フクロウの置物持ってる?
私流、物語の楽しみ方
タイトルの質問が出てくるシチュエーションってなかなかレアですよね。
これは今年家庭菜園を始めた友人からのメッセージでした。前回会った時に、これまで仕事に追われて諦めていた家庭菜園に思い切って乗り出したという話を聞きました。いままで後回しにしてきたことをやっと実行に移せた喜びが、興奮気味に語るキラキラした表情に溢れ出ていました。わかるよ、うん、わかる、楽しいんだよね。嬉しいんだよね。でもさ、なすの話だけで十分。土壌や肥料の話までしてくれなくてもいいんだよ。
久しぶりに友人から連絡がきたので、なすの発育状況を尋ねてみました。予想外に大きくなって困っているとのこと。次ぐ質問が「フクロウの置物持ってる?」だったんです。読んだ途端、声を出して笑いました。何だよ、その質問!何の脈絡もなく女子に聞くことかよ。ヴィトンのバッグ持ってる?と同じ温度感ですごい質問飛んできたぞ。よくよく聞いてみると、実を啄みにくる野鳥対策としてフクロウの置物が欲しいということらしいです。
でも本当に可笑しかったのはそこではないんです。私自身、「確かに私なら持っていそうだ」と思ったからなんです。そして彼女も、私なら持っているはずというキャラ設定ができていたんですね。その暗黙の了解が妙に可笑しかったんです。理解し合えてる感が嬉しいし、むしろ「フクロウ?あ、あるある。」と言えない自分が悔しいーーー。
私がちょっとズレているのはここからだと思うんです。フクロウの置物を完全に自分の物語として育ててしまうんですよね。
置物はないけど、フクロウの絵なら描けそうだな。待てよ、鳥よけなんだから立体じゃないと意味ないよな。張子?いやいや、Temuの出番なのでは?何なら創作活動を始める勢いです。こんなことを反芻して半日は楽しめました。
そして翌日気付くんです。「シーサーならあったのに!」と。何故私は昨日聞かれた時に、フクロウはないけどシーサーならあるよ、という気の利いた答えができなかったのか。これでは私の魅力半減ではないか!悔しい、、。次に会った時は絶対にシーサーの存在を伝えよう、と猛省するのです。
これは一例ですが、私は年がら年中身の回りに起こることに想像を膨らませ、1人で笑い、物語を作り上げては楽しんでいます。起きた事実はひとつ。それをどう捉え、どう扱うかはその人次第。こんなお得な才能を与えられた私はラッキーさんです。そしてこの天賦の才能を世のため人にために活かす方法はないかという新たな物語に突入するのです。おめでたきかな、人生!
