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ペット、動物たちが教えてくれたこと


ペットといえば、わんちゃん、猫ちゃん、
うさぎさん、鳥さん、ハムスターさんなどなどなど

中には、ヘビや昆虫を愛でる方たちもいますよね。

ペットたちは、その飼い主さんたちの家族として
大きな存在感を放ちます。

ペットを飼ったことのある人

ペットを飼ったことのない人もいるかと思いますが

ここでの話はペットたちだけの問題ではなく

ペットや動物たちが

私たちの人生において示してくれる大きなヒントがありますので

よろしければ是非お読みください。

私は40年以上も抱えていた、鬱、睡眠障害、過敏性大腸炎が
本当の自分にかえって完治しました。

そのメソッド『自己起源論』についてはこちらです⬇️


動物が大好きな子ども時代


私は子ども時から動物が大好きでした。

小さい時は、犬が大好きで

親に「犬を飼いたい」とお願いしても

マンション住まいの為、いつも却下されていました。

しかし、散歩をしているわんちゃんと

学校の帰り道で触れ合ったり

一軒家に飼われているわんちゃんと、仲良くなって

飼い主さんとも話すようになり

あちらこちらにわんちゃん友達がいました。

私は昭和50年代生まれですが

この時代を生きた方なら知ってる方も多い

「ムツゴロウ王国」

テレビで年に数回放送されていたドキュメント番組です。

ムツゴロウさんが

北海道の広大な土地で

あらゆる動物を飼育していて

その生活をカメラが追っていく

そこには
動物たち、そしてその動物たちを飼育する人々の

感動的な場面がたくさんありました。

そして番組の最後には

「あなたもムツゴロウ王国の一員になりませんか?」

そんな募集があったことを記憶しています。

動物が大好きだった私は

大人になったら
ムツゴロウ王国の一員になりたい!

そう思っていました。

なぜか「動物」という存在に

激しく心が奪われていた幼少期でした。

私のように、物心ついた時から

動物が大好きな方も多いと思います。

この記事では
自分と向き合うことで

この幼い時の感情が求めていた

本当の気持ちも理解できることになります。

動物たちとの悲しい別れ


小学生だったある日

私が学校帰りに2匹の兄弟わんこが捨てられているのを発見して

家に連れて帰ってしまったことがあるんです。

実は親も動物が好きで

本当は飼ってあげたいという気持ちもあったのだろうと思います。

ただ、その時は
1日だけと言われ

我が家で面倒をみてくれました。

子ども心に

「もしかしたらこのまま飼えるかも」と
淡い期待もありましたが

次の日、学校から帰ると
2匹の兄弟わんこはもう居ませんでした。

母親の話によると
「うちでは飼うことができないから、元の場所に戻してきた」

そう言われました。

その母の行動に、私はすごく悲しかった記憶があります。

私は家を飛び出して

子犬の兄弟を拾った場所に行ってみました。

あんなに可愛い子犬の兄弟は

これからどうやって生きていくのだろう?

どうして私はあの子たちを救ってあげられないんだろう。

もしかしたら死んでしまうかもしれない。

そう思いながら走っていました。

しかし、捨てられていた場所にも

2匹の兄弟わんこは居ませんでした。

涙が溢れて、不甲斐ない自分がそこにいました。

「ごめんね、うちの子にしてあげられなくて本当にごめんね」

ずっとずっと心の中で謝り続けていました。

あの子たちは、あの後どうしたのだろう?

40年近く経った今でも時々、思い出します。


またある時は

父親の友人が海外出張に行くからと

可愛いダックスフンドを預かることになりました。

私は天にも昇るほど嬉しくて

毎日毎日
その子と一緒に居られる時間に幸せを感じながら

お散歩、ご飯、かけっこ、汚物処理なども率先してお世話していました。

その子と過ごした2週間は

私にとって掛けがえのない特別な体験です。

そして、とうとうその子の飼い主さんが帰国して

迎えに来てしまいました。

「いっぱい可愛がってくれてありがとう」とお礼を言われましたが

私には一生の別れのように感じて

その子の頭を撫でて「元気でね。バイバイ」と言って

溢れる涙を見せないように、部屋に閉じこもってしまいました。

それからどのくらいの月日が過ぎたのだろうか

おそらく1年未満だったと記憶しています。

父親からあの子が

散歩中の公園でいなくなってしまった。

何日も探したけど、見つからなかった。

そう聞かされました。

当時まだ珍しいダックスフンドで

あんなに可愛いから

きっとどこかで飼われているだろう。

父親も飼い主さんもそう話していました。

私もそう信じて、どうにか心の中を処理しました。

40年以上前の話。

今でも思い出だすと切ない記憶です。

念願だった動物を飼うということ


私はそれから成長して

小動物や猫を飼ったりと

私と人生を共にしてくれた子たちがいました。

私は念願が叶って

本当に幸せな時間をその子たちと過ごすことができました。

しかし、数々の出会いと別れを重ねることになります。

どの子との別れも、心から笑い合えた記憶よりも

『もっとこうしてあげればよかった』という
後悔の方が強く残っていました。

なぜなら、その子たちとの別れは

不慮の事故や、病気といった別れが多かったからです。

最愛の家族であるペットを

事故や病気で亡くした時

多くの人は、自分のせいだと自責の念に駆られて

あの時、私が気づいてあげられていたら、、、

あの時、こうしていれば、、、

あの日、私がああしたから、、、

家族がこうしたから、、、

環境が、ああだったから、、、

そう後悔ばかりしてしまうのではないでしょうか。

誰でも、きっと十字架を背負っていると思います。

私にも十字架があります。

その十字架とは、かつて私の元で命を終えた

愛おしい猫たちです。

若くして病に倒れた子

そして長く一緒に過ごした子もです。

病で亡くなった子はもちろんですが

長く一緒にいた子も

亡くなる時の状況が老衰というよりも

突然だったのもあり

私は自分に落ち度があったのではないかと後悔していました。

どちらの子も

私の結婚も、出産も育児も寄り添ってくれて

家族が増えても
全てを受け入れてくれた子たちです。

しかし、最善を尽くしたつもりでも

やはり
「もっと違う選択があったのではないか」

「私がもっと細やかに気づけていれば」という

拭いきれない自責の念がありました。

守りきれなかった小さな命たち。

その時の「ごめんね」という思いは
何年も、何十年も私の中に残り続けました。

今になってようやく
その痛烈な後悔には意味があったのだと分かります。

あの子たちは単なる「ペット」ではなく

私の生き方そのものを問い直すメッセージを残してくれていました。

ペット動物たちが生きていた時の姿


誰しもが愛おしいペットを亡くすと

なぜ亡くなってしまったのか?

こうしていればもっと生きられたのではないか?

そうやって何か原因を追求して

後悔してしまうと思います。

今はペットロスという言葉もありますね。

しかし自分のせいだと自責の念に駆られていたり

あるいは、あの人がこうしたから

あの環境がああだったからと

責任を外側に求めていたら

それは失ったことだけに目を向けている状態であり

その子たちが

懸命に生きていたかけがえのない日々を

無駄にする行為ではないかと
私は考えました。

自分を責めて
他者を責めて
「ごめんね」を繰り返すよりも

その子が
私たちと過ごした生きた愛の時間に

「ありがとう」と言えることが

ペットたちは嬉しいのではないだろうか。

時に、おっちょこちょいな姿や

少し間抜けな姿や

可愛らしくおどける姿など

癒しでしかない個性を見せてくれる。

悲しい時や

苦しいときに

寄り添ってくれたこと。

家族にしか見せない

ありのままの姿を見せてくれたこと。

それは
何の見返りも求めない『無条件の愛』そのものではないでしょうか?

動物たちは、私たちが何者かなんて

そんなことで計りません。

極端な話

もしも私が犯罪者だとしても

同じ愛をくれるだろう。

ペットたちは
分け隔てなく家族みんなに愛をくれて

分け隔てなく家族みんなに怒ったり、おどけたり。

家族が辛い時は
寄り添ってくれました。

そして何よりも全力で生きたんです。

命を無駄にせず
家族たちとの時間を全力で精一杯生き抜いた
んです。

だからこそ
失ったことに目を向けるのではなく

生きていた姿にこそメッセージがあると
強く感じました。

ペット、動物たちが教えてくれたこと

残してくれたことは

私たちにはとても大きいものです。

私は愛するペットを亡くしたことで
何を得たのだろう。

そう自問自答しました。

亡くしたばかりだったり

心の整理がつかない状態で

そこに当てはめるのは辛いかもしれません。

しかし、これをやらなくして解決の道はないと私は思っています。

ペットを失ったショックは大きいけど

この出来事で私は

何を得るのか。

何を学ぶのか。

何に気付くのか。

行きついた先に

私は、その子たちと同じことができているか?

という問いにたどり着きました。

無条件の愛と、癒しまで与えてくれる。

私は与えてもらってばかりだけど

それだけ与えてもらってばかりで

今度は失って苦しいなんて

おこがましいのではないか?

ペット、動物たちが
私たちに与えてくれた時間を慈しむことができたときに

はじめて動物たちは報われるのかもしれません。

私たちは無意識のうちに、環境や相手のせいにすることで自分を守ろうとしてしまいます。
そこから抜け出して自らの足で立つためのヒントをこちらにまとめました⬇️

ペット、動物たちが私たちに教えてくれたこと


ペット、動物たちの

生きていた姿にこそメッセージがある気付き

そしてそれを
自分ができているのか?

そこを自問自答すると

あの子たちが何を私たちに教えてくれたのかが

必ず分かるはずです。

全力で生きた姿を思い出し

その子の命の輝きを見つめ

自分自身と向き合ってみると

「あの子は、何のために私のところへ来てくれたのか?」

「自分はあの子たちのようにできているのか?」

この2つを心に置いて向き合うことで

私のところに来てくれた意味が分かりました。

どこの家にも

我が家の子になってくれた経緯があると思います。

どの家族にも、その子との物語があります。

その子がどうやってここに来たのか。

その子はどうしてここに来てくれたのか。

その子からなぜ私たちは選ばれたのか。

その子はどんな日々を共に過ごしたのか。

その子は私たちに何を見せてくれていたのか。

その子は何を望んでいたのか。

その子はなにを喜びとしていたのか。

それが、その子であり

教えてくれた事です。

それを思い出して、受け止めることができた時

その子たちが

ただの癒やしではなく

私たちが見失っていた「本当の愛」を教えに来た

メッセンジャーであったことを深く理解できると思います。

家族の不和は、ペットたちは1番望まないことです。

動物は家族の中で、誰よりも小さく弱い存在だからこそ

家庭内の環境を誰よりも敏感に受け止めてしまうことがあります。

それは、家族の調和こそがあの子たちの最大の願いだからです。

ということは家庭内に課題があるのだと気付きました。

あくまでも私の場合ですが

私には夫とのコミュニケーションのズレなどがありました。

家族間の向き合い方に課題があるとき

それに気づかせるようにペットたちの命が関わっていました。

今振り返れば「本当の自分に気づいて!」という

あの子たちからの必死のメッセージだったのかもしれません。

私は、あの子たちが家族に向けてくれたのと同じくらい

目の前の人間たちと全力で向き合えているのだろうか?

動物は人を何かで切り捨てません。

動物は何かで人をジャッジしません。

愛情も怒りも、喜びも悲しみも、全力です。

命も無駄にしません。

常に家族の笑顔が、その子の喜びです。

それを教えに来ていたんだと私はわかりました。

ただ可愛いだけじゃない。

ペットは家族の一員です。

人間たちは飼っている動物たちを大切な家族として接しています。

しかし、それを私たちはできているのだろうか?

同じようにできているのだろうか?

私はそれをずっと長年問われていたのかもしれません。


人生には避けて通れない課題があります。

しかし、それを解決するのは単に過ぎ去る時間ではありません。

自分が心から納得し、過去の自分を深く癒すことこそが
本当の意味での解決なのだと私は信じています。

そんな『自己との向き合い方』のヒントを、こちらの記事にまとめました⬇️

本当の自分で生きることで

何かを誤魔化しながら生きるのではなく

ペットたちが私たちにしてくれたように

全力で大切な家族と向き合うこと。

ペットたちが望んだ家族の形を実現させることで

それを教えてくれた動物たちも
やっと安心してもらえる状態かもしれません。

あの子たちが何よりも望んでいたのは

私たちが「愛と調和」の中で生きることです。

動物たちはみんな
愛と調和を私たち人間に教えに来てくれたのではないでしょうか。

今振り返れば
私が幼い頃からこれほどまでに動物たちに魅了され

あちらこちらに
わんちゃん友達を作って歩いていた意味も分かりました。

当時の私の家庭は
常に喧嘩が絶えず、不和が漂っていました。

だからこそ、何の計算もなく

ただそこにいてくれるだけで無条件の愛をくれる

そんな動物たちの存在が私の唯一の救いになって

強烈に、愛と調和と癒しを欲していたということも
理解できてしまいました。

もし、あなたもペットロスで苦しんでいたり

ペットを亡くしたことで
後悔の念に駆られていたら

あの子が自分になにを伝えにきたのかと

自問自答することで

あなたの大切なあの子が

あなたの元にやってきた意味が分かるかもしれません。

それをあなたもう知っています。

ぜひ、自己理解を深めていってください!






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