純潔な美容
初めて美容外科に来た。
待合室は白くて、明るくて、静かだった。静か、というより、音が漂白されている感じがした。受付のお姉さんも、カウンセラーも、みんな歯が白くて、肌が白くて、しわ一つない服で、言葉が均一だった。
「本日はどの施術をご希望ですか?」
まるでコンビニでホットスナックの種類を聞かれるみたいに、輪郭の調整とか、脂肪溶解注射とか、埋没とか、ヒアルロン酸とか、そういう単語が当然のように並べられていく。
私は鏡を見るたびに、自分の顔面が気持ち悪くて仕方なくなる時期が定期的に来る。躁状態の時は特に酷い。急に「今なら人生を変えられる」と本気で思ってしまう。深夜3時に美容整形の症例写真を見続け、予約ボタンを押し、「これでやっと普通になれる」と興奮する。人生変えて頑張って生きていこうと本気で思う。さっきまで自殺用に結んだロープを棚にしまう。
でも翌朝になると私のぐちゃぐちゃの脳みそは少し冷えて
「いや、別に鼻と目変わっても人生変わらなくない?」って思う。
でもまた数時間後には脳みそが熱くなってきてぐちゃぐちゃして、
「いやでも輪郭が悪いから人生終わってるのかも」と思い鏡を取り出して症例写真と見比べる。顔の長さを定規で計って平均よりバランスが悪いと知って涙が出る。脳がずっと美容整形の広告みたい。
診察番号を呼ばれるまで、待合室でぼんやりしていた。みんなスマホを見ている。加工アプリで作られたみたいな女の子たち。男の人もいる。高校生くらいの子もいる。
ここでは「綺麗」が医療として扱われていた。それが少し怖かった。
もちろん、美容整形そのものを否定したいわけじゃない。実際、救われる人は沢山いると思う。顔のコンプレックスで外に出れなかった人が、整形で人生を取り戻すこともあるだろう。
でも、この白い空間にいると、「美」は既に感情ではなく管理対象になっているように見える。
村田沙耶香の『清潔な結婚』を思い出した。
「クリーン・ブリード」。性欲や恋愛感情を排除して、合理的に繁殖を行うシステム。そこでは性行為ですら医療化され、清潔に処理される。
美容外科に漂っている空気も、それに少し似ていた。
本来は「可愛くなりたい」という、かなりぐちゃぐちゃで、欲望まみれで、承認欲求や劣等感や性的視線や自己嫌悪が絡み合った感情だったのに。
承認欲求とか、自己嫌悪とか、男に舐められた記憶とか、スクールカーストとか、Instagramのおすすめ欄とか、好きだった男の子からの「チョロそうだからモテてるだけ」とか、小学校の先生から言われた「あなたは大人になったらブスになるとか」、母親に言われた「可愛くない」とか、ツイッターの夜職の女の子とか、加工アプリとか、そういう全部のドロドロを、「美容医療」という言葉で一回滅菌してる。
ここでは私の「もっと愛されたい」という感情は「二重幅を広げたい」に翻訳され、私の「醜いから死にたい」という感情は「お目元のお悩みですね」に変換される。
苦しみが、カウンセリングシートに記入可能な項目になる。私はそれが少し安心で、少し怖かった。
番号で呼ばれ、個室に通される。
カウンセラーのお姉さんは優しかった。
「全然お綺麗ですよ〜」
「でも気になるんですよね」
「分かります〜」
この「分かります〜」は、本当に分かっているわけではない。でも接客としては正しい。むしろ、ここで本当に理解されても困る。
「毎日鏡を見るたびに吐き気がして、写真を撮るたびに死にたくなって、でもSNSでは可愛いと思われたくて加工をやめられなくて、深夜になると急に全部切り落としたくなってこんな顔で外なんて出れなしみんなに笑われてる気がしてこんな顔だから、私がこんな顔のせいで」
そんな話をしてしまったら、多分ここでは処理できない。
美容外科は、感情を治療する場所ではない。顔面を調整する場所だ。
でも時々、人は感情を顔面に誤訳して持ち込む。たぶん私もそうだ。
「どこが気になりますか?」と聞かれて、自分でもよく分からなくなった。
輪郭?鼻?目?
いや、本当は「私であること」が気持ち悪いのかもしれない。でもそれは施術できない。人間を別人にするメニューは美容外科には存在しなかった。結局、診察券だけ鞄に入れて外へ出た。
帰り道、鏡みたいに反射するビルに自分の姿が映った。
別に今すぐ死ぬほど醜いわけじゃない。でも、なんか、ずっと違和感がある。私は私の身体にちゃんとログインできてない。
はじめての美容外科は全部が清潔すぎてなんか怖かったな。
欲望も、劣等感も、自己嫌悪も、全部「美容」って言葉に変換されていた。人間のぐちゃぐちゃした部分を、一回“正しいシステム”に通して、安心できる形に整える。
恋愛や性欲を医療行為に翻訳することで、現代人はようやく安心して他者と接触できる。それと同じように、美容外科は自己嫌悪を施術に翻訳する。
「可愛くなりたい」は、もしかすると現代で最も清潔な希死念慮なのかもしれない。
だからみんな、白いクリニックへ行く。
