
RE:CODE-歴史修復機関- #022
部屋には静かな時間が流れていた。
海斗は変わらず眠り続けている。
その傍らに座り、大知は彼の顔をじっと見つめていた。
「じゃあ、私は解析室に戻るから」
その静寂を打ち消すように、環が言う。
「何かあったら呼んで」
「ありがとうございます」
答え、成瀬は環を見送る。
部屋には、また静寂が戻った。
大知は、海斗を見つめたまま動かない。
コウはそんな彼に、何度も声をかけようとして、口を紡ぐ。
なんと声をかけていいか、わからなかった。
けれど――。
「……あの日」
不意に大知が口を開いた。
コウはハッとして、彼に視線を戻す。
「家族で、仙台城跡地に行ってたんだ……」
大知は眠る海斗を見つめたまま呟いた。
「俺、昔から、戦国武将とか好きだったから」
少しだけ口元が緩む。
「あの日は、すごく嬉しくてさ。浮かれてたんだと思う」
静かな部屋に、大知の声だけが響く。
成瀬もコウも口を挟まない。
「そしたら海斗が言い出したんだ」
大知の視線が落ちる。
「林の中に、隠し通路とか、お宝とかあるかもしれないって」
大知の口元に、ほんのわずかに笑みが浮かんだ。
「冒険しようぜって」
大知は小さく息を吐く。
「あの時、父さんと母さんが心配するからダメだって言ったんだ」
本当に止めるつもりだった。
少なくとも、その時は。
「でも……」
言葉が途切れる。
「俺も、楽しそうだなって思った」
後悔を押し殺すような声だった。
「それで二人で、親の目を盗んで林に入った」
部屋に沈黙が落ちる。
「結局、何も見つからなかったけど――」
大知の顔から、笑みが消えた。
そして――。
「もし、あの時」
大知の声が震えた。
「海斗の提案に乗らなかったら」
唇を噛み締める。
「父さんと母さんの傍にいたら」
握られた拳が震える。
「こんなことには、ならなかったのかな……?」
「それは違う」
その言葉に、成瀬がすぐに口を開いた。
弾かれたように、大知は顔を上げる。
「朝比奈大知。
お前に、二つ目のバグが見つかった」
まっすぐにこちらを見る、成瀬と視線が合った。
「一つ目は、ノイズとなった海斗に命を奪われ、
その先の未来を絶たれる時間軸――」
成瀬は静かに続けた。
「二つ目は、朝比奈海斗。
兄と、離れた時間軸――」
その言葉に、大知は息を呑んだ。
「……それって……」
「本来なら、2026年でも、お前は海斗とともに暮らしていたはずだ」
大知の眼が、大きく見開かれる。
海斗を見た。
本当は、今も海斗と――。
「……じゃあ、何で……?」
「今、解析中だ。
だから、推測でしか言えないが……」
成瀬はわずかに言葉を選ぶように口を開く。
「おそらく、朝比奈海斗にもバグが発生している」
成瀬は目を細めた。
「今回発生した時空断絶。
2014年。
つまり、それより前の時代の海斗が、何らかの影響で消えている」
大知は眉をひそめた。
「結果、時空が歪んだ」
成瀬は淡々と続ける。
「本来いるはずの人間がいなくなれば、その後の歴史も変わる」
大知の脳裏に、両親の顔が浮かぶ。
海斗がいなくなった世界。
自分だけが生きてきた世界。
「歴史は、そのズレを放置できない」
「だから歪みを修正しようとする」
「その修正が、時空断絶。
歴史の歪だ」
成瀬は、そこで一度言葉を切った。
部屋に沈黙が落ちる。
「もし、お前たち兄弟が、親元を離れなくても――」
だが、成瀬は再び口を開いた。
「林の中に、入らなくても――。
いずれはどこかで、時空断絶は発生していた」
その言葉に、大知は何も言えなかった。
「だから、お前のせいじゃない」
大知は膝の上で、拳を握り締めた。
その言葉を、すぐには受け止められない。
海斗を思い出してから、胸の奥が苦しかった。
けれど、その苦しさが、
少しだけ、ほどけた気がした。
大知は海斗を見つめた。
「海斗は、その時空断絶の後、どうなったんですか?」
「時空断絶に呑み込まれた人間の多くは、時空間を漂流する」
「漂流……?」
「時空間にいる間、身体は変化しない。
けれど、精神は別だ」
成瀬の表情が、わずかに曇った。
「誰もいない場所を、何十年、何百年と一人で彷徨い続ける」
コウはふと成瀬を見る。
その横顔は、いつもより少しだけ険しかった。
「そんな状態が続けば、人は壊れる」
成瀬は静かに続けた。
「そして精神が限界を迎えた時、ノイズ粒子に侵食される」
「侵食……」
「あぁ」
成瀬は頷く。
「長い漂流の末に侵食された人間――それがノイズだ」
大知の脳裏に、あの赤い怪物が浮かぶ。
「じゃあ、海斗も……」
「あぁ」
大知の視線が、眠る海斗へ落ちた。
海斗は微動だにせず、静かに寝息を立てている。
10歳のままの姿。
けれど、その内側では想像もできない時間を過ごしていた。
「だが」
成瀬は静かに続けた。
「完全に、浸食されてはいなかった」
大知ははじかれたように、顔を上げた。
「これも、推測でしかないが」
言葉を続ける。
一つ一つ、選ぶように――。
「ずっと、お前の元に帰ろうとしていたんだろう」
成瀬の言葉に、胸が大きく脈打つ。
「その思いが、最後まで残って――。
ノイズになって、お前の元に現れた」
大知は息を呑んだ。
あの赤い怪物が脳裏に浮かぶ。
何度も襲われた。
何度も恐怖した。
けれど――。
「最初はわけもわからず、お前を襲おうとしていたようだが」
『……ダ……イ……チ……』
機械音声に混じる、海斗の声。
自分を呼んでいた。
「最後まで、ノイズ粒子に抵抗していたから、元に戻れた」
成瀬はそこで初めて、張り詰めていた表情をわずかに緩めた。
「頑張ったんだ。お前の元に、帰るために」
その言葉に、また、喉の奥が熱くなった。
また、涙がこぼれそうになる。
「海斗のノイズ粒子は、すべての回収を確認済みだ。
もう、浸食が進むことはない」
「じゃあ、これで、海斗と一緒に帰れるんですね?」
もう大丈夫。
そう思えた。
なのに――。
「残念だが、それはできない」
成瀬の表情が、また曇った。
「なんで⁉」
瞬時に、聞き返す。
その様子に、コウは目を伏せた。
拳を握り締める。
「さっきも言っただろう。
おそらく、この子の過去にバグが発生している」
部屋の空気が、張り詰める。
「そのバグを回収しない限り、また、時空断絶は起こる。
回収するまで、何度でも――」
「だったら!」
大知は叫んだ。
「だったら! そのバグを回収するまで、俺もここにいる!」
「駄目だ」
「なんで⁉」
「お前のバグの一つは回収済みだ。
歴史から漏れる危険がなくなった以上、
TRRAでお前を保護することはできない」
「でも!」
「お前には帰るべき時間がある」
成瀬はまっすぐ大知を見据えた。
有無を言わせない眼差しだった。
「それがTRRAの方針だ」
「そんなの関係ない!」
大知の声が震える。
「また海斗を一人にしろっていうのかよ!」
握り締めた拳が震えていた。
ようやく取り戻した。
忘れていた、双子の兄。
もう二度と離れたくなかった。
「大知」
不意に、コウが口を開いた。
「帰りなよ」
「コウまで……っ!」
困ったように、コウは笑った。
「大丈夫だよ。
ここではケイさんや、ヤエさんが面倒見てくれる。
同じ時空漂流者の人たちがいる。
みんな、海斗と同じで、保護された人たちだよ」
保護区画で見た子供たちの顔が脳裏をよぎる。
「みんな、元の時代に帰れる日を、待ってるんだ」
コウはゆっくりと言葉を選ぶ。
「一人で、その日を待つわけじゃない」
「けど!
そんなの、海斗がいつになるかわからないだろ!
みんなが元の時代に戻って、海斗だけ残されたら!」
「大丈夫だよ!」
「そんなのわかんないだろ!」
「大丈夫なんだって」
コウの声が、少し強くなった。
なのに、表情は少しだけ曇る。
「俺は、もう戻れないから――」
ぽつりと、こぼれ出た言葉――。
その言葉に大知は息を呑む。
成瀬も、思わず目を伏せた。
けれど、コウはまた大知に向って笑いかける。
「だから、約束する。
海斗が元の時代に戻るまで、傍にいる。
それに――」
そこまで言って、コウは視線を落とした。
「リコード領域に入る前、見えたんだ。
時空断絶の後、
大知のところに走っていく、お前の父上と母上の姿……」
その言葉に、脳裏に両親の姿が浮かんだ。
「海斗もいなくなって、
お前までいなくなったら」
そこまで言って、コウは一度言葉を止めた。
「そんなの、悲しすぎるだろ」
夢の中、両親の会話を思い出す。
自分のために、海斗の存在を隠していた両親。
二人とも、泣いていた。
大知は目を伏せ、拳を握り締める。
「朝比奈海斗は、必ず元の時代に帰す」
また、成瀬が口を開いた。
「TRRAは、そのために存在している」
まっすぐに、大知を見ている。
「歴史からこぼれ落ちた人間を、元の人生へ帰すために」
大知は息を呑んだ。
「海斗も帰す」
成瀬は迷いなく言う。
「約束する」
その視線は、しっかりと大知を見据えていた。
大知は、思わず言葉に詰まる。
「俺も!」
コウも、続けて口を開いた。
「頼りないかもしれないけど、
お前の兄上が元の時代に帰れるように頑張るから!」
「だから、待ってて」
大知に向け、笑いかける。
❝絶対に、連れて帰るから❞
あの言葉の時と、同じように。
大知は俯いた。
長い沈黙が続く。
「正直……」
ぽつりと、大知が口を開いた。
「海斗を置いて、自分だけ帰るなんて、嫌だ」
唇を噛みしめる。
ようやく会えた。
忘れていた兄だ。
また離れるなんて、考えたくもない。
「けど」
声が掠れた。
脳裏に浮かぶのは、父と母の顔だった。
海斗を失った日。
泣き崩れていた母。
その肩を支えていた父。
そして――。
日常の中で、
時折見せる、二人の悲しげな顔――。
「父さんと母さんを、放っておくことも、できない」
二人が、今も自分の帰りを待っている。
これ以上、心配をかけるわけにはいかない。
大知はゆっくりと顔を上げた。
「だから――」
一度息を吸う。
「信じて、いいかな」
「あぁ」
「うん」
二人は同時に頷いた。
大知の目から、また涙が零れ落ちる。
「海斗のこと」
震える声で言う。
「よろしくお願いします」