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崇め奉る村

    あらすじ

    NASA帰りの元宇宙飛行士・来栖聡志は、息子を亡くした喪失感を抱え、妻とともに辺境の磨哭村へ移り住む。しかし村には謎の祠や奇妙な信仰が根付き、やがて世界中で人々がゾンビ化する未曾有の災厄が発生する。聡志は、不良高校生たちやコンビニ店長、正体を隠していた理科教師・尼子瑠衣と力を合わせ、村の地下に眠る「旧支配者」の復活を阻止する戦いに身を投じる。家族への想いを胸に、それぞれが生きる意味を問い直しながら、世界滅亡の危機と村に隠された秘密へ立ち向かう伝奇ゾンビアクション。

    目次

    崇め奉る村

    【ファーストコンタクト】

    警告音が大音響で鳴り響き、緊急事態を示す黄色のライトが点滅している。
    顔に焦りの表情を浮かべた巨漢の男がエアロック内に棒立ちになっていた。上半身は船外服を脱いでいるが下半身は船外服のままだった。首から銀色の丸いペンダントがぶら下がっている。
    エアロックの外から船長が声を掛けた。
    「何のつもりだ、ダン! このままだと全員、死ぬぞ」
     ダンと呼ばれた巨漢の男は、手に持ったスパナを振り上げた。
    「邪魔する奴は、容赦しない」
     ダンはそういいながらペンダントを襟ぐりから内に入れて隠した。
     船長と後ろに控える二名の船員は、なすすべもなくダンとにらみ合っていた。彼らの足元には、ダンに殴り倒された仲間が一人、倒れていた。
    「クソッ、時間がないっ」
     一人の船員が船長の脇を抜け、ダンに飛び掛かった。
     その攻撃は実を結ばず、船員はダンの容赦のない一撃を頭部に食らって崩れ落ちた。
    「サトシはまだか?」
     船長が叫ぶのと、ドタドタと足音が聞こえてくるのが同時だった。
     来栖聡志は船長の隣で足を止めた。
    「いったい、どうしたんですか?」
    「ダンが外壁を吹っ飛ばしたんだ」
     聡志はエアロック内のダンに視線を向けた。
    「サトシ、もう時間が……」
     聡志は船長の言葉を最後まで聞かずにエアロック内に向けて足を踏み出した。
    「来るな!」
     ダンはスパナを振りかぶりながらも怯えたように後ずさりした。
    「悪いな、ダン。何のつもりか知らないが、減圧を防がないといけないんだ」
     聡志はダンの正面に立った。
     ダンは意を決してスパナを振り下ろした。
    「オリャーッ……」
     ダンの気合は突然、途切れた。
    「しばらく寝ていてくれ」
    その言葉が合図かのように、ダンの全身から力が抜け崩れ落ちていった。聡志の当て身によりダンは気絶したのだ。
    聡志はダンの身体を受け止め、エアロックの外まで運び出した。
    「ガイドしてください。私が外に出ます」
     聡志の言葉に船長が我に返った。
    「頼む。プリブリーズは?」
    「大丈夫です。任せてください」
     船長は聡志の返事を聞くと、壁の音声端末装置に飛びつきマイクのスイッチを入れた。
    「これからサトシが外にでる。重力発生装置を止めろ。医務室を太陽の影に入れるんだ」
     探査船の姿勢を変えるため、軌道制御装置のスラスタから青白い炎が噴出された。

    【磨哭村へようこそ】

     アルコールランプの青白い炎が揺らめいている。
     県立磨哭高等学校理科実験室。
     白衣姿の化学教師、尼子瑠衣は教壇に立っていた。笑顔で教室を見回し、口を開く。
    「世紀の大実験のコーナー~」
    瑠衣は自ら拍手し誘うが生徒たちの拍手はパラパラとしか返ってこない。
    教卓の上には、アルコールランプ、二本の薬品瓶、ろ紙がセットされた三脚、るつぼ、線香が置いてあった。
    「種も仕掛けも無いただの酸化鉄とアルミニウム粉末です」
    瑠衣はるつぼから小さじで粉末をすくい、三脚の上のろ紙に置いていった。次に、アルコールランプの火を使って線香に火を点けた。
    「この混ぜた粉末に火を近づけます。さて、どうなるでしょう?」と、笑顔で生徒を見渡す。
    ゆっくりと線香を粉末に近づけると激しい炎が上がった。火柱は天井にまで届き、天井に黒い煤を付けた。
    「うわぁっ、びっくりした! ジャジャ~ン! これがテルミット反応で~す」
    瑠衣は想像以上に炎が大きかったことに驚いたが、すぐに平静を装い、満面の笑みを浮かべた。生徒たちの歓声を期待したが、称賛も感嘆の声も上がらなかった。
    瑠衣は一瞬、うな垂れたがすぐに笑顔を取り戻した。口を開きかけた時、終業のチャイムが鳴り始めた。
    生徒たちは、突然、活気を取り戻したように教科書を片付けはじめ、次々にワイワイガヤガヤと喋りながら実験室から出ていった。
    瑠衣は諦めた表情で生徒たちの背中を見送った。
     一人の生徒、森木正人が教卓の前に現れ、瑠衣に声を掛けた。
    「先生、こんな実験って、何の役に立つんすか?」
    瑠衣は声を掛けてきた正人に向き直った。
    「あら、森木くん。元気してた?」
    「えっ、あっ、はい」
    正人は瑠衣の無邪気な笑顔に気勢を削がれ、あたふたと返事をした。
     終業のチャイムに続いて、校内放送の呼出しチャイムが鳴った。
    「校内放送。尼子先生、緊急のお電話です。至急、職員室へお戻りください」

     瑠衣は乱暴に職員室のドアを開けた。ドアを開けたまま自席に歩み寄り、机上の電話の受話器を取り上げ耳に当てた。点滅する保留ボタンを押すと、しわがれた声が聞こえてきた。
    「アレが戻ってきた。白衣の時間は終わりだ」

     同日、磨哭村の林道を一台の車が走っていた。
    「大丈夫?」
     来栖真奈美は運転席の聡志に声を掛けた。
    「あぁ」といいながら聡志はハンドルを強く握りしめ、背筋を伸ばして座りなおした。
    「本当に何もないところね」
     片道一車線の林道は舗装もされておらず車が揺れている。
     聡志は現実感を失っていた。NASAで宇宙探査のミッションについていた自分がなぜこんな田舎道で車を走らせているのだろうか……。四カ月前の探査船での事件、そして二カ月前に家族を襲った不幸。まるで夢をみているようだった。
    「一軒だけコンビニがあったよ。ちゃんとした買い物はさっきの町まで戻らなくちゃならない」
    「ねぇ……。紹介してもらった所長さんには悪いけど、こんな何もないところじゃ生活できないわ」
    「何も無いのは、前いた場所も同じだろう」
    「違うわ。あそこには全てがあったわ」
    「……」
     真奈は無言で窓の外に顔を向けた。
     聡志も口を閉じ運転に集中しようとした。
    前方の路肩に人影がしゃがんでいるのが見えた。灰色のフードを着た人が祠に向かって手を合わせている。
    しばらくして沈黙を続けていた真奈が口を開いた。
    「アレ、何かしら?」
    助手席側の側道に視線を向けると、また祠とそれを拝むフード姿の男がいた。
    「さぁ、何だろうな」

     聡志は車を一軒家の玄関前に横付けし、真奈を降ろした。真奈が車から離れたことを確認し、車をターンさせガレージに停めた。トランクを開けボストンバックを二つ取り出し、玄関に向かった。
     聡志がリビングルームの入口に立ち、中を覗き込んだ。
    リビング内には数個の段ボール箱が積まれていた。聡志も昨日、到着したばかりで荷解きは未だだった。
    真奈は開梱された一つの段ボールの前にしゃがんでいた。そこから写真立てを二つ取り出し窓辺に向かった。そして、そっと写真立てを並べていった。一つは正面から撮った中学生の少年の写真。もう一つはキャンプ場でその少年を挟んで左右に聡志と真奈が並ぶ写真。
    聡志はリビングの中にボストンバッグをそっと置いた。
    「学校に挨拶に行ってくる」
     聡志は真奈の返事を待たずに背を向けて玄関に向かった。

    【教師と生徒】

     高校についた聡志は、校長室に向かった。
    ドアをノックしようとした瞬間、内側からドアが開いた。
     目の前に、学生服を着た森木正人が立っていた。
     聡志は息を飲んだ。幼い顔つきが自分の息子に似ている気がしたからだ。だが落ち着いてみると幼い少年ということ以外、似ているところは見当たらなかった。
    「あの……。すみません」
     扉の前で立ち尽くす聡志に、正人は声を掛けた。
     聡志は正人の顔を見つめたまま脇に避けた。
     正人はその横を通り、逃げるように校長室を後にした。
    「時間通りですな。どうぞ」
    校長がソファーに座ったまま、聡志に声を掛けた。
    聡志は中に入り、校長の向かいに座った。
    「今のは誰ですか?」
    「三年の森木正人です。近隣の方から喫煙の通報がありまして、本人も認めたので停学にしました。まぁ、元々、不登校気味なので罰の意味はないですがね」
    校長は鼻で笑った。
    「あんな落ちこぼれのことはどうでもよろしい」
     校長は手の甲でテーブルの上のバインダーファイルを叩いた。
    「履歴書は見ましたよ。大した経歴ですが、ここでは何の役にもたちませんよ」
    「ええ。早く、ここに馴染めるように努力します」
    「そうして欲しいものですな。文字通り、地に足をつけて頑張ってほしいものです」口の端を上げニヤリと笑い聡志を見つめた。
    聡志は無表情で見つめ返した。
    校長は咳ばらいをして話を続けた。
    「釘を刺しておきますが、田舎くらしに耐えかねて、すぐに辞めるなんて言わないように」
    「大丈夫です。何もないところで静かに暮らしたいのです」
    校長は腕組みしソファーに深く座りなおした。
    「この村は世捨て人の溜まり場なんかじゃありませんよ。そんなつもりで来られても困りますな。だいたい、何にもないと馬鹿にしているようですが、この村は歴史的にも重要な由緒正しい場所なんですよ」
    「道端に幾つも祠を見ました。アレは何なのですか?」
    「祠? そんなものは知りませんな。とにかく私は歴史の話をしているんです」
    校長は腕をほどき前のめりになり片手で軽くテーブルを叩いた。
    「新約聖書に出てくる東方の三賢人はご存じですか? 星に導かれて、誕生したばかりのキリストの元を訪れた人物です」
    「三賢人ですか? キリストの誕生を祝ったとされている……」
    聡志は眉間に皺を寄せた。
    「そうです。彼らはこの村に来たのです。反キリスト勢力が三賢人に追われてこの村に逃げ落ちたのです。この村の人々は三賢人に協力し一緒に反キリストを滅ぼしたのです。今でもキリスト教の一部会派には聖地として崇められているのですよ」
    「それは聞いたことありませんでした」
    「まさか歴史を否定するつもりじゃないでしょうな。この磨哭村は旧約聖書のエゼキエル書にもマゴクとして登場するのです」
    聡志は瞬きをして校長の顔を眺めた。
    校長は満足気な表情を浮かべた。
    「では明日からよろしくお願いします」
     聡志は校長室を出て通用口に向かった。職員室の横を通り過ぎようとした時、突然、ドアが開き、白衣姿の尼子瑠衣が飛び出してきた。
     聡志は身体を半回転させ、衝突を回避した。そして前のめりになりこけそうになった瑠衣の腕を掴んで立ち直らせた。
     聡志は手を放して瑠衣と向かい合った。
     瑠衣は聡志の全身を眺めまわした。
    「あなたは……来栖聡志? あの来栖聡志?」
    「えぇ、そうですが……」
    「歓迎します。この村からは敵視されるでしょうが、私は歓迎します」
    瑠衣は踵を返して駆け出そうとした。しかし振り返って聡志に向き直った。
    「息子さんのことはお気の毒です」

     聡志は、高校の駐車場に停めた車の中にいた。運転席に座り、スマートフォンの画面を眺めていた。画面には子供の写真が写っている。
     聡志は目を閉じ、しばらく動かなかった。やがてエンジンをかけ車を走らせた。

     真奈を連れてきた時に見つけた祠がまた路側に建ててあった。聡志は路肩に車を停め、祠の前に立った。
    石造りの祠で出来たばかりのように新しかった。正面に十センチほどのレリーフが施されていた。間隔がバラバラな同心円の模様だった。
    聡志は、その同心円を指さし、一つずつ中心から外側に向かって数えていった。最後の九つ目を数えた時、携帯電話の着信音がなった。
    真奈のけだるそうな声が聞こえてきた。
    「もう家に着くかしら。帰りに夕飯を買ってきてくれない?」
    「分かった。大丈夫か?」
    「えぇ、ちょっと疲れているだけ」
    聡志は電話を切り、車をUターンさせた。

    【田舎のヤンキー】

     村に一つだけあるコンビニ店の店先の地面に三人の若者が胡坐をかいて座り込んでいた。
    森木正人は学生服のズボンにカッターシャツ姿のままだった。
    二つ年上の大崎宏次朗は上下のつなぎを着ていた。ロン毛で両耳にピアス、シルバーのネックレス、ブレスレットをしている。左右の手にもシルバーの指輪。指輪は細い荊のデザインで重ね付けしていた。
    宏次朗より一つ年上の長谷川卓己は、黒のスウェットパンツにサイズの大きな白のロングTシャツを着ている。アクセサリーはつけていない。髪は七三に分けメタルフレームの眼鏡をかけていた。
    正人は学生服のままタバコを吸っている。
    「ねぇ、卓己さ~ん」
     真ん中に座る宏次朗が右隣の卓己に声を掛けた。
    「気持ちの悪い声をだすな」卓己は宏次朗の頭を叩いた。
     宏次朗は軽く首をすくめただけで、手のひらを上に向けて卓己の前に差し出した。
    「……。何だ?」
    「お願いしま~す」
    「チェッ」
    「なんです?」
     二人のやり取りを聞いていた正人が宏次朗に尋ねた。
    「賭けに勝ったんだよ」宏次朗は嬉しそうに答えた。
    卓己は渋々、尻のポケットから長財布を取り出し、宏次朗の手のひらに五千円を置いた。
    「何の賭けなんですか?」
    「いいだろう。別に」
     卓己は不機嫌な表情を浮かべた。
    「お前が来るかどうかだよ。来てくれてうれしいよ。正人ちゃんのおかげでパシリに戻らなくて済むし賭けにも勝てた」
     宏次朗はお金を受取りポケットに入れ、満足気に両手で髪の毛をかき上げた。指輪に髪の毛が絡まった。
    「痛っ」
    宏次朗は、そっと両手をゆすりながら髪の毛を解いていった。
    卓己は、横目で、宏次朗の様子を呆れたように見ている。眼鏡を中指で直しながら、正人に顔を向けた。
    「チェッ、何でお前、ここにいるんだよ。学校はどうしたんだ? お前は俺らと違って継ぐ家が無いんだから勉強は必要だろう」
    「停学くらったんですよ」
    「何で?」
    「タバコが見つかって」
    「タバコって、お前、今、どうどうと吸ってんじゃん、ハハハ」
    「まったく、喧嘩も弱けりゃ、勉強も出来ない。何にも出来ねえじゃねえか。そんなんじゃこの村、出ていけないぞ」
    「別に、どうでもイイっす。どのみち、母ちゃん一人残して出ていけないし」

     コンビニの中で年配の主婦が三人の後姿を苦々しい表情で眺めていた。
     買い物カゴをレジカウンターの上に置き、店長の柳原圭太に向かっていった。
    「あの子たち、どうにかしなさいよ。また未成年がタバコ吸ってるじゃない。それとアレは製材所と土建屋の息子でしょ。家の手伝いもせずにこんなところでたむろして」
     店長はカゴから一つずつ商品を取り出しバーコードを読み取っている。ガラス越しに三人組の後姿を見つめていった。
    「注意しておきます。2,736円です」
     店長は主婦に商品を手渡した後、再び三人組に視線を向けた。
    「あいつらも、どうしていいのかわからないんですよ」

    聡志の車がコンビニ前の広い駐車場に入ってきた。聡志は車を降り、入り口に向かって歩き出した。
    入口まで来た時、足を止め、たむろしている正人、宏次朗、卓己を順番に見ていった。
    卓己が顔を上げると同時に聡志は店内に入っていった。
    卓己は宏次朗を肘でつついた。
    「今の奴、どこかで見たことないか?」
    「今の奴? さぁ、見てなかったッス」
    「たぶん、うちの新任教師ですよ」
    「いや、そうじゃ無くてどっかで見たぞ」
    卓己は、眼鏡を中指で押し上げながらいった。
    「マジでうちの先公ですよ」
    「そうなのか。引っ越して来たのか」
    「こんな田舎に来るなんて、不祥事で飛ばされてきたんじゃないっすか? 何でですかね? そうか、分かったぞ! 絶対、淫行とかセクハラとか体罰とか暴力とか何かですよ」
    「チェッ、分かってねぇじゃねえか。正人、知ってるか?」
    「知りません。学校ですれ違っただけだから」
    「だから何かしらの不祥事ですって」
    「あぁ、そうかもな。そのニュースで見たのかもな」
    買い物を済ませた聡志がコンビニ袋を手に店を出てくる。車のドアを開け、荷物をシートに置いた。
    「ねぇ、おじさん。引っ越して来たの?」
    卓己が聡志のすぐ後ろから声を掛けた。
    いつの間にか卓己と宏次朗、正人が近づいてきていた。
    聡志はドアを閉め彼らに向き合った。卓己の後ろに控えている正人を見つめた。
    正人もタバコを咥えたまま聡志を見つめ返した。
    「お近づきの印に、金貸してくれない?」
    卓己は中指で眼鏡を押し上げた。
    「タバコは身体に悪いぞ」
     聡志は卓己を無視して正人に声を掛けた。
    「どうでもいいだろう。関係ねえよ」
    「森木正人だったな。他にすることないのか?」
    正人は聡志に名前を知られていることに驚きうろたえた。
    「ちょっと、おじさん、聞いてんの?」
    聡志は初めて卓己の存在に気づいたように卓己に顔を向けた。
    「オヤジ狩りか?」
    「いや、違うって。俺のお袋が病気で薬を買う金が必要なんだよ」
    一台の車が駐車場に入ってきた。老夫婦が車を降り、聡志たちをジロジロと見つめた。
    「三十万円で構わないか?」
    「えっ」
     聡志の予想外の申し出に、卓己は言葉を飲み込んだ。
    「ついて来い」
    聡志はそういうと、彼らに背を向け車道に向かって歩きだした。
    「ちょっと待てよ」
    卓己が慌てて後を追った。正人と宏次朗も慌てて続く。
    老夫婦はその様子を見て互いに顔を見合わせた後、店に向かって歩き出した。

    【オヤジ狩り】

     コンビニの駐車場の向かい側すぐのところに鳥居があった。
    聡志を先頭に、卓己、正人、宏次朗は鳥居をくぐり参道を上っていた。
    「どこに行くんだよ」
    卓己が先を進む聡志の背中に声を掛けた。
    「人目に付かないところだ。オヤジ狩りと間違われて通報されても困るだろう」
    聡志は歩きながら振り返ることなく答えた。
    卓己、宏次朗、正人は戸惑いながらも後を付いて上っていった。

     全員が階段を上り切った。
    境内にはショベルカーが二台、放置されていた。
    「卓己さん……」
    宏次朗は不安げな表情を卓己に向けた。
    卓己は落ちていた太い木の枝を拾い上げ、小声で宏次朗に話しかけた。
    「おい、宏次朗。お前、この棒でアイツをぶん殴れ」
    宏次朗は棒を受取るとすぐに正人に差し出した。
    「正人、お前がやれ」
    「そんな……。俺には無理っス」
    「俺の言うことが聞けねぇのか?」
    「だって……」
    「だってじゃねぇ。嫌ならテメエをぶん殴るぞ」
    「チェッ、もういい、貸せ」
    卓己は宏次朗から棒をひったくると、聡志に後ろから襲い掛かった。
    「アッ!」と、正人が警告を発した。
    聡志は、その声に反応し、振り向きざま後ろ回し蹴りで棒を蹴り飛ばした。
    棒は卓己、宏次朗、聡志の頭上を越え、後方に転がっていった。棒が転がった先に、コンビニ店長が立っていた。コンビニの制服姿のまま、手には木刀を持っていた。
    「圭太さん」
    卓己は、店長の姿をみてホッとした表情を浮かべた。
    「圭太さん、良かった。あの暴力教師を、やっつけちゃって下さい」
     宏次朗も安堵の表情を浮かべていた。
     圭太と呼ばれた店長は目を細めて聡志を見つめた。それから卓己たちに視線を戻した。
    「馬鹿。俺はお前たちを懲らしめるために来たんだよ。だが、その必要はなかったようだな」
    店長の言葉を聞き、聡志は構えを解いた。

     突然、聡志の後方の林から小枝を踏み鳴らす音聞こえた。聡志たち全員がその方向を見ると、作業着の男が姿を現した。肩で息をし、目が血走っていた。
    「たっ、助けてくれ」
    男は足をもつれさせ地面に顔を打ち付けた。
     一同が唖然としていると、林の中から別の人影が現れ、倒れた男に覆いかぶさった。そして、そのまま倒れた男の耳を噛み千切った。覆いかぶさっている男の咥えた耳から血が滴り落ちた。
     下の男は叫び声を上げながら体を反転させた。手を上げ顔を庇おうとするが、上から頬をかじられてしまう。
    聡志は我に返り、襲っている男を蹴り飛ばした。
    吹っ飛んだ男はすぐに、立ち上がった。まるで操り人形が上から糸で引っ張られたようだった。
    男の顔は爛れ、片方の目玉はなく眼窩がのぞいていた。頬から首の皮膚も捲れ、顎の白い骨や首の筋、筋肉が丸見えになっていた。
    「ゾ、ゾンビだ」宏次朗がうめき声を発した。
    ゾンビは両手を前に伸ばし、聡志に向かってきた。
    「ええーい!」
    店長が気合と共に後ろからゾンビの頭を唐竹割りにした。グチャッという音がした。
    ゾンビは一、ニ歩歩いてから、前のめりに倒れ、聡志の足元に伏せたまま動かなくなった。
    ゾンビに襲われ耳を齧られた男がゆっくりと立ち上がった。男の目は白く濁り生命の輝きが失われていた。
    ゾンビ化したのだ。
    新たなゾンビは近くにいた店長に襲い掛かった。
    卓己が棒を拾い、ゾンビの後頭部を力任せに殴った。ゾンビは大きくよろけただけで、身体を反転させ、卓己に両手を伸ばし掴みかかってきた。
     卓己、宏次朗、正人はじりじりと後ずさりを始めた。
     聡志の後方の林から新たに二体のゾンビが現れた。
    「うわぁー!」
    宏次朗が弾かれたように駆け出し、参道の階段を下っていった。それを合図に、卓己、正人も駆け出した。
    聡志と店長は一瞬、互いに目を合わせた後、ゾンビを避け、彼らの後を追い始めた。

    【コンビニに籠城】

     宏次朗を筆頭に卓己、正人、店長、聡志が駐車場に駆け込んでくる。
     聡志の車の横で、宏次朗、卓己は前屈みになり息を切らせている。
    コンビニのドアの前に老婆がしゃがみこんでいた。
    店長が卓己たちを追い越し、老婆に声を掛けた。
    「あのぉ、大丈夫ですか?」
    老婆は振り返って店長を見上げた。口は血まみれで、千切られた腕が咥えられていた。老婆の前にはバラバラになった老人の死体があった。
    「ヒャッ」
    店長は声にならない叫び声をあげて、老婆の横をすり抜けコンビニに駆け込んだ。
    「早く、入れ!」
    宏次朗、卓己、正人、聡志も後に続いてコンビニに飛び込んだ。
    店長は、聡志らが入った後、自動ドアの下部のカギを回して施錠した。
    その瞬間、老婆ゾンビが自動ドアに全身でぶつかってきた。ガラス戸は割れなかったが、血の跡がべっとりとついていた。
    店長は、驚き尻もちをついた。そしてそのまま床を後ずさりした。
    その背後で卓己、宏次朗、正人、聡志は立ち尽くしていた。
    「なんなんだ、アレ」卓己がぼつりとつぶやいた。
    「ゾンビでしょ」宏次朗が当然とばかりに答えた。
    「そんなこと、聞いてんじゃねぇ」
    「じゃぁ、何を聞いてるんすか」
    宏次朗は無邪気な表情で聞き返した。
    「アレは一体、何だって聞いてるんだよ。婆さんは一体、どうしちまったんだ」
    「だから、ゾンビになったんでしょ」
    「だから、なんで、こんなことが起きたかって聞いてんだよ」
    「いや、だからゾンビに噛まれたからでしょ」
    「お前、ふざけんてんのか」
    「こんな時にふざける訳、無いでしょう」
    「お前ら、なに、漫才やってんだ」
    店長は立ち上がり二人に向かって顔をグイっと近づけ睨みつけた。

     聡志は正人の肩に手をおいた。
    「大丈夫か?」
    「うん」
     バンッとガラスの扉を叩く音がした。老婆ゾンビ、作業員ゾンビ、主婦ゾンビなど複数のゾンビが窓に体当たりを繰り返していた。
    「警察に電話しろ」
     店長は自ら携帯を出しながら卓己たちに指示をだした。
    「繋がらない」
    「こっちもダメっす」
    それぞれが携帯電話を手にしていた。
    「続けろ、俺は後ろを確認してくる」
    店長は木刀を手に一人でバックヤードを見に行った。
    聡志はみんなに背を向け携帯電話を操作した。
    「大丈夫か? 風邪か? 横になる前に戸締りをしっかりな。ニュースで不審者が現れたっていってたぞ。こっちは車が故障したから少し帰りが遅くなる。ドアを開けないようにな」
     卓己、宏次朗、正人も、警察への電話は諦め、互いに背を向けて家族の元に電話を架け始めた。
    「いや、ゾンビってのは忘れてくれ。冗談だ。とにかく不審者が現れたって。うん、それでイイ。いや、サボってねえし。ちょっとトラブっちまって未だ帰れねぇんだ」
    「卓己さんと正人と一緒だよ。圭太さんの店だよ。うん、分かってるって。五月蠅いな、明日はちゃんと現場に行くって」
    正人はスマートフォンの画面をタッチし耳に当てる動作を繰り返していた。
    聡志は正人の様子が気になりそばに寄った。
    「繋がらないのか?」
    「呼び出し音は鳴ってるんだ」
    正人はスマートフォンを耳に当てたまま応えた。
    「くそっ、出ない」
    店長が聡志たちの元に戻ってきて、木刀をレジカウンターの上に置いた。
    「バックヤードは安全だ。窓もない。ガラス戸を突破されたらそこに逃げこもう。念のため、懐中電灯や携帯の充電器、水やパンを持ち込んでおこう」
    聡志は店長から正人に視線を戻した。
    「とりあえず、メッセージを残したらどうだ?」
    「うん、戸締りするように送ったよ」

    店長、卓己、宏次朗は商品カゴに避難物資を入れバックヤードに運んでいた。
    「おい、正人、お前、なに呑気にしてんだ。手伝えよ。まったく使えねえ奴だ」
     正人はスマートフォンをポケットにしまい、商品カゴを手にして宏次朗の元に駆け寄った。

    聡志はコンビニのマガジンラックをドアの前に移動させようとしていた。
    バックヤードから出てきた卓己、宏次朗、正人がレジカウンターを背に地面に座りこんだ。
    正人はスマートフォンで母親に電話を掛けるが繋がらない。
    店長が缶コーヒーを両手に持って、ゾンビを見つめている聡志に近づいた。
    「マガジンラックは車輪が付いてるし大した役には立たないかもな」
    「あぁ、ちょっとした時間稼ぎだな」
    「あんた、正人の担任なのか?」
    「いや違う。赴任してきたばかりなんだ」
    「じゃあ何で、あいつに構うんだ?」
     ガラス戸をゾンビが叩く音がする。ゾンビは緩慢な動作でガラス越しの聡志と店長に掴みかかろうとしていた。
    聡志は店長から缶コーヒーを受取り、蓋を開けようとした瞬間、シャキーンと金属音が鳴り響いた。
    聡志が店内を振り返ると、正人が座ったままでジッポのライターでタバコに火を点けていた。
    聡志は正人の正面に立った。
    「タバコの害については習っただろう」
    「どうでもいいよ。こんな時に病気の心配なんかしても仕方ないだろう」
    「お前の命はお前だけのものじゃない」
    「放っておいてくれ。こんな村で長生きなんかしたくないんだ」
    「お前を心配している人のことを考えろ」
    「電子式はいいんだろう?」
     間抜けな声を出す宏次朗に卓己が肘打ちを食らわせた。そして宏次朗の手から電子タバコをむしり取って放り投げた。
    「ちょっと、卓己さん、何する……」
    宏次朗は卓己に抗議しようとしたが、卓己の怒りの形相に気押されて口を閉じた。
    「店内は禁煙だ。吸いたけりゃ外に出ろ」
    店長が親指を立ててゾンビであふれる外を指し示した。

    【世界崩壊の序曲】

     スマーフォン画面にニューズ動画が流れていた。アナウンサーが世界中でゾンビが発生していることを報じている。
    「世界中で混乱が起きています。原因も治療法、対処法も不明です。被害は拡大している模様です。繰り返します、戸締りして決して外には出ないでください」
    卓己がスマートフォンを切りポケットに入れた。一緒に覗き込んでいた宏次朗と正人は顔を上げ座りなおした。
    「この村だけじゃないんだ……。安全な場所はどこにもないんだ……」
     宏次朗が情けない声を上げた。
    ガラス戸をゾンビが叩く音がする。
    「あいつらも、飽きないな」
    「バンバン、うるさいんだよ!」
    宏次朗は叫んで自分の耳を塞いだ。
    「うっ、うっ―」
    正人も涙ぐんでしゃくり上げ始めた。
    「しっかりしろ。負けるな。ここに居れば安全だ」
     聡志が励ました。
    「とは言うものの。いつまで居ればいいのかね。助けなんか期待出来ないし」
     店長がため息を吐いた。
    「焦るな。長期戦を覚悟しよう」
    「うっ、うっ、母ちゃんっ」
     正人は堪えきれず嗚咽を漏らした。

    正人の携帯電話の着信音が鳴りだした。
    「母ちゃんだ」
    正人が立ち上がり携帯電話にでる。
    「母ちゃん、無事か? 無事なんだな? 良かった。こっちも大丈夫だよ」
    聡志と店長はその様子をみて安堵の吐息をついた。
    「うん、ニュースは見たよ。分かってる。えっ、なんだって? うん、俺もだよ。分かった。分かってる。気を付けてね。こっちからも連絡するよ」
    「お母さん、無事なようだな」
    「うん。でも……。ありがとうだって」
    正人の目から涙がこぼれ頬をつたい落ちた。
    蛍光灯が明滅を始め、一瞬、真っ暗になっり、すぐに光が戻った。
    「いつ電話が使えなくなるか分からない。お前らももう一回、家族に電話して安全を確かめておけ」
     店長の掛け声で、卓己も立ち上がり、電話を架け始めた。
     店長は聡志に声を掛けた。
    「あんたも家族はいるだろう?」
    「家族か……。いるよ、一人だけ。今日、この村に来たばかりなんだ。今は具合が悪くて寝てる。たぶん疲労だろう。あんたは?」
    「妻と娘が隣の町にいるよ。さっき電話したばかりだ」
    電話を終えた卓己が宏次朗の元へ戻って来た。宏次朗は自分の両膝に顔をうずめて座っている。卓己は眼鏡を押し上げた後、宏次朗の腕を取って立たせた。
    「お前も電話しろ。親父さんにも謝っとけ。喧嘩したままだろう」
    「分かってるよ。分かってるって。最後の挨拶だろう」
    宏次朗の言葉に、正人がハッとして顔を上げ叫んだ。
    「母ちゃんに会いたい。俺、出ていく」
    全員が正人に視線を向けた。
    聡志が優しく諭す。
    「今、無事を確認したばかりだろう。我慢しろ」
    「嫌だ。最後になるかもしれないのに離れ離れは嫌だ」
    「馬鹿、外にはあいつらがいるんだぞ。家に着くまでに、やられるぞ」
    「あいつらは動きが遅い。全力で走れば振り切れる!」
    「そんな危険な目にお前を遭わせられない。ダメだ!」
    「あんたの許可なんか必要ない!」
    正人は泣きながら叫んだ。
    卓己と宏次朗も正人の側にやって来る。
    「止めとけ。ここを出た瞬間、あいつらの餌食になるのがオチだぞ」
    「そうだ。何にも出来ないお前が逃げ切れるわけはない」
    「母ちゃんが心配なんだ!」
     聡志は根気強く正人を説得する。
    「命を粗末にするな。お前の母親もお前を危険な目に遭わせたくないはずだ」
    「そんなの分かんないだろう。母ちゃんも俺に帰ってきて欲しいはずだ」
    「いや、分かる。親は子供の無事しか考えてないんだ」
     静寂が訪れた。誰も動かず何も言わない。正人は下を向き静かに呟いた。
    「でも……、心配なんだ……」
    正人の涙が頬を伝って床に落ちた。
    聡志は大きく息を吐いた。
    「分かった。俺の車を使おう。俺の言った通りに行動するんだぞ。お前は俺が守ってやる」
    正人は顔を上げて聡志を見つめた。
    店長が声を上げた。
    「剣道七段、柳原圭太。俺も行こう」
    卓己も一歩、踏み出した。
    「喧嘩十段、長谷川卓己。俺も……」
    店長は途中で卓己の言葉を遮った。
    「お前ら二人は留守番だ。足手まといなんだよ」
    「そんな、俺らを置いてかないで下さい。俺も家に帰りたいッス」
    宏次朗は泣き顔で訴えた。

    【脱出】

    完全に日が暮れ、コンビニの灯りが蛾とゾンビを引き寄せていた。
    脱出に向け、それぞれが雑誌を破って腕や足に巻き付けていた。卓己と宏次朗は雑誌を巻き終わりガラス戸の前にやってきた。
    宏次朗はガラスの向こうのゾンビにアッカンベーをして挑発していた。その様子に卓己が呆れていった。
    「お前、何だか楽しそうだな」
    「そんなことないッスよ。恐いッス。でも……」
    「何だ?」
    「……。でも、ずっと、何か起きないかなって……」
     宏次朗は寂し気に言葉を続けた。
    「俺、一度もこの村から出ずに親父たちみたいに歳取っていくのかなって……。卓己さん、分かりますか?」
    「ああ。でも俺はここで、この村を守っていきたい。お前らが誇れる村にしたい。……。どうすりゃいいか分からないけどな」
    宏次朗は卓己の言葉に頷きながら、片手で髪をかき上げた。そしていつものように指輪に髪の毛を絡ませて痛がった。
    卓己は宏次朗を殴りかけるが今度ばかりは歯を食いしばって我慢した。
    聡志はレジカウンターに座る正人の腕に雑誌を巻き、ガムテープで留めていた。
    「ちゃんと、固定できたか? あとは自分でやれ」
    正人は肩を落とし、うな垂れている。
    聡志はそんな正人の肩に手をおいていった。
    「正人、自分に負けるなよ。辛い時こそ頑張るんだ」
    正人は聡志を見つめて頷いた。
    聡志は正人の側を離れ、店長に近づいた。そして自分が来ているジャケットを店長に向けた。
    「車の鍵は右のポケットに入れた」
    「なんで、そんなことを言うんだ」
    「万一のためさ」
    「自分の言葉に責任取れよ。正人を守るんだろう」
    「そうだな」
    「みんな、準備はいいか?」
    一同がレジの前に集合する。
     聡志が全員の顔を見回した後、口を開いた。
    「俺と店長がゾンビを蹴散らす。正人、卓己、宏次朗は一直線に俺の車に乗り込め」
    全員が頷くのと、ミシッと不快な音がするのが同時だった。全員がガラス戸に視線を向けた。
    ガラス戸が割れ、砕け落ちた。マガジンラックが大きな音を立てて内側に倒された。
    ゾンビが店内になだれ込んできた。それを見て宏次朗が悲鳴を上げた。
    「こっちだ! バックヤードに逃げ込むぞ!」
    店長が先頭に立ち、入り口と対角の位置にあるバックヤードに駆け出した。全員が後を追う。
    店長がドアを開けた瞬間、誰もいないはずのバックヤードの中からゾンビが飛び出してきた。
    「ゾンビだ! こっちはダメだ。下がれ」
    店長は後ずさろうとするが、すぐ後ろに宏次朗、卓己がつかえて下がれない。
    バックヤードから現れたゾンビが店長に襲い掛かる。店長は必死になり木刀を水平にしてゾンビを押し返そうとする。
    ゾンビは不気味なうなり声を上げながら、木刀をガジガジと噛み続ける。店長はゾンビの顔を間近にみて気付いた。
    「笹塚さんじゃないか。分からないのか。俺だよ」
    最後尾の聡志は前を行く正人の襟首をつかみ、横の列に移動させた。
    コンビニは三列棚のレイアウトになっている。
    聡志と正人は中央の列を使って引き返した。しかし、前から作業員ゾンビが現れ近づいてくる。振り返ると、正人の後方からもゾンビが現れ挟み撃ちになってしまう。
    聡志は、前方の作業員ゾンビに前蹴りを放った。ゾンビは棚の商品を床にバラまきながら吹っ飛び、レジカウンターの向こう側に倒れ込んだ。
    聡志はすかさず正人の手を取りゾンビが入り込んできたガラス戸に向かった。
    店内から宏次朗の叫び声が上がった。
    「助けてくれ!」
    聡志は一瞬、迷った挙句、方向転換した。
    「ついて来い」
    聡志は正人と体を入れ替え奥の列に向かった。卓己に襲い掛かっているゾンビに向かって後ろから脳天踵落としを放つ。ゾンビの頭が首にめり込んで崩れ落ちた。
    「店長、何やってんだ。早くそいつを倒せ」
    「無理だ! 子供の頃から世話になった人だぞ」
    「とにかく、そいつを突き放せ! さぁ、出るぞ」
    正人、聡志、卓己、宏次朗、店長の順番で列を戻り、出口に向かう。
    聡志が蹴り倒したゾンビがレジカウンターに這い上がった。そして前を通り過ぎようとした宏次朗に掴みかかった。
    宏次朗がそのゾンビに襲い掛かられる。
    「ギャーッ」
    卓己は、そのゾンビの肩を持ち宏次朗から引き離そうとする。
    バックヤードから来たゾンビが追いつき、店長を襲う。
    「笹塚さん、止めてくれよ」
    「卓己さん、助けてくれ」
    正人の悲鳴が上がる。片腕のない上半身だけの老人ゾンビが這ってきて正人の足首を掴んだのだ。正人は必死に振り払おうと蹴りつけるが全く効果がない。正人は、ハァ、ハァと肩で息をしている。
    老婆ゾンビと作業員ゾンビも近づいてくる。
    聡志は正人の足元の老人ゾンビを蹴とばした。上半身だけの老人ゾンビは片腕を伸ばした姿勢のままゴロゴロと回転しながらガラス戸まで転がっていった。
    聡志が宏次朗を助けようとした時、また正人が悲鳴を上げた。
    「先生! ゾンビが来る!」
    聡志は再度、正人に向き直った。左から近づいてくる作業員ゾンビには左にステップして横蹴り、前から近づいてくる老婆ゾンビには顔面に肘を打ち込んだ。
    老婆ゾンビは顔面を陥没させて崩れ落ちた。上半身片腕の老人ゾンビは身体を半回転させてうつ伏せになり、再び正人に向かって這い始めた。
    コンビニの外にも大勢のゾンビが現れ、店内に入ろうと押し寄せてくる。
    店内にゾンビが入ってくるたびに、来店を告げるチャイムが鳴る。
    カウンターから現れたゾンビは床に倒れた宏次朗に覆いかぶさり噛みつこうとする。
    卓己が必死に引き離そうとするが、ゾンビの牙が少しずつ宏次朗の顔に近づいていく。
    「圭太さん、助けて」
    「手が離せないんだ」
    卓己に支援を頼まれた店長だが、目の前のゾンビを押しとどめるのに精一杯で助ける余裕がない。
    「笹塚さん、俺だよ。そうだ、頼まれてた精力剤が届いてたよ。なんとかエキスが入ったヤツ」
    左手から作業員ゾンビ、足元には老人ゾンビ、正面から新手のゾンビが現れる。
    聡志が左手のゾンビにハイキックを放つが、ゾンビは首を九十度に曲げたまま前進してくる。今度はローキックでそのゾンビの足を折る。ゾンビはバランスを崩し倒れる。ゾンビの上に商品が大量に落ちてくる。
    しかし次から次へと押し寄せるゾンビに聡志たちは防戦一方となる。
    「先生、たすけて!」
    「笹塚さん、止めてくれー」
    「ワッ、ワァーーッ」、
    店長の首、宏次朗の耳、そして正人の足首にゾンビの歯が迫っている。聡志もきりのないゾンビの攻撃に肩で息をし始める。
    正人が悲鳴を上げる。
     聡志は正人を振り返る。
    「正人!」
     聡志、正人、店長、卓己、宏次朗は自分たちの死を覚悟した。
     その時、突然、全てのゾンビが動きを停止した。

    【味方】

    辺りに白い霞のような煙が漂っている。
    「尼子瑠衣、只今、参上!」
    ゾンビをかき分けシスター姿の尼子瑠衣が現れた。ベールを被り、首と肩は白いアミクトゥスで覆われている。胸には赤い宝石が埋め込まれたロザリオが揺れている。片手に三本のチェーンで吊られた『振り香炉』を持っている。その中なら溢れ出すように白い煙が吐き出されていた。
    「サリエラムストゥル、ムストラサリエル、サリエラムストゥル、ムストラサリエル、……」
    瑠衣が呪文のようなものを唱えながら店内に入ってきた。
    「危ないところだったわね」
    正人が瑠衣に気付いた。
    「瑠衣先生?」
    宏次朗がゾンビの下から這い出し立ち上がった。店長と卓己は聡志と正人の隣にやってきた。
    「瑠衣先生、その格好、どうしたんです?」
    「私はバチカンから来たの。これからはシスター瑠衣って呼んでね」

     荒らされた神社の本殿に瑠衣、聡志、正人、卓己、宏次朗、店長が車座になって座っていた。
    「神社にシスターか。ゾンビより現実感がないな」
    卓己が眼鏡を押し上げながらつぶやいた。
    「あんたのことを含め、色々と聞きたいことがあるんだが、何から聞けばいいのか」
     店長は怪訝な表情を浮かべている。
    「あまり時間がないの。必要なことだけ教えるわ」
    「ねぇ、どうやって、ゾンビの動きを止めたの?」
     独りだけ緊迫感のない宏次朗が質問した。
    瑠衣は宏次朗をちらっと見ただけで視線を聡志に向けた。
    「世界中にゾンビが現れたのは『旧支配者』の影響なの。この村に隠匿されていた神殿に『旧支配者』が舞い戻ったのよ」
    「旧支配者ってなんだ? ゾンビの親玉かな? たぶん、悪魔かなにかだな」
     無視されたことにも気づかず宏次朗がいった。
    「俺たちには影響がないぞ」
     卓己が疑問を口に出した。
    「生命力が弱かったり、生きる意志が希薄な人間が影響を受けるの」
    「なるほどな。元々、生きてるか死んでるか分からないような奴がゾンビになるってことか」
     店長が自分の顎を撫でながら納得する。
    「生きる意志が希薄な人間……」
    店長の言葉に聡志が反応し、立ち上がり携帯電話を取り出した。
    呼び出し音が鳴るが繋がらない。
    「帰らないと……」
    「待って。奥さんだけじゃなく、みんなの家族を救うためにも『旧支配者』を倒さなければならないの。それ以外の方法はないわ」
    瑠衣の真剣な眼差しに、聡志はゆっくりと携帯電話をポケットにしまった。
    「どうすればいいんだ?」
    「これから『旧支配者』がいる神殿を破壊します。ただし、そこには『旧支配者』の信奉者がいて妨害してくるはずです。あなた達は彼らを排除してください。神殿はバチカンから秘儀を授かった私が破壊します」
    「じゃあ、すぐに行こう。こんなところでグズグズせずに」
     正人も母親を心配し、焦っていった。
    「その神殿ってどこにあるんだ」
     卓己が尋ねた。
    「すぐ近くです。案内します。準備が出来次第」
    「準備って?」
    「決意を固めてください。これから先は命にかかわる道行になります」
    店長がすくっと立ち上がった。
    「お前ら、もう一度、家族に言い残したことがないか考えろ」
    店長はそういうと、本殿の端に移動し木刀で素振りを始めた。
     正人、卓己、宏次朗は立ち上がるが、皆、電話するそぶりもなく瑠衣を見つめている。
    瑠衣は三人の目の奥の決意を確認し頷いた。
    「分かりました。出発しましょう」

    【ここから始まった】

    本殿の奥の壁が壊され丸い洞窟が現れていた。
    懐中電灯を手にした瑠衣を先頭に、聡志、店長、正人、卓己、宏次朗が一列になり洞窟のトンネルを進んでいた。
    「得物が無いのはちょっと心許無いな」
    「卓己さんちはチェーンソーとかいっぱいありますよね。ゾンビにはチェーンソーが定番ッスよ」
    宏次朗が、うれしそうに勢い込んで言う。
    「そんな定番、聞いたことねぇよ。お前んとこにも掘削ドリルとかあるだろう」
    卓己が呆れたように答える。
    「いやいや、ドリルじゃダメっすよ。やっぱりチェーンソーじゃなきゃ」
    「なんで、チェーンソーじゃなきゃダメなんだ? ドリルでもおんなじだろう」
    「昔から、ゾンビにはチェーンソーって決まってるんすよ」
    「だから何で決まってるんだよ。そんなわけねぇだろう」
    「知らないんすか? ねぇ、圭太さん、チェーンソーって決まってますよねぇ」
    宏次朗は少し背伸びして前を行く店長に声を掛けた。
    「お前らマジでぶっ飛ばすぞ」
    店長に怒鳴られ、卓己は宏次朗を睨みつけた。宏次朗は肩をすくめておどけてみせた。
    聡志の側に店長がやってきて小声でつぶやいた。
    「あんた、さっき正人に親の気持ちが分かるって言ってたよな」
    「ああ」
    「家族が奥さん一人だけだとも言ってたよな」
    「そうだ」
    「……。そうか。悪かったな」
    全員は無言で洞窟を進んだ。しばらく進むと突然、開けた空間が現れた。
    「この村にこんな場所があったのか」
     店長が呆然と呟いた。

    満月が煌々と輝き、金色の月光が周りに満ちていた。ここは言わば隠れ里だった。山と山に挟まれた未開の谷だった。
    枯れ草が広がる荒涼とした平地の中心に五メートルほどの高さの石塔がたっていた。聡志たちが立っている場所から百メートルほど先だった。石塔の周りには二十人ほどのゾンビ化していない灰色のフード姿の人間が輪を作って立っていた。
    聡志たちは横一列に並びその光景を見つめていた。聡志が口を開いた。
    「作戦は?」
    「聡志さんが来たことには彼らも気付いています。ここは正面から乗り込みます。あの石塔を破壊すれば我々の勝ちです。『旧支配者』の実体化は解け、住処に逆戻りです」
    瑠衣は塔を見つめたまま答えた。
    「必ず塔を破壊して、皆を家族の元に送り届けてやる」
    「あんたも、家に帰りたいだろう」
    店長も塔を見つめたまま聡志に尋ねた。
    「ああ。妻に会わなくちゃいけない」
    「腕がなるぜ。喧嘩十段の実力を見せてやる」
    卓己は中指で眼鏡を押し上げた。
    「田舎ヤンキーの底力を思い知らせてやりますよ」
    宏次朗は髪の毛をかき上げた。
    「立ち姿で分かるがフードの奴らは素人だ。だからといって油断するなよ」
    卓己は正人に顔を向けた。
    「正人、お前は何にも出来ないんだから自分の身を守ることを考えてろ」
    「俺だって戦えますよ」
    「俺の側で、俺をフォローしろ」
    聡志も正人を心配してそういった。
    やり取りを見ていた宏次朗が口を挟んできた。
    「そうだ、シスター、こいつに呪文を教えてやってくださいよ」
    「呪文?」
    「そう、店内でゾンビの動きを止めたやつ」
    「あぁ、アレね。でもここにはゾンビは現れないわ」
    瑠衣はなぜか言い淀んだ。
    「念のために教えてよ」
    「アレは関係ないのよ。雰囲気づくり」
    「雰囲気づくり?」
    「そう。適当なラテン語。自分がノッていけるから」
    瑠衣は照れ笑いを浮かべた。そして、正人に声を掛けた。
    「正人くん、チョット」
    瑠衣と正人が皆から少し離れた。
    「正人くん、無理しないでね」
    「瑠衣先生まで俺を馬鹿にして……」
    「そうじゃないの。正人くんはかけがえのない存在なの。人と人を繋ぐ、そうね、橋のような存在。正人くんがいるからここにいる皆も繋がっているの。分かる? だからくれぐれも用心してね」

    【信奉者との対決】

     聡志が力強く声を張り上げた。
    「いくぞ。俺が道をひらく」
    聡志が大股で石塔に向かって歩き出した。慌てて正人たちも駆け出した。
    卓己と店長、宏次朗は雄叫びを上げながら聡志たちを追い越していった。
    「死にたい奴からかかってこい!」
     店長が走りながら木刀を上段に構えた。
    フード姿の男たちも、向かってくる。中央で入り乱れた戦いが始まった。
    卓己が先頭のフードに飛び蹴りを食らわせた。店長はフードたちの間を走り抜けながら木刀を振るっていった。
    次々と倒れるフード姿の男たち。
    宏次朗もフードたちを殴り倒している。
    聡志は、瑠衣、正人を従えながら石塔に向かった。途中、聡志が現れるフード男を蹴散らしていった。
    闘いのなか、フードの下から現れた彼らの顔は異形をなしていた。瞼の無い目は大きく、真っ黒い穴のようだった。鼻は潰れており、禿頭で眉毛も無かった。首は短く肩にめり込むほどだった。そして左右の顎の下にはエラのようなひだが見え隠れしていた。
    フードの男たちは首から銀色のペンダントをぶら下げていた。この村の祠と同じ同心円状の模様が描かれていた。
    「ゾンビに、シスターに半魚人か。もう、何が出て来ても驚かないぞ」
     卓己が一切、手を休めず叫んだ。
    「こいつら全然、手応えがないな」
     店長、宏次朗も瞬く間に『旧支配者』の信奉者を叩き伏せていった。
    ついに聡志、瑠衣、正人の三人は石塔の手前にたどり着いた。
    「さぁ、塔に向かえ」
     聡志はあたりの残党を片付けながら、瑠衣に叫んだ。
     瑠衣は、聡志と正人を残して、一人、石塔に向かって踏み出した。
    同時に、石塔の横の地下階段から新手のフードの一団が現れた。それぞれ手にツルハシを持っていた。
    「下がって!」
     駆け付けようとする聡志と正人を瑠衣が制した。聡志と正人は立ち止まった。
    瑠衣は腰にぶら下げた袋に手を入れた。袋から取り出した手には灰色の粉が握られていた。
    「聖灰? 半魚人に効くの?」
     その様子を見ていた正人が後ろから声を掛けた。
    瑠衣は構わず、粉をフードの一団に向かって投げつけた。粉末の煙幕ができ、フードの一団を覆っていった。
    しかしフードの一団は気にすることも無く進んでくる。
    「やっぱり、聖灰なんか効かないじゃないか」
    「聖灰じゃないわ。酸化鉄とアルミニウムの粉末よ」
    瑠衣はいいながら自分の身体をまさぐって焦って何かを探し始めた。
    フードの一団が揃って肩にツルハシを担いだ。
    「ヤバい! 瑠衣先生がっ」
    聡志が駆け出した。
    「待って、先生!」
    聡志が止まって振り返るる、正人がライターを手にしていた。
    瑠衣にフードの一団がさらに近づいてくる。
    シャキーンという音をたて、正人がジッポのライターに火を点けた。そして大きく踏み出しながらライターをフードの一団に向かって投げつけた。
    火の点いたライターが弧を描き、瑠衣の頭上を通り過ぎていった。
    正人と瑠衣は声を揃えて叫んだ。
    「テルミット反応!」
    フードの一団の中に漂う粉末に着火し、炎が一瞬で広がった。閃光と爆風が起きた。
    聡志と正人は顔を覆った腕を降ろした。
    黒煙が去り、視界が晴れると、フードの一団が倒れていた。フードは黒焦げになっている。
    「ありがとう」
     瑠衣が正人に笑顔を向ける。
    「うん。ちょうどライターを捨てようと思ってたんだ」
    正人は照れ笑いを浮かべた。
    瑠衣は倒れている半魚人たちをしり目に胸のロザリオを握りしめて塔に近づいていった。
    卓己、宏次朗、店長もフードの信奉者を全員倒し、駆け付けてきた。
    ガラガラと音を立てて石塔が崩れ落ち、瓦礫の山になった。
    「やった!」
    「俺たちの勝ちだ」
    卓己と宏次朗が正人の髪の毛をクシャクシャにする。
    「痛っ、ちょっと、痛いっすよ」
    「やったな、正人」
    「本当、何にも出来ないヤツだと思ってたけどな」
    そういいながら宏次朗は正人を肘でつついた。ライターを投げ、瑠衣を手助けしたのを見ていたのだ。
    「俺は、何も……」
     聡志は正人の肩に手を置いた。
    「何も出来ないわけじゃない。禁煙も出来るし、世界も救える」
    正人はほほ笑んだ。
    「最悪だわ」
    瑠衣がつぶやいた。
    「『旧支配者』は出ていった後だわ」
    瑠衣は地面を指し示した。石塔から丘の上に向かって幅四メートルほどの黒い染み跡が続いていた。
     うめき声が聞こえてきた。何人かのフード姿の半魚人たちが目を覚まし、再び、聡志たちに迫ってきたのだ。
    「聡志さん、私と一緒に来て。他の皆は奴らを食い止めて」
    瑠衣は丘の上を目指して駆け出した。
    聡志は後追うが、途中で足を止め一瞬、振り返った。
    正人は深くうなずいた。
    聡志は笑顔で応え、瑠衣の後を追って丘を登り始めた。

    【トゥインクル・トゥインクル・キラー・ロード】

     丘の反対側にソレはいた。
     眼下に、象ほどの大きさのイソギンチャクのような化け物がゆっくりと進んでいた。
    全身から蛸の触手のようなものが無数に生えていて蠢いていた。触手は人の腕や胴体ほどの太さをしていた。さらに触手には大小様々な吸盤がびっしりと付いていた。その吸盤一つ一つの中には尖った歯が円形に並んでいた。触手同士がぶち当たるビチャビチャという音と、吸盤の中の歯が擦れて軋むギチギチという音が同時に鳴っていた。触手の間からは赤と緑の膿が絶え間なく湧き出ていて悪臭を放っていた。
     聡志は茫然と立ち尽くした。十メートルほど下を進むその存在が信じられなかった。
    「アレが『旧支配者』。あなたは見たことがあるわね」
     聡志の横で瑠衣がいった。

     四カ月前。
    聡志は宇宙探査船の外壁で修理を行っていた。船員の一人、ダンのサボタージュにより外壁が破壊されたのだ。
    しかし聡志の素早い行動により外壁は塞がれ減圧は免れた。
    聡志はリベットの最後の一つを止め終わるとゆっくりと立ち上がった。
    周りには漆黒の宇宙が広がっていた。
    ふと視界の隅に光を感じた。その方向に身体を向けた。
     遠くからガス雲が近づいてきていた。ガス雲の中では途切れなく稲光が明滅していた。そのガス雲は見る間に大きさを増し、一直線に聡志に近づきそのまま聡志の身体を通り抜けていった。
     指令室内の船外活動モニターが聡志のバイタル異常を告げていた。心拍、血圧、体温、心電図の数値が出鱈目に上昇し赤い文字に変わったのだ。警告音が鳴りだした。そして突然、全ての数値がゼロに変わった。
     船長は慌ててマイクに話しかけた。
    「サトシ! どうした! 大丈夫か」
    「……。今の、見たか?」
    聡志のバイタルサインは正常に戻っておりオールグリーンを示していた。
     船長は聡志の声に安堵した。
    「何があった」
    「……。何だ、今のは。俺は、どうしたんだ……」

     瑠衣が聡志に説明する。
    「あなたは実体化前の『旧支配者』に触れたのよ。宇宙服を着ていたことも幸いだった。あなたはアレへの耐性を得たのよ」
    「耐性?」
    聡志は眼下の化け物から視線を逸らすことが出来ず見続けていた。
    「そう。何の防御もなく近づけば全身の細胞は腫瘍化し皮膚も内臓も腐り始める。そして精神は錯乱し発狂してしまう」
    「なぜそんなことを知ってるんだ」
    「私たちバチカンとNASAはもう長い間ずっと彼らと戦っているの」
    「彼ら?」
    「そう。彼ら『旧支配者』の存在自体が人類の脅威なの」
    「『旧支配者』って何なんだ?」
    「名状し難きもの、邪悪の皇太子、かつてあり今あり将来あるもの、闇に蠢くもの……」
    聡志は必死に理解しようするが理解の範疇を越えていた。
    「息子さんを亡くしたあなたと奥様は失意に沈んだ。あなたはNASAを辞め、奥様と静穏の地を探した。だけど我々にはあなたが必要だった。だからここに呼んだの。私があなたの助けに来たわけじゃないの。あなたが、私の助けに来たのよ」
    「……。アイツをどうするんだ?」
    「今までも、そして今回も奴を追い返すことしか出来ない。でも次からは違う。あなたがいるから」
     聡志は瑠衣の言葉に重い決意が滲んでいることに気が付いた。
    「決戦が近づいているわ。彼らも分かっているみたい。NASAに信奉者を送り込んできたし」
    聡志は横に立つ瑠衣に視線を向けた。
    「何一つ、偶然なんかない。あなたが耐性を身に付けたのも、あなたの運命なのよ」
    瑠衣は胸のロザリオを握りしめ『旧支配者』を見下ろした。
    「アイツをやって来た場所まで送り返してくる。出来れば使いたくなかったけど奥の手を使うわ」
    「待て、アイツが恐くないのか?」
    瑠衣は微笑んだ。
    「恐いというより、むちゃくちゃ気持ち悪いわね。出来れば近づきたくないわ」
    「じゃぁ、何であんたはここにいるんだ?」
    「私には使命と約束があるの。私の母も、その母も、その母も『旧支配者』を封印してきた。私の代で屈するわけには行かないわ。それに弟の病を治すという誓いを立てたの」
    「弟?」
    「正人くんと同じ年の弟。今はバチカンにいる。旧支配者の眷属に不用意に接触したため奇病に侵されたの」
    瑠衣の表情が険しくなる。
    「もう行かなくちゃ」
     瑠衣は聡志に止める隙を与えずに駆け出した。そして、『旧支配者』の手前でそれに向かって手足を広げて飛びかかった。
     瑠衣の修道服からのぞく腕や足には黒い秘文がびっしりと描かれていた。
    『旧支配者』から昆虫の足のような鉤爪が何本も飛び出してくる。複数の鉤爪で空中にいる瑠衣を掴むとそのまま地面に沈み込むように消えていった。
    瑠衣の犠牲により『旧支配者』は封印された。
     瑠衣は行ってしまった。聡志は丘の上に佇み、独り、地面の黒い染みを見つめ続けていた。
     どこからか瑠衣の声が聞こえてきた。
    「聡志さん、あなたはあなたの役目を果たしてね。そして人類を救うついでに私も助け出してね」
     瑠衣は生きている。
    聡志は顔を上げた。

     石塔の瓦礫にまで戻ると、正人たちが駆け寄ってきた。
    「瑠衣先生は?」
    「『旧支配者』と去っていった」
    「えっ?」
    「生きてはいるが、別の世界に行ってしまった」
    「そんな……」
    正人だけでなく、他の三人も言葉なくうな垂れるだけだった。
    フード姿の信奉者たちは半魚人から人間の姿に戻り、這う這うの態で逃げ去っていった。
    地面に銀色のペンダントが落ちていた。
    「正人、怪我は無いか?」
    「俺、瑠衣先生を助け出します」
     正人は聡志に宣言した。
    「絶対に絶対に瑠衣先生を連れ戻してみせます」
     その眼には涙が溜まっていた。

    【旧支配者の敵】

     聡志は急ブレーキを掛けて車を停めた。乱暴にドアを開け、玄関に向かって駆け出した。
     ドタドタと廊下を進み、リビングに駆け込んだ。手探りで照明のスイッチを入れた。
    リビングルには今朝、出ていった時と同様に段ボール箱が積み上げられていた。
     真奈がソファーに横になっておりブランケットが身体に掛かっていた。
     聡志は真奈に近づこうとした。
     気配を感じて真奈が目を覚ました。
     聡志は肩の力を抜き、ほほ笑んだ。
    「良かった。大丈夫か?」
    真奈は、身体を起こしてソファーに座った。
    「ごめんなさい。疲れていたみたい。車の故障は直ったの?」
    聡志は周りを見渡した。真奈が飾っていた窓際の写真立てが無くなっていた。それは開いた段ボールの上に積まれていた。
    真奈は聡志の視線を追って写真立てを見た。
    「過去を振り返ってふさいでばかりだと、あの子に叱られる気がするの。会いたければ目を閉じればいいしね」
    真奈、そう言いながら立ち上がった。
    「お腹が空いたわ」
    「車から弁当を取ってくる」
    「お茶を入れるわね」
    真奈は聡志の横を通って台所に向かった。
    聡志はふと段ボール箱の上に積まれた写真立てに目を留めた。
    真奈が台所から声を掛ける。
    「またガーデニングでも始めようかしら」
    聡志はゆっくりと段ボール箱に近づき、写真立てを取り出した。
     今まで気づかなかった。
    拾い上げた写真にはキャンプ場での聡志たち親子三人が写っていた。河原に立つ三人の後ろに川が流れていて釣り人が数人、写っていた。
    聡志は写真を凝視した。写真の中の向こう岸の林の中に灰色のフード姿の人影のようなものが写っていた。
    聡志は険しい表情を浮かべた。
    台所から真奈の声がする。
    「新しい仕事はどう?」
    聡志は写真から顔を上げた。
    「自分のやるべきことが分かったよ」
    「どう? やっていけそう?」
    「あぁ、楽勝さ」
    (了)


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