
【そのハンコ、責任になります】~突然ISO9001管理責任者にされた係長、最初の60日~
◇◇あらすじ◇◇
「ハンコを押すだけ」のはずだった。突然ISO管理責任者に任命された係長・石川は、軽い気持ちで押した一印が、品質問題すべての責任を背負うものだと知る。現場と規格の矛盾、曖昧な組織の中で翻弄されながら、彼は“責任とは何か”を問われ続ける。やがてその手は、流されるためでなく、自ら選び取るためにハンコを握る。
◇◇
第一章:最初のハンコ
誰でも、確認もなく印を押すときくらいある。
あるよね?
私はね。
何気なく押したその印鑑が、
工場の品質問題すべての責任を背負う印になるなんて、
この時は、知る由もなかったんだ。
工場長「石川係長、パソコン得意だよね。
ISOの管理責任者をやってもらいたいんだ。」
え?
ISO…。
確か、
工場入口に“ISO9001認定“と
デカデカとした看板があった事を思い出した。
でも、意識したことなんて一度もない。
私「いきなり、管理責任者と言われましても、
何をするんですか?」
工場長「大丈夫。書類を確認して、ハンコ押して、
ファイルするだけだ。ちゃんと教えるし簡単だよ。」
…それくらいならできるかもしれない。
ふいに、言葉が漏れた。
私「工場長、それって手当つきます?」
工場長「あ~、手当か。社長に付けるように言っておくよ。」
なるほど。
つまり今までは、誰も手当をもらっていなかったわけだ。
私「わかりました。手当がつくなら、考えてみます。」
…軽い気持ちだった。
その日の夕方。
デスクのPCで検索をおこなう。
「ISO 管理責任者 とは?」
AIの説明が表示され…、
『「ISOの管理責任者(Management Representative)とは、
組織内でマネジメントシステムの運用、
管理を統括する実務上の責任者である。
システムの構築、維持、成果の報告をトップマネジメントに行う――』
…え?
…統括?…成果の報告?
いやいや、トップマネジメントってなんだよ?
社長のことかなのか?
私は画面をスクロールする手を止めた。
『書類にハンコを押すだけ、じゃないのか?』
不安が一気に広がる。
しかし、自分の不安より先に、事が起きた。
専務理事「石川係長。
これ、品質マニュアルね。」
突然の背後からの声に、
背筋が伸びる。
机に積まれた、
極厚のファイル2冊。
専務理事「工場長から聞いたよ、
管理責任者やってくれるんだって?
うんうん。 向上心があって、良いね。
でも、最初から手当を持ち出すのは、どうかと思うな。
先ずは、しっかり覚えて。
成果で評価はするから、うん。」
私「え?え?まだ、引き受けるとは…
それに、成果と評価って、
業務が増えるのですから、手当ては欲しいですよ。」
混乱を抑え込み、
重要な所は、しっかりと伝える。
専務理事「ほう、要求事項は言う。
まぁ、最近の者はと言いたい所だけど、
言うことを言えるのは、ISOとしても素晴らしい。
さすが工場長の推薦だ。
手当の件はわかった。
私からも社長へ話しておく。
そのかわり、しっかり頼むぞ。」
と、
一陣の嵐がすぎ。
デスクには、
2冊のファイルが鎮座していた…
私「えっと…。この厚み…月刊の漫画かな?」
放心状態で、
威圧感の1冊目のファイルを開く。
『ISO(JIS)9001 品質マニュアル』
私「…。」
言葉がでない。
数枚ページをめくると、見慣れない単語が襲い掛かる。
『利害関係者?…リスク?…なんなんだこれは、意味がわからない。』
これって、係長レベルの話じゃないよね?
「キ~ン、コ~ン、カ~ン、コ~ン。」
終業の鐘が工場内に響く。
それは、
私の残業の日々を始まり告げる鐘となった。
◇◇
品質マニュアルを受取り、1週間が過ぎる、
厚すぎるそれは、中を見る気を、根こそぎ奪い去る。
事務所には
「お疲れ様でした~」「お先失礼します」など、数人の声が響く。
私「お疲れ様…」
感情のこもらない、言葉をかえしつつ、逃避行動をとる。
検索サイトのAIモードを開き、
『ISO9001の管理責任者が最初にやることは?』
AIは、今の私と同じ感情であろう回答を返す。
・品質マニュアルを読む。
最新版と改訂履歴、品質方針・目標、組織図と責任権限・年度計画の確認
内部監査、次回審査予定、マネジメントレビュー
・記録の確認
前回審査の指摘と是正、内部監査の実施記録、
・教育資料で基礎を学ぶ
前任者からの引継ぎや、eラーニングなど、
「うん!ダメだ!断ろう!」
RPGの呪文スキルかよ!と、突っ込みたくなる。
パタンと品質マニュアルとノートPCを閉じた。
だが、その音と合わせて、
頭の片隅に残る単語もあった。
『前回審査の指摘と是正』
……そういえば、
前回審査っていつだったんだ?もし、未完了があったら…
…私の責任か?怖っ!
断るにしても万が一もある、
“今どれだけ危険か”くらいは、知っておくべきじゃないか?
私は、再び品質マニュアルを開いた。
最新版、改訂履歴。
改訂は3年前で止まっている。
そして、マニュアルの改訂履歴に、求める答えはなかった。
「なんだよ…何を見ればいいのかすら分からない。」
肩を落とし断るついでに、
工場長にそれとなく、聞いてみよう。
口に含んだ冷めたコーヒーが、やたらに苦く感じた。
「帰ろう…」
極厚の品質ファイルを鞄にしまいこみ、
退勤の準備を始めた。
◇◇
翌日、いつもよりも早い出勤。
既に、コーヒーに湯気はない。
来た!
工場長が自席で上着抜くタイミング。
一瞬の間をつく。
私「工場長おはようございます。あの…ISOの件なのですが、
前回の審査って、いつ頃に行われたのですか?」
工場長「おぉ、おはよう。なんだ、もう始めたのか。
えらいな。前回の監査は3か月前だ。
まぁ、審査対象は、課長以上だから、
石川係長は、知らなくても仕方がない。そうだ、丁度いい…。」
工場長が自身の机の引き出しから、
4~5枚の用紙を取り出した。
嫌な予感しかしない。
失策だ、
先に断ることを伝えればよかった。
工場長「これ、前回の審査の結果だ。管理責任者として、を通して、
ハンコ押したら、そこの棚のファイルに閉じておいてくれ。」
いやいやいや!
受け取ったら、終わるやつ。
私「すみません。
ISOの件は、なかった事にしてください。
昨日、少し調べましたが、初めての単語ばかりで、
正直自信がありません。」
工場長の眉がピクリと吊りあがる。
ヤバ、言い方まずったかな。
刹那の心配は杞憂な言葉をかけられる。
工場長「やっぱり、見込みあるな。
自分から調べていたとは。それなら、大丈夫。」
いやいや、マニュアルは開いてないし。
検索、最初のワードで、折れました。
ハイ、すいません。
工場長「これから、ゆっくり引き継ぐからな、
それで、ダメなら改めて考えろ。な…。これは、チャンスだぞ。」
チャンスなのか?
ピンチにしかみえない状況で、
前回の審査結果用紙を、胸の前に突き出された。
工場長「とりあえず、ハンコをおして、
そこのファイル綴じる。簡単だろ?」
私「はぁ…」
渋々とした表情と行動で書類を受け取り、
胸ポケットから取り出したハンコで『印』をおした。
4~5枚の用紙が、やたらに硬く重く感じる。
なんとか、ファイリングし棚に収める。
いつもの、作業報告書程度の気持ちで押した印。
押してしまった。
その欄は、『管理責任者』
管理責任者を振られて1週間。
この時、印の重みなど、私にはまったくなかった。
これが、沼への入口の契約印になるとは…
◇◇
第二章:ハンコの代償
承認印の向こう側
あの最初のハンコから、さらに1週間…
…私が見た事もない書類たちに、
内容もそぞろに印のみが、足跡をのこしては、
それっぽい、背表紙のファイルに綴じ込まれていく。
綴じた用紙の枚数に比例して、
カラカラに乾く唇、その渇きが
シワを深くしていった。
生産部長「よう、係長どうした。
つかれた顔して!デスクワークしすぎて肩こりか?
ほら、これ。設備異常報告な。
いつものとこ入れといて。
ほんと、ISOめんどくせー。
とりま修理して動いてんだから、それでいいと思わね?」
この男、生産部長である。
進学高校を『入学まではしてやった』と、親に言い放ち。
半年で辞めて入社してきた。自頭が良く現場たたき上げで、
工場内の作業なら一通りなんでもこなす技術畑の男。
ただ、パソコンや書類業務は毛嫌いをするのでからっきしだ。
デスクに投げ込まれた用紙は、
ミミズがワルツでもしているかのような、
解読に時間を要する報告書。『設備修復記録』
私「ですよね。俺たちは機械動かして、なんぼっすよね。」
本心だった。
生産部長「だろ!まぁ、管理者が工場長から、
石川に代わって、良かったわ~。じゃぁ、後、よろしく!」
最高の笑みと一緒に置かれた、
未開封の缶コーヒー。
え!?何を!?
聞き返すまもなく、足早に消えていった。
とりあえず、出された『設備修復記録』の用紙、
右上のぽっかりとあいた枠。管理責任者に印を押す。
やれやれ…
置かれた缶コーヒーを開ける。
『カシュッ』その音に合わせて、
脳内に生産部長の言葉がフラッシュバックした。
『工場長から、石川に代わって、良かったわ~』
ゴクリと大量のコーヒーが、やたら大きく喉ならす。
不安を打ち消そうと、
私は席を立ち足早に、かの者を訪ねる。
私「あの、工場長。これ、生産部長から提出されました。
とりあえず、印は押したので、確認だけでも、お願いします。」
工場長「どれどれ…。
あ~、やりなおしだな。要求事項みたしてない。」
私「要求事項?」
工場長「うん。今回は、設備不具合からの、不具合品を出しての修繕だろ。
不良品の報告書と合わせて提出しないとね…
ちゃんとマニュアル通りやらせてね。
石川係長。いや…、管理責任者さん。」
は?
いやいや、俺、そんなの気づけないよ?
え?
印おしたら、見逃しは俺の責任なの?…なのか?
なんだよ、生産部長!ちゃんとやれよ!
まさか、
俺だからって知っていて、適当こいたとかじゃないよな。
私「わかりました、差し戻しておきます。」
足早に退室。歩く速度が自然とあがる。
ちょっと待て、まさか、この2週間の書類の山にも、
似たような案件が、あったんじゃないか?
回収して、調べるしかない…
気付けば小走りになっていた。
◇◇
保管棚の前に立ち、この2週間で通してしまった書類。
1枚1枚に目を通す。
知識もマニュアルも必要なんてなかった、
意識すれば一目瞭然。
空欄や日付の未記載が、今更ながら目に止まる。
1枚目。不具合品の対応記録なし。
2枚目。是正処置の記載が曖昧。
3枚目。確認印なし。
4枚目…
承認は管理責任者。
そして、そこには俺のハンコ。
私「管理責任者って…」
事務所の灯りは、もはや、俺の頭上だけになっていた。
積み上げた、ブラックコーヒーの空き缶は、
月刊漫画のようなマニュアルに、影を差す。
これ、責任の重さでいったら、カロリー足りなくないか?
係長の仕事…責任範囲超えてるだろ、これ!
時計を見れば、印の日付が、
すでに“昨日”になる位置だった。
私「やば、気持ち悪い、帰ろう…」
足取りは重く、まっすぐ帰る気になれない。
不安で持ち出した、品質マニュアル上巻が、
疲れ目からきた肩こりに、さらに重みを加える。
目と肩に手をおくと、なんだか、無性に腹が減った。
私「腹が減った、飯でも食うか…」
午前様、空いている店は少ない。
安くて、酒も飲める、
イタリアン系のファミレス。
デキャンタの赤、それも大。
あと、チョリソーと、ピザを頼んだ。
薄いメニューを閉じる。
『ドン。』
と、机をならしたのは、片づけたメニュー…ではなく、
月刊漫画…でもなく、品質マニュアル。
私「おまえが、ビジネス本じゃなくて、
異世界物の月刊漫画なら、楽しく読めるだろうに。
いや、ある意味。これは異世界だな…。」
店員『ぷっ…あ、赤ワインです。』
ふいに射しこんだ人影から、破裂音が聞こえた。
どうやら、聞かれてしまったらしい。
私「あ、ありがとうございます。」
置かれたデキャンタから、
透き通る赤をグラスに移し、一気に飲み干した。
私「ワインの飲み方じゃねぇな…」
左手にデキャンタから追加したワインを持ち、
おもむろにマニュアルを開く。
えっと…
『8-4.生産プロセスと生産記録は「R16.作業指示書」を
用いらなければならない。記録は作業者、または、
指示を受けたものが、指示書の要求事項に合わせて、
「Y7.QC表」に基づき出来栄えを確認する。
記録された用紙は、生産課長が確認し、生産部長が承認と保管を行う。』
いつも、何気なくやっていた生産と報告。
読み返せば、マニュアルに記載されていた行動だと気づく。
私「なんだよ、普段やっているやつじゃん!」
思わず声が漏れる。
店員「ぷぷっ、あ…すみません…」
また聞かれた…私、独り言増えたな…
店員「チョリソーお待たせしました。
こちら、ピザです。以上でおそろいでしょうか…
ご精が出ますね、お疲れ様です。」
私「いえいえ、声が出てしまい、すみません。」
体が熱いのは、
一気に飲み干したワインだけのせいだと思いたい。
その後も、
チョリソーとピザをつまみながら、
品質マニュアルをペラペラと、
指でつまみ上げた数枚をめくりながら、眺めていった。
「あ…。汚しちゃったよ…」
ピザソースの赤が、指の跡を残す。
マニュアルの右上に付いたそれは、
管理責任者印の位置とダブって見えた。
◇
翌日、工場長に許可をとり、
一日、品質マニュアルと向き合う時間を確保した。
「厚すぎだよ。」
昨晩。
シャワーで思考と酔いを醒まし思いにいたる。
とりあえず、やる事に埋もれる前に、
全てを見ておく必要があると判断した。
品質マニュアルを、
トイレも、
昼食も、
小休止も挟まずに、読み流していく。
理解はあとでいい…
上巻を読み終えた時に、
少し、思考に隙間ができた。
「この、マニュアル…同じこと書き過ぎじゃね?」
昨晩のファミレスでも、少し引っかかってはいた。
『8-4.生産プロセスと生産記録は「R16.作業指示書」を
用いらなければならない。
記録は作業者、または、指示を受けたものが、
指示書の要求事項に合わせて、「Y7.QC表」に基づき、
材長は0~1㎜、巾、0~0.5㎜、
寸法はコンマ3まで記録し、出来栄えを確認する。
記録された用紙は、生産課長が確認し、生産部長が承認と保管を行う。』
この文書…、
全く同じ書き方で、『8-1.生産計画』にあった。
『8-1.生産計画生産計画は「R16.作業指示書」を
用いらなければならない。計画は生産部長が行う。
指示書は要求事項に合わせて、「Y7.QC表」に基づき
材長は0~1㎜、巾、0~0.5㎜、寸法はコンマ3まで指示する。
出来栄えの確認欄をもうけなくてはならない。
生産課長が確認し、生産部長が承認と保管を行う。』
溜息が漏れる。
「誰だよ、これ作ったの…そりゃ、厚くもなるわ。」
半分を読み、
もう一つ気になる所が生まれた。
「…しなければならない。…する。
…するものとする。…望ましい。」
語尾のニュアンスが色々だ。
全部「…する」でいいだろ…これ?
違和感…
それとも、意味があるのか…
『ガチャリ』
突然、扉が開く音がする。
専務理事「石川君。頑張っているね。
工場長に、今日は、一日ここだと聞いてな様子を見に来た。
手当を付けても、社長や周囲に文句を言わせないよう、しっかり頼むよ。」
微かに感じていた違和感が吹き飛ぶ。
『手当!忘れていた!
そうだよ、こんな面倒な事、ただでやっていられるか!』
と言うシャウトが、心の防音室でこだました。
心の声が吸音されると、先ほどの違和感が戻ってくる。
私「はい…頑張ります。
専務、一つ伺ってもよろしいですか?
ISOの品質マニュアルなのですが…。
なんで語尾の言い回しが、統一されていないのでしょうか?」
専務理事の表情が緩む。
専務理事「ほう、気付くのか。たいへん結構、
センスがあるな、石川君は!」
ニマニマと、
笑みを浮かべる専務理事。
誰特にもならない、笑顔だ。
専務理事「それは、要求事項からだ。」
工場長に続いて、
また、要求事項かよ。誰の要求だよ…
私「……要求事項、ですか。」
専務理事「“しなければならない”は、規格が求める絶対要求。
“するものとする”は、規格要求に対し、社内で決めた責任。
“望ましい”は、そうだな努力義務といった所か。」
晴天の霹靂。
一度は使ってみたい言葉ランキングに入るだろう。
まさに今…
一瞬で、言葉の重さが変わった気がした。
“望ましい”は、やらなくてもいいのか?
いや、やらなかった時の責任は誰が負う?
いや、そもそも「規格の要求」ってなんだ。
規格は品質マニュアルじゃないのか?
専務理事「難しいか?
ISO9001から、求められる要求事項に合わせて、
実行の責任と義務の重さが変わると言うことだ。」
頭の中で、
暗幕が一枚剥がれた。
私「その、ISO9001の要求事項ってなんですか?」
専務理事「なんだ、そこからか?
前管理責任者…、工場長から渡されていないのか?
品質マニュアルを読むのも良いが、
理解の基本は、ISO9001の規格要求事項を知る事だ。」
専務理事が腕組みした指をたたく。
専務理事「工場長…丸投げすぎだろう、毎度毎度まったく…」
この2週間と、近日のガリ勉中の疑問。
暗中模索、五里霧中、まさに、光明を得た瞬間だった。
私「その…ISO9001の要求事項って、どこにあるんですか?」
事務所の隅。
大量の資料が保管された棚に、専務理事の手が伸びる。
専務理事「規格要求書だ。正式な規格だよ。」
それは規格…。
マニュアルの“元”になるもの。
その姿は薄い…どうして、その薄い本が、
月刊漫画の厚みを生み出すのか…。
私「……それを、見せてください。」
それを言葉にした瞬間、
自分で自分の逃げ道を塞いだ事に気づくのは、
もう少し先の事…。
ISO規格要求事項が
手渡されたと同時に言葉が下りる。
専務理事「君は、最初に“手当は付きますか”と聞いた。」
私「……はい。」
専務理事「あれはな、立派な要求事項だ。」
私「要求……?」
専務理事「要求するということは、
責任の範囲を確認するということだ。
責任を口にした人間に、責任は任せられる…と私は信じている。
…責任を曖昧にしない。それがISOだ。」
自然と、受け取った薄い規格書に力が入る。
専務理事「まぁ、手当は期待してくれていい。
見せてくれた行動には答えられるよう、コチラも努めよう。
それが、私の責任というわけだな!わはは!」
重い言葉と行動が反比例するよう、
片手を肩越しにヒラヒラと専務理事は部屋を出ていった。
退出間際に『工場長には、一言いってやらんとな…』
つぶやいた、それには専務理事としての責任が垣間見えた。
◇
一人、残された事務所。「ISO9001規格要求事項」
品質マニュアルの読み込みをいったん辞め、
規格書に向かい合う事を決断した。
溜まった通常業務を処理し、
確認・承認の印を待つ書類たちを無視。
夢で書類たちに「ハンコ・ハンコ~」と、
追いまわされる悪夢に襲われたり、管理責任者の話から4週間。
初めて、
しっかりと「ISO9001規格要求事項」と向き合う。
1枚ページをめくると、目次がかかれている。
普段、漫画や雑誌以外なんて、読まない。
目次に書かれる項番。
1、2、3…
最後の行には10.改善。
2ページ目…え?
これだけ?
目次を意識したのは、人生初かもしれないな。
ふと、緊張が溶けた。
1.適用範囲、2.引用規格…覚えている。
確か…品質マニュアルも、これから始まっていた。
読み込んだ品質マニュアルも無駄にはなっていない。
3.用語及び定義は、なるほど、専門用語とかを説明しているのか。
確かこれも品質マニュアルの順番通りだな。
単語だけで、20ページあったけど…。
項番3までを読み終えた時にもった感想は今もはっきりとしている。
『あ~、1から3はISO9001の本体への説明なのね』
そう、知りたかった要求事項は、項番4からが本番であり、
そこからが、自問自答の始まりとなった。
◇◇
第三章:要求事項。
まず私が手掛けたのは、
品質マネジメントシステム-要求事項-JI Q 9001:2015の入手。
そして、
昨年の外部監査と内部監査の結果報告書への照合を行った。
~外部監査の指摘事項軽不適合~
トップマネジメント5.1.2顧客重視
「トップマネジメントによる、方針策定において、
リスク及び機会はあるが、明確とは言い難く、
決定と取り組みに課題がみられる。」
生産部7.2力量
「生産部門において、作業内容や機械設備の項目別けは、
明確だが、扱える者たちの力量及び、有効性の評価が、不明瞭である。」
なるほど。不適合判断はこの2点か、あと2点は、良い所と観察事項。
たしか、不適合は、是正対応要求が出ていたはず。
私は、工場長の所へ駆け込む。
私「工場長、前回の外部監査の是正対応と報告書をください。」
工場長「ないよ。」
こころなしか、工場長が不機嫌に思える。
私「え?ないって、どういうことですか。」
工場長「軽度の不適合だからね、
次回監査までに直しておけば大丈夫なんだよ。
だから、優秀な石川係長よろしくね。専務理事にでもきいてね。」
は!?そんなのありか?私がやるの。
っていうか、なんで専務理事?
あ…思い当たる節がある…。
『理不尽。』
そんな言葉を飲み込み、しかたなく部屋を後にする。
改めて監査指摘事項と、
マネジメントシステム要求事項を確認する。
5.1.2顧客重視
トップマネジメントは、次の事項を確実にすることによって、
顧客重視に関するリーダーシップ及びコミットメントを
実証しなければならない。
なるほど。
専務の説明によれば、『しなければならい』絶対要求か。
次の事項のリスク及び機会、これか?
C)製品及びサービスの適合並びに顧客満足を
向上させる能力に影響を与え得る、
リスク及び機会を決定し、取り組んでいる。
それで不適合は、『リスク及び機会はあるが、
明確とは言い難く、決定と取り組みに課題』があると。
うちの品質マニュアルではどうだったかな。
月刊漫画ばりの厚みがあるマニュアルを手にする。
えっと…。『5.リーダーシップ』
うちの品質マニュアルが辛うじて、
品質マネジメント要求事項と項番が一致しているのは助かったな。
ここか?
5.1.2顧客重視トップマネジメントは、
顧客要求事項や適用される法令・規則要求事項を
専門書中小企業の法令全集などを用いてわかるようにし、
従業員へ理解させ、一貫してそれを満たす環境をつくる。
また、
製品やサービスの提供において、正しい製品及びサービスとし、
顧客満足を向上させる能力に影響する。リスクや機会を、
年度方針を通じて発表し、顧客満足向上の重視を維持する。
なげぇ。
え?どういこと?
私は、
品質マニュアルと品質マネジメントシステム要求事項をすり合わせる。
数度、両の人差し指が文書をなぞる…。
そういうことか、
要求事項の全容とa).b).c)を、一文でまとめているんだな。
それで、不適合はC)の部分で、リスク及び機会が明確でないと。
で、うちは年度方針で発表していると。
なにが、ダメなんだろ?
年度方針で発表しているし明確じゃね?
AIで確認してみる。
明確とは?
『物事の内容や状態がはっきりしていて、疑う余地がないこと』
要するに、はっきりしてなくて、疑われたってことか。
確かに、いわれてみれば、年度方針なんて覚えていないしな。
生産目標なら、毎月掲示板に出ているけど。
あぁ…そういう事か。
発表に合わせて、取り組みも示せと。
専務理事へ内線をいれる。
私「お疲れ様です。石川です。今、お時間よろしいでしょうか」
専務理事「大丈夫だ。どうした。」
私「ISOの顧客重視の所です。リスク及び機会の決定と取り組みで、
軽不適合の外部監査が出ています。
今後の改善について、お聞きしたいのですが。」
…しばしの沈黙。
専務理事「それなら、既に工場長。前管理責任者に渡してあるが、
引継ぎされていないのか?…まったく。」
あっ…地雷案件だ…。
私「そうなのですか…。なんか…工場長機嫌悪そうで…。
そうであれば、言いにくいですね…。」
思わず、
先ほどの理不尽な対応から愚痴をこぼしてしまった。
電話口からため息が漏れ聞こえた後。
専務理事「半分は私が原因か。だが、言い難いで責任を放棄すれば、
規則も組織も崩壊する。石川係長は要求事項を満たす責任がある…。」
ここでも理不尽!言葉の意味は分かる。
だけど、それを私が処理するのか?
そもそも最近は、今までの業務にも欠席気味で、
生産部長からも嫌味を言われているのに…
工場長と生産部長に嫌われたら、
生産部係長の私なんて、蛇に睨まれたカエル。
いや、既に捕食された様な者じゃないか。
私「あの…。
係長の立場で、非常に言い難いのですが…」
専務理事「係長と同時に、管理責任者だろ。
管理責任者として伝えるんだよ。」
簡単に言ってくれる。
あなたとは、立場が違うのだよ。
専務理事の管理責任者と、係長の管理責任者。
全然違うってわからないかな~。
専務理事「…黙っていても、言いたい事は聞こえてるぞ。
正念場だ、超えて見せてくれ。」
理不尽、不条理、無責任…そんな言葉が頭をめぐる。
私「…はい…」
力なく、受話器をおく。
◇◇
蠟燭の炎はか細い。
わずかな風が、その身を煽りふいに消えてしまう。
今、私の心には一本の煙が漂う。
定時で切り上げる。
イタリアン系のファミレス。
デキャンタの赤、それも大。
あと、チョリソーと、ピザを頼む。
2週間前の同じ…
心境も同じ…
私「やっぱ無理だよな…居づらいし辞めちゃおうかな…」
『えっ!…あ、赤ワインです。』と、
聞き覚えのある声。独り言聞かれた店員さんだった。
また、独り言を聞かれてしまった。
ワインを飲む前から、体が熱くなる。
店員『大変そうですね。
この間も、月刊漫画みたいな書類開いていましたもんね』
私「っつ!月刊漫画…クスクス」
同じ価値観に、思わず笑いが漏れた。
店員「あぁ、笑いましたね。変な例えでスミマセン!
どうぞ、ごゆっくり!」
私「あ!あ!違うんです。私も、同じ例えをしたものでつい…。
本当、月刊漫画ですよね。洒落になりませんよ。
あんなもん、楽しく読めるかって感じで、
…それで、辞めちゃおうかな…って。」
慌てて声を掛け、言い訳を並べる、
つらつらと並べた言葉の最後には本音も漏れてしまっていた。
店員『あ…こちらこそ、スミマセンでした。
お客様のプライベートに声を掛けるなんて、ルール違反でした。
店長に怒られてしまいますね。」
誰でも怒られたり、
不機嫌な態度は嫌だよな。怖いよな。
私「いえ。店員さんの声で気が楽になっていますよ。
ある意味で、顧客満足度の向上に貢献していますよ。」
ふいに覚えたてのセリフ。
規格要求事項5リーダーシップにあった。
要求事項が言葉になった。
店員「なんですかそれ。ふふ。満足して頂けて嬉しいです。
あ…店長みているので、行きますね。
どうぞ、ごゆっくり。」
店員の背を追うと、厨房出入り口で、小言を言われている。
余計なお世話かもしれない…でも、放ってはおけない。
私「あの、スミマセン。引き留めたのは私なんです。
彼女を叱らないでください。スミマセン…」
店長「え?あぁ…いえ。大丈夫です。
そのナンパとかではないのですよね。」
え!?ナンパ!?そんな甲斐性ある訳ないじゃん!
私「な…ナンパ。ち、違います。」
くぅ、かっこ悪い片言になっちゃたよ。
店長「でしたら問題ありません。
お客様とこいになりすぎて、ストーカーなどもありますし、
店員を守るの店長の仕事なんですよ。
その為のマニュアルだったり、ルールだったりと…
本当は私も、叱りたくないのですがね。立場といいますか…
店員と仲が良いお客が増えた方が、
売り上げもクレームも減りますし…しかし…
おっと、立お客様にする話ではなかったですね。
失礼しました、どうぞ、ごゆっくり…」
店員さんも、目をパチクリとさせて店長をみている。
ただ怒られていたのではなく、
自分たちの為という言葉に、私と同じ衝撃を受けたに違いない。
席に戻り、ワインを煽る。
『マニュアル、ルールは怒るためにあるのではない、
その場、その人を守るため…』私の立場は…
仲が良い方が、伸びるものがある。
「しかし…その後に続く言葉はなんだろう…」
店員「ぷぷっ、また、声もれていますよ。」
いや、なんでいつも、
このタイミングで、狙ってないかい。
店員「チョリソーお待たせしました。
こちら、ピザです。以上でおそろいでしょうか。
先ほどは、ありがとうございました。
店長の本音も聞けました。」
置かれたチョリソーの皿、
2本多い。
私「あの、本数が?」
店員「店長からのお詫びとサービスだそうです。
“顧客満足度の評価”ありがとうございます。
だそうです。」
そっか、確かISO9001品質の対象は、製品及びサービス。
おそらく、この店もISOを取得しているのかもしれない。
私「ありがとうございます。
あの…店長さんに言伝をお願いしてもいいですか?」
店員「なんですか?まさか…ナンパですか?」
店員さんが悪戯的な笑みを浮かべている。
私「違います。さっきの話…“しかし…”。
売り上げ向上、クレーム減のメリットを切ってまで、
マニュアルを優先した理由を教えて欲しいって…」
店員「わかりました。
マニュアル優先の理由ですね。伝えておきますね。」
店員に礼を言い、サービスしたチョリソーにかぶりつく。
辛い。
いつもより、更に体が熱いのは、
ワインが回ったか、チョリソーの辛さか。
ピザにもタップリのタバスコをかけて、
恥ずかしさを紛らわした。
清算。店長が現れる。
店長「ご利用ありがとうございます。
聞きました、しかしの続きですね。
“この店の管理責任者なので感情は外に置いて、
一線は守り、守らせる責任。義務と権利がある“です。
本音は、仲良くやればいいんじゃないの?ですがね。
“なあなあ”で済ませない立場のつらさですね。
おかげで、店員たちには嫌われ事もありますが。
お役に立てましたかね。またのお越しをお待ちしております。」
専務理事の言葉。『係長と同時に、管理責任者だろ。
管理責任者として伝えるんだよ。』
店長さんの言葉『感情は外に置いて、一線は守る』
私はどうする…
店長の言葉を聞き、
精算機で会計をしながら、めぐる思考。
店員「あ!ありがとうございました。
月刊漫画の読破!頑張って下さいね!」
店長「こら、お客様のプライベートに!また!」
私「あは、あはは、ははは。」
思わず腹を抱えた。こんな元気づけあるかよ。
よし、やるだけやってみるか。
どうせ、辞めちゃうかなんて考えたんだ。
いやなら、辞めればいい。
管理責任者も会社も。
会社を、従業員を守るための規則やルール。
感情で守れない会社、組織なんて、
こちらから願い下げだ。
◇◇
第四章:スタート地点
翌朝、朝礼前。
ここ数日の日課、
缶コーヒーとマニュアルの準備。
そこへ、
工場長「石川係長。今日から通常業務へ戻るように。」
私「…わかりました」
なんだよ。まだ、不機嫌かよ…。
自分で管理責任者を振ってきたくせに…。
私「わかりました。
工場長、監査要求事項への回答書がお手元にあるかと思うですが。
管理責任者への提出は、いつ頃のご予定でしょうか?」
工場長の表情が固まる。
工場長「なんの回答書だって、誰にいっているんだ。」
くっ、負けるかよ。
私「はい、前管理責任者の工場長に、
監査要求事項への回答書が回っていると伺いました。
現管理責任者の業務として、まっとうしなければなりません。
本日から、通常業務より通常業務に戻りますが、
工場長と生産部長の責任と権限において、
私に、ISO管理責任者としての業務時間を
割り当てて欲しいのですが、お願いします」
言ってやった。最大限に譲歩して言ってやった。
駄目なら、覚悟はできてる。
工場長「……、分かった…。
今週中には回答書を、石川管理責任者に提出しよう。
そして、石川係長が来週からは管理責任者として業務を、
毎日2時間確保させるよう、生産部長へ指示を出そう…
これでいいか…」
なんだかんだ言っても工場長だ。
そして、全管理責任者でもある。
苦労は身にしてみているようだ…
私「ありがとうございます。
分からないことが出ましたら、また、助けて下さい。」
工場長「…専務じゃないのか?」
私「はい。前管理責任者の工場長から教えて欲しいです。
専務理事には、トップマネジメントあたりの義務と権利を
お伺いしたまでです…」
そうなのだ…
別に、疑問をはじめから専務理事に頼っていた訳ではない。
たまたま、タイミングが重なっただけなのだ。
でも…
これがルール、そして立場。
立場を飛び越えた質疑応答は、組織を崩す。
感情云々じゃない、聞きやすいタイミングだと、
専務理事に教育を求めた、私のミスだ…。
工場長「すっかり、管理責任者だな。
やっぱり、石川係長を推薦しておいて良かったよ。」
いつもの表情だ。
私「ありがとうございます。」
もう、辞めるなんて言えないな。
腹をくくるか。
◇
そして朝礼。
朝礼前に、工場長と生産部長が打ち合わせをしている。
おそらくは私の事だろう…
ちらちらと、生産部長の視線が飛ぶ。
表情を伺うことはもうしない。
自分の立場と責任、そして権利を遂行するまでだ…
スピーカーからは、ラジオ体操の曲が響く。
朝礼が始まる。
頭をほぐすために、十分に体を動かす。
そして報告事項へ。
生産部長「本日から、石川係長がシフトに戻るが、
来週より10時までは、ISO管理責任者として、動いてもらう。
課長は、係長のチームと相談し変更シフトを組んで報告。
引継ぎ、説明事項は今週中に済ませるように。質疑は…
なければ以上。
本日も、0災!指さし呼称で安全確認!」
『指さし呼称で安全確認!』
それぞれが、チームに分かれる。
生産部長「という事で。みんな頼むな。」
私「皆さん、よろしくお願いします。」
頭を下げる。私がシフトから外れれば、
誰かに負担が行く当然だ…
作業員「あの…業務増えるんですよね?
新しいことも覚えるんですよね?
それって、査定変わります?お給料は?」
『あ…。そっか、私も変わるけど、他も変わるのか。』
自分の手当ばかり考えていた。
生産部長「それは、ISOの力量管理表で明確化される。
今回の指摘事項だったから、改善済みだ安心するといい。
なぁ、石川管理責任者。」
私「あ!はい!確かに今回の外部監査指摘事項でした。
明確化と力量評価の有効性の改善要求があります。
確認と有効性評価はまだですが、
来週からお時間をいただけるので随時確認します。
すみません。」
生産部長「と言う訳で、みんなの評価が適切かどうかは、
石川管理責任者が十分に動けるかにかかっている。
皆で助け合おう。厳しい所は課長を通して報告、相談してくれ。」
…やっぱり。生産部長も生産部長だ…工場長と同じで立場や、
やることを把握している…
だったら、なぜ?
監査で指摘事項になったり、書類の不備を発生させるんだ?
いつもやっている事じゃないか…
それとも、マニュアルに問題があるのか…
…二人とも、気分屋でいい加減…
そんな理由だったどうしよういう、
不安は無理やり打ち消し持ち場に入る。
作業指示書。
そう言えば、これにも各作業者の確認印やら記録がある。
これも、品質マニュアルにあるのだろうか?
毎日、作業指示書を受け取り、
漫然と作業記録を行っていた。
流石に生産量報告をごまかしたことはないが、
不良品報告…理由を書くのが面倒で、
いつも、同じ理由にしていた…。
やることが増えるなら査定を良くして欲しい、
出来ることが増えたのなら、給与を上げて欲しい。
欲しい、欲しい…要求事項。
じゃぁ、作業者の義務ってなんだ。
生産部だから物を作ることか。
生産部長の言葉『とりま修理して動いてんだから、それでいいと思わね?』
私の相槌「ですよね。俺たちは機械動かして、なんぼっすよね。」そして、
提出された書類『設備修復記録』はやり直し。
工場長の言っていた理由は『うん。今回は、設備不具合からの、
不具合品を出しての修繕だろ。』あの時の不良品報告、理由は何だった。
私はいつも同じ理由。
機械の動作不良。
え?でも、修繕したんだよな。修繕したって事は、
やっぱり設備不具合だったのか。
でも、不良品記録は提出されていなくて、書類差し戻し。
じゃぁ、どの不良品だったんだ。
紐づけできない。
自分の過去の記録とその意識に冷や汗がでる。
『ガシャン』激しい音とともに、指先が熱くなる。
え…。あ…。冷や汗が脂汗へと変わる。
熱くなる自分の指先を視認したとたん、激痛が襲う。
「痛って!」機械に挟まれた指を引き抜き、
その場に、へたり込む。
作業者「係長!大丈夫ですか!誰か!」
ラインが停止する。自分の不注意で。
迷惑をかけてしまう。
私「大丈夫…対し事じゃないから、作業に戻って。」
作業者「軍手!血が滲んでいるじゃないですか!
医務室行きましょう。自分、付き添いますから。」
私「大丈夫…。一人で行けるよ。幸い、動くし。
潰れたわけでも、切断されたわけでもなさそうだ…。
それより、課長と部長へ報告しておいて…。
機械動作の不具合かも…。
心配する作業者へ、報告をお願いした。別の事を考えていたとしても、
長年使ってきた機械だ。今更、操作方法でのミスではない。
あのタイミングなら、固定ボルトが折れたか、何かのハズだ…。
毎月の整備点検表…。
あ…私…ちゃんと確認して印押していたかな…。
動作確認…、ボルトの緩み…。
痛む指先で、思考がぐるぐると定まらない。
医務室で事務員さんが対応してくれる。
軍手をとると、爪が真っ二つ割れていた。
事務員「ひっ。だ、大丈夫ですか?病院行きます?」
ズキズキと熱をもつ指。ただ、ケガの内容がわかり少し安堵した。
私「痛むけど、根元まで割れてないし大丈夫だと思う。」
事務員「そうですか。消毒しますね…かなり、痛いとおもいますけど…」
私「ひと思いにやってくれ。」
事務員が消毒液を、指先に垂らす。
「ぐぅ~」背骨の隙間が逆ぞりしそうな痛み。
白い泡がでる、消毒の証拠だが、気泡一つ一つが針に見える。
ガーゼでふき取り、バンドエイドを施す。
左の薬指。
聞き手じゃないのは、不幸中の幸いだった。
医務室の扉が開き、生産部長が入ってくる。
生産部長「あちゃ~。労災か~。っと、それより大丈夫か?」
ケガの心配より、労災適用かが口に出るとは…これも立場ゆえか。
私「あ。大丈夫です。ちょっと、爪が縦割れした程度です。
高校野球のピッチャー見たいですよね。あはは…。」
事務員「そんな、高校球児。今はいません!」
生産部長「…冗談言えるくらいなら大丈夫か?
今日はもういいから、ISOの仕事にでも移れ、作業は禁止!
今日でも後日でも、病院にいくなら、労災で処理してくれ。」
事務員と私は、その指示に静かに頷く。
生産部長「しかし、あのボルトが折れるかね?
月次点検では問題ないし、
修繕記録もなかった様な気がしたんだけどな…。」
事務員「生産部長って、修繕記録とか点検表確認してるんですね。」
私の心のセリフを事務員さんが代弁してくれた。
生産部長「は!?ひどくね!?
こう見えても部長だよ。俺。
書くのは嫌いだけど、見るくらいはしてるよ。
俺ってそんないい加減にみえる?凹むわ~」
事務員さんが、その言葉を聞いて平謝りをしている。
そして、
私も心の中で謝る『ごめん部長…』
生産部長「え~そんな謝らないでいいよ。
代わりに、デートしてよね!ね!」
まさかの軟派…。
事務員さんご愁傷様、私の為に巻き込んでスミマセン。
自責の念からも、助け船をだす。
私「部長、スミマセン。私、その気ないんで…」
生産部長「係長な訳ねぇだろうが!
まぁ、いいや。
俺は戻るわ。
じゃぁ、係長にはデートじゃなく、
ケガが治ったら、一杯おごってもらおうかな。」
地雷だった。
◇◇
思いもよらない所で、事務仕事に移る事になった。
痛む指を我慢しながら、
ISO規格要求事項と月刊漫画…じゃなく、
品質マニュアル2冊を机に並べる。
今回の気になった点を書き出す。
・月次作業点検
・作業指示書
・不良品報告書
・設備修復記録
・是正処置報告書
さて、どれから手を付けたら良いのか…。
各書類とマニュアル、規格書を見ながら首をひねる。
「やっぱり、一番薄いコレかな」
ISO9001規格要求事項の項番に目を通していく。
1から3は、規格に対す文書というのは、この1か月で学習した。
4から5は、ほとんどが組織とトップマネジメント。
とことは、6以降だよな。
6は計画。7は支援だったか。怪しいのは8.運用だよな。
9.評価も気になるところではある。よし、8を確認しよう。
~8.1 運用の計画及び管理~
組織は、製品・サービスの提供要求を満たし、
箇条6の取り組みを実施するため、
以下の要件を満たすプロセスを計画・実施・管理しなければならない。
え?箇条6?という事は、やっぱり6から読まないとダメってこと。
「くっそ~ハズレか…」しぶしぶ6へ戻る。
やっぱり、飛ばすのは良くないよな。
~6.1 リスク及び機会への取り組み
組織は、品質マネジメントシステムの計画を策定するとき、
4.1(外部・内部の課題)および4.2(利害関係者の要求)を考慮し、
次の事項のために取り組むべきリスクと機会を決定しなければならない。
ん?あんまり関係なくないか?つまり、計画を立てるたての指針って
ことだろう。そして、次の6.2も目標立てるための計画ってことだよな。
なんだよ、やっぱり8で良かったのか。
改めて、8の続きを見てみる。
えっと8で、以下の要件を満たすプロセス…だったよな。
で?その要件がこれか…
a) 要求事項の明確化: 製品・サービス要件の決定
b) 基準の設定: プロセスおよび合否判定基準
c) 資源の明確化: 適合性確保に必要なリソース
d) プロセスの管理: 設定した基準に基づく実施
e) 文書化された情報の保持: 計画通りの実施と適合性の実証
…さっぱり、わからん…どういうこと?
要求事項の明確化って、8.2.2も似たようなこと書いてある。
資源の明確化って、あれ?資源?支援は7だったような。
やっぱり読み飛ばしはダメ?
そいえば、この間のファミレスで何気なくみたのは。
確か、品質マニュアルの『8-4.生産プロセスと生産記録だったような?
そうだ、そして「R16.作業指示書」を
用いるとかなんとかってあったよな?
規格要求事項の横に品質マニュアルを並べる。
「品質マニュアルの8番。運用はっと…。あ、丁度切れ目か」
1冊目の残り五分の一が、8番の開始で、2冊目にかかっていた。
この間見たのは、確か…『8-4.生産プロセスと生産記録』あれ?
規格要求事項の8.4は『外部から提供されるプロセス、
製品及びサービスの管理』ってなってるぞ?
まさかの、イコールじゃないのか。
ここにきて、さらにハードルあがるのかよ…まいったな。
あきらめて、品質マニュアルの8を読み直していく。
・8.1要求事項の明確化
・8.2合否判定
・8.3達成するための資源の明確化
・8.4生産プロセスと生産記録
なるほど、生産の要求事項つまり何をつくるかを、作業指示書で明確化するぞって事を8.1で書いてある訳か。そして…
要求事項と品質マニュアルを交互に見比べ、
1冊目2冊目を、
ドン・ドンとドラムの様に音を鳴らして入れ替える。
指は右へ左へと文書をなぞり、ピアニストにでもなった気分だ。
それでも、理解が深まると、
脳にピリリと刺激が届くのがわかる。
カフェインよりも刺激的だ。
指の痛みも、お昼の時間も忘れていた。
ページを捲られ、戻され、吹くそよ風が、
熱を少し冷ます。
「やっぱり、なげぇよ。3ページもいらなくね?」
また、
独り言をつぶやいている、自分に気づく。
ファミレスでやっていたら、また店員さんに笑われるところだ。
そういえば店員さん、わりと可愛かったよな…。
っと、いかんいかん。
生産部長のデート発言の影響にちがいないと、
頭をブンブンとふり、頭を整理する。
つまり、うちの会社では、
『R16作業指示書』に大概は書いてあるってことだよな。
何をつくるのか、どのプロセス…工程なのか。
寸法とか数はいくつなのか。いくつまでなら合格なのか。
作業者はだれなのか、生産数、合否判定と不良数、
そして、記録はだれなのか。
そして、プロセスでの作業方法が、『Y-5作業手順書』にあって、
合否の判定基準は『Y-7QC表』に一覧があると。あれ?
『月次作業点検』とか『設備修復記録』、
『不良品報告書』と『是正処置報告書』に関する記述がないよな?
それに、規格要求事項の8.3以降は全然違う。
製品の開発とか、外部提供者だよな。品質マニュアルだとどこだ?
2冊目か?
再び、マニュアルを2冊目に、ドンと載せ替えた。
「キ~ン、コ~ン、カ~ン、コ~ン。」
終業の鐘が工場内に響く。
それは、
私の残業の始まり告げる鐘となる。
ハズだった…
バタンと扉が開かれ、一括される。
生産部長「おら!けが人は帰った帰った!
明日以降も、ISOに従事していいぞ。課長とチームとは、打ち合わせをした。
それと、酒は治るまで禁止だからな!」
お尻を叩かれ、部屋を追い出されてしまった。
せめて8だけは読破しておきたかった。
続きはファミレスでやるか…
ふと、先ほど消し去った。
店員さんの顔が浮かび、顔が歪んしまった。
◇
『いらっしゃいませ~。お一人様でしょうか』
残念、席案内は望む店員さんではなかった。
メニューから定番で、
赤ワイン、ピザ、チョリソーを注文していく。
スマホQRでの注文か…
そう言えば、これも顧客満足に係わるのだろうか。
ウィルス騒ぎから非接触型の注文が普及して、
人材不足も手伝って、一気に当たり前の光景になった。
私は、
もう少し店と客とで、
やり取りがあった方が良いとも思うし、
時には、それが煩わしいと思う時もある。
あ…
私「これが、内部及び外部の状況ってことか…」
『本当に独り言でるのですね』
あ!また、声に出ていたか。
声に反応するも、ここでも望む声ではなかった。
いつもより低い。
首を上げれば、店長さん。
店長『お待たせしました、赤ワインのデキャンタです。
ごゆっくり、おくつろぎ下さい。
独り言は、他のお客様の視線に気を付けてくださいね。
こちら、サービスです。』
赤ワインと共に、カットチーズが置かれた。
この後のピザに邪魔にならない量。
マニュアル対応の中でも息づく気遣い、
流石は店長さんだ。
いや…
これも、店員さんがやったらNG行為なのか?
やっぱ品質管理って大変だ。
私「ありがとうございます。
あの、こう言ったサービスって、店員さんも可能なんですか」
店長『基本は駄目ですね。衛生面やほかの顧客との差別など、
色々な問題がありますから、ですので事前相談になりますね。
お客様のそのISO9001でお答えするのであれば…』
店長さんが、
私の持ち込んだISO9001のマニュアルを覗き込み続ける。
店長『特採。特別採用にうちのマニュアルではあたりますよ。
なので、記録対象です食中毒とか怖いですからね。
こちらは安全に管理されたものですので、どうぞ安心なさって下さい。』
店長さんの背中を見送りながら、頭の中がチーズ色にそまる。
特別採用?特別な採用…そんな言葉あったかな?
薄い方のISO9001規格要求事項から読み流し単語をさがす。
これか…ん?
不適合枠なの?不適合っていたら、不良品だよな?
お客への特別サービスが不適合扱い…よくわからないな…
「グイっと」赤ワインを飲み干す。
店員『お待たせしました、チョリソーとピザです。
以上でお揃いでしょうか。伝票コチラになります。」
残念、店長さんに聞いてみたかったが…
っと、
それよりも自分の所を確認しないと。
チョリソーを口にくわえながら、マニュアルをめくり。
8運用を突合させていく。
その後、
店を後にして、自宅に到着。
ケガもありシャワーですませるも、
頭はすっかりISOに浸食されている。
「明日は、あの機械の整備記録と作業指示書を
確認してみよう…」とつぶやき、窓の光がおちる。
◇
やっぱり…整備記録にはボルトの緩み確認の欄。
3か月前自分、2か月前も、先月も。
ただ、しっかり確認したのは3か月前だ。
2か月前と先月は、私もやったが一人ではない。
一緒にやったのは新人君だ、ただ、確認した者の欄には
二人のハンコではなく、自分だけのハンコ…
私の責任だ。
私「ハンコって…重いんだな…」
改めて事の重さを知る。自分でやった記録じゃ攻めようもない。
ふいに背中越しに声がかかる。
工場長『だろう?石川係長なら、直ぐに辿り着くと思っていたよ。
もしこれが、新人君のハンコなら…どうなったと思う?
新人のせいにして終わりか?』
新人のせい…。そんな事はない。
ケガをしたのは、私の不注意でもある。
そもそも、新人君はしっかりと点検していた事を私は見ている。
工場長『どうした?俺のせいじゃいない、整備の甘かった犯人は
新人だって言ってもいいんだぞ?』
私「いえ…。犯人捜ししていた訳ではありませんので…
ただ、ISO的にみて記録が十分だったかを、
管理責任者として確認したまでです。」
工場長の表情がゆるむ。
工場長『ほう。犯人捜しではないと…あくまで確認だと…で、結果は?』
表情の変化、意味が解らん。ちょっとイラつく表情だ。
私「私の記録が甘かった…原因は私にあるという事でした。
犯人は私です…。」
工場長『犯人捜しをしていた訳ではないのだろう?
結果は係長が犯人…。そんな落としどころじゃないだろう?』
なんだよ。
なにがいいたいんだよ。
工場長『今回の問題点、そして問題点をどう解決するかって事だ。
犯人捜しではなく。原因調査、そして、分析・評価からの改善だ。』
私「あ…8が起こって。9.パフォーマンス評価からの10.改善」
工場長『そういうことだ。頑張れ、新人管理責任者』
そうか…
今回の件をマネジメントシステムという枠にはめるなら。
新人君の確認方法が適切か、締め付け具合が適切か、
駄目なら、何で理解されていないのか、原因はなんだ?
マニュアルの不備か?マニュアルなら作業手順書か?
整備点検規格か?と広がっていく訳だ…
そして、そこに至れないのは…
そう、
トレースアビリティが私の適当におしたハンコで切れた為。
問題は記録に適切性がない。
今回は、自分事だったから気づくことができた。
ケガをしたのも自分だったから、我慢できる。
これが…
もっと大きな事故であったり、
他の作業者が亡くなっていたら…
……もし、お客様だったら?
食中毒…いや、
うちは飲食じゃないから、交通事故への部品不良…
店長さんの言葉を思い出す。「特採。記録。
安全に管理されたもの。」店長としての責任。
私は、
管理責任者どころか、通常作業の記録責任さえまっとうしていない。
完治するまでは事務所作業だ…
心に火がともる。
3日で要求事項とマニュアルの突合を完了させる。
その後、監査不適合への是正確認と内部監査の状況を確認だ。
「先ずは、自分…内部の状況をおさえる。
そして、監査…外部から状況を確認して、望まれる外枠を確立してやる!
やってやるぞ!」
ISO管理責任者になって一か月と半。
スタート地点を見つけた瞬間だった。
◇◇
終章:
店員さ『完治おめでとうございます。すっかり常連さんですね。」
テーブルに置かれる、赤ワイン。
そして、あのサービスから時折頼むようになったスモークチーズ。
思えば、あれも店長さんの狙いだったのかもしれない。
私「ありがとう。…相羽さん。」
名前…まだ、苗字だけど教えてもらえた。
本名かお店での通り名か、そんな事はどうでもいい。
関係をちょっとでも勧められた。
大きな『改善』だ!
相羽『来月頭までに、まとめるって言っていましたよね。それ…』
私の前には、
月刊漫画でもなく、そのようなマニュアルでもなく、
ISO9001規格要求事項書でもなく、
一台のノートパソコンが開かれている。
私「はい。今回のケガから見た、ISO9001重要性を
社内コンペで発表し、トレースアビリティを完璧にしたくって…」
今回、自身のいい加減な確認作業とハンコから。
運よく、自分のケガで事が済んだだけであり、一歩間違えば、
取引先や仲間に大きな被害が出ていたと…
それぞれの立場と責任を理解して、正確に実行すれば問題ないと…
「ISO管理責任者として伝える必要がある」と実感した。
そして、それが、
「ISO9001:2015規格要求事項5.1.1のf」
リーダーシップの行動に適合した行為であることを知った時、
管理責任者として60日
範囲、役割と責任を自覚したのだった。
◇
相羽『応援していますよ。』
私「が、頑張ります!」
相羽さんと、
ハンコの重みを交わす時は来るのだろうか?
いや!押す!押して見せる!
だけども、
やっぱり、
品質より難しいは、恋愛のマネジメントシステム。 ~完・60日~