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マンモス絶滅期に生きた、短大生の就職戦線

私は「早く社会に出て自立したい」という理由で、短大を進学先に選んだ。 その短大は四年制大学も併設されていたため、就職活動に関してはかなり早い時期から手厚い指導、悪く言えば「お尻を叩かれる」環境が整っていた。

現在の年齢は一応『お肌の曲がり角を何度か曲がったくらい』と濁らせていただくが、当時の就活を一言で表すなら『氷河期というより、もはやマンモスが絶滅したレベルの氷河期』のド真ん中。 そんなサバイバル時代に、いよいよ私の就活戦線が幕を開けた。

まず、夏休みが終わってすぐに学内で全国短大模試が行われた。 試験科目は、国語・数学・理科・社会・英語。
……まてまてまて。私は日本語日本文学科である。最後に元素記号を見たのはいつだ? スイヘーリーベって何だっけ? 考えている間にも、目の前を「就職」という名のマンモスがドタドタと通り過ぎていく。心の中でウギャーと叫びながら、藁にもすがる思いで鉛筆を転がした。

しかし、マンモス絶滅期の奇跡か、あるいはみんながパニックに陥っていたのか、手応えゼロのまま返ってきた結果を見て目を疑った。
学内2位、全国24位。
……おい、ちょっと待て。神様、設定を完全に間違えている。マークシートの神様が奇跡のノリで味方してくれたとしか思えないバグである。 だがこの珍事のせいで、学内では『就職活動のスーパーエリート候補生』のような扱いを受けるハメになってしまった。テストができるからって、内定が取れるわけじゃないのに! 私は背中に冷や汗を流しながら、就職課の熱い視線から必死に逃げ回ることになった。
「オレに期待するんじゃねえ……!」

次に、企業からの学内説明会が何十社も行われた。 当時は今のような快適なインターネット環境ではなく、画像一枚表示されるのに数秒かかる通信速度。パソコンルームにこもり、地道な砂金掘りのような作業で一社一社調べ、話を聞く会社を選んだ。今思えば、この地道な作業の先に、あの「募集要項トラップ」が待ち構えているとは知る由もなかったのだが。

ようやくエントリーにこぎつけたのが、日本を代表する某大手IT・電機メーカーだった。 新卒採用サイトの募集要項を隅から隅まで舐めるように読み、「短大卒不可」の文字がないことをしっかり3回確認してボタンを押した。 なのに、数日後に届いたお祈りメールのニュアンスはこうだった。
「あー、ウチ、大卒のみなんすよね」 (もちろんもっと丁寧なビジネス文書だったが、内容を要約すると完全にこれだった)。
……いや、それなら最初にどこかに書いておいてくれ。

普通なら「やっぱり短大卒じゃダメなんだ……」と落ち込む場面かもしれない。だが、マンモス絶滅期の就活生に、そんな繊細なハートは命取りである。
「落ち込んでいる暇があるなら、就職先を2つ見つける!」
それが私のモットーだった。傷ついている時間があるなら、別の2社にエントリーシートを叩き込んだ方が何倍もマシ。 私は画面に向かって「ちっ」と盛大に舌打ちをかまし、即座にそのメールをゴミ箱へ叩き込んだ。さあ次だ、次!

またパソコンルームにこもり、新卒採用ページをめぐる。 当時の学校のパソコンルームはとにかく狭く、隣の人が何を見ているのか丸わかりなほど画面が近かった。 そんなプライバシーゼロの空間で、ふと隣の学生の画面が目に入り、私は釘付けになった。
「ここ、受けたいかも……!」
それは、当時から誰もが知る、あの有名な某通信販売会社だった。 例の「トラップ」の件もあるので、まずは何より先に募集要項を凝視する。
……よし、短大卒の文字がある! 受け入れてもらえる! 安堵したのも束の間、次に飛び込んできた試験内容に、私は思わずフリーズした。

『あなたの夢を、紙に表現してください』

……は? 夢? エントリーすると自宅に送られてくるシートには、恐怖の「完全白紙スペース」があり、そこに自分の夢を描けというのだ。 まてまてまて。こちとら「マンモス絶滅期」を必死にサバイブ中の短大生である。明日の内定すら見えない人間に、一体どんな壮大な夢を描けというのか。 全国模試24位という(バグによる)頭脳をもってしても、このクリエイティブすぎる難題には頭から煙が出そうだった。

でも、その会社は当時から地球環境に配慮した素敵な取り組みをずっと行っている企業だった。
「そうか、私の個人的な夢じゃなくて、私が描く『こうあればみんなが幸せだな』と思う世界の姿を書けばいいんだ!」
私はその日、文房具屋に走って黒のビニールテープを購入した。 ハサミでチョキチョキと文字を切り、白紙の真ん中に縦書きで貼り付ける。そして周りには、世界中の人たちが笑っているイラストを描いた。

真ん中に貼り付けた文字は、「ワッハッハ。」

世界中の人が同時に笑う、そんな瞬間があればいいなという夢を描いたのだ。笑顔からは幸せが生まれる。その頃の私はそう信じて疑っていなかった。 その企業には、噂によると2万5千人もの応募があったらしい。 書類選考で200人程度まで絞られたそうなのだが、私はなんとその「ワッハッハ。」で通過してしまった。材料費、ほぼビニールテープ代だけである。信じられない強運だ。

いかんせんマンモス絶滅期、他にも色んな会社を受けた。 電車の遅延でパニックになり(当時は車内での通話マナーが厳しく)、遅れる連絡ができず面接を受け損ねたり、「私服でいいですよ」を真に受けて私服で行ったら周りは全員リクルートスーツだったり、丸太町の駅(京阪と地下鉄)を間違えて盛大に遅刻したりと、頭を抱えるエピソードには事欠かない。

そんな中、もう一社、母体がとんでもなく大きいIT系企業とも縁があり、選考が進んでいった。

結果として、第一志望だった通信販売会社は最終手前で落ちてしまった。 実はこの時、(のちに包丁が宙を舞うことになる)強烈な恋愛トラブルに巻き込まれていて、精神的に就活どころではない状態だったのもある。 ちなみに最終採用人数はわずか5人だったと、面接で仲良くなったお姉さんが教えてくれた。そのお姉さんが採用されたことは本当に嬉しかったけれど、やっぱり、めちゃくちゃ悔しかった。

一方で、選考が進んでいたIT企業は、なんと6次面接まであった(事前のデータでは5次までのはずだったのに!)。
面接の人数が絞られていくと、就活生同士に妙な戦友感が生まれ、「みんなで通るといいね!」などと励まし合っていたのだが、お偉いさんの一言で面接が追加されてしまったのだ。

ちなみに、ここの三次面接で、私は面接官とちょっとした議論(というか、小競り合い)を起こしている。 マニュアル通りの優等生回答ばかりが並ぶ中で、すっかり開き直っていた私は「おもしろいこと、本音だけを言おう」と決めていた。
「これって、ぶっちゃけ儲かります?」
面接官にそう噛みついた生意気な短大生に、当時の常務が何かを見出してしまったらしい。マンモス絶滅期の奇跡、ここに極まれり、である。

結果は、まさかの内定。
――と、ここで華々しくハッピーエンドといきたい人生だったのだが、社会はそんなに甘くなかった。 意気揚々と入社した私を待ち受けていたのは、「そもそも新卒を取らない超多忙な部署」への配属という、会社側の壮大な配属リスク(バグ)だったのだ。 怒濤の就活戦線を生き抜いた私もこれにはさすがにメンタルをやられ、すったもんだの末に本部の事務職へと着地することになるのだが……まぁ、それはまた別のお話。

振り返ってみれば、マンモス絶滅期の就職活動は、冷酷で、理不尽で、包丁が舞うほど混沌としていた。 (あ、念のために言っておくが、包丁を振り回していたのは私が好きになった男の「元カノ」である。『彼女はおらん』って言ってたやんけ。ちゃんと縁を切ってから来い。だる)。

だけど、お祈りメールに高速で舌打ちをし、白紙に「ワッハッハ。」と貼り付け、面接官に本音でぶつかって内定をもぎ取ったあの日々は、今思い出してもニヤリとしてしまう、私の最高に愛おしい戦闘記録だ。

あの過酷な冬をリクルートスーツ1枚で生き抜いたのだから、この先の人生、どんな氷河期が来ようが笑ってサバイブしていける。 そんな根拠のない自信を胸に、今日も私は元気に「次」の扉を開けている。

あ、ちなみに、あのとき不誠実なトラップを仕掛けてきた某大手企業への地味な不買運動だけは、随分経った今も密かに継続中である。ワッハッハ。

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