
「来世でしか幸せになれないと思っていた」──ブサイクといじめられていた私が、250人に祝福される花嫁になるまで
プロローグ
結婚式という夢のような1日が終わって、
数ヶ月が経った頃だった。
結婚式、披露宴、二次会。
山ほどのプレゼント。
そして朝まで続いたサプライズだらけの三次会。
気づけば250人近い人達が
当日私達の結婚を祝福してくれた。
溢れる笑顔。
嬉しそうな家族。
泣きながら手を振ってくれる友人。
「本当におめでとう!」と
何度も祝ってくれる仲間達。
親友や上司からの愛情たっぷりのスピーチ。
「可愛い!」
「本当に綺麗!」
そんな声があちこちから何度も聞こえてくる。
何より、隣には幸せそうに私を見つめる
大好きな旦那さん。
大勢の祝福の中心にいる写真と動画の中の私は、
自分で言うのもなんだけど、
「この人、ずっと人生順風満帆だったんだろうな」
と思われてもおかしくない顔をして笑っていた。
まるで最初から何もかも上手くいってきた
“人生の勝ち組”みたいに。
そんな写真や動画を、
ベッドの上でぼんやり見返していた時だった。
その流れで、当日流した生い立ちムービーを再生した。
小さい頃の私が映っていた。
カメラを気にしながら、
少しぎこちなく前を見つめる女の子。
思えば、今では考えられないくらい引っ込み思案な子どもだった。
その頃の私はまだ、
自分の見た目が、人生をこんなにも苦しめるなんて知らなかった。
「ブサイク」
「しゃくれ」
「顎キモイ」
小6になってから、
私はそんな言葉を浴びるようになった。
当時は、想像もしていなかった。
それがこの先何年も、
自分の人生に長くまとわりつく傷になることを。
これは、
「来世でしか幸せになれない」
と思っていた私が、
この人生で幸せになるまでの話。
1章 “私だけ、可愛くない”と気づいた日
小学校に入った頃の私は、
引っ込み思案だけれど、運動もオシャレも大好きな女の子だった。
男女関係なく友達がいて、休み時間は皆で遊んだ。
実は少し目立ちたがりで、学芸会や学級委員にも積極的だった。
そんな私の世界が少しずつ変わり始めたのは、小4だった。
「さっき○○ちゃんと遊んでたよね?」
「私達のグループで遊ぶって言ったじゃん」
今思えば、よくある小学生女子の人間関係だったのかもしれない。
でも当時の私は、“決まったグループだけで過ごす”という感覚が理解できなかった。
みんなと仲良くしたい。ただそれだけだった。
小4の春、そんな小さなすれ違いをきっかけに、
私はクラスの中心グループから仲間外れにされた。
その頃始めたバスケ部でも状況は同じだった。
クラスと部活の中心人物は同じで、一度嫌われると居場所がなくなった。
無視。仲間外れ。コソコソ話。
主犯格の一言で順番に誰かがターゲットになる。
理由なんてあってないようなものだった。
私は少しずつ、「嫌われないようにすること」ばかり考えるようになっていった。
でも、本当に苦しくなったのは小6になってから。
それまでは女子同士の人間関係の問題だと思っていた。
私は初めて見た目を理由に笑われるようになる。
「ブサイク」
「しゃくれ」
「顎キモイ」
最初に言ったのはクラスの男子だった。
笑った瞬間の顔を見て、面と向かって笑われた。
あの時の心臓を刺されたような感覚を、今でも覚えている。
――ああ、私は笑っちゃいけないんだ。
友達と同じように笑っているだけなのに、
なぜか私だけが対象になった。
その時初めて、
「私は可愛くないんだ」
と知った。
それまでの私は、どこかで自分も皆と同じように愛される側へ行けると思っていた。
オシャレも好きだったし、少女漫画みたいに好きな人と両想いになって、
誰かに「可愛い」と言われる日が来ると思っていた。
でも現実は違った。
可愛いと言われるのは、
いつも私を傷つける女子だった。
「しゃくれ」
「野口さんみたい」
一人が言い始めると周りも真似をし、傷つく私をさらに面白がった。
私の気持ちなんて誰も考えていなかった。
私はどんどん俯くようになった。
毎日、
「今日も何か言われるんじゃないか」
と怯えていた。
いつの間にか私は、
「自分は愛されない人間なんだ」
と本気で思うようになっていた。
小5の女子同士のいじめには、先生も気づいていた。
でも小6のことは誰にも言えなかった。
「男子に顔を馬鹿にされている」
先生や親に相談するのも恥ずかしかった。
卒業式の日。
小5,6と担任だった先生が私に泣きながら言った。
「今年は楽しく過ごせたよね!本当によかった!」
ううん、先生。
今年はもっと苦しかったよ。
そう心の中で思いながら、私は笑って「はい」と頷いた。
2章 私は誰かに選ばれたかった
中学生になれば何か変わると思っていた。
新しい制服と教室。
小学校の頃の自分をリセットできる気がしていた。
バレー部に入ろうとした。
運動も苦手ではないし、可愛い先輩達に憧れていた。
でも現実は、また同じだった。
教室でも部活でも、少しずつ空気が変わっていく。
男子達は、また私の顔を笑った。
私の耳元で「猪木!」と囁いて逃げる遊びまで始まった。
部活でも、
気の強い女子に目をつけられ、気づけば一人になっていた。
――まただ。
中1の夏、私はバレー部を辞めた。
担任の先生に勧められ、吹奏楽部へ入り直した。
小学校のバスケ部の頃からの
いじめに加担しない安心できる友達もいた。
でも当時の私は、
両親がスポーツを大切にしていたせいか、
運動部じゃない自分は価値がないと感じた。
そしてあの輪の中に入りたかった。
自信はないのに、本当は目立ちたがりだった。
心の中ではずっと、
「こんなはずじゃない」
と叫んでいた。
小学校の頃から削れ続けていた自己肯定感は、
中学生になってさらに壊れていった。
家にも完全な理解者はいなかった。
両親は私を愛してくれていた。
けれど、外の世界で傷つき続ける私の苦しさは伝わらなかった。
父は話も聞かずに言った。
「頑張れ」
「ウジウジするな」
学校で既にボロボロだった私には苦しかった。
母も言った。
「どうしていつもこうなっちゃうんだろう?」
――それ、私が一番知りたいよ。
母は学生時代から可愛くて、
勉強も運動もできて学年1モテていたそう。
この人に「女として傷つく苦しさ」は分からないと思った。
どうして自分だけ、こんなに生きづらいんだろう。
中2になっても状況は変わらなかった。
女子同士の空気に怯え、男子には見た目をからかわれた。
クラスで発表をすれば
私が話し始めた途端、男子達からの
「聞こえませーん」
という声が飛び交った。
先生は何も言わなかった。
だから私は、
「こういうことは我慢するしかないんだ」
と覚えた。
一度もやめてと言えなかった。
相手はいつも複数で、私はいつも一人だった。
毎日、
「今日は何も言われませんように」
と願っていた。
少しだけ手首を傷つけた日もあった。
死にたかったわけじゃない。
ただ、限界だと誰かに気づいてほしかった。
そんな時、初めて彼氏ができた。
一つ上の先輩だった。
本当に好きだったのかは分からない。
当時の私はボロボロだった。
――これで彼氏がいる私になれる。
当時は親の携帯で連絡をしていたが、
関係はすぐに知られた。
父はメールを読み上げ、
激怒しながら馬乗りになって私を殴った。
「せっかく塾に行かせてやったのに」
思春期特有の、
くだらなくて甘ったるいやり取り。
消えてしまいたかった。
隣で母も泣きながら言った。
「この尻軽女」
意味もよく分からなかった。
いつも優しかった母からその言葉が出たことが何より苦しかった。
顔をからかわれ、いじめられ続けた私を、
初めて誰かが選んでくれた。
本当は一緒に喜んで欲しかった。
返ってきたのは否定だった。
父に「出てけ」と言われ、私は本当に家を出た。
学校でも、家でも、心は限界だった。
彼とは数ヶ月で別れた。
私は恋愛そのものが悪いことのように感じるようになった。
中2の終わり頃には、かなり疲れていた。
人生って長いんだな。
まだ14年しか生きていないのに、
もう何年もずっと苦しい。
学校は世界の全てだった。
その狭い世界の中で、
この先もずっとこのまま生きていくんだと思った。
3章 それでも、私を見てくれる人がいた
中3の春、私は初めて少しだけ希望を持てた。
春休みは毎日のように頭痛がしていた。
次のクラスもまた同じだったらどうしよう。
そんな不安ばかりだった。
でもクラス発表の日、私は少しだけ救われた気がした。
担任は、中1の頃も担任だった大好きなK先生。
人の目ばかり気にして何事にも本気になれなかった私に、
「全力でやるって楽しいぞ」
と教えてくれた人だった。
そして何より、一番仲の良かったCちゃんと初めて同じクラスになれた。
小学校のバスケ部から一緒で、
私をからかう男子に注意してくれたこともある。
中2の時、家を飛び出した夜に逃げ込んだのもその子の家だった。
「このクラスなら大丈夫かもしれない」
そんな風に思えたのは本当に久しぶりだった。
私は、中学生最後の1年を思いきり楽しもうと思った。
体育祭では憧れていたダンスリーダーに立候補した。
「なんであの子が?」
と思われたかもしれない。
でも、もうそんなことはどうでも良かった。
やってみると、まとめ役は意外と自分に向いていた。
私はとにかく、
体育祭をみんなで楽しみたかった。
どこかで嫌な思いをしている子を、一人も作りたくなかった。
これまでの自分を思い出していたからだ。
クラスの皆はどんどん私に賛同してくれた。
小学校の頃や去年、
私を傷つけた子もまた同じクラスにいたけれど、
不思議と穏やかな距離感で過ごせた。
体育祭も、修学旅行も、合唱コンクールも本気で取り組んだ。
気づけば私は、
「目立たないように生きる」より、
「やりたいことをやる」の方が楽しいと思えるようになっていた。
卒業まであと半年。
K先生から、最後の学級委員に立候補してほしいと言われた。
驚いたが、
期待してもらえたことが嬉しかった。
他にも立候補者はいた。
クラス投票で選ばれたのは私だった。
顔で笑われてきた私が、
初めて認められた気がした。
先生とクラスの皆が、
初めて「顔」だけじゃなく、
「私自身」まで見てくれた気がした。
私は一人ぼっちの苦しさも、陰で笑われる悔しさも知っていた。
この経験をしてきた私だからこそできるクラスを作りたい。
そう本気で思いながら、
学級委員として最後の中学生活を駆け抜けた。
受験生でもあるこの1年。
私にはどうしても行きたい高校があった。
隣の市にある人気の進学校。
私は地元の高校には行きたくなかった。
誰も私を知らない場所で、 もう一度やり直したかった。
高校受験は進学ではなく、人生を変えるチャンスだった。
勉強は比較的得意で、第一志望を本気で目指せる位置にいた。
もちろんまだ顔をからかってくる男子もいた。
それでも、CちゃんやK先生の存在、
そして、
「この世界を出るんだ」
という思いが私を前へ進ませた。
K先生は中1の頃から、冴えなくて自信のない私を見てきた。
親にも理解してもらえなかった私にとって、
初めて本当の私を見てくれる大人だった。
そして私は第一志望の高校に合格した。
これでやっと、この世界を出られる。
誰も私の過去を知らない場所へ行ける。
中3の1年間は、
少しだけ私に自信をくれた。
今度こそ。
今度こそ私は、
新しい人生を始められる気がしていた。
4章 笑われる側には戻りたくなかった
高校の入学式の日を、今でも覚えている。
誰も私のことを知らない場所だった。
小学生の頃の私も、中学生の頃の私も。
ここなら、やり直せる気がした。
だから今度こそ、明るくてみんなに好かれる人になろうと思った。
そんな頃、私はダンス教室へ通い始めた。
親に勧められたからではなく、
自分がやりたいと思って始めた習い事は初めてだった。
バドミントン部にも入り、気の合う友達にも恵まれた。
放課後に寄り道をしたり、恋愛の話で盛り上がったり。
小中学生の頃には想像できなかったくらい、
毎日笑うことが増えた。
昔から憧れていたような毎日を、
私は少しずつ手に入れ始めていた。
そして高1の夏、地元の祭で男子から告白された。
中学時代、一番モテていた子だった。
小中学生の頃、容姿をからかわれていた私には信じられない出来事だった。
結局その恋は長くは続かなかったけれど、
誰かに選ばれた経験は私に少しだけ自信をくれた。
とはいえ、場所を変えても、
過去から完全に自由になれたわけではなかった。
同じ頃、中学時代の私を知る男子達が、
私のことを面白半分に話しているらしいと耳にした。
悔しかった。
やっとここまで来たのに。
私は衝動的に、小学校時代に私を傷つけた中心人物だった女の子へ電話をかけた。
ずっと聞きたかった。
私は何をしたの?
どうしてあんなことをされたの?
でも返ってきたのは、
「私だけじゃなかったと思うけど」
という言葉だった。
その時初めて気づいた。
私が何年も抱えてきた痛みと、相手が覚えている出来事の重さは全く違うのだと。
納得できたわけではない。
でも、答えをくれる人はいなかった。
だから私は前を向くしかなかった。
ダンスを続け、友達と笑った。
過去は消えなかった。
それでも、過去だけが私の人生ではなくなっていた。
大学へ進学すると世界はさらに広がった。
ダンス部に入り、有名カフェでアルバイトを始め、
たくさんの仲間と出会った。
傷が消えたわけではない。
それでも友達がいて、仲間がいて、夢中になれるものがあった。
私は少しずつ、小中学校で失ったものを取り戻していた。
そして大学4年の頃、私は母に伝えた。
「恋愛のことも、もっと友達みたいに話したい」
中2の出来事をきっかけに、私は長い間、
恋愛の話を母にできなくなっていた。
本当は、恋愛の悩みも、嬉しかったことも、聞いて欲しかった。
今思えば、あれが親子関係を作り直す最初の一歩だ。
勇気を出して伝えたその言葉は、
今日までの私を何度も支えてくれることになる。
5章 幸せになりたいのに、なれなかった
そうして私は、社会人になった。
本当はアイドルやアナウンサーに憧れたこともあったが夢を追う勇気はなく、
結局、親に勧められた自動車系の大手商社へ入社した。
社会人2年目、初めて本気で好きになれる恋人ができた。
相手からの猛アタックだった。
中学時代から恋愛に苦手意識のあった私にとって、
初めて「両想い」だと思えた恋だった。
初めての旅行も、初めての経験も、
全部その人だった。
当時の私は幸せだったと思う。
しかし振り返ると、
その恋愛はどこか不安定だった。
恋愛に対する自信の無さが顔を出していたのかもしれない。
その恋は1年程で終わった。
思っていた以上に彼を引きずった。
彼が好きだったのか。
「愛されている自分」を失いたくなかったのか。
ただ、私はまた幸せを見失ってしまった。
今だから笑い話だけれど、
気持ちが整理できず別れたその日に勢いで街コンへ行ってみた。
彼を失ったこと以上に、「彼氏のいない自分」に戻るのも怖かった。
友達の紹介、合コン、マッチングアプリ。
出会いはあったし、好意を向けてもらうこともあった。
それでもうまくいかなかった。
私は無意識のうちに元彼と比べていた。
年収。仕事。見た目。学歴。
もっと良い人。
もっと素敵な人。
気づけば条件ばかりを見ていた。
今思えば、私は恋愛相手を探していたというより、
元彼より“上”の人と付き合って、
自分の価値を証明したかったのだ。
「私は幸せになれる人間なんだ」
その答えを恋愛に求めていた。
当然、うまくいくはずもなかった。
私は誰かを好きになる前に、自分自身と戦っていた。
気づけば、20代後半になっていた。
世の中はコロナ禍に入った。
友達は次々と結婚し、SNSには幸せそうな写真が並んでいた。
私だけが取り残されている気がした。
仕事は続けていた。
でも、満たされなかった。
当時の職場は、結婚が当たり前という空気が強かった。
「結婚はまだなの?」
「良い人いないの?」
悪気ない言葉が苦しかった。
SNSを開けば、昔私を傷つけた人達も結婚し、
母親になっていた。
どうしてあの人達は幸せそうなのに、
私はこんなに苦しいんだろう。
そんなことばかり考えていた。
気がつけば私は、
幸せになりたいのか、
誰かを見返したいのか、
分からなくなっていた。
いつの間にか「幸せ=結婚」だと思い込んでいた。
焦りだけが増えていった。
そしてその焦りは、静かに限界へ向かっていった。
6章 壊れることでしか、生き延びれなかった
失恋。
結婚への焦り。
将来への不安。
そして、小中学生の頃に押し込めた感情。
大人になったからといって、それらが消えるわけではなかった。
いつしか私は両親に感情をぶつけるようになっていた。
どうしてあの時、守ってくれなかったの。
どうしてもっと向き合ってくれなかったの。
毎日のように泣き、心療内科へも通った。
その頃、仕事でも精神的に厳しい状況が続いていた。
パワハラやモラハラ気質で知られていた営業担当と長くペアを組み、
強い言葉をぶつけられる日々。
同期や周囲の人達は支えてくれていた。
それでも苦しかった。
仕事も、恋愛も、家庭も。
どこにも安心できる場所がなかった。
ある時ふと思った。
――このまま、ここで人生終わっていくのかな。
本当は終わりたくなかった。
ただ、抜け出し方が分からなかった。
積み重なったものは限界を超え、
ある日、その均衡は静かに崩れた。
感情が止まらなくなった。
仕事中も母へLINEを送り続けていた。
辛い。
どうしたらいいか分からない。
消えてしまいたい。
自分でも、自分を扱いきれなかった。
その夜だった。
家族の空間では、私はいつも“後回し”だった。
どこか私を小馬鹿にする妹の言葉も、
それを親が止めない空気も。
ずっと積み重なっていた全ての苦しさが、一気に限界を超えた。
私は自分の人生を終わらせようとした。
その夜のことは、正直あまり覚えていない。
ただ一つ覚えているのは、妹へ遺書のようなメッセージを送ったことだった。
翌朝、妹に発見された。
「なんだ、生きてんじゃん」
私は何も言えなかった。
長い間、1分1秒必死に抱えてきた苦しみと、
目の前の現実との温度差だけが静かに突きつけられていた。
その後も日常は続いた。
幸せそうな人を見ることさえ胸が痛かった。
時間は何も解決してくれなかった。
そして26歳の秋。
ある朝、会社へ向かう準備をしながら思った。
「もう無理だ」
このまま続けたら本当に壊れる。
私は休職することを決めた。
けれど、希望は見えなかった。
考えた。
もし今、本当に人生が終わるとしたら、
私は何を後悔するだろう。
真っ先に浮かんだのは、学生時代に諦めた
留学だった。
ただ、このまま終わりたくなかった。
もうどうにでもなれ。
英語の勉強なんてする気力もないまま、
2ヶ月のカナダ留学を決めた。
普段は慎重な母も、
「後先のことは考えなくていいから、やりたいことをやりなさい」
と、背中を押してくれた。
そして留学へ行く直前、私は一人の男性と付き合うことになった。
彼もまた留学を応援してくれた。
逃げだったのか。
再出発だったのか。
今でも分からない。
確かなのは、あの時の私はまだ生きることを諦めきれていなかったということだ。
だから私は場所を変えた。
呼吸のできる場所を探すために。
7章 遠回りのその先で
飛行機の中で、先のことは何も見えてなかった。
何か変わるかもしれないという期待が、
少しだけあった。
カナダには、私のことを知る人が誰もいない。
小中学生の私も。
失恋や会社で暗闇の中にいた私も。
学校が始まると、私はたくさんの人と出会った。
英語は決して上手ではなかった。
それでも、話しかければ誰かが応えてくれた。
放課後は友達と出かけ、ダンスにも通い、
カナダ各地を一人旅もした。
氷点下の雪山にも足を運んだ。
今振り返ると、カナダで突然積極的になったわけではなかった。
元々私は、人と関わることも新しい場所へ行くことも好きだった。
カナダでの日々は、本来の自分を少しずつ取り戻していく時間だった。
同時に、自分が思っていた以上に強く、
行動できる人間なのだと知る時間でもあった。
帰国前、友人がお別れパーティーを開いてくれた。
世界各国から集まった30人以上もの仲間達に囲まれながら、思った。
私は壊れていたわけじゃなかった。
自分の力を忘れていただけだった。
そうして私は日本へ帰国した。
仕事には復帰したが、留学中は遠くへ置いてきたはずの将来への不安が少しずつ追いかけてきた。
さらに帰国数ヶ月後、留学前から付き合っていた彼とも別れることになった。
カナダで世界を見た私と、以前の私では見ている未来が変わっていた。
後悔はなかったが、私はまた一人になった。
結婚や出産をする友達もさらに増えていた。
私は何をしているんだろう。
焦りを振り払うように、私は動き続けた。
再びカナダやアメリカへ行き、日本国内も一人旅した。
敢えて海外の旅行者が集まるゲストハウスに泊まり、初対面の人達と語り合った。
留学の続きをしているような感覚だった。
でも夜になると眠れなかった。
あと何をすれば、満たされるんだろう。
そんな時、実家を出ようと思い立った。
部屋を探していて、あるシェアハウスが目に留まった。
見た瞬間に思った。
「ここだ」
シェアハウスを選んだのも、留学の影響だった。
その直感は正しかった。
シェアハウスには、新しい居場所があった。
リビングへ行けば誰かがいて、
「おかえり」と言ってくれる。
一緒にご飯を食べたり、出かけたり、誕生日を祝ったり。
実家とも一人暮らしとも違う温かさがそこにはあった。
その住人の一人が、今の夫だ。
彼といると無理をしなくてよかった。
驚くほど、肩の力を抜いて安心できた。
毎日飾らない笑顔が増えた。
そして気づいた。
探していたのは、
そのままの自分でいられる場所だったのだと。
付き合って1年半後、彼はプロポーズをしてくれた。
人生は、選択の連続で大きく変わる。
休職したことも。
留学したことも。
シェアハウスへ引っ越したことも。
当時は遠回りだと思っていた選択が、
気づけばすべて今へ繋がっていた。
人生は本当に分からない。
だから面白いのかもしれない。
エピローグ
結婚式が終わって1年が経った。
写真や動画は今も見返す。
大勢の祝福。笑顔。
そして、幸せそうな私達。
今、このエッセイを書いている私のお腹の中には、
新しい命がいる。
娘だ。
小さな心臓が、
今日も元気に動いている。
エコー写真を眺めながら、私は思う。
あの頃の私が、
今の私を見たら何と言うだろう。
きっと信じないと思う。
こんな人生が自分に待っているなんて。
いつの間にか
数え切れない程の人とのご縁に恵まれ、
私のことが大好きな、愛する人と結婚し、
新しい命を授かる未来があるなんて。
あの頃の私は、
そんな幸せは来世でしか手に入らないと思っていた。
別人にならなければ無理だと思っていた。
でも本当なんだよ。
あなたは笑えるようになる。
あなたを大切にしてくれる人達と出会う。
そしていつか、
この人生でよかったと思える日が来る。
小中学の頃からのいじめに加担しない信用できる友達も。
高校と大学で出会った友達も。
会社やダンス、留学で出会った仲間も。
シェアハウスで出会った大切な人達も。
愛の輪は少しずつ広がっていった。
どこにも居場所がないと思っていた私は、
気がつくといつも笑顔の中心にいて、
帰れる場所がいくつもできていた。
突然手に入ったものじゃない。
学校で息苦しさを感じた毎日も。
消えたいと思った夜も。
失恋も。休職も。留学も。
シェアハウスへ引っ越した日も。
全部が今へ続いていた。
こうなれた理由を考えることがある。
もちろん運もあった。
人との出会いにも恵まれた。
でもひとつだけ、自分を褒めたいことがある。
私は、自分を大切にしてくれる人を大切にして生きてきた。
嬉しい時は思い切り笑った。
感謝したい時は、言葉だけじゃなく態度でも
「ありがとう」が伝わるように行動した。
大好きな人には、ちゃんと「大好き」と
真っ直ぐ言葉にして、何度でも伝えた。
初めて会う人には、
自分から明るく声をかけた。
小さなことかもしれない。
でも、その何年もの小さな積み重ねが今の私を作った。
夫も、同じように大切にしていることだ。
小中学生の頃は、
学校が世界の全てだった。
でも世界は思っていたよりずっと広かったことに
長い時間をかけて、ようやく気づけた。
何度も迷い、遠回りした。
それでも動き続けた。
娘がどんな子であろうと、
決めていることがある。
この子には、
「あなたはそのままでいいんだよ」
と何度でも伝えたい。
嬉しい時も。
うまくいかない時も。
自信をなくしてしまう時も。
真正面から向き合って、受け止めて、
分かりやすい言葉で愛情を伝えたい。
心の底から
一緒に喜んで、
一緒に悲しんで、
どんな日でも、
「大好きだよ」
と抱きしめてあげたい。
それがきっと、
昔の私が一番欲しかったものだから。
だから私は、ようやく居場所に辿り着いた。
そして今度は、私が誰かの居場所になろうとしている。
来世じゃなくていい。
私は、この人生で幸せになれた。