水泳を長く続けるコツは、お風呂に入る以上の努力を自分に課さないこと
私の水泳歴は35年を超えている。歴が長いからと言って飛び抜けて上手い訳でも速い訳でもない。
ダラダラと続けていることに、コツと言うのはおこがましいけれど、半生を振り返るために書く。
最初はスイミングスクールから
確か35年くらい前、習い事としてスイミングに入門した。みんなが通う習い事の上位でもあり、学校の友達でも習っている人は多かった。
「級」のワッペンがあって、友達より先に進んでいることは、小学生にとってステータスだった。
そんな前提を引きずっているため、上のクラスを目指すよりも基礎を固めることを優先するのは、私にとっての逆説だった。
四泳法が泳げるようになって「1級」の課題をクリアして「卒業」するのが、だいたい小学校の中学年くらいだろうか。
分岐点:選手コースには入らなかった
卒業をひと段落として水泳は辞めて塾に通う人もいれば、選手コースに入ってさらに練習に励む人もいる。
小学生だった私は、そのどちらでもなく「卒業」したのに、卒業を目指す人たちと一緒に泳ぎ続けていた。泳ぐこと自体は好きだ。
その先の追求として、選手になるにはスカウトされねばならない。見込みのある子は1級を卒業する前から選手に誘われたり、兄が選手だと弟にも声がかかったりする。
私は選手のお眼鏡にかからなかったのか、誘われたけど「なんかキツそうだから、今のままでいいや」と言ったのか。よくは覚えていない。
ストイックに練習する選手達は、中高生や大学で打ち込み、そこら辺の大会は無双する。だけど、大人になるまでに見切りを付けて辞めてしまう人も多い。
選手コースを選ばなかった(選べなかった?)ことは、私が今でもダラダラと泳ぎ続けていることと深く関係する気がしてならない。
中学から成人クラスに入った
中学に入っても水泳はユルく続けたかったけれど、時間割の都合で小学生の習い事の時間帯と合わない。かと言って、夕方にやっている選手コースに入るには時機を逸していた。
ユル水泳一家ではあり、両親が成人クラスに通っていた。引率するからと父が直談判して、成人していない中学生の私は、両親と一緒に成人クラスに通うことになった。
オッサンたちに可愛がってもらいながら、生涯スポーツの世界があることを知った。
絶対的に速く泳いでレースで勝つ以外ににも水泳の世界がある。衰えながらも、同じ年代の中で相対的な記録を意識しながら、自分と勝負し続ける世界もまた尊いのではないか。
90歳でも泳ぎ続けて、マスターズ世界新出したら、それはそれで凄い。そんな記録さえなくても、泳いでるだけでも素敵やん。
そんな考えが私の根底にある。
競技水泳をやるも一流になったことはない
今に至るまでの過程の中で、高専では水泳部に入った。冬は屋外で泳げないので、スイミングスクールの成人クラスで泳ぎ続けた。
大学に編入したためサークルには入らなかったけれど、スクールから水泳競技大会や、マスターズ大会には出続けた。
社会人になってからは、オープンウォーターに出てみたり、同好会で実業団に出たりはした。

日本実業団に出られた
一度でも一流になった選手は、それを維持するためにもキツイ練習をこなしているだろう。どこかの段階で衰えに直面し、遅くなってまで続ける意味を見いだせなくなると想像する。
私の場合は、一度たりとも一流になったことがない。維持する苦労もなければ、衰えにあがなう強迫観念もそれほど大きくはない。

40歳区分ではなく男子総合で入賞したった
イメージ的には、銭湯に行くのと変わらない。事前には「めんどくさいなぁ」と感じても、お風呂に出た後で後悔する奴はいない。私にとって泳ぐこともそんなイメージ。
モチベーションにも起伏はあって、「もっと良いタイムを出したいなぁ」と思うこともあれば、惰性で泳いでいることも正直ある。だけどすべての時期を通して、嫌になるくらいまで頑張ったことはない。
続ける秘訣があるとすれば、きっとそういうことなんだろう。
いいなと思ったら応援しよう!
「文章でメシを食う」の道を開くため、サポートいただけると励みになります。それを元手にメシを食ってメシレポします。