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壁に貼りついたまつ毛と、私。

    繁忙期。
    必死の形相でキーボードを叩く。
    みんなどんなけメール送ってくるんだよ……
    1日に受信できる件数が決まっていればいいのに。コノヤロウ。
    心の中で悪態をつく。
    口から洩れ出てるかもしれない。

    トイレに立った時、ようやく一息つくことができる。


    手を洗う。
    ハンドドライヤーで乾かす。

    ふと、正面を向くと
    目の前の壁に「毛」が貼りついていた。

    1本のまつ毛。

    もしかしたら眉毛かもしれない。
    鼻毛の可能性も、ある。
    でも私はなぜかまつ毛だと確信した。

    その日以来、彼はそこに居続けた。
    私は、彼を見つめていた。

    特別なことが起きるわけでもない。
    会話があるわけでもない。
    ただ、手を乾かす間、見つめるだけ。
    ただそれだけの関係。

    それだけのはずだったのに。 
    いつの間にか、彼がかけがえのない存在になっていた。

    ……


    別れは、突然やってきた。



    数か月が経った、ある日。
    いつものように手を乾かし、正面を見た。


    ……いない。

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    彼がいないのだ。

    壁に貼りついていたはずのまつ毛が、
    忽然と消えていた。

    周囲を探してみたけど、いない。
    そもそも、まつ毛だ。
    落ちてしまえば、もう見つけようがない。

    ただ、1本のまつ毛が、なくなっただけ。
    それだけのことだ。
    なのに。

    喪失感。
    毎日顔をあわせる彼に、情が湧いていたらしい。

    悲しい。
    さみしい。
    つらい。


    ……

    下を向いていてはダメだ。
    彼も、こんな私を見たくはないはずだ。


    ぐっと、上を向く。

    その目線の先に……


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    歯磨き粉が、いた。

    おそらく、残り僅かになったチューブをブンブン振った拍子に、
    中身が飛び散ったのであろう。

    天井付近の壁に、べったりと貼りついている。

    私は、彼を見つめることに、した。
    心にぽっかりと開いた穴を埋めるために。


    今のところ、歯磨き粉の彼とは、特に進展はない。

    まつ毛とは違い、かなり距離が離れている。

    物理的な距離は、心の距離でもある。
    この距離がこの先縮まることはあるのだろうか。

    私は、今日も見つめる。
    新たな、彼を。

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