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得意をかざして若いねーちゃんに教えたがるおじさんにはなりたくない

    私自身、なりたい自分の像やらロールモデルを持っている訳ではない。そのため「迷走している」とdisられることはある。ただ、「なりたくない像」はある。

    娘と一緒にスケートを習っている話について以前に書いた。シーズン中は毎月のように教室がある中、私と娘はスケジュールとにらめっこして「この月はいけそうだ」とタイミングが合った時だけ参加する。

    たまにしか参加しない私に対して、参加するといつも顔を見るおっちゃんがいる。きっと、生涯スポーツとしてスケートを始めてストイックなんだろうなと思っていた。でも、思ってたんと違うかった。

    年度末の有給消化で、時間があったのでスケートに来た。教室でなく自由滑走。すると、例のおっちゃんもいた。だけど、熱心に自分の練習している訳ではなく、どちらかと言えばふらふらしている。

    友達同士と来たであろう若いお嬢さんたちを品定めて、いまいちスケートを滑れなさそうな人に声をかけて、滑り方を指導し始めていた。

    初めて滑る人よりはおっちゃんの方が上手いだろうけれど、飛び抜けて上手い訳ではない。私と同じクラスなので、言うなれば私と大して変わらない。それで指導し始めるのどうなん?と思った。

    いやいや、上手いとか下手とかそういう問題じゃない。水泳で言うたら私はかなり上手い部類に入る(と自分で言う)けれど、まだまだ上には上がいる。そもそも、教えるのに上手いことは必須条件ですらないのもある。

    とにかく、ええ年こいたおっちゃんが「教えてあげるよ」と近付くのは違うんじゃない?と私は思う。

    もしかすると、教わっている側も助かっているかもしれないし、高専病を引きずっている(未だに初対面の女性は苦手)な私も逆恨みもあるかもしれない。

    嫌悪感について考察するに、そうでもしないと誰も構ってくれないことを軽蔑しているのか。いや、おっちゃんになるってのは「そういうこと」なのに、それを受け入れられていないことに軽蔑しているのか。

    今現在、私の美的感覚として「そんなふうにはなりたくない」と思っている。いつか変わってしまうかもしれない自分を戒めるため書き残す。

     
     
    メーカーのデザイン部隊にいるエンジニアです。

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