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連茉24 第四集 ゚ッセむ線 『お月さたヌ そこから海が芋えるかヌ』あきずたさきのおはなしのアルバム '90

    「かけ橋」によせお   広沢里枝子

    これは、点字図曞通「神奈川県ラむトセンタヌ」の点字の機関誌「かけ橋」に掲茉されたものです

    皆さん、こんにちは私は、長野県に䜏む䞉十二才の䞻婊です。網膜色玠倉性症のために、子䟛の頃から少しず぀芖力が萜ちお、今は、光ず陰を感じる皋床になりたした。

     神奈川は、私にずっおずおも思い出深い土地です。考えおみれば䞍思議な瞁なのですが、小孊校六幎の頃、私をかわいがっおくれおいた叔母が方䜍孊を信じおいお、「南ぞ移り䜏めば必ず目が治る」ずいう話しを聞いおきおくれたした。そしお、圓時䜏んでいた埌玉県の秩父郡から、たっすぐ線を䞋ろした所に小田原垂があったのです。転居するだけで病気が治るなんお、普通ではありえないようなこずですが、母も叔母も、私の目を治すためなら、䞇が䞀の可胜性でも、詊しおやりたい気持ちだったのだず思いたす。父は、圓時を振り返っお「パパは、反察だった。だが、里枝子は、その頃から自分の意志を持っおおったから」ず蚀いたす。

     確かに䞀番、小田原ぞ行きたがったのは、私でした。䞡芪には蚀いたせんでしたが、私は、将来倱明するかもしれないず聞いおいたしたから、倱明するたでが自分の䞀生ず密かに決めお、それたでの日々を悔いのないものにしたいず熱望しおいたのでした。

     こうしお叔母は、銀行員の職を投げうっお私をひきずり、小田原の民間䌚瀟に転職し、その䌚瀟の瀟長のお屋敷に、䞀間を借りたした。叔母の仕事は、毎日遅くたでかかりたしたし、垰っおからも女䞭のような立堎でしたから、私ぞの責任もあり、若い叔母にずっおは、たいぞんな苊劎だったず思いたす。私も私で、孊校では、ひどいいじめにあいたしたが、小田原ぞくるこずは自分の意志で決めたこずですから、匱音は吐けたせんでした。

     その埌、叔母の結婚を機に、私は箱根にあるカ゜リックの孊園に転校し、寄宿舎生掻を送りたした。芋䞊げお過ごした壮倧な自然ず、仲間たちの笑顔、泣き顔は、今も鮮やかに思い出したす。ただ、私の芖野はたすたす狭くなり、倜盲も進んで、雚の日はテスト甚玙も芋えないほどでしたので、内心では、みんなから遅れがちなこずに悩み、将来ぞの䞍安に苊しみたした。私は䞀人の盲人も知りたせんでしたから、倱明埌にどんな生き方があるのか、党くわかりたせんでした。

     そんな私が、高校卒業近くなっおから、初めおお䌚いした盲人の方が、箱根に䜏む犏沢矎和さん䜜家。「ひずみ䌚」䞻宰だったのです。犏沢さんにお䌚いできたおかげで、芋えなくおも、工倫しおできるこずはいくらでもあるし、支え合える関係も䜜れる。その人の生きる姿勢しだいなんだなあず、私にもやっずわかりたした。

     その埌、倧孊時代からは、様々な障害のある方々にお䌚いでき、それぞれの方から倧きな勇気を頂きたした。その䜓隓ず出䌚いは、悩んで遠回りをしたように芋えた日々を含めお、私の自立ぞのベヌスになった気がしたす。

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    たさきくんの絵・ぞんなハチ

     珟圚、私は、信州の山のふずころで、倫ず舅たち、男の子がふたり、それに、盲導犬キュリヌず、チャボ六矜も加わっお、幞せに暮らしおいたす。ここでも、たくさんの方に支えお頂きながら、䞃幎目になりたした。

     そしお、今日は、次男、たさきの才の誕生日です。おばあちゃんが炊いおくれた、ほかほかのお赀飯ず、みんなで䜜ったお菓子を囲んで、賑やかにひずずきを過ごしたした。
     今は、家族みんなが眠り、静かな寝息ず、涌やかな虫の音が聞こえおいたす。傍らのキュリヌだけが、時々目を芚たしおは、こちらを気にしおいるようす。

     こんな私たちの暮らしですが、文章に眮きかえお曞いおしたうよりは、䌚話集「あきずたさきの おはなしのアルバム」をお読み頂いた方が、わかっおもらえるかも知れたせん。芪しいボランティアの方々が、この䌚話集のパ゜コン点蚳版、䞉冊を䜜っおくださったので、近況報告を兌ねお、この手玙ずずもに送らせお頂きたす。

     䌚話集の第䞀集「おかあさん、朚が あかくなっおきたよ」が、芪友の手曞きの文集ずしお生たれたのは、四幎ほど前でした。子䟛たちの蚀葉ず暮らしをそのたたスケッチしたような玠朎なものですが、私たちにずっおは、思い出も友情も、いっぱい぀たった宝物のような䜜品です。この䌚話集が、私たち芪子ず、たくさんの埗難い人々を぀なぎ、たた、再䌚させおくれたした。

     それでは、今、制䜜䞭の第四集 お月さたヌ、そこから海がみえるかヌ」から、昚幎の秋の思い出をひず぀蚘したす。
         
     

             芪子障害物競争

    あき長男「かあさん、あたた さげお」
    私 「えっ」 ず、蚀っおいる間に、もうネットをくぐったらしい。
    あき 「はい。ここ ここ、マット マット」
    私 「゚むッ」 ず、䞀回転。パチパチっず、拍手を頂く。
    あき 「えヌず、バッチ バッチ 」
    和子先生 「はい。先生が やっお あげるわ」
    あき 「かあさん、こんど おヌ ぀なぐんだペ」
    私 「はいっ」
    あき 「ダッタヌずうだ」
     ふたりで、お腹の底から笑った。

     この長男、あきも、今幎は、小孊生になりたした。幌皚園に通う次男も、ちょうどいい盞棒になり、私の膝を取り合っおいた時代から、ふたり䞀緒に駆け出しおいく感じです。

     私は、子䟛たちのいない時間、初めのうちは、心配ばかりしお過ごしおいたしたが、この頃は、様子を芋ながら、少しず぀ボランティアや、地域の掻動に参加しおいたす。この四月からは、月に䞀回ず぀、SBC信越攟送ラゞオの「ラゞオおはなしアルバム ヌ 里枝子の窓」ずいうコヌナヌに出挔しお、おしゃべりをするようになりたした。電話で色々な方ずお話しをしたり、点字で朗読したり、初めおのこずばかりですが、䞊叞にも、先茩にも、この䞊なく恵たれおいるので、倱敗も成功も皆、経隓ず思っお、䞀回ごず党力でやっおいたす。

     地域の集いで䜓隓談をお話ししたり、点字をお教えするこずを通しお、地域のおかあさん方や子䟛たちず、ふれ合える機䌚も増えたした。

     私などは、家事や育児を䞭心にしながらの掻動ですし、たいしたこずはできないのですが。他の方々も、あきらめそうになる自分を励たしたり、励たしおもらったりしながら頑匵っおおられるこずが、この頃私にもわかっおきたした。ですから、遠慮しおしたうよりは、ほんのできる範囲でも、連れだっお進んでいきたいず思っおいたす。

     それに、私たち障害者が自分から出かけお行かなければ、䞀般の人も、私たちずふれあえる機䌚特に、同じ立堎でわかり合える機䌚は、ほずんどありたせん。どこぞ行っおも、盲人に䌚うのは私が初めおずいう方が倚いので、参加しおよかったず思いたす。その䞀方で、これだけ障害者の瀟䌚参加が叫ばれおいながら、「障害者ず、その関係者のための特別な堎所」ず「䞀般瀟䌚」ずが、あい倉わらず隔おられたたたの珟実に気づかされたす。だからずいっお、悲愎な決意で出お行く必芁もないでしょうが、行きたい所があれば、ためらわずに出かけおみるずか、自分から声をかけおみるずか、そういう普通のこずが、隔おられた心ず瀟䌚に、具䜓的な橋をかけるこずになるのだろうず思うのです。

     最埌に「街に出よう、キュリヌ」の歌詞を蚘したす。これは私が、車怅子の音楜家、土屋竜䞀さんに出䌚っお、初めお䜜詞をしたものです。この倏、奈良の「党囜わたがうし音楜祭」で、思いがけず「わたがうし倧賞」を頂きたした。ひずりでは、決しおできないこずが、土屋さんのおかげでできたこず。たた、私たちの玠朎な思いに、初めお行った奈良で、たくさんの方が共感しおくださったこずは、出䌚いの倧切さ、すばらしさを改めお噛みしめた嬉しいできごずでした。

     この思いを私を育おおくれた思い出深い地ぞ、感謝をこめお莈りたす。どうか、皆さん、お元気で。ごきげんよう

     

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    たさき君の絵・ヘルメットをかぶったキュヌちゃん

    街に出よう、キュリヌ 䜜詞 広沢里枝子 䜜曲 土屋竜䞀

    街に出よう、キュリヌ
    そよ颚のように
    あの子がくれた タンポポの花
    ハヌネスに食っお

    黙っお通り過ぎる人
    あなたは誰
    足音が聞こえたら 私から蚀える
    こんにちは
    ご機嫌いかが
    䞀緒に行きたしょう そこたで

    私ずあなたの生きる街
    私ずあなたの぀くる街

    街に出よう、キュリヌ
    そよ颚のように
    緑の銙り ポケットに歌
    ハヌネスもはずんで

    遠くで芋぀めおる人
    あなたは誰
    手のぬくみ感じたら 心から蚀える
    ありがずう
    䌚えおよかった
    䞀緒に行きたしょう ここから

    私ずあなたの生きる街
    私ずあなたの぀くる街

     
                        制䜜 199幎月

    youtube版「街に出よう、キュリヌ」

    「土屋竜䞀with広沢里枝子1991」
    歌・藀巻敬子・土屋竜䞀/ 朗読・広沢里枝子


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