メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bykomaki_kousuke

お題 : 風が吹く

    麦ちひろ

    #シロクマ文芸部
    #短編小説

    風が吹く。
    校舎の裏手にある桜の枝が、まだ固い蕾を小さく揺らした。三月の終わり、少しだけ冷たいその風は、もうすぐ来る春の気配と、確かな別れを同時に運んでくる。

    体育館の中では、卒業式の準備が整えられていた。椅子がきれいに並び、壇上には紅白の幕。けれど、どこか現実感が薄くて、私はまだその日の意味をうまく受け止められずにいた。

    「終わっちゃうね」

    隣に立つ君が、ぽつりと言った。
    振り向くと、いつもと変わらない顔で笑っているのに、その奥にある寂しさだけが、少しだけ滲んで見えた。

    「うん。でも、終わりじゃないよね」

    そう答えながら、自分でもその言葉がどこまで本当なのか分からなかった。
    君は少しだけ目を細めて、「そうだといいな」と言った。

    教室に戻ると、机の上にはそれぞれの思い出が残っていた。寄せ書き、写真、使い込まれた教科書。窓の外では、風に乗ってどこかのクラスの笑い声が流れてくる。

    「これ、書いて」

    君が差し出した色紙には、すでにたくさんの言葉が並んでいた。
    「ありがとう」とか、「忘れないで」とか、そんなありふれた言葉たち。

    私は少し迷ってから、ペンを走らせる。

    ——また、どこかで。

    それだけを書いた。
    君はそれを見て、少しだけ驚いた顔をして、それから優しく頷いた。

    「うん、どこかで」

    その一言が、約束みたいに胸の奥へ落ちていく。

    卒業式が始まり、名前が呼ばれて、証書を受け取る。ひとつひとつの動作が、ゆっくりと時間を進めていく。気がつけば、もう戻れない場所に立っていることを、否応なく実感させられる。

    外に出ると、さっきよりも風は少し暖かくなっていた。
    空は淡く、どこまでも高い。

    「ねえ」

    君が呼ぶ。
    振り返ると、いつもの距離よりも少しだけ近くに立っていた。

    「また、会えるよね」

    その問いに、私は少しだけ笑って、頷いた。

    「うん。きっと」

    確かな未来なんて分からない。
    でも、今この瞬間に信じた気持ちは、本物だった。

    風が、もう一度吹く。
    今度は少しだけ優しく、背中を押すように。

    私は一歩、前へ進む。
    君もまた、別の方向へ歩き出す。

    振り返らなかった。
    振り返れば、きっと足が止まってしまうから。

    それでも不思議と、寂しさだけではなかった。
    胸の奥には、まだ温かいものが残っている。

    風が吹く。
    それは別れの風であり、始まりの風でもあった。

    春が、静かに始まっていく。

    [完]

    ʕ•ᴥ•ʔ小牧幸助部長様、提出致しま~す•*¨*•.¸♬︎

     
     
    吉本ばななさんと藤村邦さん、中村江里さんが言葉や心、人としてのお師匠。 横浜文芸の会所属。歌人。 作品:短歌がメイン。 目標:50歳迄に賞を取る。 疾患: BPD、CPTSD、鬱等 注意:人を不快にさせる方やスピリチュアル信望、医療リテラシーの無い方が大変苦手。

    あなたへのおすすめ