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母について

何となく、母の事を考える。

母は強い人だと思う。

「小さい頃どんな子供だった?」って聞かれると「主に泣いてました」って答えるぐらい子供の頃の私は泣き虫だったと思う。

多分、所謂「視える子」だったんだと思う。なんか今もたまーーーに視える気もするけど…ちょっと深く掘るともっと視えるようになりそうで怖くて向き合ってない。怖い。おばけ怖い。おばけなんてないさ。

んでまぁそんな敏感な感じの子だったから小さい頃は兎に角、母親の後ろに隠れて過ごしていた気がする。

何かに熱中しても母を視界の中には常に入れていた気もする…。

上に兄が居て下に弟がいたので女同士という事もあり、成長にしたがってよくぶつかっていたような気がする。

人の為に動ける人

母はそうゆう人

「母親だから」「女だから」「仕方ないから」

そんな理由で人の為に動ける人

母の父親は母が小学生だか中学生ぐらいの頃に亡くなっている。そこから私の祖母である母と兄と弟の4人家族で父が残した工場を切り盛りして私の父と結婚をして、子供を3人産む。

そこからも色々いろいろイロイロあって現在に至る…

この生い立ちが何処まで影響があるのか分からないけれど、兎に角「協調性」の人

自分の意見より共同体として協力していく事が何より大切だしそこに関われて、影響出来ている事に喜びを感じるタイプなんだと思う。

保守の保守の保守
守り、育み、囲い込む人だった。

真っ当で貴重で白くて強いなーっと思う。

私にも少なからずその影響はあって
てか、それが当たり前でそれが正しいと思っていた。

でも

明確に確実に真っ黒く私の性分とは合っていなかった。

「母親だから」「女だから」「仕方ないから」

こんな理由で背負わされるそれに全く納得出来なかった。

だけど、ここが私の中に矛盾があって、どこかで私も母のような人になりたかったんだと思う。
人の為に自分を納得させて白く生きたかった…んだと思う。

しゃらくせぇ

母のように……いや、もしかしたら実際の母とは違うかもしれない「私が想像する母親像のように」真っ当で貴重で白く居たい自分を頑張ってやっていると…

「馬鹿じゃねぇの」

って真っ黒い自分が耳打ちしてくる。

「無理して、自分を殺して、パツパツになって何してんの?それ、お前じゃねぇだろ」

って言ってくる。

じゃあ少し手を抜く?
でもそうすると今度は

「母はほぼ1人で3人の子育てをやり遂げたんだから弱音を吐いてはいけない」と白い自分が言い出す。(でもこれも実際には母だって色んな手を借りたり、手を抜いたりしていたのかもしれないけれど)

……やっぱり無理は良くない、少しは黒い正直な自分を出してみたら?と思うけれどそれはそれでまたまたまた罪悪感が出てくる…。

私はどちらに転んでもどちらかの自分に責められ続ける。

「白い母」から「黒い自分」から、どちらも自分なんだろうけど、どっちも私を監視しているのだ。

自己卑下からの自己憐憫

こんなに自分を責め立てて何がしたいんだ?と思えてくるけれど、人間、何かメリットがあるからその行動をしているんだろうと冷静に振り返ると見えてくる。

自己卑下する事によって、自分を責め立てる事によって、理想の自分では無い自分を「こんなに責めているんだからもぅ責めないで、自分でも分かってるんだから」みたいな事になっていたのかもしれない。

それって改善も無ければ、成長も学びもない。

何より楽しみもない。
いいことがない。

何となくそれに気づいた時に「あほらし」と何かの糸が切れてしまった。

今までは張り詰めておかないと自分は何も出来ないヤツだとか思っていた糸がプツンと切れた。

そしたら意外な事が起きた。

それまでは頑張って意識して自分を責め立てなくては自分は出来ないと思っていたけれど、自分は自分なりに自分で居ても生活を回す事が出来る事実がそこにあった。

それは、もしかしたら「白くあろうとする自分」をずっとやってきた副産物で、いつの間にか最低限の母親的仕事はストレス無くこなせるようになっていたのかもしれない。

ある意味、無理して頑張ったから今の自分があるのかもしれない。

そして、黒い自分も殺さなかったから母親の役割から解放される時間も素直に楽しめる自分が居る。

白い母と黒い自分、両方に責められてる時はすごくしんどかったけれど私にとっては必要な時間で必要な経験だったのだ。

愛情が無いわけじゃ無い

ここまで見えてくると
「母とは違う自分」も素直に受け入れられるようになる。

私の母親の愛情表現と私自身の他者に対する愛情表現は別なのだと、そしてそれは別であって良くて、別である事が愛情の量の差では無いのだと気付く。

それまでは「母のような愛情を他者に向けられない自分は何処か欠けているでは?」と思えていたけれど、質が違うだけだったのだと思う。

母は守り、育み、囲い込む人

私は守り、育む、けれど囲い込みたく無い人

誰も誰かを縛ったり囲ったりは出来ないしするべきじゃ無いと思っている。人はそれぞれ自由があって自己責任の中でその自由を享受する権利があるし、その力もあると信じている。

だって、自分の人生じゃん
誰のためでも無いでしょ
誰のせいにもできないよ

って思っている。

誰にも囲い込まれたくないし、誰かを囲いたいとも思わない。でも愛してる。心から。

自律と自由

それが私の人生の最大の目標らしい。

母親を尊敬している、けれど私は母ではない

結局、これを理解するのに随分と時間がかかったんだなと納得した。

まぁなんせ、初めての結婚、夫婦生活、初めての出産、育児なもんで、色々慣れるまでに10年ぐらいかかちゃったな〜って感じですね。

だけど、何だろう…
自分の最大の目標と言うか
標語みたいなモノが定まったから、ここからはもう少し楽に生きられるような気がする。

何も見えない真っ暗な迷路を迷っている感覚より、険しいけれど確実に光は見えている感覚になっている気がする。

その光を見つけてくれた自分も誇りに思うし、周りの環境にも心底感謝だなっと思う。

正解も絶対も無い世界で自分的なものがようやく見えてきたけれど、今のこの私は娘達からはどう見えているんだろう?

あまり無理してる感じに見えてないと良いなぁっと心から思う。

#創作大賞2026
#エッセイ部門

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