
「ノイズの中で恋をした」最終話
最終話「ノイズの中で恋をした」
九月のはじまり。
空気はまだ夏を引きずっているのに、どこか少しだけ軽くなっていた。
学校の帰り道、ミヨはふと立ち止まる。
蝉の声はもう弱くて、その代わりに風の音が少しだけよく聞こえる。
「どうした?」
ジュンが左側から声をかける。
「なんか、静かだなって」
ジュンは少し笑った。
「やっとノイズ減った?」
「うーん、どうだろ」
ミヨは空を見上げた。
夏の間、ずっと音があった。
ライブハウスの爆音。花火の轟き。人混みのざわめき。自分の心臓の音。不安や嫉妬や、言葉にできない感情。
全部が混ざって、ぐちゃぐちゃで。
でも——
「ねえジュン」
「ん?」
「私たち、あの中で出会ったんだよね」
ジュンは少し考えてから、頷いた。
「うん。うるさい場所で」
「なのに、ちゃんと聞こえた」
ミヨは小さく笑った。
「ジュンの声」
ジュンは照れたみたいに視線を逸らす。
「俺も」
「え?」
「ミヨの声、ちゃんと聞こえたよ」
風が少しだけ吹く。
その間に、余計な音はなかった。
「不思議だね」
「なにが」
「こんなに分かんないこと多いのにさ」
ミヨは自分の左側に手をかざした。
見えない空間。
でも、そこにジュンがいるのは分かる。
「それでも、ちゃんとここにいるって思える」
ジュンは少しだけ真剣な顔をした。
「分かんなくてもいいんじゃない?」
「え?」
「全部見えなくても、全部聞こえなくても、隣にいるって分かればさ」
その言葉に、ミヨは少しだけ息を止めた。
それは簡単なようで、すごく難しいことだ。
でも今なら、少しだけ分かる。
「うん」
ミヨは頷いた。
「それでいいかも」
二人は歩き出す。
自然に、ジュンは左側に立つ。
ミヨはその距離に、もう迷わない。
駅前に近づくと、遠くからギターの音が聞こえてきた。
誰かが路上で弾いている。
少しだけ下手で、でも一生懸命な音。
ジュンが足を止めた。
「ちょっと行っていい?」
「うん」
二人で近づく。
高校生くらいの男の子が、一人で弾いていた。
客はほとんどいない。
それでも、音はちゃんと鳴っている。
ジュンは少しだけ前に出て、黙って聴いた。
ミヨはその横顔を見た。
初めて会った日のジュンと、少しだけ似ていた。
音を諦めていない顔。
「いいね」
曲が終わったあと、ジュンが声をかける。
男の子は驚いた顔をして、照れたように笑った。
そのやり取りを見ながら、ミヨは思った。
音は、どこにでもある。
うまくなくても、完璧じゃなくても。
それでも誰かの中で鳴り続ける。
「ねえジュン」
帰り道、ミヨは言った。
「またやろうね」
「うん」
「ライブも、曲も」
ジュンは頷いた。
「恋もな」
ミヨは笑った。
「それも」
二人は手を繋ぐ。
ぎゅっと強くではなく、自然に。
ほどけないくらいの力で。
見えないものも、聞こえないものも、たくさんある。
未来も、きっと全部は分からない。
それでも。
ノイズの中で、二人は出会った。
ノイズの中で、恋をした。
そしてこれからも——
きっと少しずつ、音を重ねていく。
静かな九月のはじまりに、
その音は、確かに続いていた。
[完]
ここまでお読み下さりありがとうございました。
感謝です𓂃𓈒❤︎𓏸
