
戦力外通告と、穀潰しの春と
職場復帰をして一ヶ月ほどが経った頃、どうやら休職前とは様子が変わっていることに気づいた。確かに、休職前と同じ担当に戻ったはずだった。でも、求められている役割が、どうも違っていた。
誰かからはっきり「お前は黙ってろ」と言われたわけではない。でも、「あなたがいない間も、我々だけで事業はちゃんと回っていたので、お気遣いなく」という雰囲気は、嫌というほど伝わってきた。
高次脳機能障害を抱える僕は、実際のところ、さまざまな面で会社に迷惑をかけていたと思う。僕の体調を気遣ってのことだったのかもしれない。それでも、どうしても「役立たずになってしまった」という感覚は拭えなかった。
そうして周囲に申し訳なさを感じながら秋を迎えたある日、上司に呼び出された。
「あなたの業務をちょっと楽にしてあげようと思って、主担当を他の人にしようと思う。」
それはやさしさからでた言葉であったのだろう。でも、僕には明確な「戦力外通告」として響いた。基本的にすべてを他の人に任せて、余計なことはするなということ。そう受け取った僕は、その日から一切の残業をせず、心のなかでこう決めた――穀潰しは穀潰しらしく生きると。
そして年度が明ける前、人事に「役職を下ろしてほしい」と願い出た。最終的には事務局長との面談にまで進んだが、僕の決意は変わらなかった。
今年の春、穀潰しは「厄介者」の平社員として、職場に席を置くようになった。
厄介者には厄介者なりの生き方がある。忙しそうにしていたいし、小さなことでも仕事を見つけて、一生懸命やりたいと思っている。
──もうそろそろ、この会社にいるのも潮時なんじゃないか。
そんなふうに思わない日はない。でも、48歳で、障害を持っていて、転職できるほど社会は甘くないことも、よく分かっている。だから、正直に言えば、「もう人生を閉じたいな」と思う日も多々ある。
それでも、まだ生きている。
なぜかといえば、ほんのちょっとしたことで「ありがとう」と言ってもらえる瞬間があるから。僕にとっては些細な雑用に思えたことでも、誰かにとっては、本当に助かったことだったのかもしれない。そんなふうに思うと、「まだ、ここにいてもいいのかな」と、かすかに思えたりするのだ。
答えは、まだ一ミリも見つかっていない。
それでも、生きているあいだに、何かひとつでも残せたらいいと思っている。仕事の実績かもしれないし、こうして書いているnoteの文章かもしれない。
ただ、生きる意味を探るべく、AIに語りかける日々は、今日も続いている。