
私の日常の冒険:15:これはエッセイである。
青井茜は女である。
それ以上に語ることはない。それ以上に語ることはないけれど、ある日エッセイを書こうと思い立った。
だから、スマホでエッセイを調べて、みんなが、これはエッセイだって言っている物を読んで、ああ、これがエッセイなのか思いながら、さあ、書いてみるかなと思った。
その時、テーブルにあったものが、小さな皿にローストアーモンドが3粒と、氷が溶けすぎて、もはや水にカフェラテを注いだみたいな、カフェラテ水。
こんなもので、エッセイが書けるか。
もしかしたら、みんなこれに何か思うのだろうか。
アーモンドはビタミンEが豊富ですぐらいなら思いついた。
でも、どうしてもエッセイが書きたい。
それしかないと思ったのです。
私はただそこにいるように見えますが、ただそこにいるわけではないのです。
自分の中で思いが溢れた時に、どうしても一人でどうにかしなければならないから。
お腹がねじれるくらい笑っても、一人で笑わなければいけない。
滑ってこけて痛くても、一人で痛みに耐えねばならない。
何でもない毎日の出来事を、何でもないまま生きねばならない。
そういう行き場のなくなったモノたちをエッセイなら落ち着かせることができると思ったから。
誰かを強く縛り付けて支配するわけでなく、ただ、ただ、今日はね、こんなことがあってねと話をする。
そういうことができたならと思っただけなのです。
そうはいっても、私が思うことには悪いことが多いし、みんなの興味を引くような生活をしているわけではない。
それで、エッセイなんて言って書こうとしても、こんなの受け入れられないのではと、不安にもなるのです。
エッセイが何なのか、どういう意味なのか、気になってきたから、その足で近くの図書館に行きました。広辞苑やら大辞林を引っ張り出して、エッセイや随筆を調べた。
エッセー
形式にとらわれず、個人的観点から物事を論じた散文。また、意の趣くままに感想・見聞などをまとめた文章。
随筆
見聞したことや心に浮かんだことなどを、気ままに自由な形式で書いた文章。また、その作品。
エッセー
随筆。自由な形式で書かれた、思索性を持つ散文。
随筆
見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章。
なるほど、自由ってことね。
現実を書かなければいけないなんてことは書いていない。
赤毛のアンのアン・シャーリーが、日常で見たものから空想するように、私もそうしてやろうと思ったのです。
ちなみに、各章で何かを「のむ」ように表現した箇所があったら、その後に書いた出来事はすべて私の空想です。
その後に起こったことは、こうであったら良かったのにとか、こうだったら面白かったのにとか、そういった私の願望のようなものです、
私の世界には、空想を切り離すことはできないから。空想をちゃんと文字にしておきました。
でも、思ったことは事実です。
思ったことをうまく表すために空想で補っただけです。
もしかして、ガッカリしましたか。それは正しいです。私は、ガッカリするぐらいの人間です。
私は嫌いなものが多いし、文句も多いです。みんなの心を洗うような良いことばかり言えません。
だから、ただの毒吐きにならないよう、工夫したつもりです。
もし、一つ良いことらしく何かを言うのだとしたら、私は世間を恋人にしたいと本当に思っています。
私に共感できないものがあるように、あなたは私に共感していただけないでしょう。
共感していただけないのなら、きっと、私を好きにはなれないのでしょう。
これはエッセイである。
エッセイでは無いと批判するのならば、辞書を出版した人たちにもそう教えてあげたらいい。
それに、自伝的小説とか私小説と言うにはちょっと違うでしょう。
これはエッセイである。
自由なのだから、尾ひれが着いていても良いだろう。そのほうがよく泳げるじゃない。
これはそういった「試み」だ。