あの子はたぁれ? たれでしょね?
子供の頃、よくサーカスを見に行った。
お母さんの方のおじいちゃんが面白い人で、あるサーカス団になんて言うの?支援してたっていうか、まあ、そういう感じ。遊園地とかバス会社とか野球選手とかにもそんなことしてた。
お母さんもそういうイベントが好きだから、覚えている感じではいつも2人で行っていたと思う。なぜかその時、弟がどうしてたのか覚えがない。
その頃のサーカスっていうのは、シルク・ド・ソレイユみたいなものじゃなくて、鉄でできた球状のものの中をバイクでぐるぐる回ったりとか、綱渡りとか、空中ブランコとか、マジックショーみたいな女の人を立たせてナイフを投げたりとか、その程度の感じだった。でもライオンもいたし、ゾウさんもいた。ピエロがいたかどうかは覚えていない。
幼稚園児の私は背がちっこいわけだから、それでも巨大な空間に思えたし、
独特の匂いがしていたことも覚えている。バイクの排気ガスと、乾いた藁のような香りと、女の人のお化粧の香りと、テントが建てられた場所の土の匂い。どれもが混じり合っていい香りなのかどうなのかわからないけれど、ワクワクする香りではあった。
ある日、いつものようにお母さんとテントに入ってすぐに始まったバイクのショーを見ていると、私の隣に私と同じくらいの男の子をおんぶしたお母さんらしき人が立っていた。私はバイクが立てる甲高い金属音と煙の中で、私より高い位置にいる男の子を見上げていた。どうして私と同じくらいの歳なのに、まだお母さんにおんぶされてるんだろう?と不思議だったからだ。それにお父さんに肩車されてる子はいても、お母さんにおんぶされてる子はあんまり見たことがなかった。
その子はお母さんにおんぶされながら、キラキラした黒くて大きな瞳でバイクがぐるぐる回る鉄でできた球状のものを見つめていた。よく見るとものすごく興奮しているようで、キラキラしたよだれをたくさん垂らしていた。
どんな状態の子供なのか、私には今でもわからない。だけど、薄暗いテントの中でバイクのショーを照らすライトが彼の顔に当たるたび、透けるように白い端正な横顔と、キラキラした黒くて大きな瞳と、本当に嬉しそうで楽しそうに興奮している姿から目が離せなくなった。多分、あれが私の初恋なのかもしれない。喧騒も、人熱も何もかも消えてしまうくらい、その男の子を見つめ続けた。
あの子はだぁれ?誰でしょね?
今でも鮮明に覚えている。そしてよく思い出す。
帰り道、お母さんにそのことをうるさいくらいに必死で説明した。多分、今まで生きてきた中で、一番興奮して異性のことを話した瞬間だと思う。
お母さんはいつもの穏やかな笑顔で、馬鹿みたいに興奮して話し続ける私の話を楽しそうに聞いてくれた。
帰りながら国道の大きな交差点に差し掛かって青信号を待っていると、ものすごい爆音と共に小さな白い自動車が大きなトラックとぶつかった。あっという間だった。お母さんの手が私の手を痛いほど握りしめた。私はあまりにも突然の出来事すぎて、さっきまで見てたサーカスのバイクのショーとの区別がつかず、ただぼーっと立っていた。一瞬、音が消えたかのように静まり返った次の瞬間、女の人の悲鳴や男の人の大きな声が周りに溢れて、何を叫んでるのかすらわからなかった。私とお母さんは手を繋ぎあってその場所から動けず、ただ立ち尽くしていた。
少ししてお母さんが座り込んで私を抱きすくめた。交差点の方が見えないようにしてくれたんだと思う。だけど、私には見えてしまった。ぐちゃぐちゃになった白い小さな車のドアが弾き飛んで、中に乗ってる女の人が血だらけになってた。そして、動かなかった。後部座席に青い靴を履いた子供の足が見えた。
雨の季節のある1日の出来事。
どんな形でもちょっと人と違って見えても、誰よりもキラキラした素敵な人がいるんだなっていう事と、どんな人でもあっという間に動かなくなちゃうんだなっていう事を覚えた、幼稚園生の頃のただの私の一つの記憶。
お母さんが手を繋いでいてくれて良かった。
