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シーツを2回、不本意に汚したことはありますか?

最近、シーツに急に小さな穴が空いた。私の足の爪が引っかかったのか、原因はわからない。大学時代からはや5〜6年使っていたであろう、毎週末に洗っていたシーツだ。そろそろ寿命が来てもおかしくはない。

小さな穴は、私の迂闊な寝相で大きな穴に広がっていく。最初は私の足の指を穴に引っ掛けて、ビリッという切なげな音がするたびに、あぁっと情けない声を出していた。ただそれが、ビリッ、ビリッ、と何回も重なることによって、シーツへの申し訳なさと自分の情けなさも重なっていって笑えてくる。だいぶ穴が大きくなってしまったので、逆にもう足の指を引っ掛けないだろうと油断していたら、先日朝に起きて伸びをした時にビリビリビリッと音を立てて穴が広がり、ついにはシーツの2/3くらい破れた姿を見て声を出して笑ってしまった。シーツよ、ごめん。早く買い替えねばと思いつつ、もはや面白いのでそのまま取っておいてしまっている。(買い換えることへの億劫さももちろんある)


情けなさが一周回って笑ってしまう、という経験が他にもあったことを、破れたシーツを見て思い出した。私は私の寝床を、月に2回汚されてしまったことがある。ここからは汚い話が含まれるので、潔癖な方は見ないでください。あと恥ずかしいので。

1回目は、私の友人である。家で飲んで、楽しくなって友人たちが私の家に泊まることになって、酔いに酔った友人の1人が私のベッドで寝てお漏らししてしまった。私はそのせせらぎのような音で目覚め、驚きながら友人を揺さぶり起こそうとしたが、悲しいことに揺さぶられてその軌道が広がっただけであって、起こせずにおねしょを完遂させてしまった。

2回目は、ゆきずりの男であった。まあいいかと思い私の家へ泊めたが、初めて家にあげた男が初めて私の家で寝ながら放水なされた。もう私にはなす術がなかったのだが、精巣がんを数ヶ月前に寛解したという話を聞いていたので、「精巣がん 後遺症 おねしょ」とか調べて気を紛らわせていた。実際に、後遺症で排尿障害はあるらしい。いらん知識を身につけた。


さすがに月に2回、そのようなことが起こると、私には笑うしかなかった。なんかもう2回目の時はすごく落ち着いていて、保存していた新聞紙をすぐさま持ち出して吸水させていた。そんな自分が滑稽でなおのこと笑えた。いずれも元を辿れば、彼らを家に招き入れた私の落ち度でもあるので、彼らを責める気にもならず、ただただ自分の情けなさで笑っていた。

こうしたひょんな事柄を悲観せずに笑えるのは、私のいいところだと思う。そりゃちょっぴり悲しいし、ちょっぴり被害者ヅラしたくもなるが、こんな面白い経験ができてよかったなと思うことが多い。


つい先日の転職活動では、「大学時代にコロナ禍が被るなんて、楽しみきれなくて大変だったんじゃないですか?」と言われてきょとんとした。私は大学時代2年生の時にちょうどコロナが流行り、世の中からは「大学2年生なんて1番遊べる時期なのに」と言われることも多かったし、もちろんそれも理解できたのだが、それをそこまで苦だとは思っていなかったのだ。

無論、それまでの時代でイメージされるような大学2年生の遊び方はできなかった。しかし、コロナ禍で学業もアルバイトもセーブされた状態で、ふと散歩に行って見つけた知らない花の色や、友人と見た静かで穏やかな海の波。明日を気にせずに語り明かした電話の先に見た朝日。作ったことのなかった、手のかかるお菓子の味。それら全てを、強く愛おしい光として覚えている。コロナ禍でできなかったこともあったが、コロナ禍だからできたこともたくさんあったのだ。

私は私の身に降りかかることを、すべて憎まず、憎みたくても憎みすぎず。私だから経験できたこと、私だから感じられた感情を大切にしていたい。悲劇のヒロインではなく、喜劇の当事者でいたい。人生は近寄れば悲劇、遠ざかれば喜劇とチャップリンは表現したが、遠ざかれば喜劇、近寄ればもっと喜劇なのです、私の人生は。

にしてもシーツは買い替えたほうがいい。みなさま、おすすめのシーツはございますか?

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