく。
進一「本当にお前たちのことを思ってるんだ。でも仕事も大事なんだ。分かってくれ」
由佳「今から出社するの?」
進一「戻らないといけない。終電で帰るよ」
由佳「無理しないでね」
進一「これからはもう、毎日は帰って来れない」
由佳「分かったわ。身体に気をつけてね」
進一「はい、これ」
と、愛梨にケーキを渡す。
進一「じゃあ、もう行かないと」
愛梨「ほんとに行くの」
進一「ごめんな。そうだ、またダンス、見せてね。じゃあ」
と言い、腕時計をみる。
進一、扉のドアノブに手を掛ける。
由佳、愛梨「行ってらっしゃい。気を付けてね」
進一、振り返る。
進一「由佳、俺、血圧が高いんだ。塩分、控えめでよろしく。頼んだよ」
〇タイムトラベル研究所・応接室(夜)
ぼやけて歪んだ所長の姿が徐々に鮮明になる。
進一「ふーっ」
所長「おかえりなさい。今回は何を変えたのですか?」
進一「……。健康に気を遣うように頼んできましたよ。健康が一番ですからね」
と、点滴チューブがつながった左手を挙げる。
所長「……」
進一「どうかしました――」
所長「健康の大切さが分かったのも倒れたからですよね?」
進一「ええ」
所長「……。失敗したからこそ大事なことが分かったのかも知れません」
点滴スタンドが揺らめき薄れ、消えてなくなる。
進一「やった! 消えた! 生活習慣病が無かったことになった!」
所長「失敗を帳消しにするようなタイムトラベルは人を幸せから遠ざけるのかもしれません」
進一「やったぜ。息苦しさも無くなっている!」
所長「これが最後です、川元さん。もう二度とあなたに会うことは無いでしょう」
進一「ワッ、すげー、スイス製に戻ってる!」
と、腕時計を見つめる。
所長「聞いてますか?」
進一「今回は期待できそうです!」
と、満面の笑みを浮かべる。
〇自宅・玄関前(夜)
進一、玄関に近づく。車庫の車を目にして足を止める。
進一「げっ、新車じゃん」
と、横目に見ながら玄関ドアに向かう。
〇自宅・リビング(夜)
進一、恐る恐るリビングを覗く。ソファーに座る由佳の後姿が見える。
由佳はやせている。
進一、うな垂れる。
進一「ただいま」
由佳「おかえりなさい」
進一「ジムに行ってるの?」
由佳「何の話?」
進一「だって、痩せてるじゃないか」
由佳「スーパーフードのおかげよ。ダイエットなんて必要ないわ」
進一「ふ~ん」
進一M「期待通りにはいかないな。もっかい、過去に戻ろうかな」
由佳「私以外、みんな、見事に中年太りしてたわ」
進一「みんな?」
由佳「そう。男子は特にね」
進一「同窓会、行ったんだ……」
由佳「楽しかったわ。もう、しゃべりっぱなしで喉が枯れちゃったもの」
進一「良かった……。良かったね」
ガチャっと玄関のドアが開く音がする。
愛梨、リビングに現れる。私服姿でバッグを肩に担いでいる。
進一「お帰り」
愛梨「チェッ」
と、進一を見て舌打ちする。
進一「ダンスのレッスン?」
愛梨、進一を無視し、すれ違いざまにバッグをぶつける。
進一、愛梨の背中を見つめる。
進一M「引きこもりではないんだ……」
由佳「ごはん、食べる?」
進一「いや、ちょっと出掛けて確認してくる」
由佳「確認?」
〇銀座のクラブ(夜)
進一、ドアを開ける。
和服姿のNo.1が前を通りかかる。進一、笑顔で片手を挙げて挨拶するが、No.1は軽い会釈だけで通り過ぎる。
垢抜けないホステスが近づいてくる。
ホステス「あら、お久しぶり」
進一、ホステスの顔を見つめる。
進一「う~ん。飲み歩くのをセーブしてるせいかなぁ」
ホステス「なんのこと?」
進一「こっちの話」
と、言いながらホステスの後をついていき、案内されたソファーに座る。
ボーイがキープボトルを持ってくる。
進一、ボトルを手に取る。
進一「高級品だ」
ホステス「いいことでもありました?」
と言いながら水割りを作る。
進一「今のところはね。パーフェクトとはいかないけど」
と、グラスに手を伸ばす。
ホステス「これからの努力次第ですわね」
進一「えっ」
と、ホステスの顔を凝視する。
ホステス、進一の視線を受けてほほ笑む。
ホステス「私もいただいてよろしいです?」
進一「今、何て言った?」
〇繁華街(夜)
進一、繁華街を歩く。閉店後のガールズファッション店の前で足をとめ、ショーウィンドウを眺める。
顔を道路に向け再び歩き出す。すれ違う若い女性や、遠くで談笑する若い女性に目を向ける。
進一、立ち止まり空を見上げる。
しばらくして正面を向き、確かな足取りで歩き始める。
〇星井物産・役員室(朝)
進一、自分の机の前に立ち、机の上のネームプレートを手に取る。『CFO 川元進一』と書かれている。
進一、満足気に頷き、椅子に座る。
革張り高級椅子の座り心地を確かめ、満足気な表情を浮かべる。
進一「仕事も順調」
机上の電話がなる。
進一、受話器を取る。
電話の声「川元専務、社長との打合せのお時間です」
〇星井物産・社長室
進一、ノックしてドアを開け社長室に入る。
社長、副社長、応接セットのソファーに並んで座っている。
進一、社長の手招きに応じて向かい側に座る。
社長「忙しいところ済みません。例の件、了解でよろしいですね」
進一「例の件?」
社長「支社長の件ですよ」
進一「支社長?」
社長「ミスターパーフェクトと呼ばれる川元専務にしか頼めないんですよ」
副社長「EBM社は一筋縄ではいかないからな」
とソファーの背に大きくもたれる。
副社長「短期間でボードや組合と話をまとめ、株主や、政府とも調整しなきゃならん。それだけなら私がやればいいんだが、その後の陣頭指揮が執れるのはキミしかいない」
進一「あぁ、三年のガイアナ駐在の件ですね」
社長「川元専務ならすぐに成果が出せるだろう。三年と言わずに二年で戻れるんじゃないか。専務が戻って来たタイミングで私はリタイアするよ」
副社長「まぁ、キミが残りたいというなら、五年でも十年でも構わないんだが」
進一「決定はもう少し待ってください。まだ家族の了解が得られてないので……」
社長「悩む話では無いと思うがね。まぁ、とにかく、一両日中には返事をお願いします」
〇星井物産・役員室
進一、椅子に座り腕組みをして眉間に皺を寄せている。
× × ×
(フラッシュバック・自宅・リビング)
愛梨「チェッ」
と、舌打ちし、バッグを進一にぶつけて去っていく。
× × ×
進一、慌てて内ポケットからスマートフォンを取り出し写真アプリを起ち上げる。
画面には生まれたばかりの赤ん坊の写真が表示されている。
進一、写真を一つずつ確認しながらスライドさせている。赤ん坊から大きくなっていく愛梨の画像が次々に現れる。
進一、中学の入学式の写真で手を止める。入学式の看板を中心に右側には友達の女子生徒と両親、祖父母が写っており、左側には不機嫌そうな愛梨が一人で写っている。
進一、ため息をつき、スマートフォンを机上に投げやる。
進一、頭を抱える。
進一「断るべきだよな。そうだよな。断っていいんだよな。いいよな。誰か、教えてくれ!」
進一の声が役員室に響く。
大きな音を立て、役員室のドアが開く。
ヨレヨレのジャージ姿の男が入ってくる。
進一「誰だっ」
五年後の進一「五年後のお前だよ。お前の未来を知る男だよ。よく聞け。お前がこのままここに残ると、副社長の謀略に引っ掛かり派閥争いに負け、閑職に追いやられるぞ」
進一、椅子に身体を押し付けたまま唖然とする。
五年後の進一「さぁ、今すぐ、社長に承諾の電話をかけろ」
進一「……。嫌だ。閑職でいいじゃないか。これからはもっと家族のために時間を使う」
五年後の進一「馬鹿なこというな。お前も由佳も生活レベルを落とすことが出来ないんだ。あっという間に貯金もなくなり転落だぞ」
進一「いいじゃないか。なまじ金があるからまともな家族になれないんだ」
五年後の進一「愛梨を不幸にしてもいいのか!」
と、進一の顔に指を突き付ける。
進一、絶句する。
五年後の進一「確かに、お前の気持ちが伝わり、態度も軟化してくる」
進一「良かった。じゃあ――」
五年後の進一「良くない! 高校に進学した愛梨は留学を望む。でも留学費用が工面できず、希望を叶えてやることができないんだ。ずっと恨まれるんだぞ」
進一「そんな……」
五年後の進一「やる気を失った愛梨はまた学校に行かなくなる」
進一「嘘だ!」
五年後の進一「嘘なもんか。金が要るんだ。さぁ、とっとと電話をしろ」
進一、受話器に手を伸ばす。
五年後の進一、自分の身体を見回す。着ているジャージが薄れ、スーツの上下に変わっていく。
五年後の進一、笑顔を浮かべる。
ドアが勢いよく開く音がして、ヨレヨレのジャージ姿の男、十年後の進一が現れる。
五年後の進一「誰だ!」
十年後の進一「十年後の進一だ!」
五年後の進一のスーツがジャージに戻る。
十年後の進一「承諾するんじゃない! ガイアナ赴任を死ぬほど後悔することになるぞ。三年でも、五年でも帰れないぞ。十年経ってもまだ海外暮らしだ。愛梨と由佳と十年も離れ離れになるんだぞ。みんな不幸になるだけだ」
進一、十年後の進一の顔を呆然と見上げる。
またドアの開く音がする。
三人、ドアの方向に視線を向ける。
十年後の進一「誰だ!」
十五年後の進一「十五年後の進一だ!」
十五年後の進一、ジャージ姿で立っている。ゆっくりと机に近づき、未来から来た二人の進一の横に立つ。
十五年後の進一「ガイアナに行け、進一。見ろ、このみすぼらしい姿を。国内に残るな。ガイアナで一生、過ごす覚悟を決めろ」
進一「いやだ」
十五年後の進一「わしは過去を変えに来たのだ。お前が中学生の自分にしたようにな。よく聞くんだ。由佳と愛梨も連れていくんだ」
五年後の進一「はぁ? 何をいうかと思えば。由佳は死んでも嫌だと激怒してたじゃないか。由佳は絶対についてこないぞ。由佳が来なけりゃ愛梨も来ないぞ」
十年後の進一「そうだ。だから行くのを止めろ。貧乏でもいいじゃないか、何とかなる」
五年後の進一「違うだろ。だから行くんだよ、一人で」
十年後の進一「家庭が崩壊してもいいのか?」
十五年後の進一「どうすんだよ。唯一の趣味のゴルフが出来なくなるぞ」
十年後の進一「ゴルフなんてどうでもいい」
十五年後の進一「外車と腕時計はどうするんだよ」
ドアが開き、二十年後の進一が現れる。
十五年後の進一「誰だ!」
二十年後の進一「二十年後の進一だ!」
二十年後の進一「お前、分かってんのか? 仕事ばかりで趣味もない男の末路を。お前は、典型的な『ワシも族』になり、由佳の後を『ワシも』って、ついていくようになるんだ。由佳は夫在宅ストレス症候群、別名、夫源病になるんだ! そして離婚を切り出してくる」
進一「嘘だ! 由佳に限ってそんなこと――」
二十年後の進一「お前、由佳のこと分かってないぞ」
進一「そんな――」
五年後の進一「その通り。まず、由佳は放っておいて支社長になり、ゴルフに励め」
ドアが開き二十五年後の進一が現れる。
二十年後の進一「誰だ!」
二十五年後の進一「二十五年後の進一だ!」
二十五年後の進一はボロボロのジャージ姿。
二十五年後の進一「ワシが一番、未来を知っておる。ワシのいうことを聞け」
十五年後の進一「多数決にするか?」
十年後の進一「いや、多数決って問題じゃないだろう」
二十五年後の進一「多数決なら、ワシは三票な」
五年後の進一「なんでそうなるんだ」
二十年後の進一「みんな、銀座のクラブに行きたいだろう?」
二十五年後の進一「行きたい! 行きたい!」
進一、五人の進一が言い争いしている様子を呆然と見ている。
進一、五人の進一を一人ずつ順番に指さしていく。
進一「自分、自分、自分、自分、自分……」
進一、両手でバンッと机を叩き、立ち上がる。
五人の進一、言い争いを止めて進一に視線を注ぐ。
進一「お前ら、自分のことばかりじゃないか! お前らに聞こうとした俺が馬鹿だった。ガイアナ行きは断る!」
〇自宅・リビング(夜)
由佳と愛梨、ソファーに並んで座っている。
進一、テレビを背にして二人の前に腕を組んで立っている。
愛梨「早くしてくんない?」
進一、愛梨の目を優しく真っ直ぐに見つめる。
愛梨、口を閉じ、居心地悪そうに座りなおす。
進一、組んでいた腕を解く。
進一「お前たちには、今まで、辛い思いをさせたことが有ったかもしれない……。というか、実際、有った」
由佳と愛梨、顔を見合わせる。
進一「しかし、これからは違う。これから、もし俺に悪いところや、して欲しいことがあれば遠慮せずに言ってくれ」
愛梨「じゃあ、早速――」
由佳、愛梨に肘をぶつけて黙らせる。
由佳「どうしたの? 何かあったの?」
進一「海外赴任は断ったよ。そして会社も辞めてきた」
由佳「えーーっ。嘘――っ」
進一「嘘じゃない。今までの生活は改める。これからはもっとのびのびと、ゆったりと生きていく」
愛梨「Take it easyってか?」
進一「……。あぁ、そうかもな」
由佳「これから、どうすんの?」
進一「これからのことは、これからだ。パーフェクトとは行かないかもしれないが、お前たちのために努力する」
由佳「えーーっ。意味、分かんない」
進一「そうだ! 新車を返して旅行に行こう! 温泉に行って皆で将来の夢を語り合おう!」
愛梨「絶対、嫌!」
由佳「一人で行って下さい!」
〇中小企業の事務所(夕方)
事務所に西日が差している。事務員が疎らに席についており、事務作業を行っている。
進一、ブラインドが降りた窓を背に、部長席に座っている。作業服を着ている。机の上に帳票を広げ内容を確認している。
顔を伏せた進一の視界に、ジャージ姿の男性の下半身が入る。
進一、ハッと身構えて顔を上げる。
ジャージ姿の男性はヘルメットにサングラス、ベスト姿の自転車メッセンジャー。
メッセンジャー「川元進一さん?」
進一「はい」
メッセンジャー「サイン下さい」
と、配達票を差し出す。
進一、判を押して返す。
メッセンジャー、進一から配達票を受け取りエアメール封筒を渡す。
メッセンジャー、事務所を出ていく。
進一、封筒を開ける。中のバスケットボール観戦チケットを確認し、封筒ごとカバンにしまう。
机の上に置いたスマートフォンのチャイムが鳴る。
進一、スマートフォンを手に取る。
愛梨からの『三次オーディションに落ちた、もうムリ(泣)』とのメッセージが表示される。
進一、『辞めろ、ヘタクソ』と返すと、直ぐに愛梨から『うるさい、ボケ! 誰が辞めるか』と返事が返ってくる。
そして、アカンベーをして笑顔で舌を出している愛梨の自撮り写真が届く。
進一、ほほ笑む。
終業を知らせるチャイムがなる。
進一、頭を巡らせて壁時計を見やる。
時計は五時半を示している。
進一、立ち上がる。
〇住宅街の路地裏(同、夕方)
進一、木造二階建ての建物の前に立っている。
進一、上を見るが、看板は取り外されている。扉に手を掛けるが鍵が掛かっており開かない。ガラス戸の奥を伺うが暗くて何も見えない。
進一、ガラス戸のセロテープの後を発見して指でなぞる。
辺りを見回し、電柱に引っ掛かっている張り紙を見つける。拾い上げて両手に持つ。
張り紙には『タイムトラベル研究所は移転しました。移転先は』と書いてある。移転先が書かれている部分は後ろに折られていて読めない。
進一、折り目を戻して移転先を読もうとする。
一陣の風が吹き、進一が手に持った張り紙を吹き飛ばす。
張り紙は宙に舞い、見る間に遠くへ消え去っていく。
進一、張り紙を見送りほほ笑む。(了)