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【育児エッセイ】バス停

子を抱っこ紐で抱えながらバス停でバスの到着を待っていると、一緒にバスを待つ女性によく話しかけられる。多いのは、私の祖母に近い年齢の方。

バス停にいると話しかけられるのは地元にいるころからではあるが、東京にいても話しかけてもらえるのは嬉しいことだ(世間話をするのにちょうどいいのかもしれない。)。

通勤で使っているわけではないバス停で会った人なんて、まさに一期一会で、次会えるかも分からないし、会っても気づかないだろう。そういう人にこそ、お互い本音で話せるものかもしれない。そして不思議と、こういったところでした会話や、かけてもらった言葉は覚えているものである。

今でもよく覚えている方がいる。

その時期は子が体調不良で、夜中に咳をしたり、起きて部屋をうろうろしたりするものだから、睡眠不足が続いていた。バス停で、子に水分補給をさせようと、リュックから水筒を出そうとしたら、手を滑らせ、道に落としてしまった。手元すら危うい。水筒をウェットティッシュで拭き、『立ったまま寝られそう…』などと考えながら、水を飲ませていると、女性はニコニコしながら子を見ていた。挨拶すると、女性はおもむろに話し始めた。
「私ね、子どもが双子なのよ。だから、あなたみたいに子どもひとりで歩いている人をみると、うらやましくて。」
双子。もう聞いただけで卒倒しそうなくらい大変なのが分かる。経験したことのない私が大変だというのもおこがましいほどだ。でもあいにくそれ以外の語彙を持ち合わせていない私は
「それは…本当に大変でしたね。私はひとり育てるのだって大変だなあって思っているのに…。尊敬します。」
「大変だったよ。しかも、未熟児だったから、本当に小さくて。大きい病気はしなかったんだけど。周りに頼れる人もいないし、私も双子がはじめての子どもだったからなにも分からなくて」
私もかなりの早産で、超低出生体重児だったので、子が小さくて心配という気持ちはよくわかる。しかし、医療技術は今と昔とではまるで違うだろうし、インターネットで情報を得るなどもできない当時、親が入手できる情報も少なかっただろう。彼女の苦労に今少し触れただけだが、それを思うと涙が出そうになった(大げさかもしれないが、この時の私は寝不足であることにご留意いただきたい。)。

バスが来るまでの約10分間、当時の話を聞かせてもらった。当時は預ける施設もないから、自分ちょっとした通院もままならなかったこと、小学校の入学式で子の身長がほかの子より頭一つ小さくて本当に心配したこと、バスや電車の移動の時、子たちが静かにすごせるかいつもドキドキしていたが、それが伝わっていたのか、いつも大人しくすごしてくれたのがありがたかったこと。

「一人目だと大変よね。でも、本当にうらやましい。どうかゆったり楽しんでね。私はそれができなかったから。」

日々の家事や育児に追われ、復職の見込みも立たず、「自分の時間がほしい」と不貞腐れていたが、なるほど、「ゆったり楽しむ」という観点はなかった。

バス停での出会いは、励まされることが多い。育児の先輩方は、子のことだけではなく、親になったばかりの私のことも見守ってくれている気がする。次にバス停で誰かに話しかけてもらったら、また少しだけ元気を分けてもらえるかもしれない。



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