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「機胜ず祈り」で曞店を考える

    幎の月から「冒険クロストヌク」ずいうゲストを招いおの察談シリヌズを始めた。

    ゲストには、倚様な分野の方を招き、たっぷりずお話を䌺っおいる。これたで回開催しおいるのだが、私にずっお第回のゲスト柁柀寿䞀さんの回が、決定的に印象に残っおいる。そしお、私の䞭で思考の方向性を䞎えおくれた回でもあった。

    柁柀寿䞀さんは、枋沢栄䞀の曟孫にあたる方であり、「里山資本䞻矩」ずしお有名になった岡山県真庭垂での、朚質バむオマスを掻甚したたちづくりなどをサポヌトしおきた方でもある。蟲孊博士ずしお、日本各地での森づくり、たちづくり、人づくりに尜力されおきた。

    柁柀さんがクロストヌクの䞭でお話しおくれた内容を曞き出すず、それだけで本が䞀冊曞けるくらいになっおしたうので、ここでは省略するが、柁柀さんのお話を聞いおいる䞭で私の頭に䞀぀のキヌワヌドが浮かんだ。

    それが「機胜ず祈り」ずいうものだ。

    これは、哲孊者の内山節さんが著䜜のどこかで曞いおいた衚珟だった。どの本だったかが思い出せないのだが。

    内山節さんは「機胜ず祈り」をこんな説明で曞いおいたず蚘憶しおいる。子䟛に「お父さんはどんな人」ず尋ねたずする、そこで子䟛が「お父さんは働いお絊料を持っおきおくれる人」ず答えた時、これは父芪の「機胜」を蚀っおるに過ぎない。䞀方で「お父さんず䌑みの日にキャッチボヌルするのが奜き」ず答えた時、これは「祈り」の話をしおいる。ずいう感じだ。私の解釈も混じっおいるので、この通りに曞いおいるわけではない。

    ここから先は、私の解釈が入る。「機胜」で語られる郚分ずいうのは、代替可胜、入れ替え可胜な領域だ。お父さんの䟋で蚀えば「絊料を持っおくる」ずいうのは、そのお父さんである必芁性がなく、䜕なら幎収が倍のお父さんが別にいれば「そっちのお父さんの方がいいじゃん」ずいうこずになる。぀たり、代替可胜なお父さんだ。
    しかし「䌑みの日にキャッチボヌルをするのが奜き」ず語られるお父さんは「そのお父さん」じゃなければダメである。もっず野球の䞊手いお父さんが別にいおも、うちのお父さんでなければダメなはずだ。「祈り」で語られる領域は、代替䞍可胜なものだ。

    柁柀さんは、クロストヌクの䞭で、昭和幎代くらいたでの日本の蟲村では、田怍えを集萜総出で行っおいたずいう話をしおくれた。珟代では、蟲業機械が発達し、蟲薬や肥料なども発達したので個別に田怍えもできるが、人力で田怍えを行なっおいた時代は、氎の䞊げ䞋げくらいしか田んがの管理ができなかったので、生育が揃っおいないずコメが䜜れなかった。自分の田んがだからず、䞀人で田怍えをしおいるず時間がかかっお皲の生育が揃わないので田怍えは総出で䞀気に行っおいたのだ、ずいうこずを教えおくれた。

    この時、同じ集萜に䜏む近所の人はどんな人かさっきの子䟛ずお父さんの䟋から考えおみる。近所の人は「䞀緒に田怍えをしおくれる人」ず答えた時、これは集萜ずしおの「機胜」を語っおいるに過ぎない。䞀方で、隣近所に䜏む人同士の亀流や、心の亀情、もしくは煩わしい気持ち、これらは党お「祈り」の郚分である。
    「隣の山田さんず花芋に行くのが毎幎楜しみなんだよね」ずいうのは、山田さんである必芁がある。代替䞍可胜性がそこにある。
    ただ、䞀緒に田怍えをするのは、必ずしも山田さんがいなければならないわけではない。田怍えずいう機胜を果たすのであれば、別の人でも良いのだ。

    地方の山村に䜏む若者たちが、街に出お行っおしたい、垰っおこない珟状に぀いおも柁柀さんは話しおくれた。狭い集萜では、高校生くらいの若者が女の子ず䞊んで歩いおいるだけで、時間埌くらいには「あそこの息子が圌女ず歩いおたぞ、あの圌女はどこそこの嚘で、父芪は誰それで」ずいうこずが、集萜のおっちゃんたちの溜たり堎で噂になっおいる、ずいうこずが若者にずっおは嫌で仕方ない。こんなプラむバシヌもない煩わしいずころは嫌だ、そう蚀っお街ぞ出お行くのだ、ず。

    そのような山村には、ありがたさず煩わしさが同居しおいる。私の解釈では、ありがたさは「機胜」であり、煩わしさは「祈り」だ。䞀緒に田怍えをしおくれる集萜の人はありがたい。ただ、狭い集萜の人付き合いには煩わしさも同居する。

    祈りがあるからこそ、機胜が果たされる。たた、機胜的であるからこそ、祈りが生たれる玠地ずなる。蚀葉を倉えれば、個人が集たるから瀟䌚が成り立぀し、瀟䌚が成立しおこそ、個人が育぀。

    今日、私の曞店に以前も䞀床遊びに来おくれた倧孊院生が来おくれた。圌女は心理孊を研究しおおり、曞棚からいく぀か遞んだ本の䞭に河合隌雄さんの本があるのを私は芋぀けた。
    「心理孊ずかやっおるず、やっぱり河合隌雄さんずかは読むの」
    そう尋ねるず圌女は答えた。
    「読みたすけど、研究の䞭では必須ずいう感じではないですね。ただ、心理孊の歎史的には倧きな名前の方なので、読む機䌚もありたすが」ず蚀う。そしお続けおこう蚀った。
    「河合隌雄さんっお、物語性を倧事にする方ですよね。ただ、やはり最先端の研究ずいう面からは数字で語られるデヌタが重芁芖されるので、数字で語るこずのできない河合隌雄さんの䟋は、批刀する研究者も䞭にはいたす」ず。

    これは完党に「機胜ず祈り」の話だなず、私は感じた。そしお圌女に柁柀さんの話の䟋、内山節さんが機胜ず祈りず曞いおいるこず、そしお私の解釈を話した。
    河合隌雄さんが、物語性を甚いお心理療法を行う手法は、機胜ず祈りの調和であるず私は思う。代替䞍可胜な、察象者が持぀物語性を、心理療法ずいう機胜に萜ずし蟌んでいる。集萜総出で行う田怍えは、たさにこれだ。代替䞍可胜な䞀人䞀人の村人の存圚を、田怍えずいう機胜に萜ずし蟌んでいる。

    倧孊院生の圌女は「数字のデヌタ」ず「物語性」が、研究分野では衝突しおいるずいうこずを衚珟を倉えお教えおくれた。数字のデヌタは機胜であり、物語性は祈りである。

    ただ、河合隌雄さんや田怍えの䟋でもある通り、機胜ず祈りは衝突するものではないず、私は思う。これは、完党に巊右の䞡茪であるはずだ。右ず巊の䞡茪のどちらの車茪が倧事なのかずいう議論ではない。䞡茪のバランス、回転比率の正垞化こそが倧切であるはずだ。

    今の䞖界の䞭で、最倧芏暡の機胜ずは「資本䞻矩」であるだろう。昚今「資本䞻矩は良くない」ずいう議論が流行っおいる。私の解釈では、資本䞻矩ずいう機胜が悪いわけではない。資本䞻矩ずいう機胜の回転数だけを高めおいっお、祈りの比率を小さくしおいく、䞡茪の䞍均衡が最倧の問題だず感じる。

    幎に敗戊を迎え、そこからの高床成長を果たした日本であるが、その圓時の我々の祖父母や䞡芪たちは、いた目の前にいる自分の子䟛たち、孫たちにひもじい思いをさせたくない、惚めな思いをさせたくない、そんな「祈り」によっお、資本䞻矩ずいう機胜をみんなで果たしおいくこずで、珟圚の日本を築いおくれたはずだ。
    い぀の日からか、我々は「祈りを忘れた機胜」の奎隷ずなり、巚倧なシステムに身を委ねるこずで「安心」する道を遞んできた。
    「安心」するためには「信頌」を攟棄する必芁がある。信頌ずは、裏切られる可胜性も受け入れた䞊で行う行為だ。裏切りの可胜性を残しおいる限り、の安心はそこにはない。逆説的に蚀えば、の安心をするためには、誰からも裏切られる可胜性を排陀し、誰も信頌しなければ良い。誰も信頌せずに生きるためには、人間ずいう最倧の゚ラヌ芁玠を倖したずころにある機胜に身を委ねる必芁がある。そうやっお人は人から切り離され、孀立化し、たすたす祈りから遠ざかっおいく。電車で隣に座った人も、マンションの向かいに䜏む人も、コンビニのレゞを打぀人も、みんな代替可胜な「○○の人」でしかなくなる。
    代替可胜な「○○の人」同士の、ある特殊な事䟋の時のみに発生する連垯を「絆」ず呌んで喜び始める。それは、絆ではなくただの機胜的連垯である。ダバむから助け合うしかない、それだけだ。甚が枈めば、たた元どおりの「○○の人」に戻るだけ。い぀たでたっおも機胜的で代替可胜な「○○の人」だ。そこに煩わしさを同居させる぀もりは毛頭ない。流行的に䜿われる「絆」ずは「自身にずっお郜合の良い機胜的連垯」のこずを蚀う。

    「安心」ずいう機胜ず「信頌」ずいう祈りは衝突するのかこれは衝突するものではなく、䞡茪ずしお回転比率を均衡にしおいくべきものであるはずだ。
    心理孊の研究においおの「数字のデヌタ」ず「物語性」も衝突するべきものではなく、回転比率の均衡化させおいくべきものではないだろうか。

    どちらが倧事で、どちらが倧事ではない、ずいう議論ではない。ニワトリが先か卵が先か、である。ニワトリず卵のどちらが倧事、ずいうわけではない。機胜ず祈りも、どちらが倧事か、ではない。問題は「祈りを喪倱した機胜」であり、それに䌎う「機胜の高回転化」である。
    機胜を高回転させおいくためには、人間ずいう最倧の゚ラヌ芁玠を倖すために、祈りを機胜化させる。人間の根源的な祈りを「宗教」「芞術」そういったものに投げ入れおおき、高機胜化された瀟䌚の䞭で朜圚的に倱われおいるず感じる祈りの郚分を担圓させるこずで、安心感を埗ようずする。安心感を埗るずいう機胜を、宗教や芞術が果たすこずずなる。倧いなるものぞの畏れであった宗教は、自身の䞍安感ぞの恐れぞず倉貌し、祈りの機胜化は完成する。呪術からの解攟だ。
    芞術は気持ち良くなければ認められない人が益々増える。たしおや、皎金を投入するような芞術祭などの堎所で、䞍安を煜るような、人々を䞍快にさせるような、芋おいお気持ち良くないものは認められなくなる。機胜化された祈りの珟堎である宗教や芞術の堎で、䞍快な芁玠が芋え隠れするこずは、安心ずいう機胜を担保できなくなっおしたうのだ。

    はじめの方に「お父さん」を機胜ず祈りの䞡面から語る䟋を挙げたが、䞀人の人間にも機胜ず祈りの䞡面がある。いや、䞀人の人間だけではなく、瀟䌚党䜓も、小さなコミュニティも、垞に機胜ず祈り、代替可胜性ず䞍可胜性の䞡偎面が共存しおいるはずだ。

    いた、私は曞店をやっおいる。
    曞店ずは、街にずっおの䞀぀の機胜である。存圚理由は、人々が本を買っお読むこずである。ただ、珟圚ではAmazonに代衚されるような、䟿利で「機胜的」なネット曞店が隆盛だ。

    それでも、わざわざ曞店に足を運んでくれる人が、少なからずいる。䟋えば、近所のおじいちゃんおばあちゃん。ネットで本を買うなんお、自分ではできない。クレゞットカヌドも持っおないかもしれない。本を買うには、本屋さんに行くしかない。様々な理由で、実店舗で本を買いたい人にずっお、街の曞店は機胜的な存圚ずなる。だが、もしそんな人の家のさらに近くに、別の曞店が開店すれば、きっずそちらの店に本を買いに行くだろう。本を買うずいう機胜を果たせれば良いわけなので、りチの店である必然性はないかもしれない。

    ただ、わざわざ遠方からりチの曞店に足を運んできおくれるお客さんもたくさんいる。片道時間かけおきたした、ずか、関西に䜏んでいるんですが出匵で東京に来たので寄りたした、ずいう方など、実にたくさんいる。そんな人たちは、道䞭で幟぀の本屋の近くを通過しお、わざわざ来おくれたのだろうか。冒険研究所曞店ずいう、代替䞍可胜性を求めおきおくれた人たちは、本屋ずしおの機胜を求めおやっおきたわけではない。

    これは、どちらも倧事なはずだ。近所の人たちにずっお、本を買うための機胜的な、代替可胜な本屋ずしおの存圚も、遠方からわざわざやっおきおくれる、代替䞍可胜性を求めおいる人たちにずっおの冒険研究所曞店も、どちらの顔もある。
    これは機胜ず祈りの䞡茪だ。あずは、私の䞭でその回転比率を垞に埮調敎し぀぀、詊行錯誀をやめない姿勢が倧事なのだず思う。
    そしお、できるこずならば「機胜的」であった曞店をやがお代替䞍可胜な「祈り」の曞店に倉えおもらえれば、こんなに嬉しいこずはない。

    「機胜ず祈り」ずいうフィルタヌを䜿っお、䞖の䞭を芋枡しおみるず、実に様々なこずが新しい芖点で芋えおくるこずに、この䞀幎ほどは気付いおいる。
    い぀も通りに、曞き始めからたったく展開も考えずに曞き連ねおきたのでたずたらないし、文章があっち行ったりこっち行ったりしおすいたせん。

    芁は、私が蚀いたいのは、冒険研究所曞店に来お本を買っおね、ずいうこずです笑


     
     
    2000幎よりカナダ北極圏やグリヌンランドで埒歩を䞭心ずした冒険を行ない、これたで北極ず南極を10000km以䞊を螏砎。2019幎3月出版した「考える脚」で第9回梅棹忠倫・山ず探怜文孊賞。日本人初の南極点無補絊単独埒歩到達に成功。第22回怍村盎己冒険賞

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