メインコンテンツへスキップ
見出し画像

【小さな世界の幕ノ内弁当】~パセリの恋愛事情~

    #創作大賞2026 #恋愛小説部門

    ~あらすじ~

    誰にでも優しい「幕ノ内弁当」に恋をして、僕は「生ぬるいパセリ」のまま、君と向き合う。

    築60年の木造アパート、小さな町工場、そして、商店街のお弁当屋、主人公の生きる狭くて不器用な「小さな世界」。茶色ののり弁に咲くフレッシュなパセリのような、お弁当屋の店員に憧れ、突然訪れた想定外の「モテ期」。職場の真面目な後輩からの全力の告白と、届かなかった憧れ。脇役で、一癖あって、好き嫌いされがちだけど、彩りを与え周囲と調和している

    ――そんなパセリのような生きざま。パセリが自分の足で一歩を踏み出す、温かくて少しほろ苦い日替わりラブコメディです。

    ~小さな舞台~

    『いらっしゃいませ。あっ。おはようございます。』
    「おはようございます。のり弁お願いします。」

    商店街の裏通り、ごみの回収車も入れない。苔むした塀の上には、薄汚れた野良猫。それでも、子を産み、我が子を育てている。俺よりも十分にたくましい。そんなスラム街を思わせる一角に、辛うじて風呂とトイレがセットのユニットが増設された1Kの築60年の木造アパート。昔は2Kで、風呂無し、トイレは共同だったらしい。もしそのままだったら、流石に選ぶことはなかっただろう。そして、今回の出会いもなかったという事になる。

    『お待たせしました、のり弁です。400円ちょうどになります。』

    いつのまにかに値段が高くなった…。商店街の居抜き物件の中、1年前に新装開店したお弁当屋。
     名前は『手作り弁当おばあちゃんの手』。
    オープン当初は確かに、おばちゃん達が4人くらいで回していた。誰が好き好んでおばちゃんの手で作った弁当を喜ぶのか?そう思うのは、俺が実家を毛嫌いしているからなのかもしれない。じっさい、割烹着を着たおばちゃんスタッフは、それなりの雰囲気をうみ、田舎や家の味だという声は耳にした。オープン当初は360円くらいだったと記憶している。

    『500円お預かり、100円のお返しになります。それと…、いつもの、ちくわです。どうぞ。』

    弁当しか注文していないのに、彼女がちくわを渡してきたのは事情がある。
    弁当屋に勤める彼女は大学生らしい、半年前位からこの店に姿を見せ始めている。ネームプレートには「はるな」と丸文字でかかれている。はるな…春奈?陽菜?本名なのかな。興味もなかったお弁当屋なのに、なぜかと思われるかもしれない。別にストーカーをしていた訳ではない。このお弁当屋の脇道が、裏通りの俺のアパート裏門に抜ける近道だからだ。毎朝、毎夕と店の横を抜ければ、多少の変化は気に止まるというものだ。もちろん、彼女の容姿が良かったという点は否定できないが。

    「あ…、はい。いつもすみません。」

    なんとも、気のない返事だ。何のことはない、たまたまだ。新装開店の当時、新装なのにスタッフは中古…失敬、ベテラン風のおばちゃん達。半年も隣を通るだけの毎日。そこに、突如として現れた新規スタッフ、真新しい白の発砲容器の中には、茶色の揚げ物と同色のきんぴら。黒の海苔とかつ節、そんな地味なスタッフばかりの「のり弁」に、突如添えられた、フレッシュなパセリ。そう彼女を捉えてしまった。彼女を見て立ち止まった足。日常のままならすり抜けていた通り。「のり弁」の中で一癖、気づけば避けられてしまうパセリに、俺は魅せられた。

    ~ファーストコンタクト~

    魅せられて3日くらい経った日、フレッシュパセリに声をかけられた。

    『あ、いつもこちら通りますよね。本日は「Wのり弁600円」がおすすめですよ。』

    普段から人付き合いの苦手な俺は、そんなパセリの言葉に思考がパニックになる。思い出せば、彼女と交わした第一声だった。

    「あ、あ、いらっしゃいます。ダ、ダブルの、のり弁、いやのり弁ひとつ」

    「ダブルののり弁?」なんだそれ…自分が情けない。とっさの女性の勧めにつられてしまった。のり弁と勧められたのが思考を省いた決め手の一手。迷うことなく注文のセリフにつながってしまった。しかし、なんだよ、いらっしゃいますって…。あの時の、彼女の笑いをこらえる姿は、今も忘れられない1コマだ。そして、続いた彼女の横で声をだした。おばぁちゃんスタッフ。

    『あらあら、たこさんウィンナーより赤くなって。いつも、抜けていくだけなのに、やっぱり、若い子もいた方がいいんだわね~男の子には!』

    いうもなし、その通り。そして、その言葉に彼女もタコのように茹で上がった二人の出会い。最初に買ったのり弁360円にはパセリがひっそりと咲いていた。意外と美味かった。しかし、一日のカロリーを社食だよりにしている俺に360円はそれでも重い。ましてや600円のWのり弁なんて…。しかし、人付き合いが苦手な俺は、きっと、彼女に声をかけられたら、次は、Wのり弁を買ってしまう。いや、人付き合いうんぬんではない、彼女の声に逆らえない自分。でもそれは破滅への道だと、そんな自分に気づくほど生活がひっ迫していた。きっと流される俺は、アパートの裏門ではなく、表門から遠回りして出勤する日々を送ることになった。

    ~いつもの、ちくわ~

    「あ…、はい。いつもすみません。」
    『いいのですよ。あの子たちの事たのみましたね。』

    彼女、頼みましたね。廃品のちくわは、別に俺の為じゃない。そりゃそうだ、飲食店が廃品を配って食中毒でも出したら大問題だ。そう、このちくわは、裏通りに住み着く猫たちのご飯。アパートの表門を使うようになり、苔むした日陰の塀の野良猫たちを見る機会が増えた。スラム街にたくましく生きる生命は、まぶしく、時に説教のように俺に生き様をしめす。だが、たくましさだけで生き残れれば、社会も世界も楽だ。

    ある時、母猫が足を引きづっていることに気づく、塀の裏側では子猫たちの鳴き声が聞こえる。一時の救いの情けなど、こいつらに必要なのか?飼う気もないのに餌付けなど許されるものではない、飼ったら飼ったで、親猫と子猫に治療費や食事代…。自分が生活するだけで手いっぱいの俺に、人を、いや、猫を助ける余裕なんてなかった。見なかったことにして後ずさりする。
    その夜はアパートに部屋にいても、子猫たちの声が聞こえてくる様な気がして耳を塞いだ。カーテンもない、窓から暗い空をみれば、母猫の三日月の様な眼する月が心をさしてくる。俺は裏門から月の見えない商店街に逃げだしていた。部屋着にサンダル、くしゃくしゃの髪と、猫に悩まされた…いや、勝手に悩んだ顔だった。そこに飛び込む光がある。

    『あ!お久しぶりです。』
    「あ、あ、こ、こんばんは…」

    相変わらずのコミュニケーション下手にさらに顔は歪んでいたのだろう。

    『あの、大丈夫ですか?顔色が悪いようにみえますけど?』

    フレッシュパセリの、ある言葉がしみ込んできた。突然の思い付きで言葉を返す。

    「だ、だ、大丈夫です。あ、あの磯辺揚げをください。」
    『え!?あ、はい!磯辺揚げですね。ありがとうございます。おひとつでよろしいですか?120円になります』

    彼女との言葉のやり取りに慌てながら、スウェットの尻に手をあてると、我に返る。あ…財布がない。

    「あ、す、すみません。財布忘れてきました。キャンセルして下さい。」

    いつもそうだ。短絡的で愚か、自分に嫌気がさす。情けない、なにが磯辺揚げだ。たかが猫を前に色々考え怖気づいて逃げて、突発的な光と声に、思い付きの言葉を返す。店の奥から声がする。

    『やだよ。たこさんウィンナーの子じゃないかい。慌てちゃって、はるなちゃん狙いかい。ナンパだったらお断りだよ。』

    ナ、ナンパ!ひどい誤解だ…。こっちは人付き合い下手が悩みで22年を生きてきたんだ、そんな甲斐性があれば、人生は幕ノ弁当だよ。

    「ち、ちが、違います。その、猫がケガして…いて…。それで…」
    『え?猫ちゃん。猫を飼っているのですか?』
    「い、いや。飼ってはいなくて…その、近所の野良猫で…」

    だめだ、言葉がつながらない。本当に情けない。もう逃げたい…

    『あ~。そういう事でしたら、少し待っていてください。』

    彼女が店に引っ込んでしまう。早くこの場を離れたいのに、おばちゃんスタッフがジト目にみてくる。ネームプレートには「ヨネ」ヨネ、米?いやいや、ぜったい偽名だよな。いるのか?昭和初期のおばあちゃんならともかく。この令和に、いや、おばちゃんの感じから昭和後期かな。
     店の奥から彼女の声が響く『キヌさ~ん。この、ちくわ廃品ですよね~。いただいてもいいですか~。はい。はい!大丈夫です。はい、猫用です。』どうやら、廃品を猫の餌用にと準備してくれているようだ。凄いな、逃げてばかりの俺とは大違いだ。年齢だってそんなに違わない感じなのに、ますます自信をなくしてしまいそうだ。って、いうか…キヌ、衣?やっぱり偽名だよな。おそらく店の名前である「手作り弁当おばあちゃんの手」から、おばちゃんぽい名前にしているのかな?だとすると、はるなさんも?いや、そのコンセプトなら、はる子だろう。あえて、はるななら、子供か孫って設定かな?くだらない思考ができる程度に落ち着いてきた。が…ヨネばぁちゃんの沈黙は痛い。

    『お待たせしました。こちら、廃品になる、ちくわです。猫ちゃん達にあげて下さい。それと、私もついて行っていいですか。好きなんですよ。…猫。ヨネさん、ちょっと休憩入りますね。キヌさんにはオッケーもらいました。』

    『キヌさんが言うんなら、あたしの出る幕じゃないね~。時間を守れば、あたしはかまわないよ。猫に触ったら手洗いはしっかりとね、エプロンと三角巾は外しておいき。それと、たこさんウィンナーは、はるなちゃんが可愛いからって変なことするんじゃないよ。』

    だれが、たこさんウィンナーか!変な事ってなんじゃい!誰がするか!まぁ、可愛いとい所は否定しない。

    「も、も、もちろんです。誓います。あの、ちくわ、ありがとうございます。」

    彼女は、エプロンと三角巾をヨネばぁちゃんに預け、ちくわの入った袋をぶら下げ、ささっと行きましょうと言わんばかりの視線を向けてくる。うぅ、まぶしい。こんなヨレヨレで部屋着サンダル男と、薄暗い裏路地に入っていくって、商店街に行きかう人達が見たら、通報案件だよ。防犯カメラには、ヨネばぁちゃんも映っているだろうし、何かあっても問題ないよな。って、何もないよな。うぅ、気まずい。かける言葉がみつからない。

    『猫ちゃんって、何匹くらいなのでしょうか。ちくわ、足りるかな。』

    彼女からの問いかけに、詰まった呼吸が少しリズムを取り戻す。

    「よ、よく見るのは、み、三毛の母猫ですね。お、おそらく三毛なので母猫かと。子猫は塀の向こうなので声しか聞いた事ないのでなんともですが、聞こえるようになってからは、1か月程度しかたっていないので、オッパ、イ…、あ、いや、まだ、じゅ、授乳期間だと思います。あと半年もしたら、不妊…増えないように団体に連絡が必要かもしれません。」

    くっ、言葉の選択が難しい…後で、お弁当屋でセクハラ発言されたとか言われたら、それこそアパートに住みづらい。しかし、本当の事なのだ、子猫に気づいて1か月程度、あと6か月もたてば親離れが始まるだろうし、最初の発情期を迎える。裏路地に野良猫が増えすぎれば、表通りの商店街が乗り出してくるだろう。
     一方でネズミ退治に一役かっている点もあるので、野良猫の去勢や不妊治療をしている商店街お抱えの団体がある。持ちつ持たれつの関係を地域で確立しているようだ。俺の生活も支えて欲しい。うらやましい限りだ。

    『わ!詳しいのですね。猫ちゃん好きなのですか?そ、れ、と、そんなに気を使わなくても大丈夫ですよ、猫の話ですし~セクハラだなんて言いませんから。』

    見透かされとる…できる人だ。

    「こ、こ、ここです。」

    と、塀の上に現れ警戒態勢をとる母猫を指さす。

    『わっ、本当だ。貫禄のある、おっかさんにゃんこですね。』

    「あ、ち、近づきすぎると警戒されますから。伝いの塀の上に置いて遠くから様子をみましょう。」

    『なるほど、そうですよね。私って、ついつい猫をみると夢中になってしまって、結局なつかれないのですよ。グスン』

    「でしたら、直視せずに。目があったら細めて、先に視線を外してあげると良いですよ。敵じゃないって意味になりますから。」

    『そうなんですね。ありがとうございます。でも、すぐに目を逸らすなんて、まるであなたみたいですね~。可愛らしいです。それに、猫の話だと、饒舌ですね。クス。』

    可愛いって、男に使う誉め言葉なのか、からかわれているのか、しかし、最後のクスが、昔に失った感情に小さな種を植えた。この一件から、俺はまたアパートの裏口を使えるようになった。
    それからも、たまに猫の餌をもらいに裏口へ、猫に餌を与えにその奥に、そして時には、そのまま二人で裏口から表口へと抜ける。途中にはアパートの玄関、玄関を潜れば、俺の部屋もあるのだが、いつも素通りだ。そして、そのアパートに俺が住んでいることには、触れたこともないし、触れられたこともない。開封と同時に蓋の上に寄せられる、パセリ…そんな関係。

    ~それぞれの成長~


    『いいのですよ。あの子たちの事たのみましたね。』
    「任せといて下さい。はるなさん」

    あれから、2か月。なんとか、彼女の前では普通に話せるようになっていた。俺だって、初対面でなければ問題なくはなせる…時間はかかるが。週に何度か、弁当も買えるように残業も増やしてみたりした。いつも、のり弁だけど。はるなさんは、それを馬鹿にしたりはしない。大学生と思われる彼女のシフトはまばらだ、たまに店内を覗いただけで帰ると、ヨネとキヨのコンビを筆頭に見透かされたように笑われる。しかし、はるなさんが不在の時には、代わりにちくわを預けてくれる。たまに衣を外した白身魚フライや、塩を抜いた鮭まで準備してある。俺よりいい生活をしているのではなかろうか?
     キヌばぁちゃんが、商店街の保護猫団体に住処を登録してくれたらしい、時が来れば一時的に保護され、不妊治療とワクチン接種がされるだろう。ただし、見届け人が必要で、商店街近隣住民であることが条件。俺が、見届け人になるか、ならなければ、他の誰かか、もしくは保護施設か保健所に回される。乗り掛かった舟でもあるし餌付けした。見知った猫が保健所など、それこそ眠れぬ夜を過ごす事になる。はるなさんに格好をつけたかった事も背中をおし、貧乏見届け人の完成という流れになった。

    『明日も、バイトなのですが、予定があるなら私があげてきます。受け取りに来てもらえるなら、一緒にどうですか?』

    え?はるなさんからの誘い?初めてじゃないだろうか。聞き間違えか。ほほをつねる…ことはせずに気を落ち着かせると、抱えたのり弁の温もりが伝わってくる。夢じゃない。え、マジ。今日ののり弁フレッシュパセリ入りじゃないのか。いやいや、浮かれるな。ただただ、猫に会いたいだけってことさ。目的は俺じゃない。でも、だったら、一人でもよくないか。なぜ、わざわざ俺をさそうのだ。

    『あのぅ。やっぱり予定ありました?』
    「あ、い、ひ、暇ですよ。超暇です。一緒に行きましょう。」

    彼女が下から覗き込むように、質問してくる。良かった彼女より背が高くて。見下ろされたら委縮してしまう所であった。そして、これは…男が堕とされる憧れのシチュ…。そんな状況に天に拳を突き上げたくなる。

    『よかった。あの裏路地、夕方は薄暗いじゃないですか、ちょっと私一人だと怖くて。頼もしいです。しゃべり方が最初の頃に戻ったのが気になりますが。クス。』

    うっ。なんとなく釘をさされたような…でも、頼もしいか?俺。腕を折ってみる。増やした残業のおかげかな。無意識に少し力こぶがシャツ越しでもわかるようになったかも。

    『リアクション。古くないですか。でも、頼もしいです。あすよろしくお願いしますね。』

    口元を抑えて笑いをこらえる姿が。私の胸の種を芽吹かせるには十分な光を与えていた。体温はのり弁の温もりを超え、猫たちに向かうステップは、塀の上をあるく猫の足さばきより軽やかに、気持ちは浮かび上がった白身魚のフライの様に軽かった。
     母親の三毛の足もすっかり治ったようで、今では俺の手から直接ちくわをもっていく。子猫たちも近づこうとしてくるが、流石に母猫がそれを許さない。俺も、あえて一線を崩すことはしない、はるなさんの為にと、いつか見せる日が来ることを期待した、スマホの写真ホルダーに、今日も子猫たちの成長を収めていく。
     明日…話題にでるかな、「写真あるのですか?欲しいです!アドレス交換しませんか?」なんて事を期待している自分。母猫の視線がいつもより厳しく感じるのは気のせいだろう。うん。きっと気のせいだ。

    ~フラグとテンプレ~


    昨晩は寝付けなかった。朝もいつもより1時間早く目が覚める。夕方が待ち遠しい、もし、残業が発生してもすべてパスだ。アパートの裏口を抜け、細い路地を行けば、「手作り弁当おばぁちゃんの手」の横にでる。営業は昼前からで流石に、朝のこの時間はシャッターが下りている。
     夕方の、はるなさんとの待ち合わせまでに、しっかりと仕事をこなす予定だ。俺の職場は、商店街を西から東へ抜け所にある、小さな町工場だ。歩いていける距離で探した安いアパート。車とかバイクとか、そんな物は俺にしてみれば嗜好品だ。皮肉にも、職場はその自動車メーカーの孫請けの様な立場であり、社長の金策が目に付くこの頃である。何とか給料の支払い日は守られているから大丈夫だと信じたい。おそらく今日も定時だろうな。

    そして、こんな考えは案の定フラグな訳である。

    『いたいた、勝彦くん。今日は、残れるのかな。珍しくD2の金型に注文が入ってね、急ぎになる依頼でね。やってくれるよね。』

    やっぱりか、本当に俺の人生ついてない。なんで、今日に限ってなんだよ。大体、午前中に行ってくれれば、まだ、調整も聞くのに、後1時間で終わりっていうこのタイミングかよ。

    「すんません。今日は予定を入れてしまっていて…」
    『ん?予定。きみが?』

    失礼な、俺にだって予定くらいあっていうの。絶対に逃げてやる。

    『予定ね。まさか、デートのでもないだろうに、何とか頼むよ。君も稼ぎたいって、言っていただろう。これでも、気にかけて優先的に声をかけたんだぞ。断れば、次からは他にお願いすることになるが、いいかね。』

    きたねぇ。

    「いや、確かに稼ぎたいとは言いましたが、基本給の事であって、残業ではなく…それに、デート…ってわけじゃな…その…待ち合わせ…。本当にすみません。」

    『なんだ、本当に待ち合わせがあるのか?しかも、その様子じゃ。コレだな?』

    と、小指をたててくる。きたいない上に品がない。肘で俺を「コノコノ、隅に置けないな。このスケベ。」とつついてくる。誰がスケベだ、誰が。やましい気持ちなどない…わけではないが、今はそれどころではない。

    「その、勘弁してください。明日なら早出でも残業でもなんでもするので!」

    『お!?やってくれるか。早出、頼もしい。君に声をかけて正解だったな。じゃあ頼む。D2型抜き1000個だ。何、明日の10時までにあればいいからな。時間は自分で逆算して頼むぞ、明日の入口のロックナンバーは、5963にしておくから。わはは。』

    5963ってご苦労さんってことかよ。ギャグのつもりなのか、イラつくぜ。10時か余裕をもって6時にくれば問題ないだろう。念のため、D2の金型は今からセットして帰ろう、それぐらいの時間はありそうだ。
     一度かえってシャワーを浴びて置きたかったのに。それとも、明日5時に来て、金型セットからにするか?いや、初回でトラブった時に一人だと確実に間に合わない、今日中にセットして1個は抜いておく。

    「わかりました。明日、早出で6時に来ます。絶対に間に合わせるので査定の方も、何卒、お願いします。」

    工場長は、俺の肩をバンバンと叩き「わかった、わかった」と足早にその場を後にした。よしD2金型のセットに取り掛かる。倉庫の奥、フォークリフトで金型を取り出したところで就業のチャイムがなる。
     タイムリミットは後30分。シャワーの為にとっておいた時間をつぶし、プレス機械に金型を取り付ける。圧力の設定を行い、試験体をプレスする。ガッシャンと、軽い音を立てて、平らな板が、どこぞの自動車メーカーの、どこかの部品に変わる。守秘義務なのか技術漏洩防止なのかは知らないが、メーカーは分かっても、どこに使うかまでは分からない。せめて知ることができれば、もう少し、仕事にも熱が入るのだろう。知らないものを作らされてもテンションなんて上がらない。

    「よし。問題なし。リミット5分前」

    洗面所で顔と手を乱暴に洗いウィニングラン。タイムカードに残業時間の打刻を行う。『ガッチャン』っと、安定の機械音のハズだった打刻音は、『ガッシャーーーーーン!』というド派手な音に上書きされた。

    やばそうな音…「はるなさんか…戻るか」心に2つの大きな扉が現れる。

    どうする…
    白く金で装飾された門、扉には、はるなと猫にちくわを届けるシーンが映し出される。漆塗りの様な黒に朱色で装飾された門、扉がわずかに開いて煙が漏れだす。

    いつだってそうだ、結局、俺はつくづくチャンスをものにできない。いいだろ…ここで、はるなさんを選択したって。

    彼女との時間は一瞬、
    仕事は明日も日常だろうに!

    俺が損を請け負う必要なんてない!
    彼女を選べ、
    誘わたれ幸運、二人っきりの時間、断ったら次あるかわからない!

    明日も確実にある仕事より、次が不確実な、はるなさんだ!
    心の中でそう叫び、
    心に浮かんだ扉を目の前の扉に投影し開き駆けだした。

    『…あ!勝彦さん!』

    待っていた彼女。足音に気づいて振り向いた。その姿は…

    お弁当屋さんの割烹着…ではなく、職場の作業着た女性。その表情は涙目だった。結局、居場所を選んだ、そして、あ…これは…嫌な予感「ごめん…はるなさん。間に合わない…」彼女以上に、俺の心が涙目になった。

    『スミマセン…スミマセン…』
    「ど、どうした。な、何があったの」

    くっ、話しなれた後輩なのに、緊急事態と、女性作業員の前という事で言葉がうまく出てこない。はるなさんとの会話の方がスムーズなくらいだ。何年ここで働いてるんだよ俺!しっかりしろ!唯々、謝罪を繰り返す彼女から視界をハズし状況を確認する。そこには、明朝の早出の為に俺がセッティングした作業エリアが、無残な姿になっていた。

    「フラグ回収だな…」

    ふいに言葉がもれた。準備しておいたD2金型への金属プレートの山に、リーチフォークが鎮座していた。SNSで動画投稿したら、倉庫管理の珍事映像としてバズりそうな程のテンプレだ。倒れたプレートはプレス機へともたれ掛かっている。こりゃ手作業だな…。

    『スミマセン…。平プレートが通路にはみ出しているのに気づかなくて…。』

    「え…。」

    冷や汗が垂れる。「あ…」通路には作業エリアと同線エリアで白線が引かれている。しかし、それは通常品を基準として引かれたものだ。今回の受注品はD2…。めったに出ない大型プレス品。俺の準備が雑だった。いつもの感覚で加工前品の間隔をあけてパレットを並べた。結果、通路にはみ出していた。
    そして、焦る気持ちと明朝から一人作業という状況から、作業完了の確認をしていなかった。なんだよ、フラグを立てたのは俺自身じゃないか。何が仕事は日常にあるだよ、人に迷惑かけて、仕事が常にあるなんて保障はないだろに、居場所は自分でまもらないと継続なんてない。何度も人生で味わってきたじゃないか、いい加減に学べよ俺。

    「大丈夫?ケガはない?ゴメン…俺の準備したパレットが、はみ出していたみたいだ。」

    『いえ…大丈夫です。私の不注意です。勝彦さんは悪くありません!』

    彼女は俺の名前を知っている。だけど、俺は彼女の苗字しか知らない…後輩で指導してきたのに…情けない。言葉を返したいのに、言葉が出てこない。だから一人の方が楽だ…。相手の余計な情報なんて必要ない…。なのに、はるなさんの情報を欲している自分。おこがましい。今日のすっぽかしで、また、会い難いな…。ピンチの後にチャンスあり。チャンスで気が緩んで大量失点、よくある話、よくある事だよな。そんな、思考が巡る中に声が届く。

    『勝彦君!田中!ケガはないか?』

    工場長だ。田中さんは工場長に事情を説明し始める。フォーク操作をミスった事、不注意だった事を、俺のせいにしてこない。なぜ?…一言じゃないか『ここにパレットがはみ出していていました。自分は通常作業だった。規則を破った人が悪い。』俺に関連付けされる言葉すら出てこない…。こんな人も会社に、いや、社会にいるんだな。あっ、いるか。はるなさんも似た雰囲気を感じる。お弁当屋のおばちゃん達が、冗談半分で俺をからかっても、決して悪乗りしないで、俺をかばう人。なんだ…、人を見下していたのは俺か…。

    「…スミマセン、工場。田中さんは、悪くありません。俺が自分勝手で、明朝早出だからと、パレットセットの確認を怠りました。なので、同線エリアに物を放置した俺の責任です…」

    『あ~なるほど。事情は分かった。二人ともケガがないならいい。それより、勝彦君は帰ったんじゃないのか?デート…、いや用事があると言っていたじゃないか。』

    『え、勝彦さん…デート…です…か』

    !?いやいや、誤解だ!はるなさんとデートなんて!さっきだっておこがましいと後悔していたところなのに!

    「デ・デ・デイト。ち、ち、違います。猫に、え、餌やりです!」

    ちっくしょぅ、うまく言葉にならない。

    『なんだ、猫かよ。なんて残念な。だったら、遅れても大丈夫だろ?二人ともケガがないなら片づけちまうぞ。勝彦君D2納品期限は延ばせないからな、片づけたら、材料が寄り掛かったプレス機の動作確認もしておかないと、明朝、整備班がいないとデカくトラブったら動かんぞ。田中も残業続行できるな?』

    「勝彦さん…猫。あっ、残業。ハイ出来ます。崩したのは私の責任ですし、しっかりやります。勝彦さん、明朝の早出、材料だしも手伝います!今度、猫見せて下さい。」

    『ほほ~う、田中。勝彦君は意外と優良物件だぞ~。』
    『ち、ち、違いますから!材料を崩した責任だし!猫が好きなだけだし!』

    なんか、くだらないやり取りが始まった。あぁ…やっぱり、白い門を選ぶべきだったんじゃないか?あの時イメージされた、はるなさんとの猫との餌やりがフラッシュバックする。あ、はるなさんへ連絡…。番号しらないや、お弁当屋さんへ連絡しておくか。

    「了解です…その前に電話してきます…」

    『電話って…猫にか?』
    『電話って…猫ちゃん?』

    見事なハモリに手をふり、はるなさんへの連絡先は知る訳もなく、弁当屋の電話番号を検索し、言伝を電話にでた、キヌばぁちゃんにお願いした。この甲斐性なしとか、間の悪い男だとか、温かいパセリだとか。言われ肩を落として、現場の修復作業に戻と、なぜか工場長に肩を叩かれサムズアップされた。意味わからん。
     田中さんは、倒したプレートをパレットに、せっせと戻している。額にはわずかな汗がにじんでいる。

    「おまたせ、田中さん。後は俺がやるから。上がっていいよ。」

    人に気を使うより一人の方がいい。それが、俺の生き方。田中さんは、この課で唯一というか、作業現場では紅一点だ。事務員さんはいい年齢だし、しがない小さな町工場の花。下手に他の男どものやっかみを受けるなんてまっぴらだ。触らぬ神に祟りなし。火のないところに煙は立たぬ。とにかく一人作業が気楽だ。

    『いえ!ここは私の責任です!勝彦さんは、機械の確認をお願いします。』

    元気一杯に否定された。うん、思い出した。田中さんは、そういう人だよね、元気で明るく真面目、紅一点でも気にしない。いや、気にする周りの俺たちが弱者なんだよな。男女共同参画?SDGs?男尊女卑。彼女にはまったく当て嵌まらない。ありきたりな言葉で区別、差別しているのは社会なんだよな。って、俺なに言ってんだ?社会批判とか、ネガティブモード発動中じゃね?

    『…勝彦さ~ん?どうしました?固まってますよ。ひょっとして、戻したプレートの位置、まづかったですか!?ごめんなさい。指示を聞いてから動けばよかった…』

    田中さんが、オロオロし始めてしまった。なんか、スマン。陽に当てられてフリーズしていただけなんだ。

    「あ、あ、大丈夫だよ。じゃぁ、俺は機械を確認するわ。適当でいいからね、この後、作業しちゃうから」

    はるなさんとの予定も消えたし、急いで帰る必要も、明日早出する必要もなくなったし。今日中に片づけてしまうつもりだ。その前に、機械に持たれたプレートをどかさないと、動作確認はできないな、先にコッチだな。でも、片づけしている田中さんを煽ることにならんかな、どうしよう…。

    隣でテキパキと動く彼女に視線を送る。相変わらず、汗を浮かべて頑張る彼女、なんか良いな…。ん?汗の量おかしくないか…。そんなに暑いか今日…。それに、多少重いとは言え単純作業だぞ…。

    「田中さん…汗が凄いけど…ひょっとして、怪我してない?」

    『え!?あ!?大丈夫ですよ、本当!』

    「大丈夫です?それって、怪我しているけど大丈夫ですって事だよね。どこ?」

    田中さんの眉と目じりが下がり笑顔が消えた。あ…余計な事、言ったかな。汗が凄いとか、キモ男発言だったか。

    『勝彦さん…』

    うぅ。「セクハラ」とか「キモい」とか、やめてくれ。せっかく、はるなさんとの待ち合わせをあきらめて残業モードのスイッチを入れたばかりなのだから。

    『いつも、人の事みて…』

    はい。ごめんなさい。だって怖いじゃん。周囲を把握して極力自分を消さないと、俺なんて邪魔じゃん。だから、一人作業がいいのに…

    『あの時も…』

    あの時?どの時?俺、そんなに田中さんの事みているつもりないよ。同じ課で、同じ班だから、他の男よりは視界に入る程度で、変な視線なんて向け…てないよ…ないよな?

    『ちょっと、フォークリフトがぶつかった時に、足を捻っていたみたいです。作業になったら、急に痛みだしちゃって…。
    …てっ、この報告も2度目ですね。本当に勝彦さんって、よく気付く先輩です。』

    あ!あの時か。彼女へのフォークリフト研修の時。別の研修生がフォーク操作を誤り、彼女が危うく事故に遭いかけた事があった、転倒したが接触はなく、その場は納まったが、フォークを扱う時の彼女が汗だくで、緊張しているにしては?と声を掛けた事があった。結果、転倒時に足を捻挫していた訳で、研修生だから痛みをこらえて受けてた彼女を、叱ったことがあった。

    『また、怒られちゃいますね。我慢すれば良いものではない、って。教育者の責任も大きくなるんだ、って。スミマセン、また、足をやっちゃったみたいです。』

    「はは、確かに言ったわ。よく覚えているね。覚えているのなら、話は早い。今日は上がって。もし、痛みが続くようなら病院へ、労災扱いかもだから…、報告は通路にパレットがはみ出していたって。しっかり言ってくれ。工場長には俺から訂正しておくよ…ごめん。俺のせいで…」

    彼女の事だ、きっとこう言っておかないと自分の操作ミスしか話さない。工場長は知っているかもだが、なんとなく信用できない。もし、彼女が報告しなくても、工場長の性格だと俺の責任だと言ってくる、どうせ俺のせいにされるし、俺の責任だし。だった、きっちり報告してもらった方が、すべてがWinだ…。

    『また、そうやって庇ってくれる。ズルいです勝彦さん…』

    庇ったつもりはないし、ズルもしていない。解せぬ…。田中さんを返し、一人作業。やっぱり気楽だ。ボッチ最高…。でも、一人になると、あいつが現れる…そうネガティブモード。
     あ~あ。はるなさん、怒っているよな。俺ごときが、待ち合わせをすっぽかすなんて、おこがましいよな。弁当買いづらいな。田中さんも、フォーク研修の時に言われた事、気にしていたんだな…そうだよな…女性に対して汗の話題なんて、セクハラとかキモいとか言われて、当たり前だよな。まじ、D2のプレス並みに凹む。8時か…9時半には終わるかな。プレス機にかけられた時計と、残り半分になった、パレットのプレートを見て溜息がでた。

    ~暗たがり~

    作業を終えて帰宅道。抜ける商店街はすでにシャッターが多数。商店街からの枝道に灯る赤提灯。肩を組みネクタイを鉢巻に、なんてコスプレみたいな輩はいないし、いたとしても、そんな属性とはもともと縁がない。そもそもネクタイなんて、今の職場の入社面接で付けたきりだ。さらに奥では、艶やかなネオン管や館もあるが、さらに無縁な薄い財布。作業着での一人呑みができそうな店の常連にもなれない俺。作業着の襟を立ててコスプレ気分で、シャッターに風を送る。
     商店街の出口間近、看板には「手作り弁当おばあちゃんの手」俺は、温かいパセリと言われたことを思い出した。おばあちゃんの中にまじる紅一点。茶色ののり弁にさく、紅ショウガのはるなさん。そんな、はるなさんとの約束より仕事を選んだ。
     キヌばぁちゃん。ちゃんと伝えてくれたかな…明日、ここをショートカットして帰る勇気がでない。と考えながら弁当屋の脇道を除く。暗く深い通路には、提灯もネオン管はなく、今にも消えそうな俺の心を映すような街灯が時折、通路の奥を映す。
     はるなさんは、猫たちにちくわを届けたのだろうか?確かにこの裏道じゃ女性一人は怖いよな…。田中さんなら、責任感と明るさでグイグイ行きそうだけど…あ、行った先で猫に驚いて捻挫したりして…。暗がりで女性二人を考えて、ニヨる俺…くすんだカーブミラーに映る俺…

    「うぉ!?」

    怖いわ…。自分の姿に驚きつつも、お弁当屋の脇道を抜けていく。薄暗い街灯をぬけアパートの裏門付近。黄色に黒い満月が2つ…小さな月も2つ、と4つ。母親の野良三毛と子供たちだ…。塀の影の下、俺の置いた、いつもの「のり弁」の容器には食べかけの「ちくわ」があった。おそらく、はるなさんが夕方届けてくれたに違いない。座り込み遠巻きに声が漏れ出た。

    「いいなぁ、お前らは。はるなさんに会えて。おまけに、ご飯の差し入れ…羨ましい。俺にもご飯作りにきてくれないかな…」

    と、反対側の1Kの築60年の木造アパート。自分の城…いや、長屋を見上げながら立ちあがる。

    「さて、風呂でも入るか。あ、冷蔵庫からだったか?発泡酒ならあったような…。」

    ふと猫たちの食べかけたちくわが視界に入る。いやいや、そこまでじゃないよ。と、胸をはる。玄関の帳を誘う街灯に、舞うはくたびれた蝶ならざる者、並んだポストには、新聞、広告、サラ金…と満員電車のよう雑多に詰め込まれている。俺は自分の指定席に手をかける。

    「ん?」

    小さなポストの中。指定席にビニール袋が鎮座する。見覚えのある袋、白色ポリ袋に透けて見える「手作り弁当おばあちゃんの手」と文字が滲み浮かんでいる。心は理解し、かってに期待し鼓動を早めるも、脳が、思考が着いてこない。思考より先に手が動く。袋越しに伝わる僅かな温もり。袋の中、見慣れた紙に包まれた弁当容器、包み紙には『お仕事お疲れ様です。お弁当どうぞ。ねこちゃんたちは、満腹だそうです。はるな』……。

    「あれ…?」

    包み紙が、一滴のしずくを受け止めシワがよる。なんだこれ?俺ってそこまで弱かったか?その感情の理由。今はしらなくても良い。唯々、何かが衝動的に駆け抜けた。「ぐっし」と鼻をすすり、宝物を隠すように抱えて部屋へと向かう。いつもなら疲労で登るのが億劫な階段。足に鉛玉をつけられたような感覚が、今日は感じられなかった。

    「ただいま。」

    誰もいない室内に向けて、玄関を抜ける。いつもなら無言で帰る部屋。今日は自然と言葉が漏れた。返ってくることのない返事も気にせず、袋から弁当をとりだしテーブルに置いた。『お仕事お疲れ様です。お弁当どうぞ。…』後半の文字は目に入らない。着替えもせずに手をかける。輪ゴムを外して、メモの書かれた包みは折らず、丸めず、目の届くところに…

    「ん?」

    包んで弁当の下側に回っていた所にも書き込みがある。『生ぬるいパセリだね~。キヌ』……。数秒の思考と心が停止。席を外して冷蔵庫からなけなしのビールを取り出し、仕切り直す。包み紙を半分に折り、はるなさんのメモだけ残して、

    「いただきます。」

    手にした僅かなぬくもりが、脳に『召し上がれ。』とイメージを映す。弁当は磯辺揚げ弁当だった。猫達のあまりじゃない…よな…?キヌばぁちゃんのメモ書きと、冷えたビールが浮つく心にストップをかけ、ネガティブを呼ぶ。猫扱い…

    「いやいや、それでも十分嬉しい!」

    一人の城、一人の暗がりに吹く春風。しけた畳の草原に大の字になる俺。「そういえば…はるなさん…ここが俺のアパートってなんで知ってんだろ?」何度かあった時に話したか?いつもドキドキが優先の思考に記憶は残っていなかった。
    不意の寝返り、ポケットから落ちた飴が畳の草原に、もう一つの花を咲かせた。残業した田中さんからもらった飴ちゃんだった。俺の人生で女性を考える夜がくるなんてな…。

    翌日の朝礼、残業で急ぎの仕事を片付けた俺は早出の必要はなく、いつもの出勤をしていた。昨晩起きた一夜城。弁当の包み紙は捨てずに取ってある。いらんメッセージもあったが、切り取るのも包み紙に手を掛けたくなかった。昨晩は衝動的に紙をシワにしてしまったが、今朝になって猛烈な後悔が襲い、折り目を何度も撫で伸ばした。

    『今日は、田中が通院で遅刻だ。昨日の残業時間帯で捻挫をしたみたいだ。皆も安全第一で作業して欲しい。田中のポジションには…勝彦君、頼めるかな?』

    「は、はい!」

    昨晩の余韻から、現実へと引き戻される。田中さん捻挫?冷や汗凄ったもんな…原因は俺にもあるし、仕方がない。昨晩、残業で片づけておいて正解だったな。

    『それと、労災の詳細を確認するから、勝彦君が置いたパレットを絵図にして、提出しておいてくれ。皆も、通路などに物がはみ出していたりしないように。以上!本日も指さし呼称で安全確認!』

    『指さし呼称で安全確認!』

    ポケットに入った飴を握り込み復唱する声に力を込めた。

    …
    カッシャン、プシュー。
    カッシャン、プシュー。

    俺は黙々と作業をこなす。田中さんのポジション、元は俺の作業範囲だ。そして、田中さんに指導したのも俺。仕事自体はなんて事はない、ただ今日からは、この後は正規のポジション分の対応する必要がある。
     生産指示書を確認したが、俺のスピードならどちらも量も十分対応可能である。が、それは残業込みで…。ちっ、喰えない工場長だよ本当に…ある意味で流石だと言わざるを得ない。だが、しかし、俺は定時で上がりたい理由がある。はるなさんへのお詫びと、お弁当のお礼を言いたい。約束をすっぽかした俺を、どんな反応を見せるのか気になってしょうがない。
     以前の俺なら、そのままフェイドアウトだったと思う。だが、今の俺は確認したいという衝動が大きい。

    『おいおい、お前はそんなキャラじゃないだろう。嫌って程、思い知ったんじゃないのか?また繰り返すのか?』ふいに語り掛けてくる…俺。

    ワクワク、ソワソワ、そんな言葉を抱いた俺に、ザワザワが混じり込む。

    『なんだ、なんだ。はるなさんと、田中さん。女性二人と急に話せた事で成長でもしたつもりか?罠だよ、罠。成長なんてしていないよ。また、痛い目に遭うって事、忘れたなら、むしろ退化だよ。笑えるわ。』

    俺らしいネガティブワードが、やりなれたプレス作業で踊る。マイナス思考、日陰族、いや日陰を好む暗たがり…。

    ……
    カッシャン、プシュー。
    カッシャン、プシュー。

    「…、…。」

    カッシャン、プシュー。
    カッシャン、プシュー。

    「いいよ。繰り返しても…。はるなさんなら…。」

    中学時代。まだ、俺が普通に会話をできていた頃。そして、人の裏表に恐怖を抱いた時代。奇しくも、また、弁当がキーワードか…。繰り返すプレス音とネガティブワードに、嫌な記憶がフラッシュバックし、息が詰まる。が…それでも、手を止めない。思考を止めない。これが成長でなくてなんと言うのだ。
     残業は受け入れる、仕事も終わらせる。仕事が残れば、田中さんが気に病む、彼女の怪我の原因は俺。それでも彼女は自分を責める。『また、庇ってくれるのですね…』彼女の言葉。研修時の失敗を、指導者である俺の責任として扱った時の事だろう。違う、庇った訳ではない。俺の保身だっただけだ。そして、今日も俺は自分の保身の為に、はるなさんに会う。会って安心を得たい…。

    「あ…、…結局自分の為…。成長なんてしてないじゃなか…。」

    『だろう?』金型に押しつぶされた、物言わぬ最後の鉄板から聞こえた声…。俺は肩を落とし、正規のポジションの作業へと歩を進めた。

    社員食堂。従業員の懐事情を温めてくれる所。選んだメニューはカレー。食べたかったわけではない。ただ…、カレーにふり掛けられた、パセリに目が留まった。はるなさん…最初に見た時のイメージ。茶色に咲くフレッシュなパセリだった。そして、俺はキヌばぁちゃん曰く、生ぬるいパセリだとさ。同じ食材で例えられた事に、思わず笑いがこぼれた。

    『キモ!逮捕事案だな~。勝彦君』

    失礼な言葉に顔をあげる。
    トレイにカツカレーを乗せた男。カツ…かよ。リーズナブルなカレーが、キングを乗せたとたんに貴族になるメニュー。小市民のカレー、爵位されたカツカレー、この社員食堂のヒエラルキーを可視化する勲章だ。その男、工場長。

    『流石に早いな!私の予測を超えたスピード。午後は、生産量をベースに戻してもよさそうだな~。』

    貴族の無茶苦茶な要求は、異世界転生しなくても、十分現実で起き得る。ふざけるな、俺は、今日こそ予定通りにクエストを終わらせ、お弁当屋:手作り弁当おばあちゃんのダンジョンに潜り、はるなさんと会う必要があるのだ。ん?なぜか転生ものが割り込んだ。

    「す、すみません。今日は貰った指示書の数で、勘弁してください。も、もとから残業のノルマ数じゃないですか…」

    あれ?思考は余裕あるのに、言葉がうまくでていない。…成長って難しいよな…。

    『あ?…あ~。そっか~。いや~。困った~。もともと人数ぎりなんよな~。田中さん、明日から出てもらうしかないかな~。でもなぁ~。捻挫じゃ安静だろうしなぁ~。』

    うぜぇ…。一言一言、こちらをチラ見してくる。

    「…あ…う…」

    『他に誰か変わってくれないかな~。あの機械さぁ~動かせるの少ないんだよなぁ~。』

    確かに、あの機械を動かせるのは、俺と田中さん…後は…、お前だ!

    『私がやるしかないかなぁ~、忙しいんだよなぁ~、労災の申請書もあるし~』

    …弁慶の泣き所。脛ではなく心を抉られる。なんなんだよもう!なんでいつも、いつも、俺なんだよ!そもそも、人材確保と教育をしない、お前と会社の責任じゃないかよ。俺は悪くない!俺は悪くないじゃないか…。いいかげん…辞めたくなる…。パセリにスプーンを降ろす…。あ…まだ、みずみずしい…。

    『工場長!…私がやります!』

    松葉づえの女性が、誰も近づいてこなかったテーブルの脇に仁王立ちをする。

    『挨拶に来てみれば酷いです!工場長。分かりました、私がやります。私の事故で、勝彦さんや、工場長に迷惑をかけられませんから!』

    『あ、え、田中?田中、足は大丈夫なのか?杖をついてるじゃないか。そもそも、今週は安静で休みの届けが出ていただろうに…』

    『迷惑をかけるので、病院の帰りに寄ったまでです。来て良かった、これ以上、勝彦さんに迷惑かけたくありませんから。いいです。休みは取り消してきます!あの機械なら、フットペダルから、手動ボタンに切替えできますから、問題ありません。』

    あ…確かに…。そんな設定あったな…。田中さん、よく覚えているな。

    『いやいや、作業はできても、移動やセットができないだろうに…』

    あ…確かに…。作業だけできてもな…。工場長の状況判断は適格だ。

    『だったら、勝彦さんのサポートに入ります。ニコイチでやるなら、2倍を超える作業結果をだせって工場長は言っていましたよね。出します結果!』

    あ…確かに…。そんな事言っていたな…。俺、一人作業しか考えたことないな。

    『いやいや、田中…。勝彦君の本気の一人作業スピードは…二人分を凌駕するぞ?それに、きっと二人の方が、勝彦君の場合は…』

    うん…確かに…。緊張して体が動かないかも…。

    『一週間で、勝彦さんの段取りと技を、私が身に着ければ一石二鳥じゃないですか。そもそも、勝彦さんの作業スピードだよりで、機械動かせるのが3人ってのがおかしい、おかしいと思っていたんですよ!工場長は忙しくてできないじゃないですか。実質2人ですよ、勝彦さんが2人分やれるから、工場長分の人員が除かれていただけで!むしろ、工場長がやるべきだと思います!』

    …今まで言えなかった事…。すべて言ってくれた…。元気と若さって凄い。って田中さんの年齢は確か2コ上だったような…。工場長は顔を引きつらせて硬直している。が…、このままで済むはずはないし、立つ瀬もない。

    「あ、ありがとう田中さん。いいよ、気持ちだけでも嬉しい。それに、工場長が俺を評価して、仕事をふってくれていた事も聞けたし、やっぱり、俺の居場所はこっちだよ…。用事はあきらめる…。」

    『あぁ~解った。取りあえず田中。今日は帰れ、そして、一週間しっかり休め。そして、勝彦君も今日は定時でいい、私が変わる。確かに、勝彦君の心技体にたよりきっていたところはある。良くも悪くもだ…まぁ、心の方は確実に、押しに弱いって所を頼っていたけどな!』

    『なんですか、それ。』

    場の熱が一気に方向を変えた、感情的になった田中さんの潤んだ瞳は、笑いの涙目と変わり、俺の心にもしっかりと釘を刺された気分だ。なんだかんだで、やっぱり工場長は…伊達じゃ務まらないよな…。

    「ありがとうございます。お言葉に甘えます。」

    『おう、しっかり、用事とやらを片付けてこい。田中は来週から、勝彦君とニコイチだ、二人とも2倍のスピードなら、2人で4人分だ。私が抜けても同じになるだろ。』

    『え?あ…頑張ります。でも、それじゃ、もともとの人数不足の解決になってないような…』

    あ…確かに。問題解決というか、むしろ悪化…。田中さんも、よく気付くな…。

    『安心しろ、抜けるとは言っていない。それに、私のスピードは勝彦君より遅くはないぞぉ~。わっはっは。さぁ!飯の時間が終わっちまう、さっさと食って、段取り替えしないとなぁ~。じゃ、二人とも以上だ。』

    工場長が冷えた、カツカレーを片手に背中を見せる。デカいな…。

    『勝彦さん!来週からよろしくお願いしますね。私、頑張ります!勝彦さんの全て…そう、心技体を盗みます。』

    「よろしく、田中さん」
    …いやいや。技と体、動きはいいけど、心もちは利用されてるだけで駄目でしょ?

    ~
    就業の鐘がなる。俺の心は既に、弁当屋の前にある。まっていてくれ、はるなさん。油で汚れた顔と手を洗浄し、会社の門をでれば、靴に羽が生えたかと思うほど歩が軽い。小さな街の小さな町工場、路地を二つも抜ければ大通りだ。そこの横口にポカリと口を開けて、人を吸い込む、商店街アーケドは人の流れを整える。夕方、商店街は俄かに活気づいている。
     今日の俺は活気に乗れている。肩を当てずにすり抜ける。いつもと違う気配『忍忍』と自然と言葉が漏れる。人の目なんかより、心を先付けしてある。お弁当屋:手作り弁当おばあちゃんの手。否、はるなさんまで、あと少し。

    流石は夕飯前の商店街、そしてお弁当屋。忙しいそうだ…。注文口、レジ口を人の隙間を縫って覗き込む。確認できる範囲に、はるなさんの姿はない。キヌばぁちゃんの元気な姿が見えるのみ、受け渡し口にお弁当を届けに来るのは、ヨネばぁちゃんだ。はるなさんは、今日は厨房かな?それとも早すぎたか?そういえば、定時上がりなんて久々だ…。この時間帯にはるなさんが、いる確証はなかった。…そもそも、今日は仕事の日なのだろうか…。弁当屋の前、追いついた心の音は、期待から不安へとリズムを変え始めていた。

    『あの~。』

    背後からの声に「ヒィッ」と声が漏れる。

    『並んでます?前…空いてるんですけど…』

    「はぁ?あ、あ。す、す、すみ、ません。」

    不安で思考が停止し、周囲の情報をシャットダウンしていた。俺は慌てて列からハズれる。どもる俺の返答に、困り顔で笑みを浮かべて進んでいく見知らぬ人。申し訳ない…。アパートへと続く、弁当屋の裏路地に場所を移して、人が途切れるのを待つ。『忍忍』俺には暗がりが良く似合う。
     もう一つ、ひょっとしたら厨房のシフトかもしれないという期待。弁当屋の壁に背を預け耳を澄ます。商店街の喧騒の脇…ここなら、声を拾えるかもしれない。換気扇とエアコンのファン。商店街の雑踏、キヌばぁちゃんの声…そして、厨房からの返事。一つ一つノイズを外していく、潜水艦の音響マンの様に…

    『からあげ2、1大だよ!』
    「…からあ…、…だ…ち…」
    『お後、幕の内ね!』
    「ま…、あ…が…まーす」

    壁越しだと聞き取りにくい…。が、声質はわかる。はるなさんの声は無いようだ…。折角の定時上がりなのに空ぶった。そうだよな、約束がある訳でもなく、そう何度もチャンスが連続するわけでもないよな…。路地の隙間から赤い空を見上げる。

    「帰るか…。夕飯どうするかな…。」

    『ぴーぴーぴぃ、ぴぃ、ぴぴ、ぴ。』赤い空の下、商店街からは18時を伝えるメロディーが聞こえてくる。土日以外で聞くのは久々だ。しばらく、メロディーに合わせ、うろ覚えの歌詞を口ずさむ。

    「とぉりゃんせ~とぉりゃんせ…。」
    「行は良いよい、帰りは怖い…。」

    妙にしっくりくる。

    『ガチャ』
    「ぅおっと!」

    思わず、また声が漏れた。ふいに弁当屋の勝手口が開く、間抜けな声に合わせ視線をおくれば、ヨネばぁちゃんだった。

    『なんだ、あんたかい。また、ちくわかい?それとも、釣りなのかねぇ~釣竿をもなしに…イヒヒ。せめて餌でも持ってきな。』

    何となく、言わんとしている事をさっしてしまった。釣りも何も、アタリも起こっていないのだが。

    「あ、い、いや。そう、そうです。ちくわあります。」

    『まっていな、いやいや。それとも、ばばぁよりはるちゃんのがいいかい?』

    「え!あ・・・います?」

    『残念じゃね。今日はもうおらんよ。イヒヒ…』

    はぁ?この婆ぁ。からかいやがって…

    『はるちゃんは、今日はお昼のヘルプにきたからね。夜はいないよ。本当に間の悪い男だね~。あぁキヌさんいわく、温いパセリじゃったかね?イヒヒ…』

    誰が、温いパセリだ。はるなさん、いないのか…。折角の定時だったのにな…。明日からはしばらく残業だし、謝るタイミングはなさそうだ…。そっか、猫たちの夕飯もしばらくもらえないな…。

    「あ、あの。しばらく帰りが遅くなりそうで。こ、この先の登録保護猫へのご飯…。お、お願いします。」

    『……』

    ヨネばぁちゃんの返事がない。黙って見上げられたかと思うと、猫の瞳孔のように丸い目が細くなる。そして、油がしみ込んだ付箋紙を、エプロンから取り出した。

    『もう歳で忘れやすいからね、この紙に書いておいておくれ。…いとしの、はるな様ってね。イヒヒ…。おやおや、今度はタコさんウィンナーになった。キヌさんの言うとおりだね~イヒヒ。』

    体温が一気にあがり、汗がでるのが解る。

    『おバカ。メモを渡すのに誰宛かを書きなされって事じゃよ。それとも、本当に愛しき人なのかい?イヒヒ…まぁ、私から見たら姪っ子と甥っ子みたいなものだからね。これくらいのお節介は趣味じゃ。ほれ、書いた、書いた。書いたら、そこのポストにいれておきな。いつまでも油を売っているとキヌさんにどやされるからね。』

    付箋紙とボールペンを無理やり渡され、油売りのばぁちゃんが、店に戻っていった。…お節介か…いただきます。そのお節介…。『はるな様 先日は………』

    ~池田屋事件~

    ふぅ…ようやく週末か。田中さんのポジションをフォローして1週間。そろそろ、復帰してくる。そして、はるなさんに手紙?メモ?を託してからも1週間という事になる。…何を期待していたのか。
     ひょっとしたら、また、ポストに返事と共にお弁当が…なんて期待して過ぎた時間。毎日残業、シャッターの下りた商店街の帰り道、開いているのは居酒屋などの酒場とコンビニくらいだ。淡い期待とともに、店にもよらずまっすぐ帰宅するも空振りの日々。4日目に買ったコンビニ菓子パンと共に夢から覚めた。

    『勝彦君!連日残業、お疲れさん!どうした、手が止まっているぞ、流石に疲れたよな。俺もだ。』

    工場長の声で我に返る。田中さんのリタイヤ中、工場長が工場長である所に触れた。俺と田中さん、工場長しか扱えない機械、一人不在なのに、俺の残業だけで回るハズもない…なぜ生産遅延が起きなかったか…。他にも案件あるだろに、やっぱろすげぇな…。

    「いえ、大丈夫です。」

    まぁ、貸しのが多い気がするが…。それに、脅しも…。うん、工場長として当たり前だと思っておこう…給与だって手当だって俺より上だし。

    『なんだ、人の顔見て固まって。その気はないぞ、俺は…。って冗談を言っている場合じゃないな。来週から田中が復帰してくる。それで、どうだ?快気祝いで帰りに一杯。』

    飲み会は苦手だ。と言うか、大人数が苦手だ。かと言って一対一も苦手なのだが…。前回の飲み会は断った、断ったら断ったで、反応が気になって胃腸薬を買うはめになった。俺もかかわっている怪我の快気祝い断りにくい…。

    『そうそう、幹事は近藤さんだからな。早めに決めないと…くわばらくわばら…。』

    はい、詰みました。お局近藤。工場のベテランパート。新選組局長。女性社員たちのゴッドマザー。幾つもの名をもつおばちゃん。俺が新卒で入社してから4年…消された社員は多い。その都度、近藤局長に撃墜マークが増える、「今宵の虎徹はよく切れる…」怖っ!

    「あ、参加でお願いします。」

    『勝彦君、参加ね。係内は全員参加っと…会費と贈り物代もこれで決定っと。ってか、これ、幹事の仕事だよな?なんで私が…。…いや、聞かなかった事にしてくれ…』

    工場長…お疲れ様…ご愁傷様です。

    ~
    『夏美ちゃんの快気を祝ってかんぱ~い』
    「『かんぱ~い』」

    近藤局長の音頭で、田中さんの復帰が祝される。田中さん…夏美って名前だったのか…。ココは商店街の横道、会社の常連も多い飲み屋の池田屋、その2階席。

    『ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました。特に工場長、勝彦さん!シフトの穴を埋めいただき感謝です。それと近藤さん、このような席を設けて頂き、今までで一番うれしいです!』

    田中さん…流石は近藤局長の撃墜マークにならなかった、数少ない中途採用…「怖ろしい娘」俺もその1パーセントでいいから、コミュニケーションセンスが欲しい。

    前菜も片付き、小鍋から具材をとる田中さんが声を掛けてくる。

    『勝彦しゃ~ん。来週からビシバシ行きますからね~』
    「田中さん…、それは、教える俺のセリフじゃね?」

    『あはは~。確かに~。じゃぁビシバシされます。』

    いやいや、ビシバシされますって…。
    田中さん酔ってる?

    『山本~。何をビシバシする気だ!田ナッチへのセクハラは見過ごせない!田ナッチは、俺が守る。』

    …岩井さんも大分やばい。岩井さん、一人作業が好きな俺はあまり絡むことはないが、同じ班内の先輩だ。その隣では、近藤局長に工場長が正座…。あ…畑中係長が空気になって酌している。近藤局長の脇には徳利が2桁転がっている。ココは地獄か?

    『岩井さん!田ナッチってやめて下さい!何度言っても辞めてくれないんですから!もし、退職するときは岩井さんのせいにしますからね。』

    『いやいや、コミュニケーションと親しみを込めて…。そんなに嫌?』

    『嫌です!』

    嫌と言える田中さん。怖ろしい娘!…ではなく、俺も見習いたい。スマホを見れば2時間が経過していた。一旦離脱するか…。こっそりと席を立ち階段を下る。下のカウンター席と座敷も満席だ。あれ?見覚えのある顔。はるなさんだ。2座席7名が、男女入り乱れて楽しそうだ。

    「合コンか?」

    そりゃそうだよな、大学生だもんな合コン位するし、はるなさんなら誘われてもおかしくはないよな。やっぱキャラが違うよな。…っと!

    「ダダン」

    階段を踏み外した、思ったより酔っていたみたいだ。しかし、酔っ払いに階段は危険だよな…。うっ!1階席からの視線が痛い。

    『お客様、お怪我はありませんか』

    「あ、だ、大丈夫。し、し、失礼しました…」

    『ぎゃははは!おっさんテンプレすぎ~。どもりも、グッジョブ!』

    はるなさんの席から、酔った学生が囃し立てる。一瞬、はるなさんと視線が交差するも目をそらす。

    『もう!ほかのお客さんに絡まないでよ!…勝彦さん、こんばんは。』

    「あぁ。久しぶり。猫とお弁当ありがとう。直接言えてよかった。」

    はるなさんの声掛けに、視線を戻し。手紙となってしまった言葉を言えた。良かった。

    『お弁当!?おっさん、ハルとどんな関係だ!?』

    囃し立てた若者が食いついてくる。しまった。ここでいう言葉ではなかったか、はるなさんも迷惑だよな。なんとか言わないと…。でも、別に何か関係があるわけではないし、なんといえば…

    「お、俺は、お…」

    『俺は?…なに、おっさん?』

    「おっさんじゃない!22だ!」

    『うっそ!タメ?ないない。詐欺でしょ~』

    『いい加減して!勝彦さん、サークルのメンバーがすみません。勝彦さんは、お店の常連なのよ。猫を保護したり優しい人なんだから。』

    『ハルのお店?あ、バイトの弁当屋か、それでお弁当。納得、納得。おっさんじゃハルと釣り合ってねぇもん。手作り弁当かと思ってビビったぜ』

    『ないないない』と他のメンバーも声をそろえて笑っている。くっ。また、おっさん…。殴ってやろうか…。拳を固くした時、2階から声がした。

    『勝彦さ~ん。どこですか~。』

    階段から、ひょっこり顔を出す田中さん。小動物みたいだ。トコトコと降りてくる。

    『お?おっさんの彼女?』

    また、コイツ…

    『え!?彼女~。うふふ彼女か~。そう見える?見えちゃいます~。あれ、この人たち誰ですか?』

    「えっと、はるなさんと…そのサークル?の人?」

    『はるなです。うちのメンバーが絡んですみません。勝彦さんに失礼をいってしまい申し訳ございません。』

    「いやいや、気にしてませんから」

    『むぅ。もっとガツンと言ってやった方が、若者の為ですよ。勝彦さん!』

    『いやいや、おっさん22だろ。タメだし。でも見た目で負けちゃってるかも~ぎゃはは』

    『なによ、年齢でいうなら、私より年下じゃない!おこちゃまでちゅね~』

    「田中さん…煽らなくていいから…。すみません…はるなさ…」

    はるなさんの名前を言いかけた時、田中さんが組み付いてくる。

    『はるなさん。勝彦さんは私がいただきます。』

    !?なに言っているの?どういうこと?え?…ゾワ。悪寒が走り周囲を見ると…店のマスター。絡んできた男…。そして、階段の上から岩井さんが、同じ視線で目を細めている。

    「あ、あ、とりあえず。解散!マスターお騒がせしました。」

    「『すみません』」

    はるなさんも同時に頭を下げた。トイレを済ませ2階に戻る、なぜか田中さんがくっついたままはなれない。階段を上がる時も、はるなさんのサークル仲間で、ウザがらみしてきた男の、『陰キャ』だの、『ハルはストーキングされてんだよ。』という声が聞こえてくる。陰湿なのはお前だろうが、目配せではるなさんが、誤ってくる。目力で威圧していた田中さん。やっぱり凄い。自席に座ると、なぜか隣には田中さん…。

    『田ナッチ~。なんで、山本のとなり~?俺の隣にいたじゃん!』

    あ…山本さん学習能力ないのか、それとも酔っているのか。田ナッチって。腕にしがみついている田中さんに力が入る。

    『セクハラ…。勝彦さ~ん。岩井さんが何度言っても、セクハラしてきます。助けてください。』

    『セ、セクハラって。田中夏美で田ナッチ、いいじゃん!上手過ぎだろ俺。愛情こもってるじゃん…。田ナッチ付き合おうよ。』

    『嫌です!私、好きな人いますので!迷惑です!』

    俺を挟んでヒートアップする二人。田中さん好きな人いるんだ。だったら放して欲しい。岩井さんもめげないな…鋼メンター岩井。しかし、職場では見ない光景だ、恐るべき酒の力。
     嫌な汗をかいていると、『その辺にしとけ、本人が嫌っていってるなら、セクハラだ。』っと書かれたコースターを畑中係長が渡してきた。どういうこと?俺に言えって?視線を送ると、工場長と近藤局長…もとい近藤さんと、畑中さんがニヨニヨしている。酒のあてに楽しんでいるようだ。他人事だと思って…職場の問題でしょうが。しかたがない。

    「…ん」

    コースターを岩井さんに渡し、上役3人へと視線を誘導する。コースターを受け取った岩井さんの顔色が赤から、青…いや、紫に変わる。あ…。席を飛び出し一階へ駆け下りていく、やはり大分、酔っていたようだ。1階から聞こえた多くの叫び声は無視しよう…。

    『勝彦さん。守ってくれてありがとう。』

    「へ?あ、いや。何もしてないけど…。」

    『いいんです…。それよりも、さっきの美人さんの件!聞かせて貰いましょうか!』

    両肩をつかまれ、向かい合わせに。そっと、畑中係長からジョッキサワーが2杯送られてきた。隠れシゴ出来係長め。俺と田中さん、工場長と近藤さん、畑中係長は影になり。さらば、岩井さん。秩序に始まり混沌から、秩序へと戻った田中さん快気祝いの第2幕開始であった。閉店まで残り2時間…。第2の青春話をさせられた…恥ずかしい…。

    ~
    『ラストオーダーです。』

    畑中係長が両手をクロス。

    「あ…なしです。」

    合わせて幹事の近藤さんが席を立つお会計かな?岩井さんは工場長から酒を止められ監視状態だ。田中さんは…まだ、サワーを抱えている。強い…。

    『さて、来週からは田中も戻り、教育を含めて新体制だ!整うまで、まだ暫く残業が続くと思うが、チーム一丸で頑張っていこう。お疲れ様でした。』

    工場長がそれっぽい言葉でしめる。階段を降りると、はるなさん達は既にいなかった。まぁ、また絡まれても面倒なので良かった。隣で田中さんがキョロキョロしているのは何故だろう。つぶれて見せに大迷惑をかけた岩井さんは、近藤さんがタクシーを手配してくれたとの事。工場長と畑中係長は、嫌な笑みを浮かべている。二次会の相談か?どこへ行くのやら。商店街をアパートに向かって、すなわち、はるなさんのバイト先であるお弁当屋へ向けて俺は歩き出す。

    ヒタヒタ…、カツカツ…。靴の音が2つ?振り返れば田中…さ、ん?

    「あれ?田中さんコッチだっけ?」

    『私も猫ちゃんみたい…私も次の青春したい…』

    猫?…あ!はるなさんとの関係を詰問された時に、猫の件を話したかも。酔っていたのでよく覚えていない、青春って…他に何話った?汗が垂れる。

    「いや、もう遅いし…。ね、猫も寝ているんじゃないかな…。」

    『やだ見る。あの人に負けたくない。』

    あの人って?はるなさんの事?なにで勝ち負けを争っているのだろ…。しかし、田中さんの目が怖い…。

    「じゃぁ、ちょっとだけ…いるかわからないけど…」

    ニッパとほほ笑む田中さんが、またもや腕にくっついてくる。田中さん好きな人いるって言っていたのに、女性の距離感がわからん。はるなさんも優しくしてくれるし、こんな俺でも人それぞれって事なのだろう勉強させられる。
     思春期を迎えてから一度も経験したことない感触に心を落ち着かせるよう、裏路地の猫の説明をして商店街を歩いていく。青と白の防犯LEDに照らされた道は、季節感のないクリスマスのようだと、今日は思えてしまう。しばし歩けば、商店街の出口手前、いつもの看板『お弁当屋の手作り弁当おばあちゃんの手』

    「あ、ここが。さっき会った、はるなさんのバイト先で、お弁当屋さん。賞味期限の切れた食材を猫のエサで貰ってる所。優しいよね~。」

    『…グニ』痛っ。なぜか腕をつねられた…解せぬ。

    「あれ?」

    お弁当屋さんの勝手口から明かりが漏れている。珍しいな?キヌばぁちゃんが会計でもしているのかな。どちらにせよ、この脇道をショートカットするのが早いし、猫も見るならと、田中さんを連れて踏み入れる。

    『…あ…。勝彦さん…。』

    勝手口がすっと開き、はるなさんが現れる。後ろについていた、田中さんが摘まむシャツに引っ張る感じが伝わる。

    「あ、こんばんは。はるなさん。仕事ですか?」

    『いえ…。その…。』

    背後の田中さんに視線が送られる。…ん?なんだろう。俺じゃなくて田中さんに用かな?でも、待ち合わせの約束していたわけでもないよな。

    『ここで待っていれば、勝彦さんに会えると思って…』

    「ドックン!」心臓が跳ねたのが分かる。

    え…どういこと?俺を待っていたって…?
    え?そんなことある?

    まさか…まさか…。そう言えば田中さんの様子も変だし…。
    まさか…。

    「これが!噂の!も・て・き?」なのか?

    心中で絶叫、初めての経験に思考が至高で指向が定まらない。ヤバ!どうする俺!いきなりの三角関係。「ど、ど、どうし、しよう。」背中越しに伝わる田中さんの気配、視線の先には、はるなさんの瞳。

    「……」

    『…これ、猫達に…。今日の分まだだったので…。それと、先ほどは本当にサークルメンバーが失礼しました、あんな人達だとは思いませんでした。』

    「あ、あはは。あ~ちくわ…。いつも、すみません。それと、きにしてませんから。はるなさんに言われた訳でもありませんし。」

    ですよね。謝罪したかったのね、何を勘違いしているのか。そして、はるなさんも田中さんも、俺じゃなくて…猫。お猫様目当てだよね。何がクリスマス?何がモテキ?何が三角関係…ある訳ないじゃん。良かった変なこと言って事故を起こす前で…。危うく、会社にも、ココにも居場所を無くす所だった。酒って怖いね!

    『ちくわ…渡すためだけに、待ってたんですかぁ~?』

    背後から、突如声があがる。田中さんが半歩前にでて、はるなさんとの距離を詰める。

    『えっと…そうです。あなたは?先ほどの…』

    『そうです!勝彦さんの職場の後輩で…。…彼女になる予定です!!!』

    「!!!?」

    『…え!?あ!?そ、そ、そうなんですね。勝彦さんの彼女…彼女?…ビックリした。勝彦さんから聞いたことなかったので。』

    いやいやいや!俺がビックリだよ!え!?俺!?田中さん酔っている?そんな突然…。突然なのか?どうなんだ?俺に解るか!今、どういう状況。

    『じゃ、じゃましても悪いですね。これ、猫たちのご飯です。私はこれで帰りますね…。』

    「あ、あ、すみません。いや、もう遅いし、タクシーか何か呼びましょう。商店街とはいえ、横道は飲み屋と酔っ払いが多いですから…」

    日も跨いだ夜中…女性を一人にするのは如何と思う。

    『私は、勝彦さんのアパートに泊まります。』

    はぁ!?隣で爆弾発言をする田中さん。いやいやいや、人をあげられる部屋でないよ?掃除もしてな…。あ、はるなさんがいつ来てもと、掃除や…もろもろな妄想で準備ある…。いやいやいや、そういう問題ではない。

    「いやいやいや、た、田中さん?な、何を言っているのかな?猫を見たら帰るんじゃ?」

    『商店街とはいえ、横道は飲み屋と酔っ払いが多いですから…って事なので、泊まります。』

    「……。」

    『えっと、私はお弁当屋さんに仮眠室があるので大丈夫です。あはは、お二人の邪魔になってしまいましたね。すみません…。』

    はるなさんが、スッと勝手口を閉めようとする。その手を抑えて、

    「あの、はるなさん。仮眠室って二人分ありますか。田中さんを泊めてあげてください。大分、酔ってるみたいなので!」

    『酔ってない…。ヘタレ先輩…。』

    『あ…いや…。二人程度なら問題ないかと…。事情を話せばキヌさんもヨネさんも、良い人ですから。』

    「では、お願いします。田中さん、今日は泊めてもらいましょ!ね!ね!猫は明日の朝、迎えにきますから!」

    恋愛経験0の俺。ハードルが高すぎる、逃げ場があるならそれに越したことはない。好きな女性の前で、別の女性に告られる。そんな奇跡が俺にあるとは…モテキ怖い…。

    『えっと…田中さん?田中さん、どうぞお入りください。』

    ジト目で俺を見てくる田中さんを、はるなさんへ預けて勝手口を強引に閉めた。「ヘタレ先輩…」嵐の後に残された言葉は手に伝わるちくわの穴に良く似ていた。すっかり酔いもさめてしまった筈なのに、足が千鳥なのは告白の浮かれのせいか、状況に追いつけないせいか。猫たちの寝床、ちくわを置いても出てこない。そりゃそうか…草木も眠る丑三つ刻。俺の心は眠れそうもない。

    ~小さな弁当箱~

    翌朝、親と職場の緊急連絡網しかないスマホのアドレス帳から、田中さんへショートメールを送る。「おはよう。起きた?お弁当屋さんにいますか?」翌朝、猫達を見るとの約束だった。告白された後…いや…。彼女予定といわれただけで、付き合ってとも、好きですとも言われてないな?実は言葉解釈からの俺の間違いって事も…。でも、他の解釈の仕様もないような…。

    余計な考えをする時間もなく返信が届く。『今、はるなさんと一緒に、猫ちゃんにご飯あげてます。勝彦さん、ちくわあげてないでしょ?』

    返事が来た。確かにちくわを置いたままにして、別の動物がきても子猫たちが危険と考え回収してきたけど。あげてない訳ではない。
     …って、今は…え?はるなさんと一緒って、昨晩何があった?あの状態で二人にするって本来どうなんだろうか?いまさらながらに気になる。はるなさんに超迷惑を押し付けたような気もする。慌てて、顔を洗い雑に髪と髭を整え、アパートを出ると、すでに二人が門の前にいる。って当たり前か、そこが猫の寝床だし。

    『おはようございます。勝彦さん。昨晩は、サークル仲間がすみませんでした。それに、こんな素敵な彼女さんがいたなんて。猫ばかりじゃなくて、夏美ちゃんの事も大事にしてあげてくださいね。』

    …え。夏美ちゃん?彼女さん?どういうこと。一晩で何が起きたの。

    『勝彦さん…。と言う事で、職場の先輩になって、色々と教えてくれた時から気になっていて…今では大好きです。付き合ってください。』

    『夏美ちゃん!良くできました~。さぁ!勝彦さん…いえ、山本さん!どうしますか!?』

    「……」

    真っ白だ…人間、想像を超えた事象に遭うと案外は落ち着いてしまうのかもしれない。
     俺は、はるなさんの事が好きだ…。田中さんは職場の後輩、最近では俺たちにしかできない仕事もあって、班内のパートナーとしてしか見ていなかった。…いつから好きだったの?…あ、先輩として教えてきた時から気になっていたって言ったか。だったら、岩井さんは?あれだけ告白してたのに…好きな人いますって…俺の事だったのか…。正直言って嬉しい。
     だけど、俺の好きな人は、はるなさん…。田中さんは気にした事ない…。え…選択ミスしたらモテキ終了?モテキ時だけじゃない、職場も弁当屋へも行きづらくなる。人生の分岐!?突然!?なんの準備もしてないよ…。

    『…山本さん!男らしく行きましょう。しかたない人ですね。では一言。山本さんは、私にとって、特別な人…』

    「!?」
    『!?』

    『ですが…。恋愛対象外で特別という意味です。友達でもないし、知り合い程度かと言うとそうでもありません。猫とお弁当…まさに手作り弁当おばあちゃんの手で導かれた、特別な関係ですね。』

    …恋愛対象外…それだけで十分だ。思えば、はるなさんには多くの物をもらった。それは弁当屋の客として勝手に受け取っただけかもしれない。あの笑顔、交わした言葉、元気、翌日への活力。俺だけに向けられた物じゃない。店員として、はるなさんとしてのスタイルだっただけ…ただの幕の内弁当…。…優しい店員さんへの恋慕…よくある勘違い。
     ただ、猫たちが少しだけ、その立場を、考えを、勘違いへと迷い込ませた。親猫の愛情をさがす迷子の子猫のようだ。そして、その猫たちをたすける姿は、職場で教えたいた俺の姿、田中さんは教育義務の俺の姿を…スタイルを勘違いしているだけなのかもしれない。同じ穴の猫…。

    「田中さん…俺は…はるなさんが、好きだった。でも、今、恋愛対象外と言われてしまった。そして、なによりも今このタイミングで、俺を大好きだと言ってくれる、俺を真っ直ぐ見てくれる田中さんがいる。その気持ちに、俺もちゃんと向き合いたい」

    田中さんは強いな、この状況でも視線を外さない。でも猫って…愛情表現は瞬きして視線を外すことなんだよな…。だが俺は人間だ!

    「だから…俺も真剣に田中さんを見つめてみたい。お互い気持ちを知って向き合おう。俺で良ければ、よろしく頼む。」

    『ふぁ!良かったね夏美ちゃん!ね…勝彦、いえ、山本さんは真面目過ぎだって、お互い思っていた通りでしたね。』

    田中さんの外さない視線…だが、目じりには涙がたまっている。背中から肩に両手をおき喜びの声をかける、はるなさん。これを見る限り、弁当屋の店員スタイルでなく、本当に優しい人なのだと思う。俺は田中さんの手をとり軽く握る。

    『勝彦さん。お願いします。後輩でなく彼女して職場以外では見てくださいね。いや!職場でも、岩井さんから彼女として守ってください!』

    「げ!それは、怖いな…。あの人、レンチンした弁当なみに底が熱そうだから…」

    『にゃ~』足元では、いつまで待たせるのかと、子猫と親猫がちくわの催促に頭をこすりつけてくる。いつの間にかに、こんなにも距離感が近くなっていた猫たち…。俺たちもか…。

    ~かわるメニュー~

    翌週月曜日、俺たちは隠すことはないと、職場で付き合い始めたことを報告。岩井さんの視線は怖かったが、おつぼねの近藤局長が主催した祝い席では、岩井さんの視線は祝う視線に変わっていた。工場長と畑中係長は、二人が結婚したら同時に穴が開いてしまうと戦々恐々、人事に相談しているみたいだ。なんだかんだで、あの二人は、この小さい町工場を支えている。これから俺だけでなく夏美との二人の職場でもある、皆でしっかりと守っていきたい。

     守るといえば猫達だが、夏美は俺のアパートで一緒に住む頃には、商店街の猫カフェに引き取られていった。はるなさんは、お弁当屋さん猫カフェを掛け持ちバイトしている。俺を特別と言ったのはもう一つ、猫の知識が豊富そうなので、色々と話したかったからと言うのを聞いたのは、告白騒ぎの直後だった。また、あの池田屋事件の一件いらいサークルは脱退したとの事だ。夏美と寄付もかねてちょくちょくデートに利用している。
     お弁当屋、手作り弁当おばあちゃんの手のキヌ・ヨネおばあちゃんコンビは健在で、新しいバイトを雇っていた。いまでは平均年齢70近いお店として、地元のテレビ取材を受けている元気なおばあちゃん達。小さな町の小さなお弁当、温かいパセリは今日も一癖、好き嫌いされながらも周囲と調和している、そんな日替わり弁当のストーリー。

    ~そういえば、夏美はどこで俺を好きになったのかな…。まぁ、それは二人でゆっくり、新メニューのお弁当と猫を楽しみながら聞いていくとしよう。

    『ねぇねぇ、あなたぁ、お弁当のパセリって必要?』
    「もちろん!必要に決まってるだろ。」

    #創作大賞2026 #恋愛小説部門


     
     

    RISA

     
     
    田舎!稲作農家!婿! 田舎は静か? それは、幻想です。 静けさが好きな、アラフィフ。 今日も、頭の中なかは、かしましい。 文書にして、忘れちゃおう作戦で、note始めした。

    あなたへのおすすめ