【アンサンブル・オブ・デイリー・ライフ】―瞼の緞帳―
光が、暗闇にスポットライトのように差し込む。外で音を独占していた雲雀たちの声は、開演とともに遠くおちる。朝。僕のオケピから音が漏れる。いつのまにか、僕たちの音になっていく。相棒の寝顔に差し込む朝日にトランペットが良く似合う。僕のお腹はドコドコドコとティンパニのよう。体をおこし、ファをもらう前のリラックスと緊張。僕の相棒も起きだした、その背伸びは優雅で夜の三日月のよう。「ファ」のかわりに「ニャ」をもらう。今日の調律は、半オクターブの波。合わせるはもう一人の相棒。「ファ~」をくれる。音を合わせて、8年。いつもの調律の「おはよう」。心の中は、開演待ち。今日も僕たちの初音が聞こえてくる。
演目序章はいつだってキッチン。茶色い耳に白い顔。朝から小麦色、遅れて塗られる黄金色。くすぐる香りが、音を呼び起こす。コントラバスがここはお任せと、低い弦を一度だけ鳴らす。その振動が、料理の世界を呼び起こす。
慌てた指揮者はタクトを振り下ろす。丸いステージ、クラベス出番だ卵を割って。お次はカバサ、白い縁取り黄色のサングラス焼きあげろ。隣はオープンビーチ、小麦色ボディーにサンオイル。出番はまだ先のリハーサル。ピンクのお腹を緑レタスのタオルで隠し、白と黄色の丸サングラスをかければ、朝のお忍びアイドル。キッチンオケピを飛び出して、ダイニング。主演のレタスハムエッグサンドが舞台で踊る。踊るリズムはグリーグの朝の旋律「いただきます」。
「ファ~」の相棒。お忍びアイドルの香りで目を覚ます。夜の帳をすごした衣装のままに、お忍びアイドルのダンスは目覚めのタップ。僕はコロンビア黒い香りで上書きを。ファの相棒、春を迎えたアルプスの白い花を咲かせる。朝の旋律は黒い木琴、白い鉄琴、おもちゃの兵隊の観兵式。しばし、香りと味の音に「ごちそうさま」。
「ニャ」の相棒。朝の旋律に飛び込み参加。マーチはワルツに、奏でる曲はワルツィング・キャット。「ニャ」の相棒に命の糧を。カリカリ、奏でる音はピッツィカート。僕と「ファ~」の相棒に美しの糧、髪に響く風の音、口に小川のせせらぎ。時計の針も大忙し。ストリンジェンドな、世界。
演目序章は、ソロで始まりワルツにほぐれる。僕たちのオケピ。選曲は無限大。朝の光と音、香る景色、相棒は主役と助演。指揮は、いつだって心と僕たち。
~間奏曲「朝の組曲」~
私の隣、いつだって指定席。あなたは、いつも先に背伸びをする。あなたは、いつも私の顔を覗き込む。水面に映る自身を確認しているかのよう。私はあなたの心の水面。だから、今日も、あなたに見せてあげる。聞かせてあげる、私の寝息は、穏やかに波を打ち消す。
聞こえたよ。あなたのティンパニ。あなたのヴァイオリンがファを欲しがる。二人の間に「ニャ」シャープ。私は返す「ファ~」フラット。繰り返す朝の旋律は、永遠に続けたい「おはよう」のカノン。
夜の静かな演奏。足を組むのを気遣うように寝返りを打つあなた。コツンと前の座席に足をあてれば「ニャ」と叱られる。いつしか、あなたの寝起きのストレッチは、三日月のそれをなぞる。私の隣、いつだってあなたと「ニャ」のライバルは先に席を立つ。小さな嫉妬。ぬくもり残る、あなたの席。私はコロンと身を移す、席に残るチェロの残響が嫉妬を打ち消す。チェロの残響は、あなたの奏でる、キッチンの組曲への呼び水。
私は衣装もそのまま、あなたの前に降りる。それが、あなたの望む日常。それが、わたしの欲しいあなたの日常。今朝の組曲タイトルは、レタスハムエッグサンド。あなたのタクト合わせて流れ踊り、五感なでる演出者。手に持つチケットは「いただきます」。あなたは、黒いコロンビアの香り。私は、黒の香りに白を溶かす。アルプスの山、放牧された草原に咲く小さな花。舌に届くそよ風は、あなたの心の笑み。いつだって、仮面に隠そうとしている。仮面の外にみえる、口角があなたの心を映しているのにね。組曲の主演は、百面相。小麦色のマントの中。フレッシュなグリーン。やわらかな卵は黄色。セクシーハムの塩味がスタッカートで跳ねる。組曲ラスト、あなたに届ける。「ごちそうさま」。
~
「行ってきます」時計の子針が、少し右に影をおとす。世界中の演出者は、猫の旋律から子犬のワルツへと転調する。動きたい心。急いでいるのに、まだ始まらない一拍。右から左は、呼吸が隣の肩に溶けていく距離。左から右は、風がすり抜けるだけの通路。改札前の空気だけが、わずかにアッチェレランドを刻み始める。誰一人としてタクトを振る者はいないのに、雑踏はいつしか巨大なユニゾンとなる。床に触れた瞬間、全員が示し合わせたように、ひとつの和音になる。立ち止まることは許されているのに、誰も止まり方を思い出せない。みなが溶け、肩が重なる距離へ流れる。共通演目は、人込み。
入り込む喧騒。目頭をつく芳香。揺りかごは、いつしか誰も親の手を離れて揺れる。音の波、子守歌が、僕たちを動かす。僕もその一音。自ら奏でるフォルテはなく、長大なオスティナートの一部。閉じるドアはルフトパウゼの息継ぎ。新たな拍を刻みだす。
揺りかごからみる窓の外。つながる鉄の揺りかご、一台、また一台と繋ぎ、並走する。同じ音。同じ速さ。コマ送りの世界。世界の選曲は、ボレロ。
重ねる朝の言葉。心の振動。上の人にト音記号。心はヘ音記号。ボレロに揺りかご、遅れた到着。「おはようございます」はシャープ。それでもオケピは奏でる威風堂々。腕上げ、足上げ、顔を上げる。元気は、フラット。毎日のダカーポ、変調の毎日。世界は、どこかで調律されている。僕も合わせる。誰かも、僕に合わせている。…気づけば、もう次の章。開演だ、ワールド・オブ・オーケストラピット。
役割は、いつだって自分。あの人の音は、あの人の。この人も、その人も、指揮者。それでも音は、自然と重なる。それぞれの奥から。僕のオケピも、その一音。
世界は音であふれる。僕の選曲、タイプライター。指先の鍵盤浮かぶ飛び石。けんけんぱ。けんぱ、けんぱ。けんけんぱ。一つ片づけるたび、カッシャンと響く。小さな石板コールベルが、机の端でチーンと鳴る。その音は次の休符を示すサイン。ワールド・オブ・オーケストラ、答えるのは、指先だけのコンダクター。
いつもの譜面。タイピングはスタッカート、思考はレガート。ときどき割り込む通知音は、予告なしのフォルテ。選曲が進むたび、トーン・クラスターが机上に散る。
聞こえる演目は、シンコペイテッド・クロック。仕事はチクタク。家事もチクタク。授業はチクタクチッコーン。混ざるノイズは、予定外の転調。メールの着信、短いトリル。突然小言のフェルマータ。世界のリズムはチクタク、チッチコク、ボヨヨ~ン。ダカーポな日常、最初の小節へといざなう。コミカルな日常。皆も僕も、けんぱチクタクのリズム。
チクタクチクタク時計も進む。小針も僕の影もその身を隠した。僕たちオケピは揃ってティンパニ。流れは留まる、ソロにデュオにトリオとカルテット。町風の香りは万国旗。あの人たちは、3色ボーダー国旗。アンサンブルでコロブチカ。カチューシャ2人。隣は、3色ストライプ国旗。ソロで24カプリース。地獄のペペロンチーノ。僕は白地に赤丸。ファ~の相棒が調律。黒いまわしの力士が二人。東の横綱、梅の里。西の大関、海の幸。土俵に舞う清め塩に舌の鼓が響くころ。黄色い行司の軍配が返る。のこった、のっこた。お残し厳禁。舞った塩の勝敗は、レタス座布団が宙に舞う。俵に残した梅の里、トリオが起こした旋風は、ティンパニの音を舌鼓へと返す。ポンポンポン「ごちそうさまでした」。
~嬉遊曲「僕のリズム」
お日様高く、誰もいないお家、僕のお城、僕が主。外から聞こえる吹奏楽団。フルートとクラリネットは、チチッチ・ピッピ、僕の耳もピンと立つ。音に合わせて、右に左に尻尾でリズム、ブンブンブン。前から見ればうたた寝で、右から見れば拍手待ち。3羽4羽と増える演奏者、増える音階。そんな演目に拍手を送れば、飛び立つ吹奏楽団はスタンディングオベーションの様。僕のお腹がティンパニを鳴らす。得意楽器はパーカッション、奏でる音はカリカリカリ。ソロの演目は静かに部屋に降りる、無観客の劇場。お日様高く、共演者を出迎えはまだ遠い、毛並みを整え、もう一眠りゴロゴロゴロ。僕の日常。僕のリズム。
~
親針の影から現れた小針。親は安堵に眠くなる。漕ぎ出す船はバルカロール。ヴェネツィア船頭ゆらり、ゆらり。運河を進むゴンドラは波に揺られて浮き沈む。世界の運河。行くはタンカー不動の航海。大波生み出し小舟を揺らす。大波生み出し汽笛を鳴らす。僕は驚きリンゴを落とす。めくれた譜面はウィリアム・テル。狙うリンゴに愛しの相棒。震える弦は弓かヴァイオリン。僕の心は奮い立つ。それでも世界はチクタクチッチ。ボヨヨ~ンと時計の小針が音を鳴らす「お疲れ様でした」
席にさす影。譜面に魔王。逃げ場のない旋律。積みあがる重音。演目は延長戦、それは家族か自分の為か。答えはコーダに置いてきた。長い影、輪郭がぼやける。刹那の休止符。汗か、渇く眼か。とどまるクレッシェンドを追い越す、デクレッシェンドな影たち。それは家族か自分の為か。それぞれのカデンツァ。夕映えのクレッシェンドはボレロ。繰り返す旋律、心の楽器たちが音を増やしていく。スネアドラムな重ねる者のビート。ささやくフルートは足早に帰る者。残る者たち刻むクラリネット。ファゴットに経験を重ね、チアリーダーなサックスでほぐれる。長い影が消える頃、聞こえるはホルン、肩をたたき合い、トロンボーンがしめる。残る者たちのオケピはトゥッティ。フィナーレ、音なく響く拍手の中、僕は僕に「お疲れ様」。スタンディングオベーションは、クレッシェンド残る者たちが岐路につく。
~間奏曲「シチュー・オブ・ジュエリーズ」~
あなたの写し。あなたをつなぐ線。届くは望まぬアンコール。私は遠く離れた楽屋で、先に演目を終えて待つ。きっと、あなたは考える。望まぬアンコールは誰の為、何の為。足下の小さなライバル。心はシンクロ、すり合わせる指と額。きっと、あなたは最終章で思いにいたる。望まぬアンコールその答え。私はつくる、私たちの五線譜に。私はフラット、ライバルはシャープ。あなたの音符たちにそっと寄り添い変化をあげる。あなたの日常が日常となるように。窓の外、天空の小さなライトは演目を進めるサイン。照らすスポットライトは、私か、他の誰かか。あなたに、振られるタクト、重ねる音はいつだって、共演者の方が多い。だから私は力強く演じる、いつだって魅せ付ける。あなたは私の虜、私はあなたの虜。
あなたが奏でる朝のキッチン。今宵は私が踊り舞う。白い宝石箱、眠る赤、白、黄色の原石。オニオンは、白の積層ホワイトオパールを琥珀に炒める。茶色の原石を磨けば光る、黄色いジャガイモ。オパール色の三角錐は、銀杏にカット。エメラルドは茹でて取り置きブロッコリー。宝石たちを白い真綿で隠しこみ、その光を閉じ込める。煮詰めるほどに妖艶に、あなたを待つ時間が長いほど染みる心。時が私の舞を成熟させる、冷えるほど濃厚に。共演者に振られたタクトと時間。温めて魅せてあげる私の演目は、シチュー・オブ・ジュエリーズ お家へ帰ろう。
~
デクレッシェンドに帰る者たち。足並みは早く、軽やかなアレグロ。かかとは刻むスタッカート。ガラスに跳ねる残光が、スイングのように金管を瞬かせる。リップリードは夕暮れと夜の狭間をすくい上げ、ひと音ごとに息を交差させる。2色の信号は無言の指揮者、心は青のアップビート。青のタンギングが、タクトを揺らす。やがて赤のフェルマータ。刻む足音はア・テンポへと引き戻される。この時間、休止符が、呼吸を溜める。
また一人、また一人と、コーラスは増えては、揺れる蜃気楼。窓に灯る明かりがパートを受け渡し、やがてコーラスはクワイアへ。マジックアワーが最後のハーモニーを押し上げる。ハーベスト・ヒム。
収穫の讃美歌。シンバルの開閉にあわせ、演出者たちが楽器を伏せる。拍手の残響は、カーテンとともに落ちる。野外ロビーの長椅子へと移る、座席に残した体温。まぶしく輝いていた金管は、いまは蛍火に沈み、その横顔だけを照らしている。ロビーを見下ろす窓の外、瞬く光がひとつ、またひとつと隠れていく。
世界の音が、静かに調律を始める。消えきらない灯り。シャープ、フラット、休止符。
リズムだけが、町に残る。合わない、おたまじゃくしが一匹。僕のオケピが、まだ音を探している。
乗り遅れた、ハーベスト・ヒム。街の残響は、アネコイック・チェンバー。五線譜が生命を失っていく。街を響かせたスタッカートは、舗道に触れ消える。青のビートも、赤のフェルマータも、やがてひとつのレガートへ溶けていく。ショーウィンドウに映る光が、音のない合唱を繰り返す。
僕のスタッカート。音は世界から一拍遅れて届く。いや、違う。僕の足がアンティシペーション。楽器を持たないオーケストラ。タクトは振られず、風だけが譜面をめくる。4分33秒が、通り過ぎていく。僕のティンパニが沈黙の底で息をしている。僕は耳を澄ます。そうだ「ファ」を貰おう。オタマジャクシが、五線譜の上で目を覚ます。僕は帰る、音のある世界へ。ボレロが、遠くで始まっている。鉄の揺りかごが、本日の演目を終えた役者を運ぶ。僕たちのボレロ。
~演目は帰還へと移る。
鉄の揺りかごは、まだ微かにその余韻を抱いている。連なりは、すでにフォルテを終え、やわらかなメゾピアノへとおちる。車輪のリズムは規則正しいオスティナート。身体を沈める座席には、誰かの残した温もりをほんのわずかに含み、太鼓の共鳴のように、背中へと広がる。
窓の外、夜の譜面がゆっくりとめくられていく。黒に溶けきらない群青の層。遠くの照明が、ぽつり、ぽつりと配置される音符のように流れては消える、時折すれ違う赤の点滅はトリルのように瞬く。鏡映しに通り過ぎる瞬間、その光と音は一瞬のクレッシェンドとなり、すぐにデクレッシェンドへと消えていく。誰もが、今日という演目を終えた演者。
それぞれが、それぞれの楽器を膝に置き、音をほどきながら帰路につく。誰かはまだ心の中で速いテンポを刻み、誰かはすでにアダージョへと身を沈めている。僕たちの一音。
日中の残響が、まだ耳の奥でかすかに波打つ。タイプライターの乾いた打鍵、誰かの声のフェルマータ、予定外の転調。そのすべてが、いまは遠く、柔らかな和音となって、心の奥に降り積もった雪のような音階となる。揺りかごは、ゆらり、ゆらりとバルカロールのように変わり、眠りに落ちかけた意識の縁で、ふと、あの朝の旋律が顔を出す。「ファ~」と「ニャ」のカノン。ファイナル・バー・ラインを迎えて立ち上がるそれは、長い休止符のあとに置かれる最初の一音。足元は少しだけ不安定で、よろけるリズムが、生を思い出させる。新世界、その瞬間の無音は、世界が息を吸うルフトパウゼ。
足音が、僕のリズムを取り戻す。コンコースへ向かう階段は、短い音階練習のように一定の拍を刻み、改札を抜けると、肺へと流れ込む漆黒が美味い。昼間のざわめきをすべて吸い込んで、冷やし、磨き上げたような透明な黒。遠吠えは単音のクラリネット。ペダルを力強く踏む、流れるチェーンは、軽やかなスネアのロール。沈黙した町は僕の劇場、僕が指揮者。音たちは、互いに溶け合い、ひとつの静かなアンサンブルへと収束する。昼間のユニゾンとは違う、解けた和音。自由で、それでいてどこか調律されている。景色が流れれば、音はさらに削ぎ落とされる。
誰かの劇場から漏れるその声は、遠い合唱のようにぼやけ、風が樹木を揺らせば、葉擦れがトレモロになる。どこかのステージからの湯気に親子の笑い声は、踊るハーモニー。僕の足取りは、次第にレガートに。譜面をめくれば、見慣れた外灯。見慣れた塀。見慣れた影。すべての音符は定位置だ。いつもの演奏。いつもの我が家。僕のために用意された、次の演目の舞台照明。カーテンの隙間から漏れる光は、やわらかなホルンのように、帰還を告げる。
世界を開くその鍵、その金属音は、今日最後のパーカッション。扉に触れる手のひらに、木の温もりが伝わる。それは、楽器を奏でるそれに似ている。最初の調律それは「ファ~」か「ニャ」か。僕は音を生み出す「ただいま」
~嬉遊曲「あの人のリズム」
刻むスタッカーと開演のパーカッション。「おかえり」の旋律は僕の特権。僕はいつだって、耳を立ててまっている。耳を澄まし、いつでも開演準備をしている僕の特権。外に、あの人のブレーキ音は最後のシンバルに似ている。僕の舞台と外の会場をつなぐ、開錠の音に僕は三つ指ついてお出迎え「おかえりなさい」聞こえる音階「ニャ」の一音。高い位置から「おかえりなさい」僕が主演のはずなのに、あの人の「ファ~」の相棒は全てを持って行ってしまう。僕も「ニャ」のシャープを返す。「ただいま」と「おかえりなさい」フラット、「ニャ」のシャープ。僕はおくる「ラ」の音を。
~
「ただいま」「おかえりなさい」「ニャ」の三重奏。僕はチェロ、「ファ~」の相棒はヴァイオリン。「ニャ」の相棒はピアノ。この時間、調律はいつだってピアノの、ラではじまる三重奏。玄関まで漂う夕飯の香りに、僕のティンパニも再び力を取り戻す。浴室から漂う湯気は、フルートの音色。足下でピアノの旋律をかなでる「ニャ」の相棒。いつしか自由なジャズトリオへと変調していく。
「ファ〜」の相棒が僕に合わせて奏でるインプロヴィゼーションは、いつだって最高だ。僕はスウィングを入れて、昼の衣装を脱ぎ捨てる。今宵は相棒二人に捧げよう。曲は『Take Five』。大人の夜をくすぐる、5分の4拍子。
変拍子のリズムが、リビングの空気をご機嫌に震わせる。キッチンに立つ「ファ〜」の相棒が刻むリズムは、ディナーに彩を添えていく。
サックスは、いつだって特等席。僕の足元へ、柔らかな毛並みを擦り寄せてくる。低く響く喉鳴りのグロウルは、僕の奏でるベースラインを艶やかにアレンジしていく。
自由な旋律、完璧な譜面など必要もない。ただ、互いの音を感じ、心を重ねる。そんな心地よい夜のセッション。
「にゃ」が膝枕でうたた寝を始めれば、「ファ~」の相棒と乾杯の合図。タクトをグラスに持ちかえ傾ける。ステージに咲く、スモーキーなワインレッドの光彩は、魅惑的に僕たちの視線をさらっていく。眼前に広がる、あるけばシャキシャキと音が立ちそうな、緑の鍵盤に、黄色いクルトンがコンピング。クリアーレッドのゼリーを抱いたトマト、さしずめサックスソロ。酸味と甘み織りなす、最高にグルーヴィーなアドリブ。照明の悪戯ワインレッドのライトが次のパートを映し出す。ハーブ香り立つ子羊。演出は「ファ~」の相棒、自慢の演目。ナイフは弦を引くように、香ばしく焼き上がった表面は、歴史を刻んだ名器ヴァイオリン。小気味よいリズムを刻む。溢れ出す音域からは計算し尽くされたミディアムレアの即興曲。
子羊の力強い旨味が低温となって低く響けば、そこに寄り添うハーブの香りは、まるで音階を切る高鳴り。いっきにボルテージを上げていく、喉がワインレッドを求め湿らせるたび、光は薄なり。僕たちにその色を移す。気分は上々。熱を帯びた「ファ〜」の視線は、互いに返すプライベート・ギグ。この夜のハイライトは「シチュー・オブ・ジュエリーズ」、いつものハイライトとは一味ちがう。それはいつだって重ねた笑顔と心の宝石。アンコールが終われば、「ごちそうさま」
~間奏曲「フラメンコ」~
ワインレッドの残光が、まだ空気に漂う。演出者たちを送る拍手の名残のように、グラスの縁が音を立て、熱を静かにほどいていく。膝枕からおりた、あの人の「ニャ」が、今は静かにリズムをとる。規則正しいそれは、メトロノームよりもやわらかく、どんな名演よりも正確に、夜のテンポをリードする。シンクに立つあの人は、また、タクトを振り始める。流れる水流に跳ねるしぶきは、モーツァルトの協奏曲、フルートとハープ。演出を終えたステージを水の調べと泡のきらめきが、いくつもの虹を映してきえていく。いくつもの虹の中、私の姿はあるのだろうか、それとも、流れていくのは心の澱か。
私は、あなたの隣に降りる。あなたが泡立て、私が流す。静かなモーツァルトは、オペラへと演目を移し、流れる水の旋律はギターに、私は食器のカスタネット、かわす視線は情熱を駆り立てる。深紅のエプロンをつまみ上げ、ステップを踏めば、水しぶきが香水を含んだ汗のように光をかえす。ギターが答えて弦がその波を細かく揺らす。今朝、あなたの笑顔に返した、私の一輪の蕾。私のいない時間、あなたはきっと牢獄だと言う。会えない時間は養分。今、開花する。毎夜、開かれる小さなシンク前の「花の歌」。それでも私はしっている。あなたの朝は「ジプシーの歌」、戦う姿は「闘牛士の歌」、私はあなたのカルメン。咥えるバラに乗せる言葉は「いつも、ありがとう。」
~
二人の酒場、二人のシンク。「ファ~」との情熱的なセッションが終われば、汗を流す。食器たち奏でた旋律を、今後は、自身の旋律へと変えていく。流すは今日の異音たち、耳に残る残響を、湯船の波が溶かしていく。タクトをおけば、水たちの自由演奏。空からおちる音符は、チェレスタの一音を丁寧に響かせ、アダージョなテンポの波を僕に生ませる。その柔らかなレゾナンスは、雄大なチェロの抱き。水たちのバラードに、私の心身は休止符だけが残る。「ファ~」の相棒。ふいに曇りガラス姿を映す。残った休止符の数だけ、ティンパニが勝手に音を鳴らす。その誘いは控えめなピアニッシモ、僕には官能的なビブラート。落ちるカルメンの深紅のドレス。浮かぶ五線譜は幻想的な曲線。ティンパニが急進的なアッチェレランドを刻む。「ファ~」の相棒のサプライズ。「お疲れ様」
~終章
夜の帳が、熱を帯びた二人の心身を、眠りへといざなうまで、あと少し。シンクとバスに溶けた、一日と情熱。重ねる手の温もりは劇場の観覧席で、初めて重ねた温もりのダカーポ。カランと音を鳴らすグラスの中の氷山は部屋と二人の温度計。語り交わすサスピランド。積み重ねた音符は8年と122日のグラン・ウーヴル。まだまだ、これから、ヘヴンリー・レングス。
グラスのブラウンがクリアーへと色を変えると、「ニャ」の相棒がタクトをふるう。ステージで丸まった両手をカーペットにそろえ、さしずめ熟達ピアノ奏者の構え。相対する天井へと伸ばした尻尾のタクトが演奏の合図。最初はパーカッション、頭をドラムのように叩きつけ、二人の隙間を行ったり来たりリズムを整え、次の旋律へとボルテージをあげろと急かす。拍手でリズムを追えば寝室への行進曲。刻むステップが木琴の調べを連れてくる。右をポコポコ、こちらを見ては、左にコンコン。連弾すれば、トレモロへとリードする。五線譜の終わりは決まって、ミュート奏法。
最後のステージ。最初に登場「ニャ」の相棒、ワルツィング・キャットな朝。昼は吹奏楽団にタクトを振るい、夜はパーカッションの名手。「ニャ」っと一礼して静かにグルーミングで次の演者をまつ。二人目、「ファ~」の相棒。僕のオケピは君の虜。響くパーカッションに、響くヴァイオリン。めくる譜面は日に日に増える、無限の音階、今宵のカルメンは情熱をバスルームに溶かし舞い戻る。最後は世界の音たち(ラ)「おはよう、いただきます、こんにちは、」世界に根付くコンサート・ピッチ。三人仲良く雲の五線譜に抱かれ交わす言の葉「おやすみなさい」。ペルデンドージの印、一音一音がゆっくりと世界に返されていく。
〜アンコール
光が、暗闇にスポットライトのように差し込む。外で音を独占していた雲雀たちの声は、渓谷に消える。残響は鳩の羽音。僕たちの朝。相棒の寝顔に差し込む朝日に、トランペットが良く似合う。今日は私が先なのね。あなたの腕に額をおしつける、いつもの、ファをもらう前のリラックスと緊張。二人の相棒も起きだした、その背伸びはしなやかな、昨夜の三日月。「ファ」のかわりに「ニャ」をもらう。今日の調律はジャスト・イン・チューン。音を合わせて、3年。今日も私たちの初音が聞こえてくる。
~
先に起きた君に「おはよう」8年と123日目の音合わせ。
今日も、世界の旋律に、
僕たち私たちの一音を加える。
『アンサンブル・オブ・デイリー・ライフ』
